山田祥平のRe:config.sys
セミパブリックスペースとしてのリビング
2018年9月28日 06:00
TVはパーソナルな機器ではない。一人暮らしでもない限り、TVを見る自分の背後には必ずといっていいほど家族のまなざしがあるからだ。TV放送を見るためだけだったTV受像機が双方向通信の機能を持った今、その存在の再定義が必要だ。
家族みんなのTV
1953年2月1日、NHKが本放送を開始、その年の8月には民放の日本テレビ放送網も本放送を開始した。駅や公園、街角には街頭TVが設置され、プロレスやボクシングなどに熱狂したという。とっくに還暦をすぎているTV。さすがにそのころを知っているわけではないが、物心ついたころからTVは常に茶の間に鎮座していた。そのTVは家族の誰かのものというわけではなく、家のものだった。
電話も同様の存在だったが、こちらは携帯電話の普及に伴いパーソナルな機器に変貌した。そして家のものとしてあった固定電話は急速にその存在感を失っていくことになる。
もちろん、自室にTVを置き、一人でTVを楽しむスタイルもあるとは思う。だが、食卓やリビングルームといった空間に置かれるTVは、やっぱり家族全員のものだ。かつてはTVは高価だったから一家に1台というのが普通だったが、工業製品の常として、普及に伴いなんちゃってパーソナル化したように見えたに過ぎない。ペアレンタルコントロールの目的以外でTVにパスワードを設定するようなことをするだろうか。
そしてパーソナル化したように見えて、実際には、大型化のトレンドが、TVの存在を再びパーソナルから遠ざけた。パブリックでもなくパーソナルでもない。セミパブリックというのが現在のTVのアイデンティティではないだろうか。TV放送という送りっぱなしの片方向通信機ならではの特性だ。ここではTV受像機とTV放送を明確に区別しておきたい。
新型TVと新機能
シャープが12月1日からの新4K衛星放送に対応したAIoT対応液晶テレビ「AQUOS 4K」3機種を発表した。さらに4Kレコーダやチューナなども発売するという。AIoTは、AIとIoTを組み合わせてシャープが作った造語で、Googleアシスタントに対応しているほか、同社オリジナルのAIアシスタントCOCORO VISIONで各種情報をブラウズできるという。
同社によれば4K/8K TVの需要予測は2020年度にはTV全体の需要の90%に拡大するという。東京オリンピックも開催されるので、TVの買い替えの需要も高まり、その買い替え対象は当然のことながら4K/8K TVとなる。同社のみならず、業界にとっては絶好のビジネスチャンスだ。
そのビジネスチャンスに向けて、シャープはTVの存在を再定義しようとしている。単に、TV放送を映し出すスクリーンデバイスとしてのみならず、さまざまな情報を入手できるキオスク端末のような役割を与えようとしているわけだ。
折しも今のトレンドはGoogleアシスタントやAlexaを音声で使えるスマートスピーカーだ。ならばTVもスマートな存在でなければならないというのがAIoT戦略ということなのだろう。今回の目玉はジョルテと協業してのCOCORO CALENDARの提供だ。冷蔵庫に貼り付けた家族共用のカレンダーのようにTVを使う仕組みだ。音声などを利用して簡単に予定を書き込めるように工夫されている。
また、ジョルテは、各企業、団体、メディア、自治体といったパートナーと連携し、一覧から気になるイベントカレンダーをチェックするだけで特定のカレンダーを購読できるようにしている。シャープではこのカレンダーをTVの置かれた地域などの情報を含む使用状況をAI処理し、適切なカレンダーを提案するようにしているという。
ただ、このカレンダーの存在意義がよくわからない。確かにゴミの日のお知らせがカレンダーに自動的に取り込まれたら便利だとは思うが、それを確認するのにわざわざTVを使うだろうか。ちょっとスマートフォンを手に取ればすむ話で、そちらの方が手っ取り早い。
発表会では、家族の運動会の予定を音声で入力する様子がデモされたが、そのイベント情報が、家族それぞれの個人カレンダーにどのように取り込まれるのか。そのあたりの連携のツメが甘すぎてとても実用にはならないように感じられた。
コンテンツありきのTV
かつてはお茶の間の人気者だったTVだが、その存在を人気者にしたのはTV放送というコンテンツだった。そのTV放送もレコーダの登場がゴールデンタイムという概念を希薄にし、家族はバラバラの時間に帰宅し、それぞれ別に夕食をとったりもするようになった。ライフスタイルの変化がTVの存在感に大きな影響を与えるようになったのだ。
さらにゲームコンソールはTV放送のライバルとして君臨したし、さらにスマートフォンは小さな画面でTV的なコンテンツを楽しむという行為を当たり前のものにした。初期のYouTubeなどの動画コンテンツは解像度が低く、大きな画面で見るよりも、小さな画面で見た方が美しく見えるということもあったのだろう。今なお、YouTubeを楽しむならスマートフォンに限るというエンドユーザーは少なくない。そして動画コンテンツはTV放送を高みからひきずりおろそうともしている。
そんな世の中である。リビングルームに鎮座するTV装置の存在感は、ますますパブリックな方向に向かっている。極端にいえば単なる画面だ。それを逆方向に向けようとするのだからどうしても無理がある。乱暴な言い方かもしれないが、もう、スマートフォンで受けたコンテンツを映し出せるだけでもいいようにさえ感じる。
スマートスピーカーは、単なるスピーカーとしてではなく、声で操作するコンピュータとしてその存在感を高めたが、情報を得るためにはアカウントが必要で、そのアカウントは多くの場合、パーソナルな個人アカウントだというセミパブリックな存在に対する矛盾をかかえている。
かつてのPCの普及期、一家に1台の存在として、家族で共用しやすいことをアピールした製品が数多くあったが、どれも中途半端な存在として終わっている。Windowは当初からマルチユーザー環境を提供してきたが、家庭で使われてきた多くのPCは、ユーザー名こそ設定されても、パスワードは家族全員が知っていたり、そもそもパスワードそのものが設定されずに使われるのが普通だった。
PCはそうかもしれないが、TVは違うという自負があるのだろう。それがTVメーカーというものだ。だとすれば、もっともっと工夫が必要だ。アカウントを意識することなく自在に情報を入手でき、その履歴を残さず、使い終わったらきれいさっぱりと、あったことを忘れてくれて真っ白な存在に戻るような環境が必要だ。
PCのブラウザにはWindows標準のEdgeならInPrivateモード、Chromeならシークレットモードが用意され、そこで起こったことを、同じデバイスを使う他のユーザーには知られないようにできる。TVでは、そのモードをデフォルトにするくらいでちょうどいいのかもしれない。どうかと思うが「ボスが来た」機能も欲しいくらいだ。誰にでも使えるけれど、誰にも知られないというのがセミパブリックな環境に置かれた機器に求められる要素であるように思う。
もし、TVというデバイスの存在が各種クラウドサービスにとって無視できないほど大きなものならば、サービス側もそこへの対応が求められるはずだ。サービス利用が個人アカウントに依存するものというのを原則に、アカウント同士を緩いグループとして束ねる機能などの提供だ。スマートスピーカーにもそうした機能があればいいと思う。話者認識の機能はすでに提供されているのだから、そんなに難しい話でもないはずだ。
テクノロジーの進化は、既存のクラシックなデバイスの存在に、さまざまな影響を与える。映像を映し出す、音を出すといったファンクションを持つデバイスはそのままでも、それによって利用されるコンテンツやサービスの進化が、デバイスの位置づけを一変させる。できることを増やすだけではなく、そこに起こる矛盾をどう解決するかが問われているのではないか。