笠原一輝のユビキタス情報局

アウトオブオーダーと最新プロセスを採用する今後のAtom



 Intelは約2カ月前に、Clover Trailのコードネームで知られるAtom Z2760を発表。すでにOEMメーカーもAtom Z2760を搭載したタブレットを発表しており、富士通はその先陣を切って「Arrows Tab Wi-Fi QH55/J」を発売した。今後、Acer、ASUS、HP、Lenovoなどが搭載製品を予定しており、徐々に出揃うことになる。

 既報の通り、IntelはこのClover Trailのラインナップを今後も継続する計画で、Clover Trailの後継として22nmプロセスルールのBay Trailを、さらにその後継として14nmプロセスルールのCherry Trailを予定している。

 Bay Trailでは、プロセッサはクアッドコアになり、現在インオーダー型の命令実行エンジンはCoreシリーズなどと同じアウトオブオーダー型へと強化される。また、内蔵されるGPUは英Imagination Technologies製のPowerVRコアから、Intel自身が設計するGPU(Intel HD Graphics)へと変更され、Direct3D 11(いわゆるDirectX 11)に新たに対応するという。

●消費電力でARM SoCに追いついたAtomプロセッサ
レノボ・ジャパンが公開したThinkPad Tablet 2の基板。中央に見えるエルピーダのチップの下にAtom Z2760(Clover Trail)が実装されている

 「予想していたよりもはるかに良い出来だった」--これは筆者の質問に対してとあるOEMメーカーのエンジニアがClover Trailに与えた評価だ。実のところClover Trailは、あまり期待されている存在ではなかった。というのも、その前の製品となるOak TrailことAtom Z670が期待外れだったからだ。

 Atom Z670もタブレット向けプロセッサとして2011年4月に発表された。いくつかの製品に採用されたものの、多くのメーカーに採用されるまでには至らなかった。当時はAndroid 3.x/4.xの登場でARM SoCを採用したタブレットが登場しつつあったのだが、そうした製品が10時間程度のバッテリ駆動を実現していたのに対して、Atom Z670では数時間程度しか駆動できなかったからだ。

 この評価はClover Trail世代になって大きく変わった。Intel自身の表現を借りるなら「多くの場合はARM系を上回っている」とのことで、実際Intelが報道関係者に公表したデータ(別記事参照)によれば、Clover TrailはむしろARM SoCよりも消費電力が低くなっているのだ。

 PCメーカーからもClover Trailを搭載したタブレットの消費電力データが公開されて始めている。ThinkPad Tablet 2の記事でも触れた通りで、レノボ・ジャパンによれば、1年前のThinkPad Tablet(Tegra 2搭載)と比較すると、スタンバイ時の稼働時間は260時間から600時間と倍以上に、ビデオ再生時間は7時間から10時間にと圧倒しているという。

 つまりClover Trail世代で、「x86だから消費電力が高く、ARMだから消費電力が低い」という時代は終わった。ISA(命令セットアーキテクチャ)の違いが、マイクロアーキテクチャに影響を及ぼすのは事実だ。実際ARMに比べてx86のデコーダ(ISAをプロセッサ内部の命令に変換する部分)は複雑で、実装面積が大きい。しかし、今やデコーダがダイに占める割合は数%に過ぎず、プロセスルールの微細化でさらに小さくなっていく。つまり、ISAの差による消費電力差がないに等しくなったわけである。

 結局の所、そのプロセッサの消費電力が高いか低いかは、ISAの違いではなく、マイクロアーキテクチャのデザイン次第だ。今までx86プロセッサが消費電力が高かったのは、電力効率を犠牲にしても性能を追求するデザインだったからだ。しかし、その歴史もClover Trailが終止符を打ったと言ってよい。上から消費電力を下げていくx86プロセッサと、下から性能を上げていくARM SoC、今まさにそのクロスオーバーのポイントに到達したのだ。


