笠原一輝のユビキタス情報局

Lenovo、内藤在正氏をワールドワイドの開発を統括するCDOに任命



Lenovo Group CDOの内藤在正氏(左)とレノボ・ジャパン 常務執行役員 研究・開発 ノートブック製品担当 横田聡一氏(右)

 Lenovo Group(以下Lenovo)は、これまで日本法人レノボ・ジャパン株式会社(以下レノボ・ジャパン)において、研究開発拠点となる大和研究所の所長兼副社長を務めてきた内藤在正氏を、Lenovoのワールドワイド開発を統括するCDO(Chief Development Officer)に任命したことを明らかにした。内藤氏は、Lenovoが買収したIBMのPCビジネスの時代から大和研究所のトップやThinkPadシリーズ開発の責任者を長年努めており、PC開発のエキスパートとしての実力を買われての抜擢となる。

 また、同時に、同じくIBM時代からThinkPad開発にかかわってきたレノボ・ジャパン 常務執行役員 研究・開発 ノートブック製品担当の横田聡一氏が、大和研究所の新所長として就任したことも明らかにされた。

 今回その2人に、新しいCDOの役割や、大和研究所の今後などについてお話を伺ってきた。


●Lenovoがワールドワイドに展開する3つの研究開発拠点
Lenovoが世界中に3つ持つ開発拠点、細かく言うと、中国の深センにもソフトウェアの開発拠点がある

 PCメーカーとしてのLenovoは、世界中に3つの研究開発拠点を持っている。日本でよく知られている大和研究所のほか、米国のノースカロライナ州にあるラーレイ(Raleigh)、そして中国の北京の3カ所だ。

 Lenovoが3カ所に研究開発拠点を持っているのは、歴史的な経緯がある。よく知られているように、Lenovoはかつて中国のトップPCベンダーであった「Legend」が、2003年にLenovoへブランド転換し、2005年にIBMからThinkPadシリーズを含むPCビジネスを買収して再スタートを切ったPCメーカーだ。買収した時点で、IBMのPCビジネスの開発拠点は2つあり、1つが日本の神奈川県大和市にあった大和研究所(後述のように現在は横浜市みなとみらい地区へ移転している)、そしてもう1つが米国のラーレイだった。そして、旧Legend側も本社がある北京に開発拠点を持っており、それらがそれぞれ存続したため、Lenovoは世界に3つの拠点を持つことになったわけだ。

 この3つの拠点はそれぞれ異なる役割が与えられており、日本の大和研究所はノートPCのThinkPadシリーズの開発、米国のラーレイはソフトウェアの開発、中国の北京はコンシューマ向けPCとなるIdeaシリーズ(IdeaPad/IdeaCentre)やデスクトップPCの開発を担う仕組みになっている。

【14時56分訂正】LegendはIBMのPCビジネスを買収する以前からLenovoにブランド転換していたため、表記を改めました。


●3つの開発拠点を束ねる新しい役目をもったCDOという役割

 上記の理由により、役割分担は戦略的にそうなっているというよりも、歴史的経緯を反映したという部分が大きい。大和研究所はIBMのPCビジネスが買収される以前からThinkPadの開発を担ってきたし、ラーレイもソフトウェアの開発を担ってきたという点では、いずれも基本的な役割は変わっていない。Ideaブランドができたのは2008年以降になるので、北京に与えられた役割は新しいものに見えるが、それ以前から北京はLenovoの低価格製品の開発を担ってきたので、基本的にはその延長線上にあるものだと考えられる。

 PCメーカーの開発拠点は多くの場合米国なり台湾なりの1カ所に置かれることが多く、Lenovoのように複数の拠点を持っているメーカーはあまり多くない。複数の拠点を持つメリットは、多様な考え方が製品に反映されることだろう。例えばノートPCは、国や地域によって必要とされる要件が異なっている。よく言われるところでは、自動車での移動が中心の米国と、電車など公共交通機関での移動が中心に東アジアでは、ノートPCへの要求仕様が異なる。Lenovoが米国、日本、中国という3カ国に拠点を持つことはそれぞれの文化や考え方を、PCの設計に反映できるという点ではメリットと言えるだろう。

 だが、逆に3カ所に分散しているということは、各々で開発が進んでいくことになり、例えば同じようなものを複数箇所で開発をしていた、ということもあり得るのだ。内藤氏も「正直のところ、各々の開発拠点が横串でシナジーを持ってうまく回転している理想型には今いない」と、そのデメリットも打ち明けている。

