山田祥平のRe:config.sys

さらば光学ファインダー

 ニコンとキヤノンがほぼときを同じくしてフルサイズセンサー搭載レンズ交換式ミラーレスカメラのカテゴリに参入した。このビジネスは日本のカメラ業界を牽引してきた両社の新しいチャレンジであると同時に、新たなプラットフォームの誕生でもある。

光の入り口から出口まで

 個人的にはずっとニコンのユーザーだった。駆け出しの頃、雑誌に記事を書くようになり、いろいろな写真を撮る必要があり、それなりにまともなカメラがほしくて、仕事でいっしょになることが多かったカメラマンに相談したらこれを買っておけば間違いはないと紹介されたのが銀塩フィルム一眼レフカメラのニコン「F3」だった。

 以降、F一桁シリーズが更新されるたびに買い増した。今も手元には最初のF3、そして、「F4」、「F5」、「F6」が残っている。売ってしまおうにも値段がつかないので、そのままになっている。プラットフォームがデジタルになってからも、「D1」、「D2」、「D3」まではD一桁シリーズにこだわった。だが、さすがにフラグシップ機はその重量を負担に感じるようになり、F3桁に浮気、二度と使うまいと心に決めていたAPS-Cの中堅機を追加、フルサイズセンサー搭載機を併用するようになった。

 今現在は、フルサイズの「D850」をメインに、APS-Cの「D5600」をサブとして使っている。だが、日常の取材活動に持ち出すのはほとんどの場合D5600だ。実測で506gのボディに654gの18-200mmズームレンズをつけて合計重量が1,200gだ。それでも重く感じて231gの18-55mmズームしか持ち出さないこともある。それなら700g台で収まる。焦点距離的にはそれで十分な現場も多い。

 これに対してD850はボディだけで1,035gある。レンズも重い。D5600と同じような画角がほしいなら1.5kgを覚悟しなくてはならない。PCが1kgをはるかに下回るような重量になってきている今、カメラの重さはフットワークに影響を与えかねない。修羅場では撮っていて気持ちがいいとか言っていられないのだ。

 銀塩フィルムカメラはレンズとフィルムが同じなら、結果として残る写真は同じだと考えていい。基本的にボディは画質に影響を与えない。もちろん、高速連写ができなければスポーツなどには使えないし、さまざまな周辺ペリフェラルも最上級機を前提にそろえられていた。一眼レフカメラが「システム」だったのは、そこに理由がある。

 さらに、銀塩フィルムの時代は、レンズの光学系、ボディの機械系、フィルムの化学系の分業があった。ニコンやキヤノンはレンズとボディの両方を供給していたが、フィルムは他社に頼っていた。フィルムに理想的な光を届けることがカメラメーカーのプライドだったのだ。

 だがデジタルになってその分業体制は崩れ、光の入り口から出口までのあらゆるプロセスをカメラメーカーがになうようになった。異なるフィルムを使えば異なる絵ができるように、ニコンとキヤノンでは絵作りの思想が違う。キヤノンのフルサイズ一眼レフも手元にあって使うことがあるが、どちらがよいというのではなく、違うことに意味がある。

ライカサイズへのこだわり

 デジタルカメラではカメラの機種ごとにキャプチャされる絵が異なる。仮に同じレンズをつけたとしても、ボディ内での電子処理が記録される絵を異なったものにしたりするのだ。そして、それはデジタル処理の性能はもちろん、センサーの資質にも大きく依存する。

 乱暴な言い方をすれば、センサーは大きければ大きいほどいい。ニコンにしてもキヤノンにしても、フィルムからデジタルへの移行期には、背に腹は代えられないから最初にAPS-Cセンサーを使い、それを次第にフルサイズにシフトさせてきた。四半世紀以上前に一眼レフをスタートさせたときと同じライカサイズに今なおこだわり続けているのだ。フィルムには中判や大判もあるし、逆にライカサイズを半分にしたハーフサイズなどもあるが、ライカサイズ至上主義は当面続ける方針のようだ。