●Windows 8機とWindows RT機で消費電力の違いを分析

 こうしたClover Trailの特徴を理解した上で、実際にリリースされたWindows 8/RTタブレットを見ていくと、興味深いことがわかる。以下の表1はClover Trailを搭載したWindows 8タブレットと、ARM SoCを搭載したWindows RTタブレットの比較だ。Windows 8タブレットに関しては最軽量となるLenovoのThinkPad Tablet 2を、Windows RTのピュアタブレットとしては日本で正式に販売されているのはASUSの「VIVO Tab TF600T」だけになるので、その2つで比較している。日本では販売されてはいないものの、Windows RTのリファレンス機となるSurface RTに関しても比較として掲載した。

【表1】Windows 8タブレットとWindows RTタブレットのスペック(筆者作成)
製品ThinkPad Tablet 2(367928J)ASUS TF600TSurface RT(32GBモデル)
OSWindows 8 ProWindows RTWindows RT
Office-Office 2013 PreviewOffice 2013 Preview
SoCAtom Z2760Tegra3(T30)Tegra3(T30)
メインメモリ2GB(LPDDR2)2GB(DDR3L)2GB(DDR3L)
ストレージ64GB(eMMC)32GB(eMMC)32GB(eMMC)
液晶パネル1,366×768ドット(IPS)1,366×768ドット(IPS)1,366×768ドット(IPS)
バッテリ駆動時間(ビデオ再生)約10時間約9時間-
バッテリ容量30Wh25Wh31.5Wh
重量約570g525g約680g
価格69,300円59,800円約4万円

 この表から見て分かることは、ARMベースのVIVO Tab TF600Tと、x86ベースのThinkPad Tablet 2にスペック上の大きな違いはないということだ。

 例えば重量。VIVO Tab TF600Tは525gと、ThinkPad Tablet 2(570g)と比べて軽量だ。ARMの方が消費電力が少ないからVIVO Tab TF600Tは軽いのだと考える向きもあると思うが、実際にはそうではない。VIVO Tab TF600Tの方はバッテリ容量が25Whなのに対し、ThinkPad Tablet 2が30Whだからだ。この5Whの違いが重量の差になっていると考えることができる。実際、31.5WhのSurface RTは680gと、いずれの製品よりも重くなっているのも証拠の1つだろう。こうしたスペックを見ても、ISAの違いが消費電力、そして重量差にほとんど影響していないことが見て取れる。

 もう1つ注目したいのは価格だ。ARMベースのTF600Tは59,800円、x86ベースのThinkPad Tablet 2は69,300円と約1万円の違いだが、ストレージの容量が前者は32GB、後者は64GBとなっている。現在市場にあるタブレットは32GBと64GBでだいたい100ドル(日本円で8,000円前後)という価格差になっており、そう考えれば実質的に両製品は同じレンジの価格帯だと言ってよい。

 ただ、より公平に言うのであれば、Windows RTにはOffice 2013 Previewがバンドルされていることは言及しておく必要がある。一般的にOfficeがバンドルされているPCは1万円程度の価格がアップされることになるため、その分はWindows RTの方がお買い得だと考えることができる。この点は明確にWindows RTのアドバンテージだと筆者は考えている。

 ただし、すでにx86版のOfficeのライセンスを所有しており、それをWindowsタブレットにインストールして利用しようと考えているユーザーであれば、その限りでは無い。Microsoft Officeのライセンスポリシーでは、パッケージ版のOfficeを所有しているユーザーは、デスクトップPC+モバイルPC、モバイルPC+モバイルPCという組み合わせであれば2台のPCにインストールして利用することを認めている。従って、現在デスクトップPCやノートPC 1台にだけOffice製品版をインストールして利用しているユーザーであれば、Windows 8タブレットにインストールして利用することができる。

 また、すでに何度も説明している通りで、Windows 8タブレットでは、ユーザーがWindows 7までで利用してきたデスクトップアプリケーションは基本そのままで動作する(もちろん互換性の問題で動かない場合もあるので要確認)。特に企業ユーザーの場合はこのメリットが大きく、現在ビジネス向けに利用しているセキュリティソフトや業務アプリケーションなども基本そのまま動作する。

