大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

ThinkPadの父、レノボ・内藤副社長退任後も受け継がれる開発のDNA

 ThinkPadの父と呼ばれるレノボ・ジャパンの内藤在正取締役副社長が、2018年4月30日付けで退任する。5月1日からは、同社のコンサルタントとして、週1回程度、出社しながら、同社の技術イノベーションの方向性などを打ち出すことになる。

 「家には買ったままで置きっぱなしの楽器がたくさんある。これからは、楽器の練習をしたい」と笑う。内藤氏は、ThinkPadを通じて、世の中にどんな影響を与えたのか。そして、これからThinkPadの父がいなくなるThinkPadは、どうなるのか。内藤氏に取締役副社長としてのラストインタビューを行なった。

--退任はいつ頃から決めていたのですか。

内藤 私は今、66歳なのですが、前々から、65歳を区切りに退任しようと思っていました。しかし、昨年、ThinkPadが25周年を迎えたこともあり、もう1年はがんばってみようと(笑)。そこで、2017年10月に、ThinkPadが25周年を迎え、12月に中国の本社を訪れたときに、退任したいという意向を伝えました。そのときには強い反対もなく、2018年3月に退任するという方向で話がまとまりました。

 私は、5年前の3月に社員を辞め、その後、1年ごとの契約で、取締役副社長を務めていました。その契約が終了するタイミングであること、レノボにとっても事業年度末ということで、3月の退任を決めたわけです。

 ところが、3月中旬になっても、本社はなにもアナウンスをしてくれない(笑)。月例のミーティングにあわせて、これが最後の本社訪問だと思い、3月中旬に中国に出向いたら、なんとか4月末まで残ってほしい、だから社内へのアナウンスも3月末になるという話になり……。さよならを言うつもりが、なにも言えずに帰ってきましたよ(笑)。

 4月には、新年度スタートにあわせたキックオフミーティングがあり、CEOのヤン・ヤンチンも、日本にやってきましたから、それらのミーティングに出席して欲しいと言われたことが、1カ月延長した背景です。

--内藤さんの44年間に渡るビジネスマンとしての人生のなかでは、やはりThinkPadを世に送り出したことが大きな出来事です。ビジネスシーンにおいて、本当の意味で活用できるノートPCを生み出しました。これは世の中を大きく変えたのではないでしょうか。

内藤 ThinkPadは、利用するユーザーの仕事を最も効率化するツールであり、その結果として、ビジネスの成功に貢献することを目指して開発をしてきました。これは、ThinkPadに関わった1日目から変わっていないコンセプトです。エンジニアに対しても、「あなたが設計しているものが、このコンセプトにどうつながるのか」ということを常に問いかけ、考えさせてきました。

 ただ、それが直接的に世の中を変えたというのは大げさで、ノートブックPCというカテゴリにおいて製品を出し、それを活用するインフラが整備され、それらによって、利用するユーザーの仕事の仕方を変え、結果として、世の中を変えてきたと言えます。

--仕事を最も効率化するツールを目指し、ビジネスの成功に貢献するというThinkPadのコンセプトの誕生は、内藤さんのどんな経験に裏打ちされたものなのですか。

内藤 このコンセプトにたどり着くきっかけは、PCが、ポータブルになったことがきっかけでした。デスクトップPCは、私からみれば、レガシーな仕事の仕方をサポートするツールでしかありませんでした。かつての仕事のやり方は、長時間、会社にいて、残業をすることが、競争力を高めることにつながるというものでした。これをさらに加速し、効率化を高めたのがデスクトップPCです。

 しかし、デスクトップPCによって、作業が効率化するのですが、会社にしかありませんから、どうしても会社に残らざるを得ない。私は、むしろ、ビジネスマンを会社に縛り付けるためのツールになっていたとさえ思っていました。ThinkPadを開発しているときには、デスクトップPCしかありませんでしたから、まさに会社に縛り付けられて、初代ThinkPadを開発していましたよ(笑)。PCがポータブルになったことで、離れたところでも生産性を高めることができるようになったのは周知の通りです。それをもっともいい方法で実現するためにはどうするかということを追求したのがThinkPadでした。

 ただ、当初は、自分の想いと、使い勝手の悪さのギャップが、とてもフラストレーションになっていました。最初の6年ほどはフラストレーションばかりが溜まっていました。それは通信環境が整っていないことが理由でした。

