山田祥平のRe:config.sys

あの日、あの時、あの場所の写真をもう一度撮る

 アナログ情報のデジタル化は不可逆だ。それはもうどうしようもないシバリだ。だが、そのデジタルを見つめるわれわれのまなざしは、ロラン・バルトが言うところの「かつてそこにあった」という事実をつきつけられ、そして脳は欠落した情報を補間する。

今風フィルムスキャナを試す

 先日、ネガフィルムをスマートフォンで楽しむアプリ「NEGAVIEW PRO」について紹介したが(似て非なるアナログとデジタル参照)、フィルムのデータ化についていろいろ調べているうちに、ケンコー・トキナーが昨年(2019年)の秋に発売した「5インチ液晶フィルムスキャナー KFS-14WS」を見つけた。製品名からわかるように、5型液晶を持つコンパクトな筐体で、フィルムをスルスルと差し込んで、そこに写っている光景をリアルタイムでディスプレイに映し出して確認できる製品だ。

 早い話が、以前このコラムで取り上げた「Kenko×JUSTSYSTEMS 1600万画素フィルムスキャナ KFS-1650」の後継とも言えるものだが(「僕のコダクローム」をリマスタリング参照)、それから約2年が経過して現代的な仕様に更新されている。

 ディスプレイは2.4型TFTから5型IPSに大型化、一般的な35mmライカサイズの135フィルムに加えて、110や126も扱えるようになった。120が欲しいところだがサイズ的に無理だ。

 フィルムの種別としては、ネガ、リバーサル、カラー、モノクロームのどれでも対応。画像データはスタンドアロンでSDカードに書き込む。USBでPCなどと接続するとマスストレージとして認識され、SDカードの内容をPCで読み込める。

 USB端子はType-Cだ。電源については付属のACアダプタを使ってもいいし、Type-C経由で汎用アダプタやPCなどから給電を受けてもいい。ただしType-Cケーブルを選ぶ。種別を機器側で検出し、USB Type-A - Type-Cケーブルしか使えないようになっている。なぜこのような制限があるのかはわからないが、両端Type-Cのケーブルでは電力を供給できない。

 ちなみに転送速度はUSB 2.0だ。このほか、Mini HDMI出力端子も用意され、ディスプレイに投影することもできる。USBケーブルとHDMIケーブルも添付されているのも気が利いている。

ホルダーレスでフィルムを鑑賞

 各社製品に比べたときの圧倒的なアドバンテージは、フィルムをいちいちホルダーにセットする必要がない点だ。各種サイズのフィルム用にアタッチメントが付属しているので、それをスライドマウント用ホルダーにセットして本体に装着すれば、右から左にスルスルとフィルムを差しこむだけでいい。

 それだけかと言ってはならない。これは想像以上にラクチンだ。清掃用ブラシや指紋の付着を防ぐための白い手袋まで同梱されているのも丁寧だ。

 フィルムに写っている像はリアルタイムでディスプレイに映し出される。気に入ったコマが見つかったらスキャンだ。固定焦点だが、露出の増減と、カラーの場合はRGB値それぞれを調整することができる。

 古い世代のユーザーは、フィルムスキャナというとフィルム1枚の取り込みに長い時間がかかるフィルム専用の光学系移動式平面走査方式のものを思い浮かべるが、この製品は異なる。フィルムにLEDの光を当ててライブビューを表示し、スキャンボタンのレリーズでそれをデジカメ的に一瞬で撮影する。それだけだ。

 仕上がりは135フィルムの場合、標準でヒトコマ4,320×2,880ドット(14Mピクセル)、設定によって5,728×3,824(22Mピクセル)を選択できる。ただし22Mピクセルは補間によるもので、いわば水増しだ。補間が必要ならPCのフォトレタッチアプリを使うほうが自由度が高い。SNSへのアップロードに使うなら標準解像度で十分だろう。

 各家庭にあるフィルムはその多くが6コマごとにストリップに分割され、シートに収められた状態で保管されていると思う。たぶんオレンジベースのカラーネガがもっとも多いのではないだろうか。

 あるいは写真愛好家であればリバーサル、いわゆるスライドフィルムが6コマごとのストリップでネガ同様にシート保存されているかもしれない。もちろんスライドマウンタに丁寧にヒトコマずつマウントしている場合もある。スキャンするにはどんな状態でもかまわない。

 個人的に、ある時期以降の現像処理では「長巻指定」をしていたので、36枚撮りのフィルムも6コマごとに分割せず、36コマが1本につながったままで保存してある。フィルム専用スキャナで自動連続読み取りをするためだったが、これが功を奏して、1本のフィルムを連続して鑑賞できるのはうれしい。

 たとえ6コマごとに分割されていても、ホルダーにセットする必要なく、スルスルと内容を確認できるのはラクチンだ。どうしていままでこういう方式のものがなかったのだろう。

電子ピアノで弾いたってモーツアルトのピアノソナタは心地よい

 90年代、デジカメの走りの当時に撮影した画像は、その多くがVGAサイズ。じつに640×480(0.3Mピクセル)だ。カシオのQV-10(1994年)にいたっては320×240ピクセル、個人的に最初に入手したニコンのデジタル一眼レフカメラD1も2,000×1,312(2Mピクセル)にすぎない。

 さすがに2MピクセルあればフルHDより大きいのでまだましだが、0.3Mピクセル以下の写真はいま見るとなさけなくなる。それでも当時はこれで世界が変わると実感していたし、実際に変わった。スマートフォンで1億ピクセルといったスペックを当たり前のように受け入れる時代になったからだ。ただ、画素数がすべてを決めるわけではないので多ければいいというものではないし、センサーサイズの問題もある。

 フィルムはどうか。フィルムは何十年もフルサイズだ。あの「写ルンです」だってフルサイズフレームだ。というか、135フィルムのヒトコマ36×24mmをフルサイズと呼んでいるにすぎない。

 半世紀前に撮影した写真だってフルサイズのフレーム内に画素を残しているだろう。それを最新の装備で眺めれば、まるで昨日撮った写真であるかのように、目の前に「あの日・あの時・あの場所」が再現される。脱色して経年変化で色あせた写真プリントにも味わいを感じるかもしれないが、フィルムは頑固であのときに忠実だ。

 スキャンボタンを押す行為は、あの瞬間をもう一度キャプチャする作業であるとも言える。いまの技術をもってすれば、かつての失敗写真も鑑賞に支障がない程度に修正できる可能性は高い。そのくらいフィルムのラチチュード、いわゆるダイナミックレンジは高い。

 フィルム面に残り、現像によって黒化した銀の粒(モノクロネガの場合。カラーネガでは脱銀される)をいまの時代の技術で眺めることで、別の何かが見えてくるかもしれない。

 それでもネガは捨てられない。そういう意味で、この製品は過去の遺物を断捨離するための道具ではなく、過去から現在までの光の仕業をモダンプリントとして楽しむための道具であると言える。

 ヨセミテの写真で知られるアンセル・アダムスは、「ネガは楽譜、プリントは演奏」と言ったそうだが、昔のフィルムをこうして眺めていると、さもありなんと思えてくる。古い楽譜を新しい解釈で新しい楽器で演奏するようなものだ。

 アナログルネッサンスは、こうしたスローな楽しみだ。そんな楽しみを支える新製品が、いまなお発売されることに感謝したい。