 さらに、USBポートにキーボードやマウスをつなげば、Windows 8タブレットはそのままWindows PCとしても利用できる。こうした点がWindows 8タブレットの大きなメリットと言えるだろう。

●次期のAtomはアーキテクチャを大きく変更

 このように、IntelのClover Trailは多くのOEMメーカー(Dell、HP、Lenovo、Acer、ASUS、Samsungなど)に採用されるなど、はっきり言って忘れ去られる存在であるOak Trailに比べれば、大きく飛躍したことになる。

 Intelとしてはこうした成功を次へと繋げるべく、次世代プロセッサの開発を進めている。Clover Trailの後継として2013年末から2014年にかけて計画されているのが、開発コードネームBay Trailだ。

 以前の記事でも説明した通り、現行製品のClover Trailは、スマートフォン向けのMedfieldをベースに開発され、プロセッサコアを倍に、そしてGPUをPowerVR SGX540からPowerVR SGX 545へと強化するなど、改良を施したバージョンだ。つまり、スマートフォン向けプロセッサの性能を引き上げたのがClover Trailの正体だった。

【図1】IntelのAtomプロセッサロードマップ(2013年以降は筆者予想)

【表2】Intelがタブレット向けに計画しているAtomプロセッサのスペック(Bay Trail以降は筆者予想)
プラットフォームOak TrailClover TrailBay TrailCherry Trail
製品名Atom Z670Atom Z2760--
プロセッサコードネームLincroftCloverviewValleyviewCherryview
PCHWhitney Point---
構成2チップSoCSoCSoC
プロセッサコアBonnellSaltwellSilvermontAirmont
プロセッサコア数(スレッド)1(2)2(4)4(4)4?
Connected Standby対応-
製造プロセスルール45nm32nm22nm14nm
内蔵GPUPowerVRPowerVRIntel HD GraphicsIntel HD Graphics?
Direct3D99.31111?
メモリDDR2LPDDR2LPDD3?
TDP3W2W2W2W

 これに対して、次期のBay Trailは素性が異なる。IntelはMedfieldの後継となるスマートフォン向けSoC“Merrifield”(22nm)を計画している。Clover Trailが開発された経緯を考えれば、同じ22nmのBay TrailはこのMerrifieldの強化版であってしかるべきだが、実はそうではない。そのヒントは、Bay Trailのプロセッサコードネーム“Valleyview”にある。

 ややこしい話だが、Intelはプラットフォームとプロセッサの両方にコードネームを付けている。例えばClover Trailというコードネームはプラットフォームのコードネームで、チップそのもののはCloverviewになる(筆者としてはSoC時代にプラットフォームとチップ双方に別の名前があるというのはややこしいと思うので、プラットフォームのコードネームだけに言及するようにしている)。

 つまり一般的には~Trailの部分を~viewに変えたのが、チップのコードネームだ。Cedar Trail(32nm版ネットブック用Atom)のプロセッサはCedarviewだし、Clover TrailならCloverviewになるといった具合だ。

 しかし、このBay TrailのチップのコードネームはValleyviewで、この命名ルールには一致していないことがわかる。これがBay Trailの正体を探る上で重要なポイントだ。

 実は、IntelはCedar Trailの後継としてValley Trailという22nm世代のネットブック用Atomの開発を進めていた。そのValley TrailのプロセッサコードネームがValleyview、つまり今Bay Trail用として開発されているSoCそのものなのだ。だが、すでに何度も指摘している通り、ネットブックは市場そのものが縮小傾向で、それがタブレットに置き換えられているのが現状だ。そこで、IntelはValleyviewのターゲットをタブレットに置き、タブレット向けに開発することに方針を転換、ネットブック用はその派生品として計画することにしたのだ。

