山田祥平のRe:config.sys
HuaweiのMate 20シリーズが叶える、至上の贅沢
2018年10月19日 06:00
デジタルがアナログを置き換えることで時代の流れは大きく変わる。デジタルトランスフォーメーションはそのための方法の1つだ。
その具体的な方法論はベンダーごとに異なるが、今、スマートフォンが置かれているのは、これから確実に起こるであろうコスト競争に、どういう方法論で対処していくを決断する正念場だ。
写真機を逸脱するスマートフォンカメラ
既報(Huawei、最新フラッグシップスマートフォン「Mate 20」シリーズ発表)のとおり、Huaweiが英ロンドンでグローバルイベントを開催し、同社フラグシップのMateシリーズを刷新、Mate 20シリーズとして発表した。
ロンドン東部のイベント会場で開催された発表会は、同社コンシューマービジネスグループCEOのリチャード・ユー氏のほぼ一人舞台で、Mateシリーズが成し遂げてきた数々のイノベーションの紹介による変遷解説から始まり、満を持して登場した今回のMate 20シリーズの新機能が披露され、数あるライバル機、すなわちiPhone XSシリーズやGalaxy S9、Note9シリーズに対する優位性がアピールされていた。
各社のスマートフォンを比べるときの要素として、カメラ機能がクローズアップされているのは、昨今のスマートフォンの発表会ではお約束といっても良い。
個々のテクノロジーを説明するのに、カメラで何が映るのかを見せるのが手っ取り早いからだ。そしてそれは、エンドユーザーにとってもわかりやすい。目の前にある撮影結果は、あらゆるものを駆使した結果として、従来のものとも比べやすい。
スマートフォンはこの10年で著しい進化を遂げ、いつでもどこでもどんな情報でも入手できることと、いつでもどこでもどんな情報でも発信できることの便利さと楽しさを人々に与えた。現在のフェーズは、その情報としてのコンテンツの質を、いかなる高みに到達させられるかだ。
美しいと誰もが思うであろう写真を撮れたり、スマートフォンカメラが捉えた光景から、そこに存在する目には見えない情報を抽出するような機能は、その機能をオンデバイスで実現するか、クラウドで実現するかは別にして、我々がかつて慣れ親しんだ「写真機」のイメージを良い意味で逸脱している。
ライカがHuaweiに求めるGoogleと真逆のアプローチ
今回の新Mateシリーズの仕上がりを見て思ったのは、Huaweiというベンダーの出自がハードウェアの企業なのだなということだった。
もちろん、通信の世界はハードウェアだけで成り立っているわけではないし、当然、ハードウェアの制御にはソフトウェアのテクノロジーが大きく貢献し、それが新たなエンドユーザー体験を創出する。ここで言っているのは、その企業イメージの表現方法だ。
たとえばMate 20シリーズには、3つのカメラを実装したマトリックスカメラシステムが採用されている。レンズは35mm換算27mm f1.8の広角、16mm f2.2の超広角、80mm f2.4の望遠で、光学ズームとデジタルズームを併せたハイブリッドズームで、16~270mmズームを実現する。また、2.5cmまで寄れるマクロも興味深い。
ある機能を実現しようとしたときに、それをデジタルで叶えるのか、光学で叶えるのかは判断が難しい。
個人的にはもうここまできたのだから、デジタルで良いのではないかとも思うし、たとえばGoogleのPixel3シリーズは、「ソフトウェアでできることは、ソフトウェアでやる」という方針でカメラ機能を実現している。そういう意味では、今のHuaweiはGoogleと真逆の次元にいると言っても良い。
Mate 20シリーズは、こうして物理的に3つのカメラを実装した。その背景には、ライカとの協業という要素が強く影響しているのだろうと想像できる。おそらくライカは、光学的に優れたイメージを調達できない限り、どんなに優れたデジタル処理をしても、そこから出てくるイメージは「ねつ造」に過ぎないと考えているのだろう。
そこを割り切ることで、新たなブレークスルーが生まれると考えるものづくりもあれば、そうではないものづくりもある。カメラ3機の光学系という実装は後者だ。
これは個人的な想像にすぎないが、聞いたところで教えてくれないだろう。おそらくライカの譲歩があったとすれば、これまで必須としていたモノクロセンサーカメラを省略したことだろうか。省略しても問題はないと、デジタル処理が進化したとライカが判断したと考えて良い。
今はもうライカはデジタルイメージングのベンダーだが、その出自はやはり光学機器メーカーだからこその葛藤があったに違いない。
このことは、スマートフォンカメラの進化にとっては象徴的な出来事となるだろう。美しいイメージの抽出のために必須としていたモノクロセンサー併用に匹敵するイメージを、Huaweiのデジタル処理が叩き出せるとライカが判断した結果であろうからだ。
こうしてモノのデジタルトランスフォーメーションは進む。ある意味でライカが妥協を強いられるほどに、Huaweiによるデジタル処理の進化が著しかったということでもあるのだろう。
これから多くのレビューがあちこちのメディアに掲載され、本当の実力が明らかになっていくはずだ。もちろん期待外れということも想定しておかなければなるまい。
今は、一眼レフカメラの世界が淘汰されていき、光学ファインダーの実力を電子ビューファインダーの実力が凌駕しはじめて、ミラーレスカメラが台頭し始めている状況にも似ている。
ハイエンドスマートフォンの将来
フィーチャーフォンは、いわゆるテンキーの実装がそのコストを押し上げていたとも言われている。毎日携行する端末に、そんなに壊れやすいパーツを使い続けるのは賢明ではない。パーツそのもののコストも高価だ。
だから、キーをソフトウェア的に実現するスマートフォンに慣れ親しまれるように、トレンドが動かされた。明らかな意思があったのだ。
デジタルトランスフォーメーションは、あらゆるものをデジタル化することではなく、デジタルとアナログの融合、つまり合わせ技の中で、どんな体験をエンドユーザーに提供できるかで評価されるべきものだ。
そういう意味では、ほかの商品が何十年もかけてやってきたことを、良いことも悪いことも10年ほどの短い時間で経験するスマートフォンの世界は大変だ。
そんな中で、3つもの光学系を実装する贅沢なつくりのMate 20シリーズは、それをデジタルが支援することで、極上の体験をエンドユーザーに与えようとする試みだ。
では今後、それが4系統になり5系統になるかというと、きっとそんなことはないだろう。そのことはHuawei自身もとっくの昔に気がついていて、すでに、近い将来のハイエンドスマートフォンがどのようにあるべきかを決めているにちがいない。
スマートフォンの未来が見え隠れ……、そんな発表会に立ち会えてよかった。