山田祥平のRe:config.sys

電子メールを拒むのはなぜなのか

 メールはファクシミリ(FAX)よりずっと便利だ。そう思い続けていた。だが、今なお、メールを拒む現場は少なくない。メールではなく電話やファクシミリが選ばれるのはなぜなのだろうか。

ファクシミリはいつまでも元気

 内臓検査予約のために内科を受診した。医師と話をする中で、検査にあたって血液検査の結果が必要だという。ちょうど定期検診のために先月採血したばかりだ。その結果をメールすると言ったら、メールはだめで、ファクシミリか郵送にしてほしいと言われた。うちにはファクシミリはないと言うと、今はコンビニなどでファクシミリが送れますから大丈夫ですよと看護師……。

 自宅に機材がなくても、ファクシミリ送信サービスが存在することは分かっている。コンビニまで行かなくても、PCからファクシミリサービスを利用することだってできるのは知っている。

 直近でこのサービスを使ったのは、2020年の秋に内閣官房情報通信技術(IT)総合戦略室のプレス登録をするのに書類を送付するためだった。フリーランサーが平井大臣(当時)の記者会見に出るには、関係資料をファクシミリで送付しなければならなかったのだ。

 送信すると、その日のうちに携帯電話に音声電話がかかってきた。メールではなかった。登録OKとのことで、以降の各種案内はメールで送ってくれるという。デジタル庁ができてからは、牧島大臣記者会見の案内がメールで届くようになった。

メールはだめだがファクシミリはOK

 ここまでメールが嫌われるという理由がどうにも理解できないのだが、メールがNGという場面は少なくない。

 他者に対してメールアドレスを開示するということは、基本的にはそのアドレスに対して責任を持たなければならなくなる。開示した以上は必ず、できるだけ頻繁に新着メールを確認しなければならない。

 その一方で、電話やファクシミリは「場所」という属性を持つ。そして、その「場所」にいる人が誰かが受けて自分で処理するか、しかるべき人に取り次ぐ。

 メールもグループを作ったり、メーリングリストを作るなどで、同じようなことはできるはずだが、そのためには誰かが個人と組織の関連性を管理する必要がある。その管理運用が難しいという事情も分からないではない。

 専任スタッフを確保できないような小さなオフィスなら、それなりに人の出入りが激しく、正規、非正規、派遣など様々な立場の人が関わるような大きなオフィスもやはりそれなりにメールアドレスの管理は難しい。

 だったら、例え紛失や漏洩の心配があったとしても、唯一のインクのシミとしての紙が届く郵便やファクシミリの方が安心なのだろう。

 最近は、チャットサポートなども増えている。問い合わせなどに際して、電話での音声通話ではなく、文字で会話をしながら問題を解決していく。

 この方法の利点としては、聖徳太子のように複数の相手と同時にコミュニケーションができることだろう。サポートする側はプロなので喋るようにタイプできるが、サポートされる側はそうはいかない。それに聞かれることもFAQに載っている可能性が高い。一人が一人に占有される電話よりも効率がよさそうだ。AIもこの市場に参加しているようだが、役に立つなと感じたことはまだ一度もない。

メールを信じているのは一部だけ

 実は、電子メールは受信する側よりも、送信する側に寄り添ったコミュニケーション手段だ。とにかく送りつけておけばいい。電話のように相手を気遣い発信する時刻の制限もないし、話し中もない。

 ファクシミリは、電話と電子メールの中間に位置する手段だと言える。話中はあるだろうけれど、電話のように長時間に渡って繋がらないということはあまりない。感覚的には送りっぱなしにできる。

 メールは、コミュニケーションの質が送る側、受ける側のリテラシーに依存するが、ファクシミリにはあまりそういう面がない。紙の上のインクのシミにすぎないので、デジタル的な要素が著しく制限される。だからファクシミリが好まれるのかもしれない。

 難しいことを考えないで「瞬時に届く郵便」くらいのイメージで使っている分には不便がない。いっそのこと、それでデータを含むQRコードをやり取りすればいいのにとも思うが、あまりそういう使い方は聞こえてこない。

 それに、例えば、メールを送っておいてその返事がこないと怒っているユーザーがインターネットメールの着信を拒否設定していた、というのはケータイのキャリアメールではよく聞く話だった。メールの返事が迷惑メールに吸い込まれているというケースもよくある。

 また、自分のメールアドレスを正確に覚えていないというのもありがちだ。ちなみにぼくの個人的なメールアドレスには、頻繁に、クレジットカード購入明細や、パスワードロック解除のリンク、病院の予約受付確認といった他人宛のメールが届く。これらはぼくのメールアドレスを自分のメールアドレスだと思い込んでサービスに登録してしまった結果だ。

 本当に本人のメールアドレスかどうかを確認しないでこうした情報を送り始めるサービス側の仕組みもどうかと思うが、自分のメールアドレスさえちゃんと覚えていないで社会人としてどうなんだろうとも思う。

 こうしたことを考えると、ある程度のコミュニケーションのスタートにあたって往復のチェックが強いられるLINEなどのSNSがコミュニケーション手段として使われるのも分かる。だが、メールでもそれをすればいいだけなのに、それをしないオペレーションが情けない。

不安を感じる将来のコミュニケーション手段

 この先、企業や官公庁などの組織と、個人のコミュニケーション手段はどうなっていくのだろう。これだけDXが進んでいても、それが何になるかは今のところ不透明だ。

 いつまでも電話がベストだとは思えないし、ファクシミリが続くとも思えない。だからと言ってLINEが使われ続けるかというとそうでもないだろう。ただ、電子メールが残るかというとそれも分からない。決定版のコミュニケーション手段が確立されていないのだ。

 海外からの帰国でホテルや自宅に隔離を要請されている人たちの安否確認のためのMySOSアプリは、その方向性を示す1つのあり方だとは思うが、決してうまく機能しているようには見えない。

 自分自身で体験したわけではないが、話を聞く限り、スマホの向こう側に人が存在するという気配がまったく感じられないし、何か問題があったときには、結局電話で、電話しても解決策がよく分からなくてたらいまわしという話ばかりが聞こえてくる。

 メタバースやVR、ARなど、仮想空間の盛り上がりは顕著だが、そこでのコミュニケーションがどうなるのか不安でならない。仮想空間でも同じことを繰り返すのだろうか。