 こうした背景があり、Bay Trailには2つのコードネームがある。タブレット用がBay Trail-T、ネットブック用がBay Trail-Mとなる。

●アウトオブオーダーのクアッドコア+Intel製GPUとなるBay Trail

 OEMメーカー筋の情報によれば、Bay Trail(Valleyview)は、現在のClover Trailとは全く異なるデザインの製品になる。まず、マイクロアーキテクチャが一新される。Atomのデザインは、45nm用のBonnell、32nmのSaltwellにおいて、インオーダー方式のアーキテクチャを採用することで、デコーダをシンプルにして消費電力を少なくするという仕組みを採用していた。しかし、性能面ではペナルティが大きく、特にWindowsのような複雑なOS環境では、性能面でユーザーに不満を持たれることが多かった。

 そこで、22nm世代以降のデザインであるSilvermont(シルバーモント)以降で、Coreプロセッサなどでも採用されているアウトオブオーダー方式に変更する。これによりプロセッサの処理能力を大幅に引き上げる。また、プロセッサコアもClover Trailまでの2コアから4コアに増やすことで、トータルの処理能力を引き上げる。

 さらに、Clover Trail世代ではメモリはLPDDR2だったが、Bay Trail世代ではLPDDR3へと変更することでメモリ帯域を引き上げ、全体の処理能力を向上させることが可能になる。

 もう1つの大きな変更は内蔵されているグラフィックスコアだ。Clover TrailではPowerVR SGX545になっているが、Bay TrailではIntel自身が開発しているIntel HD Graphicsに変更される。第3世代Coreプロセッサ(Ivy Bridge)から採用されているDirectX 11に対応したエンジンで、エンジンの数などを減らすことで消費電力を抑える。

 性能は向上することになるが、消費電力は増えない見通しだ。熱設計消費電力はClover Trailと同じ2Wのままで据え置かれ、アクティブの消費電力はむしろ改善することになるとIntelは説明しているという。これは22nmプロセスへと微細化する恩恵だと考えることができるだろう。

●Bay Trailの後継として計画されているCherry Trail

 さらにIntelはBay Trailの後継として2014~2015年にかけて、プラットフォームのコードネームがCherry Trail(チェリートレイル)、SoCのコードネームがCherryview(チェリービュー)と呼ばれる製品を開発している。このCherry Trailでは製造プロセスルールが14nmへ移行することになり、さらなる消費電力の低下が期待できる。現時点ではCherry TrailがどのようなSoCになるのかはわかっていないが、OEMメーカー筋の情報によれば依然としてTDPの枠は2Wに設定されているという。つまり、消費電力の方向性はClover Trail、Bay Trailにかなり似た傾向の製品になる可能性が高い。

 以前にも述べたとおり、Intelの対ARM SoCの戦略は非常に明快だ。Intelの強みは、製造技術と製造施設の規模で他社に差をつけていることだ。特に先端プロセスルールの導入に関しては非常に大きな差をつけており、実質的に1~2年程度の差をつけている。現状ではこのメリットを享受しているのは、ハイパフォーマンス向けのプロセッサ(XeonやCoreなど)だけだ。それから1~2年遅れたプロセスをAtomが採用していたため、他社と同じ世代のプロセスルールで勝負することになっていた。今後IntelはAtomにも最先端プロセスルールを導入することでメリットを広げていく。

 実際、今年の夏には多くの半導体メーカーが製造に利用しているファウンダリTSMCのラインは奪い合い状態で、スマートフォンメーカーの中にはSoCの供給が追いつかず、せっかくの商戦期に売るモノがないという事態になってしまっていたところもあった。そうしたことから、業界では確実に製品を供給できるIntelに対しての再評価も進んでおり、仮にIntelがAtomへの最先端プロセスルール導入の前倒しに成功すれば、性能面でも、供給面でも、PCメーカー以外にとってもAtomを選択するメリットは拡大していくことになるだろう。

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(2012年 11月 30日)

[Text by 笠原 一輝]