 会社でダウンロードしたデータを、移動中に加工することはできるが、発信することはできないし、新たな情報を得ることもできない。家に帰ったり、ホテルに入って、ネットワークにつないで、ようやく本来の使い方ができるようになる。しかし、夜、メールを受信する設定をして、朝起きてみると、ネットワークがトラブっていて、受信が終わってないということもよくありましたよね(笑)。ADSLが登場して、メガビットの通信帯域が手に入るようになり、さらにWi-Fiが広く使われるようになって、ようやく、ThinkPadでやりたかったことができるようになってきたわけです。

 ただ、一方で、ThinkPadの開発には、もう1つのフラストレーションがありました。

--それはなんでしょうか。

内藤 かつては、日本人は残業をいとわないほど勤勉であるのに対して、米国人は午後5時に家に帰ってしまうので怠け者だというような言われ方をしていたことがありましたが、それは当たっていません。米国がそういう社会であるという本質を捉えなくてはいけません。家に帰って家族で一緒に食事をする、子供と話をするというのが父親の姿であり、社会から求められている要件でもあるのです。つまり、家に帰らなくてはならない社会なのです。

 ただ、デスクトップPCの時代には、デジタル化したことで、家に帰るとなにも仕事ができなくなってしまう。米国人は、働きたいが、社会の仕組みがあり、それを両立できないことに大きな不満を抱いていたと言えます。その不満を解決するツールがポータブルPCだったわけです。

 米国人が、家に帰って食事をしたあとに、仕事をすることができるようになったことで、一気に生産性があがり、仕事の仕方も変わり始めました。ただ、日本では、あくまでも会社にいることが、仕事をすることに直結していたわけで、世界が向かう働き方の方向と、日本の働き方の方向が、まったく逆方向に向かう転換点がこのときに生まれたとも言えます。つまり、自分が作ったツールが、そうしたことを引き起こしていることに気がついたわけです。

 日本は農耕民族ですから、作ったものを分配するときには、がんばった人に多く手渡すという文化があります。人が見ているからこそ、がんばったことがわかり、仕事の仕方も自ずと人が見ているところでがんばるものになる。会社での残業はその最たるものですね。

 だが、狩猟民族は、朝から狩りをして、朝一番で獲物が手に入ればそれが一番。夜まで働いてようやく狩りができたのでは評価されないのです。狩りをしたものは自分のものですし、人が見ているかどうかはまったく気にしません。効率的に結果を生むことを求めます。

 これを当てはめると、ポータブルPCの登場によって、米国人は、仕事を加速できるツールが手に入ったと感じたのに対して、日本人は、会社で残業をしないで、仕事ができるツールが登場したことに脅威を感じたのかもしれませんね。あるいは24時間働くことが強制されるような危機感を持ったかもしれません。

 このツールを家に持って帰るのは、休みを返上したり、24時間働くためではなく、週末の48時間のうち、12時間に1回でもメールや最新情報をチェックすれば、それだけで効率があがったり、簡単な指示ができたりといったことが可能になるからです。仕事において、「ピリオド」ともいえる回数を増やすことで、仕事をより効率的にしたり、リズムを作ることが可能になるわけです。

 ポータブルPCというツールに対する基本的な姿勢が、日米では違っているわけです。

 いまでも日本では、ノートPCを家に持ち帰ることに厳しいですよね。ある人に、「私のノートPCはケンジントンロックで机につながっていて、鍵は警備員が持っている。さらに、警備員から鍵をもらうときには、3段階上の上司にまでハンコをもらわないといけない」という話を聞いたことがありました。これでは、ノートPCの良さをまったく活かせないのです。

 ただ、裏を返せば、まだ日本のノートPCの使い方はこの水準ですから、伸びしろがあるとも言えます。米西海岸の会社は、出社して働くことを前提としていない会社が多いですね。

 日本では、少子高齢化で労働力不足が指摘されていますが、まさに、こうした働き方を行なうことで労働力を確保することができます。政府も働き方改革を推進する姿勢を見せているように、日本では、もう1つ上のノートPCの使い方に踏み出すフェイズに入ってきたとも言えます。そうした日本の変化にあわせて、ThinkPadはどう進化していくかといったことも考えなくてはいけないですね。日本のユーザーの成功のために、なにをやらなくてはいけないかが見えてくると思います。

--日本の変化にあわせたThinkPadが登場することになりそうですか。

内藤 それはあると思いますよ(笑)。ThinkPadの事業を振り返っても、ローカルやグローバルの要求にあわせて製品化したり、最大公約数として求められる仕様にフォーカスして製品化したりといったように、タイミングによってさまざまな手を打ってきました。最近では、各地域には、各地域に必要なニーズがあり、それがユニークであったとしても、どういうソリューションを提供するのかをしっかりと議論することが大切だということが話されるようになってきました。