 内藤氏の新しいCODとしての役割は「大和研究所も含めて各開発部隊を束ね、相互協力、開発プロセスの一致などLenovo全体としてうまくまとめていくことが仕事になる」(内藤氏)とものになる。これまでThinkPadの研究開発をリードしてきた経験を生かし、ThinkPadのみならずワールドワイドのLenovo製品の開発のリーダーシップを取っていく役割を担っていくことが内藤氏の新しい任務となる。

 筆者個人としては、日本人であろうがそうでなかろうが、優秀なリーダーであれば国籍は問わないつもりだが、PCビジネスで日本メーカーではないPCメーカーで、開発のトップが日本人であるというのは、きわめて異例だと言っていいだろう。PCビジネスの本場は米国であり、ほとんどのグローバルなPCメーカーでは開発のトップは米国人だというのが一般的だ。だからこそ、今回の内藤氏のCDO就任は、内藤氏個人はもちろんのこと、大和研究所の力量をLenovoの経営者が高く評価しているということの裏返しだと言っていいのではないだろうか。

●顧客に誤ったメッセージを与えないために、じっと耐えた2年間

 内藤氏はIBMからLenovoへと生まれ変わるこの5年間、大和研究所のリーダーとして大きな苦労をしてきたことを明らかにしてくれた。

 確かに、IBMの一部門からLenovoという中国資本に会社にThinkPadのビジネスが移管されるにあたり、ユーザー側にも大きな不安があった。というのも、それまでThinkPadのブランド価値の中には、IBMが製造しているからという安心感があったし、そしてThinkPadを開発していた大和研究所の価値を新しいLenovoの経営者達がどれだけ理解しているかということへの不安……これらがユーザー側にあったことは否定できないだろう。

 内藤氏は「確かに当初、お客様にThinkPadが全然違うモノに変わってしまうのではないかという、漠然とした不安があったのは事実だったと思う」と正直に認めている。そのために、リーダーたる内藤氏が決断したのは「2年間何も変えない、今までと同じThinkPadを作り続ける」というやり方だったという。内藤氏は「お客様にこれまでのThinkPadと変わらないんだと信じていただくためには、それ以前とは何も変わらないという期間が必要だった。その期間に何かを変えた場合には、間違ったメッセージとして受け取られる恐れがあった」と、そうした最初の2~3年はビジネスを安定させるための製品作りに注力したのだと説明した。

 そして、その期間を過ぎ、変わらないThinkPadというメッセージを顧客に届けることを成功したため、新しい取り組みとして昨年(2010年)からThinkPad Edgeシリーズという新しいThinkPadの開発にも取り組んだのだという。ThinkPad Edgeシリーズは、これまでのThinkPad(Classic ThinkPad)がターゲットにしてこなかった、中小企業をターゲットにした製品だが、確かにこれがLenovoの買収直後にリリースされていたら、従来のThinkPadのユーザーは“ThinkPadは変わってしまった”という誤解をしてしまっていたかもしれない。

 内藤氏によると、大和研究所の立場から言えば「結果的にこの5年間、Lenovoになったからといって、IBM時代にやってきたことをやめさせられたということはなかった」とのことで、当初(正直に言えば筆者も含めて)ユーザーが感じていた漠然とした不安は杞憂に終わったと言っていいだろう。内藤氏は「Lenovoになってからむしろ我々の意見を会社にもよく聞いてもらっている。それはLenovoにとってPCビジネスはコアビジネスだからだ」とする。

 IBMにとってPCビジネスは、ITというソリューションを販売するためのツールの1つでしかないため、事業としての優先度は正直そんなに高くなかったと言っていいだろう。別にPCが売れなくても、さまざまなサービスなどで利益を出すことが可能だからだ。これに対して、LenovoはPCが収益の中心にあるPCメーカーだ。PCから利益が上がらなければ、それは即会社として危機的な状況になることを意味する。だからこそ、そのPCビジネスの中心的存在であるThinkPadシリーズは重要視されているし、それを開発している大和研究所の声も以前よりも会社の幹部に届くようになっている、というのだ。

●PCの位置づけは変化しつつある、そうしたトレンドもThinkPadに影響を与える

 それでは、今後の大和研究所はどうなっていくのだろうか。大和研究所は今、大きな変革の時を迎えている。すでに述べたように、内藤氏がCDOに就任したことで、新たに横田聡一氏が後任の所長として就任しているし、1月には神奈川県大和市にあったIBM大和事業所内の研究所は、神奈川県横浜市のみなとみらい地区にあるみなとみらいセンタービルへの引っ越しが開始された。20階、21階がオフィスになり、従来は店舗だった2階部分をラボとしてさまざまな試験室(音響試験室や電波暗室、耐久試験室など)として利用するという。現在ラボの部分はIBM大和事業所からの引っ越しの最中で、すべてができあがっているのではなく、荷物の搬入などが行なわれている段階だった。

