山田祥平のRe:config.sys
Windows 95から25年
~そして何が変わったか
2020年8月29日 06:55
1995年8月24日。米ワシントン州レドモンドにあるMicrosoftのキャンパスで盛大に催されたWindows 95のキックオフイベント。あれから四半世紀が過ぎたという。長いようで短かったこの25年。パーソナルコンピューティングは、何が変わり、何が変わらなかったのだろう。
MはGに、GはTに
頭のなかでローリングストーンズのStart Me Upが鳴り響く。Windows 95のテーマソングだと言ってもいい。タスクバー左端に置かれたスタートボタンがビル・ゲイツ氏の自慢だった。アンビエントミュージックの第一人者として知られるブライアン・イーノもWindows 95の起動音の作曲者として関わった。あのサウンドも懐かしく感じられる。
日本でのWindows 95発売は、米国よりもほぼ3カ月遅れの11月23日だった。東京・秋葉原では発売開始の深夜販売が行なわれ、それはもうお祭り騒ぎそのものだった。社会現象とも言えるWindows 95の発売により、パソコンを持たない一般の人々までが、幸せになるコンパクトディスクを求めて量販店に押し寄せた。いくらかのWindows 95パッケージの購入者は、そのディスクをCDオーディオプレーヤーで再生できると勘違いしていたに違いない。
当時、自分がどんなパソコンでWindows 95を使っていたのだろうと、いろいろ調べてはみたのだが、どうにもはっきりしない。ベータテストの期間は長く、一定期間ごとにレドモンドからベータ版が送られて来ていた。
最後のほうでは1週間を待たないほど頻繁にベータが更新され、そのたびに届けられた。なにしろ1インストールセットが20枚の3.5インチFDだ。それがDOS/V版と98版の2セット、国際宅配便で届く。当時は、それを自作のパソコンとNECのPC-9821シリーズに入れて、いろいろと試していたはずだ。
ノートパソコンはどうかというと、たぶん、当時は、「Compaq Contura AERO」を使っていたはずで、Windows 95をプリインストールした最初の愛機は、翌年になってから手に入れた初代レッツノートの「AL-N1」だったと思う。
あの頃のノートパソコンと今のノートパソコンは、Mという単位をGという単位に、GをTに置き換えるとわかりやすい。いろんな要素が1,000倍になっている。プロセッサのクロック周波数150MHz、メインメモリ16MB、HDD 1GBだったものが、今は、プロセッサクロック1.5GHz、メモリ16GB、SSD 1TB、といった感じだ。クロック周波数が当時と今で10倍程度にしかなっていないのが印象的だ。
1995年は、個人的にも自分の仕事を法人化した年だし、この年の秋にドメインも取得した。翌年にはインターネットに常時接続するようになるなど、自分の周辺も激動の時期だった。
ビル・ゲイツお気に入りのスタートボタン
当時は絶対的に必要だと思っていたもので、今は、壊滅的に使わなくなったのが、FDD(フロッピーディスクドライブ)、そして光学ドライブだ。音楽も映像もオンデマンド配信サービスで済むようになり、メディアとしてのディスクは使わなくなってしまった。数年前まで音楽コンテンツの購入はCDに限定していたので長く使っていたほうじゃないかと思う。でもそのうち消滅すると信じていたレンタルビデオショップはまだたくさん残っている。
ノートパソコンはTFT液晶の解像度800×600ドットの画面だったが、仕事場の大型ディスプレイは17型のブラウン管で解像度は1,024×768ドットだった。
すぐにご機嫌斜めになって、いろいろと使うのに苦労も多かったWindows 95だが、やはり、このOSが現在のWindows 10への歩みの源流となっていることは間違いない。MS-DOSのGUIシェルにすぎなかったWindows 3.1までのWindowsが、黒歴史的に扱われるのもわかるような気がする。
Windows 95でデビューしたスタートボタンは、すでにスタートボタンとは呼ばれなくなっている。Windowsボタンなのだ。使いたいアプリを探すためのインスタントでわかりやすい方法がスタートボタンをクリックするだけというのがウリだったわけだが、個人的には、このボタンのクリックはWindowsをシャットダウンしたり、再起動させたりするときにしか使ってこなかった。
とくに、Windows 7以降では、伝統的なWindows 95以来のタスクバーの役割に手が入り、タスクバーボタンとして起動でき、未起動に関わらずアプリのアイコンを配置できるようになった。それで済むくらいに使うアプリの数が減ったのだと思う。
Windows 95の時代には、とにかくアプリの種類が多く、どれだけのアプリを知っているかがパソコンの使いこなしに直結していた。だから見つけやすく起動しやすくする必要があった。
でも今は、多くの作業がWebブラウザで完結する。そのWebブラウザも、かつてはよく使うサイトをお気に入りとしてブックマーク登録していたが、今ならググったほうが手っ取り早い。
また、サイトをウィンドウとして開くようショートカット登録し、アプリと同じように使うようにもなっている。もう、今作業しているのはアプリなのかWebサイトなのかを意識することも少なくなってしまった。
変わりたくても変われないWindows
その一方で、25年間、何も変わっていないと感じるのは、アプリやデバイスドライバなどのインストールだ。しかもレジストリという骨董品的データベースを使うものだから、アンインストールしようとしても残骸を残したりして不調を招いてしまうことがある。
Windows 8以降のいわゆるストアアプリは、それをなんとかしようとしたチャレンジだが、ついに定着することはなかった。訣別するはずだったWin32/64アプリへの未練と回帰が後方互換性という大義名分とともに、Windowsの足かせとなったまま四半世紀が過ぎたことになる。次の四半世紀もこのままかもしれない。
これだけの時間が過ぎれば、買ってきた真新しいパソコンに電源を入れて、いくつかの質問に答えてしばらく待てば同期して、アプリや設定等、ほぼ完全な環境のクローンが目の前に用意されるくらいのことができてもよさそうなものだ。実際、Chromebookなどは、それに近いことができているのだし……。
それにしても、25年前のキックオフイベントを撮影したネガフィルムが見つからない。いったいどこにいってしまったのだろうか。25年はそのくらい長い。立派だと思う。いきなりライセンス認証が無効になってしまい、ニッチもサッチもいかなくなった目の前のWindows 10ノートパソコンを、ついカッとなって工場出荷時の状態に戻しながら声をかける。これからもよろしくWindows。