 私は、最後の方向付けとして、「日本の問題を解け!」と社内に言ってきましたよ。ちなみに、これは、日本向けに12型のThinkPadを出せ、ということを言っているのではありませんよ(笑)。

--日本の問題を解くThinkPadは何年ぐらいで登場しますか。

内藤 5年をかけてやることではありません。1年、2年で実現する話ですね。そして、こうしたことに取り組んでいることを、レノボ・ジャパンとしてもっと発信していかなくてはならないと思っています。

--これまでのThinkPadの製品化において、内藤さんがこだわってきた点はなんでしょうか。

内藤 それは、一言で言えば一貫性だと思います。ThinkPadは、「この機能はいいね」と感じてもらったものについては、次の製品でも必ず踏襲しました。これは逆に縛りを入れることにもなり、エンジニアも苦労した部分です。

 たとえば、キーボードの良さは必ず継承すると決めました。しかし、薄型化が進むなかで、キーボードを薄くしてはどうかという議論も発生するわけです。しかし、キーボードの良さを継承するのであれば、それを犠牲にしてまで、キーボードは絶対に薄くしない。そうしたことを徹底的に守り抜きました。

 ThinkPadには3つのこだわりがあります1とつは、ThinkPadは、オフィスから離れても生産性を維持でき、顧客の成功を支えることを目的に開発した「Meaningful Design」のPCであること。2つめが、技術が前面に出るのではなく、コンピュータを使うことに気を使わず、仕事に集中してもらうためのツールを実現する「Masked Technology」であること。そして、3つめが「Trust」であり、ここでは壊れないという堅牢性や安定性といった要素だけでなく、満足度を感じていただいた部分を新たな製品にも継承し、ユーザーを裏切らないということが含まれます。

 こうした3つの考え方が、ThinkPadの開発チームの共通認識となっています。

--ThinkPadの父である内藤さんが退き、これからはThinkPadの父がいないなかで、ThinkPadが進化することになります。ThinkPadの父がいないThinkPadは大丈夫でしょうか。

内藤 たとえば、自分の父親からは多くのことを学んでいると思います。もちろん、母からも学んだものもあるでしょうし、上司から学んだものもあるでしょう。しかし、なにを学んだかということは、すべてを並べて言えるわけではありません。ただ、そうして学んだものが、自分の行動や振る舞いなどに反映されているのならば、父や母、上司が、自分のなかに生きていることになるのではないでしょうか。

 私のなかにも、父が生きています。そして、ThinkPadにおいても、私が言い続けてきたことが、開発者の行動や振る舞いに反映されていることが大切です。これは、「内藤さんが言っていたから」というものではなく、知らないうちにそれが身につき、DNAとして伝承されているということが大切なのです。その人のなかにいるというものが生まれればいいのです。私自身、そうした人になりたいと思ってきました。

 約3年前に、30代の若い社員が、「ThinkPad 開発哲学の木」というカードを作ってくれました。ここには、「すべてはお客様の成功のためにある」という、これまでThinkPadの開発チームに受け継がれてきた開発哲学が示されています。いまは、ThinkPadに関わるすべての社員がこのカードを所持しています。これは、私が作ってくれといったものではなく、社員自らが制作したものです。

「ThinkPad 開発哲学の木」カード

 つまり、DNAとして根づいているということを示した出来事です。このカードに書かれた内容は、社員のなかにも、伝承されたという意識すらなく、まさにDNAとして植え付けられているのではないでしょうか。言い換えれば、私がいようが、いまいが、ThinkPadの開発者のなかに生きていくDNAがここにあります。そうしたいと思っていた組織が、そうなったことを考えれば、私は安心して、退任ができるというわけです。

--もしかして、「ThinkPad 開発哲学の木」のカードができたときに、これで辞めてもいいと思ったのでは(笑)。

内藤 いや、そのときはまだやることがありましたから(笑)。しかし、とても安心したことを覚えています。

--内藤さんから、仕事に対する姿勢や考え方を学んだ人は多いと思います。その一方で、内藤さんが学んだ人は誰でしょうか。

内藤 私も、多くの人々から、さまざまなことを学んだと言えます。ただ、そのなかであえてあげるならば、日本IBM時代の2人の上司ですね。この2人の上司は、まるで正反対の仕事のやり方をする人たちでした。

 1人は私が20代の時の上司です。血気盛んな私が取り留めのない話をしても、ずっと話を聞いてくれて、必要なことを指示してくれる。ときには、その場で電話をかけて、掛け合ってくれることもあった。私は、こういう上司になりたいと思いましたね。

