山田祥平のRe:config.sys

人は、いったいいつまで印刷を前提に文書を作るのか




 専用機、PC用のアプリケーションを含めて、黎明期のワードプロセッサは清書機として使われてきた。装備そのものが高価だったこともあるのだろう。最初に紙に下書きをして、それをみながら入力するという行為が当たり前のように行なわれていた。そして完成した文書は必ず印刷された。でも今は違う。最初からキーボードに向かい、点滅するカーソルに脅迫されながら文章を書く。だが、それをやはり人は印刷するのだ。この営みはいったいいつまで続くのだろうか。

●PC版のKindleを使ってみる

 米Amazonが、電子ブックリーダーKindleのPC版「Kindle for PC」を公開した。コンパクトなアプリケーションで、約5MBのファイルをダウンロードして実行すれば、すぐに使えるようになる。Windows 7にインストールすると、個人用フォルダ内の隠しフォルダappdataに専用のフォルダを作り、そこにプログラムを含む関連ファイルを配置する。これは、Program Filesへのアクセス権等の関係、そして、あくまでもコンテンツが個人のためのものであり、そのPCを使う全員のものではないという考え方からきているのだろう。つまり、本物の本と違って、貸し借りはできないということだ。

 機能的にはおそろしくシンプルだ。Amazon.comには「Kindle Store」と呼ばれるエリアが用意されていて、この原稿を書いている時点で306,854コンテンツが揃っている。ここで好きな本を選んで購入手続きをすると、Kindle for PCに登録される仕組みになっている。コンテンツの価格は、たとえば、Rafael Rivera著のWindows 7 Secretsが、紙の本では31.49ドルであるのに対して、Kindleバージョンは27.19ドルとなっている。まあ、10%オフといったところだろうか。

 ミソは登録がすなわちダウンロード購入ではないという点だ。Kindle for PCを実行しているPCで、購入に使ったアカウントとパスワードでアプリケーションにレジストレーションすると、購入済みのコンテンツの一覧を確認でき、任意のコンテンツを開いて読もうとすると、そのとき初めて内容がダウンロードされてPCにキャッシュされる。従って、手持ちのPCが何台あっても、Kindle for PCをインストールしさえすれば、それぞれで購入したコンテンツを楽しむことができる。ダウンロード時にはインターネット接続が必要だが、キャッシュされてしまえば、オフラインでもコンテンツを読むことができる。

 コンテンツを開いて読み進めていくわけだが、ページめくりはスペースバーやエンターキーなど複数のショートカットキーが割り当てられているし、マウスホイールでもいい。アプリケーションのウィンドウはウィンドウ下部がコンテンツ全体のプログレスバーになっていて、コンテンツ内での現在位置がわかる。任意の位置をクリックすれば、その位置にジャンプする。

 また、コマンドリンクとして、直前の位置に戻るBackや、しおりを挟むBookmark、目次やカバーなどの位置にジャンプするGo toが用意されている。さすがに電子ブックと思える機能として、どこまで読んだかをシンクする機能も用意されている。これは、コンテンツをどこまで読んだか、Amazonが覚えておいてくれるというものだ。コンテンツを開いたままでアプリケーションを閉じると、次にアプリケーションを開いたときに、前の位置に移動していいかどうかを問い合わせるダイアログが開くようになっているし、別のデバイスでも、コンテンツごとに、直近の読了位置までジャンプさせることができる。

●読む行為を進化させるために

 このアーキテクチャでは、電子ブックを読み進めるにあたり、ページの代わりにロケーションという単位が使われている。コンテンツを読むデバイスは、それぞれ個々の解像度を持つだろうし、書体は変えられないが文字のサイズと1行あたりのワード数を指定できるので、そのとき読んでいる位置を絶対的な値として持つことができないからだ。以前、Kindleを教科書のために使った教師が、最初の授業で「さて、教科書の×ページを開いて……」といって、それができないことに愕然としたといった笑い話を聞いたことがあるが、ロケーションを使えばそれに近いことはできる。

 紙の本との違いは、例えば、自分が重要だと思うところにラインマーカーで線をひいたり、自分の感想を書き込んだりといったことができない点だ。専用デバイスとしてのKindleではできるようだが、現時点ではPC版には実装されていない。画面の回転機能などは、将来実装されるということなので、そのうちできるようになるのだろう。

 PDFなどで提供された文書を読んでいてイライラさせられるのは、A4縦のページサイズを前提に多くの書類が作られているからだ。ページ全体を表示しても、十分に判読ができるサイズのディスプレイを使っていればいいが、ノートPCなどの液晶ディスプレイではちょっとつらく、ページ全体が見渡せない。

 その点、電子ブックはページの概念がなく、表示しているデバイスにマッチするように、画面表示を遷移させられる。ただ、せっかくページの概念がないのに、Kindleはロケーションをデバイスのサイズにあわせてダイナミックにサイズが変わるページとして扱っている。これは残念だ。前のページの最終行と次のページの先頭行を続けて読みたいということもあるはずだが、論理的なページとしてのロケーション単位でしかコンテンツを読み進めることができないのだ。ページとしてのロケーションと、そのロケーションをシームレスに連結する概念を両立させることだってできたはずだと思う。

 PDFは電子の紙としてPC上に紙を再現したものだが、電子ブックは本をPC上に再現したものではなく、コンテンツを読むという行為をPC上に再現している点で、指向する方向性が異なる。まだ洗練されるには時間がかかりそうだが、こうした本の読み方がポピュラーになると、文字を紙面にレイアウトするという行為にも変化が出てくることになるだろう。読者がどのような画面でコンテンツを読むのかがまちまちだから、デザイナーが決め打ちしたレイアウトを押しつけるというわけにはいかなくなってくるからだ。つまり、紙に印刷されることを前提としないレイアウトをデザイナーが考える必要が出てくる。

 Webという方法が一般的になったときにも、印刷されないコンテンツが前提となり、そのままトレンドが進みそうに見えた。ところがそうは問屋が卸さなかった。デザイナーは、XGAやSVGAに「最適化」したページデザインをするようになり、ユーザーがフォントや、そのサイズを変えようものなら、ページの体裁がガタガタに崩れるようなページばかりになってしまった。フルHDの大画面ディスプレイを持っていても、その解像度を有効に活かせるページはまず見あたらない。デザイナーが画面というデバイスを、紙と同じようにしか見ていないからだ。それは、画面にコンテンツを印刷するのと同じで、デバイスの特性を活かす発想としてはきわめて貧弱なものだと思う。どんなデバイスでも見かけを同じにしなければならないという呪縛から逃れられる、めったいにないチャンスだったのにと思う。だから3年前のスペックのPCでもインターネットは十分に楽しめるということになってしまうのだ。それでよかったのか悪かったのか。