みなとみらいセンタービルに設置されたLenovoの新しい大和研究所の受付
従来は店舗として利用されていたみなとみらいセンタービルの2F部分が大和研究所の新しいラボとして現在引っ越し中みなとみらいセンタービルのショップ地図。従来はレストランなどが入っていた2Fが現在改装中で、そこに大和研究所のさまざまな研究施設が入る予定

 これから大和研究所を引っ張っていくことになる横田氏だが、今後のThinkPad開発の方向性について、こう語っている、「従来のThinkPadに関しては、お客様がその性能や機能を望んでいただける限りは作り続けていきたい」。

 しかし、新たな取り組みも今後は考えていきたいという。横田氏によればIT部門も大きく変わりつつあり、例えば欧米ではこれまでコンシューマ向けと思われていたスマートフォンを企業の中で使うような形が増えてきているのだという。かつ、ユーザーもそうした製品と共に育った若いユーザーがIT部門にも入ってきていて、以前とは期待されているものが違ってきているという。「スレート型のタブレットデバイスが登場するなど、デバイスは多様化しており、PCの位置づけそのものも曲がり角にあると言える。そうした中でThinkPadをどのように進化させていくのか見極めていく必要があると考えている」と、現在コンシューマ市場で起きているスマートフォンやタブレットの急速な立ち上がりというトレンドが、ビジネス向けPCであるThinkPadシリーズにも影響を与える可能性があることを示唆した。

 ただ、具体的にどのような取り組みが行なわれていくのか具体的に決まっているわけではない。横田氏の言うように、今PCビジネスは大きな曲がり角を迎えていることは間違いない。これまではx86プロセッサ+Windowsという“Wintel”の枠組みの中で1つの産業として成立してきたPCビジネスだが、すでにWintelという枠組みそのものが融解しつつある。MicrosoftはWindowsでサポートするプラットフォームとしてARMベースのプロセッサを次世代版から追加することを発表済みだ。従って、PCベンダーもそうした状況に対応する必要があり、そこの議論は今まさに各PCベンダーで行なわれているところだろう。もちろんLenovoとてその例外では無いわけで、横田氏のコメントは、そのあたりをかなりオブラートに包んで言っていると理解するのが正しいのではないだろうか。

●“知”の輸出は日本の新しい輸出産業の形の1つになる

 最後に、大和研究所を日本のPC業界、PCユーザーからどう見るのかという視点だが、筆者は内藤氏のこのコメントを紹介して今回のまとめとしたい。

 以下のコメントは筆者が“以前と違って工場は日本国内ではなく中国など他国にある。そうした中で日本に研究所置くことの意味、コスト的な問題は?”という質問に対する内藤氏の答えだ。「国際企業における開発は、輸出産業である。ワールドワイドに予算をもらってアウトプットを輸出している。我々も決して安くない賃金をもらっており、常にコスト削減というプレッシャーにさらされている。しかし、その中でそれに見合う付加価値をどのように作っていくのか危機感をもっているからこそ、皆がんばっている」(内藤氏)。

 この視点は日本のPC産業にとっても、PCユーザーにとっても非常に大事な視点だと筆者は考えている。今回の大震災で、日本の輸出産業も大きな打撃を受けた。特にモノを作って輸出する製造業は、製造拠点の問題だけでなく、東日本地区での電力不足にも対応していかなければならないため、復活には多大な時間がかかるだろう。そうした中で、日本にあるノウハウや考え方、そういった他国ではマネするのが難しい知的産業をどうやって輸出していくのかが今後日本経済の復活には重要になるのではないだろうか。そして日本のPC開発を行なっているエンジニアにはそれだけの力量があるし、その何よりの証明がLenovoというグローバル企業でその意味を評価されている大和研究所であり、ThinkPadという製品なのではないかと筆者は思う。

 言ってみれば現在のLenovoは資本と製造が中国、マーケティングは米国、そして研究開発は日本という分業が綺麗に成り立っている企業だ。日本のメーカーにとっても、今後新しいビジネスモデルを作っていく上で、大和研究所がLenovoで果たしている役割、ビジネスモデルは大いに参考になると言えるのではないだろうか。

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(2011年 3月 25日)

[Text by 笠原 一輝]