 そして、もう1人の上司は、30代の頃でしたが、逆になにも助けてくれない(笑)。難しいことを言いつけて、それができるまで許してくれない上司でした。最初は、ひどい人だなと思いましたが、結果として、この時に、すごくトレーニングをされたわけです。

 誰も助けてくれないときには、自分でやるしかない。自分がとても成長できた時期でした。こうした経験を通じて、相手と状況によって、手取り足取りがいいときもあるが、そうでないときもあるということを学びましたね。上司としてどんな振る舞いをすべきかは、いくつかのやり方を持つべきだと思いました。

 一方で、30代後半のときに、私は上司として「コーチ」の役割はしっかり果たせていると感じていました。しかし、ある教育に行った時に、私の「コーチ」としての評価があまりにも低かった。むしろ、コーチとしてのスキルがまったくないという評価でした。

 そのとき、私がやっていたことは、「ペースセッティング」という行動だったのです。ペースセッティングとは、こうやったほうがいい、ああやったほうがいいということを指示するもので、直接的な答えを与えていたのです。コーチは、「君はどう思っているのか」ということを引き出し、そこから成長を助ける役割なのです。教えるのではなく、育てることがコーチであるということを知ったことが、当時はとてもショックでした。

 じつは、この教育には5回ぐらい参加し、それによって、コーチとしての評価点をあげていくことに努力しました。上司として、どんなスキルを持つかというのは、その人が目指すものもありますが、持っていないスキルは活用できませんし、相手に与えることができません。高圧的な態度を取るということも上司としては、時には必要な場合もありますし、ペースセッティングのやり方がよくない場合もあります。そういう使い分けも必要だということを感じました。また、この経験から、自分が思いこんでいることが、相手にとっては違うということも、常に感じていましたね。

--今後のThinkPadの開発は、福島晃執行役員常務と、横田聡一執行役員常務を中心とした体制になりますね。2人に対して、そして、開発チームには、どんなことを託しましたか?

内藤 レノボでは、3-Wave Strategyを推進しています。Wave 1は、PCを中心とした働き方改革とライススタイル提案、Wave 2が、サーバー、モバイル事業による業務、生活インフラの提供、そして、Wave 3がデバイスとクラウドによるイノベーションの共創になります。

 言い方を変えると、Wave 2は、マーケティング部門が、ユーザーはなにが欲しいのかを語ることができ、開発部門もどうやってつくることができるのかを知っている次世代プロダクトです。Wave 3は、どんな市場があるのかもわからないし、開発部門もなにをしていいのかわからない、そして、開発するスキルも蓄積されていないものが中心となります。いずれも、これからの成長が見込まれる領域です。

 こうしたものに比べると、Wave 1の領域だけが衰退していくビジネスのように見えます。しかし、決してそうではありません。2人には、「PCは衰退していくビジネスであるとは思わないでくれ」といっています。まだまだ伸びしろがある市場です。

 そして、Wave 1の領域で一番危険なのは、自らの慢心です。多くのお客様に、ThinkPadを評価していただいていることで、自分たちは大丈夫だという慢心を持つことがWave 1の領域ではもっともやってはいけないことです。この領域において、ほかの人たちが、どんなに努力していることを理解して、自分たちがもっと努力をしていかなくてはならないことを知る必要があります。その意識を徹底してもらいたいと思っています。

 そして、Wave 2やWave 3を考えるときにも、単に、ロボットやドローンが流行りそうだからということだけで、そちらに進んだり、その技術を習得すればいいということだけは考えないでくれ、と開発チームには話しています。

 たとえば、ロボットという1つのプロダクトを考えたときに、ギアをはじめとする稼働部があり、モーターがあり、それを制御するマイコンがあり、ロボットのパーソナリティを形づくるAIのようなものがあります。このなかで、自分はどこをやって、どこはほかの人にやってもらうのかを考えることが大切です。先を見ないで、第一歩を進むというのでは困る。自分が、どこまで泳いでいくのかもわからずに、海の中に飛び込むのはダメなんです。どこを行くのか、そのためにはどんなことを学んで、どんな練習をするのか。それを見定めることが大切です。

 こういう話をすると、「では、どこに向かっていけばいいのですか」と聞かれます。それは私にもわからないし、誰にもわかりません。ただ、それを毎日考えることが大切であり、それを続けるか、続けないかで、ゲームチェンジャーになるのか、負け組になるのかの差が生まれる。これは開発者にとっては、大変重要なことです。

--内藤さんは、5月1日からはどんなことをしますか。

内藤 5月1日以降は、レノボ・ジャパンと、コンサルタントの契約を結ぶことになります。肩書きは自由にしていいと言われていますので、レノボフェローを務めてきた私には、「名誉フェロー」の名前が一番無難かなと思っています。

