山田祥平のRe:config.sys

今、改めて、モバイルの点と線

 MicrosoftがSurfaceの新モデルを発表した。デタッチャブル(着脱式)のSurface Book 3と、タブレットのSurface Go 2だ。初代のモバイル向けSurfaceから8周年となる今年(2020年)、まさか、こんな状況下での発売になるとは思ってはいないで開発が進められていた製品だ。だが、Surfaceはぶれない。Microsoftからのメッセージを読み解こう。

モビリティとは何だったのか

 最初のモバイル向けSurfaceは、2012年に発表されたArmアーキテクチャのSurface RTで、米国で同年秋にデビューした。日本での発売は、翌年に持ち越され、2013年2月に発売、さらにその半年後、Surface Proが発売されている。

 その後、2016年には着脱式のSurface Book、2017年にはSurface Studio、Surface Laptopが追加されている。今回、新しくなった初代Surface Goは2018年の発売だ。また、2019年にはCPUにQualcommとの共同開発によるSQ1プロセッサ搭載のSurface Pro Xが発売されている。

 今後のロードマップとしては、コロナの影響を受けて、多少の修正が行なわれる可能性もあるが、すでに発表済みのSurface NeoSurface Duoの発売が予定されている。

 いずれにしても、Windows 8と同じ年にデビューしてから8年を経たSurface、当時の取材メモをいろいろと見ながら、その頃書いた記事を探すと、ArmアーキテクチャのSurface RTの存在についてのMicrosoftのメッセージとして、「Windowsはオールインワンだが、あまりにも複雑で、その複雑さを嫌うユーザー層が存在するからなのだそうだ。また、一部の顧客については、Windowsのすべての機能はいらない、いや、あっては困るという層も存在するのだという。とくに、企業顧客などについては、必須アプリとも言えるOfficeは使えないと困るが、それ以外のアプリは、むしろ使えないほうが好ましいという考え方もあるわけだ」と書いているのを見つけた(Surface 2は、Microsoftをどう変えるのか参照)。

 多少は軌道が修正されているムードもないわけではないが、タブレットからラップトップ、オールインワンに、デタッチャブルと、あらゆるフォームファクタで、タッチのサポートを続けてきたのは高く評価したいし、スタンドなどを使わずに確実に本体が自立するキックスタンドの存在もSurfaceのアイデンティティと言っていいだろう。その頑固さには敬意を表したい。

テクノロジが思考を止めてはならない

 今回の発表、発売を受けて、日本マイクロソフトの小黒信介氏(Surface ビジネス本部 本部長)、水田琢也氏(コンシューマー事業本部 マイクロソフトデバイス戦略本部 業務執行役員 本部長)に話を訊くことができた。

 「8年が経過し、EarbudsHeadphone 2などのオーディオ製品にまで参入しているSurfaceシリーズですが、ワークスタイルに寄り添い、幅広い顧客に対して、適材適所のデバイスを届けることを目指しています」(小黒氏)。

 Surfaceは、もともと、Microsoftが近未来のユーザー体験を提案するテーブル型のタッチスクリーンデバイスとして知られていた名称だが、それを乗っ取ったかたちでMicrosoftのハードウェアデバイスのシリーズとしてリブランドされた。今から思えば喫茶店のTVゲーム機テーブルのようだったSurfaceも、同じシリーズとして残せばよかったのにと思わないでもない。

 だが、こちらはこちらでSurface Hubとして先祖返りしているので、これはこれでよかったのだろう。いずれにしてもSurfaceは、ハードウェアデバイスはこうあるべきとMicrosoftが考えるあらゆる要素を取り込もうとしてきたし、これからもそうなのだろう。

 「今回のSurface Go 2は、ベゼルを狭めることで0.5型分画面サイズを大きくしながら筐体サイズを先代と同じにとどめています。Dual far-fieldスタジオマイク搭載で、オンラインミーティングなどでのコミュニケーションにも貢献します。また、Surface Book 3はグラフィックスに注力し、従来どおり、15型のモデルもあります」(小黒氏)。

 両機ともに性能面での進化は順当だ。小黒氏の挙げる付加価値も、今のトレンドをうまく取り込んでいる。これらの点を見るかぎり、今回のSurfaceは、誤解を怖れずに言えば、一歩どころか半歩も進まず、「一回休み」感が強いと個人的には思っている。すでに発表済みのSurface NeoやSurface Duoの存在のせいでそう感じるのかもしれない。

 「EarbudsやHeadphone 2はモバイルを再定義することを目指しています。つねに思考を止めないことが重要です。モバイルのテクノロジが思考の邪魔になってはならないからですね」(水田氏)。

デバイスの機動性とクラウドサービス

 個人的には10.5型ディスプレイを持つモバイルPCの機動性を高く評価していることもあり、Surface Goの存在には注目していた。だが、世のなかは、少しでも大きな画面を求めるようになり、13.3型が主流だったモバイルノートPCも14型へとシフトしつつあった。さらに、そこに今回のコロナ騒動だ。モバイルノートPCを外に持ち出す機会は激減した。

 外出自粛ということもあり、最後に電車に乗ったのは4月3日だったので、すでに1カ月以上、徒歩圏のみで生活をしている。カフェに立ち寄ることもない。車も自転車も持たないので、外出は、毎日、1時間程度をポケモンのためにポケスポットやポケジムのあるポイントを巡回して楽しむ散歩くらいのもので、そのほかの時間は据置ディスプレイやリビングのTVの前に居座ってオンライン、放送コンテンツを眺める生活が続いている。

 モバイルPCをこれだけの期間、外に持ち出さないというのは、最初のラップトップとして、1987年にセイコーエプソンのPC-286Lを手にして以来、33年間ではじめてのことだ。

 そんななかでもMicrosoftは「いつでもどこでも」というメッセージを崩さない。また、GIGAスクール構想が進むなかで、子どもに最適なサイズ感として10.5型のディスプレイを強くアピールしていくと小黒氏は言う。

 だが、本当にそれでいいのだろうか。モバイルは点と線の両面から考えるべきだとずっと言い続けてきたが、移動する「線」のモバイルが制限される以上、とどまる「点」のモバイルに注目する必要がある。そして、その「点」はモバイルですらなくなりつつある。ソーシャルディスタンシングがトレンドワードになり、3密を避ける暮らしは続く。

 小学生が大きく重いデバイスを持ち歩く必要がなくなるのなら、10.5型の優位性はそうでもなくなる可能性がある。オンライン授業で教師がいろいろと説明するのにしたがって、自分でも操作するといったときに、本当に10.5型の画面で十分なのだろうか。百歩譲って非力な小学生が持ち歩くことを考慮して10.5型を選んだとしても、ここは1つ「点」で使うさいには大画面据置ディスプレイと組み合わせるようなソリューションを考えてほしいと思う。

 同様に、これからモビリティの再定義が確実に起こる。仕事を支える強力なパートナーとしてのモバイルノートPCも、今こそ再定義が必要だ。もちろんこれからの世のなかも、いつでもどこでも仕事はできるということは大事なポイントかもしれない。だが、それに加えて「点」の環境を嵩上げすることの重要性を考える必要がある。

 そもそもクラウドサービスの積極的な利用環境が充実するなかで、本当に高性能なモバイルデバイスを持ち歩く必要があるのかどうかを含め、自分のなかでもまだもやもやしていて明確な答えを出せていないのだが、時間に余裕がある今、それをじっくりと考えてみたいと思う。