 ライカサイズよりも大きなセンサーは、どんなによいものであってもまだ高価だしこなれていない。小さなセンサーはコスト的には有利でも物理的に不利だ。いろんな意味でフルサイズセンサーは現時点でバランスがいいと言える。

 さらに、頑固に譲らなかったのが一眼レフという方式だ。レンズを通った光をミラーを使ってファインダーに導く仕組みである。大げさかもしれないが、素性のいいデジタル一眼レフカメラのファインダーをのぞくと、肉眼で見るより美しいと感じることさえある。

 光学ファインダーをのぞいたときの美しさだけが一眼レフのアイデンティティだったと言ってもいいかもしれない。その代償として、露光時にミラーをはねあげ、フィルムやセンサーに光を導くための機構がカメラのボディを大きく重いものにしてきた。

 ニコンやキヤノンがフルサイズセンサー搭載ミラーレス一眼カメラのカテゴリに参入したのは、電子ビューファインダーでもファインダーを覗いたときに、光学ファインダーに迫る気持ちのよさを、ある程度再現できる域に達したと判断した結果なのだろう。

 ただ、現時点での電子ビューファインダーを覗いたときの印象は、個人的にまだ光学ファインダーをのぞいたときのときめきには届いていないと感じている。もしかしたら永遠に追いつかないかもしれないし、あるいは、かなりの高みに達して、APS-Cや、それよりも小さなセンサーのカメラにも浸透していくことだってあるかもしれない。そういうことがあるからテクノロジの進化はおもしろい。

作られた光景へのまなざし

 カメラ機能が優れていると評価が高いスマートフォン、ファーウェイのP20 Proが実装している撮像素子のサイズは1/1.7型とされている。スマホカメラのセンサーとしては相当大きい。画素数は4,000万画素だ。つまり、ほぼ対角線は9.36mmだ。

 これに対してフルサイズセンサーは縦24mm、横36mmなので、対角線は43mmに達する。1/1.7型センサーの対角線と比べると約4.6倍の長さであり、面積比では20倍以上だ。フルサイズセンサーを持つカメラの光学系は、その広々とした撮像素子の隅々までに光を導ける実力を持っている。

【17時40分訂正】記事初出時、センサー対角線の長さを誤っておりました。お詫びして訂正します。

 これだけセンサーのサイズが違うのに、スマホカメラでもなんとなく写真を撮っている気になれるのは電子ビューファインダー、つまり、6.1型有機ELのディスプレイのおかげだ。当然、フルサイズ一眼レフカメラの光学ファインダーをのぞいたときよりもはるかに大きい。

 仮に、P20 Proに光学ファインダーがあったとしても、それをのぞいてときめくとは思えない。こちらの世界では、電子ビューファインダーとしてのスマートフォンの画面が正義なのだ。そして、そこに映し出される画像の出来映えはコンピュータとしてのスマートフォンの処理に依存する。AIが中の人になって画像を整えてくれる。

 ただ、どんなに美しいTVでも、仮に4Kや8Kの解像度があったとしても、そこに映し出される自然の光は実際の目で見る光景にはかなわない。たとえ、TV画面の方が美しく感じることがあったとしても、それは作られた光景だ。

 それでも美しいと感じるぼくらのまなざしは、この時代、少しずつ、そういう作られた光景に慣れ親しむことを覚えはじめているのかもしれない。

 今週は、ちょっと遅い夏休みをとって、ポルトガルまでやってきた。あまりにフルスクリーンが話題なので、重いのを覚悟で、D850を連れてきた。久しぶりのフルサイズ一眼レフ。光学ファインダーをのぞいてワクワクする。この光学ファインダーが10年先にはもうないかもしれないと思うと切ない。確かに撮っていて楽しいけれど、最終的には撮影後の画像はそれを液晶画面で見て楽しむのだ。リバーサルフィルムに撮った風景を、ライトボックスの上でルーペで見て楽しむあの感じ。それはそれで楽しいが、どうにもなにかが違うように思う。高校生のころ、暗室にこもって、モノクロ写真の焼き付けをやっていたときのあのドキドキする感じがないのがはがゆいし、ちょっと懐かしい。