 ただ、これはまだ決めていません。コンタルタントの仕事としては、これまでCTO(最高技術責任者)としてやってきたハイレベルのところは引き続きやるようには言われています。たとえば、自分たちの技術イノベーションは、どこに持って行くのか、といったことを示すために、いくつかの柱を立てて、その下にフォーカルエリアを設定するといった立案作業は担当することになります。1つ1つの製品の設計については口を出しませんが、大きな意味での技術的意思決定を行なうことになります。

 また、若い人たちを含めた人材育成にも取り組んでいきます。契約は1年ごとですが、描くプランは3年、5年先を見ることになります。現場の人たちは、「n+1」、「n+2」といった1、2年先を見てくれるでしょうから、私は「n+3」以上を考えることになります。

 しかし、先ほどお話したように、「日本の問題を解け!」という方針を残してきましたから、これを早くやるようにドライブしなくてはなりませんね(笑)。なるべく、口は出さないようにしますが(笑)。

--ThinkPadとの距離感はどんな感じになりますか。

内藤 私がこのタイミングで引退しようと思ったのは、リーダーシップを取らなくてはいけない年齢にいる次世代のリーダーが、本当のリーダーとして活躍してほしいということが最大の理由です。それを損なうようなことはしません。いままでの職責と、これからの職責はまったく違うということ、そして、私はもうリーダーではないということを、開発者全員の前で言いました。私が会社に来ているのを見て、まだリーダーであるという誤解がないように徹底しました。そうした距離は保ちます。

 もちろん、意見を求められれば、いつでも対応しますし、相談にも乗ります。ただ、社員のレビューはしないし、ディレクションは出さないし、責任は社員の人たちがとることになります。

--以前よりも、やさしく接してくれると(笑)。

内藤 私は、これまでに会社で怒鳴ったことは2回しかありませんし、しかも部下に怒鳴ったことはありませんよ。やさしいことに変わりはありません(笑)。

--出社のサイクルはどうなりますか。

内藤 基本は週1回程度ではないでしょうか。そこに、TV会議を組み合わせたり、必要に応じて、出社回数を増やしたりといったことになります。これから決めていくことになります。

--役員を退任して最初の日となる5月1日はなにをしますか。

内藤 ゴールデンウイークなので、どこかに出かける予定です(笑)。

--週1回の出社として、残りの6日間はなにをやる予定ですか。

内藤 私がいままでの生涯でやりたかったけど、できなかったことが、音楽なんです。音楽に憧れがあって、とくに楽器を演奏することに憧れがありました。ギターはかつて演奏したことはあったのですが、スキルはまったくないのに、たくさんの楽器を持っているんです。

 ギターのほかに、サックスホーンやバイオリン、そして、家にはピアノもあります。時間ができたらレッスンを受けようかなと思っているんです。その話をヤン・ヤンチンにしたら、「来年4月のキックオフミーティングで演奏してくれ」と言われ、それは丁重にお断りしました(笑)。ジャズも、クラシックも好きなんですが、少人数構成でのクラシックなどを演奏したいですね。それと、カメラにもはまっていますので、犬の散歩をしながら、鳥を見つけて、撮影するといったこともしたいですね。

--これからの日本のPC業界に期待することはなんでしょうか。

内藤 日本のPC業界は、モノを作って売ることが得意ですが、その裏返しとして、開発者はモノを使うことが不得意であり、興味を持っていないと感じます。これからは、IoTデバイスが注目を集めるでしょうが、どんなIoTデバイスを作って、売ってやろうというのではなく、自分がIoTデバイスを使ってみて、なにが便利になるのかということを、まずは体験し、そこで、自分はなにが欲しいのか、どんな価値を提供できるのかということを考える必要があります。

 ベストユーザーが、ベストプロバイダになれる余地が、日本のPC業界にはあります。日本のPC業界がもっと元気になるには、ITの暮らしを経験して、それから作るということが大切です。それによって、多くの人が求める次のIoTデバイスを創出できるのではないでしょうか。私自身も、IoTデバイスを使っていて、もっとこうしたらいいのになと思うことがありますよ。

--なにか新しいモノを作りたくなってしまうのではないですか? たとえば、レノボがやっていない領域とかで。

内藤 いえいえ、ピアノの練習が忙しくなるので(笑)。それに、いまのレノボは、レノボがやっていない領域をどうするか、ということを目指す会社になっていますから、やっていない領域はありませんよ。仮に、なにかやりたくなっても我慢です(笑)。