やじうまPC Watch

歴史的なNEC TK-80/PC-8001/PC-9801、IBM 5150を大塚商会社長が振り返る

本社コンセプトギャラリーに展示された歴史的PCと大塚商会の大塚裕司社長

 東京・飯田橋の大塚商会の本社1階のコンセプトギャラリーに、4台の歴史的PCが常設展示されている。

 大塚商会本社1階のコンセプトギャラリーは、平日の午前9時から午後6時30分までオープンしており、展示されているPCは誰でも見ることができる(東京都千代田区飯田橋2-18-4)。

 マイコンキットと呼ばれたNECの「TK-80」、1979年の発売から40年目を迎えたNECの8ビットPC「PC-8001」、国民機とも呼ばれ、圧倒的シェアを誇ったNECの16ビットPC「PC-9801」、1981年8月に発売されたグローバルスタンダードPCである初代IBM PC「IBM 5150 Personal Computer」の4台だ。

 いずれのPCも、NECでPC-9800シリーズ事業のスタート時から携わり、現在は一般社団法人IoT3R協会の理事長を務める小澤昇氏が所有していたもので、これを大塚商会の大塚裕司社長が譲り受け、2019年9月に行なったコンセプトギャラリーのリニューアルにあわせて展示した。

 大塚商会の大塚社長は、「大塚商会の社員やIT業界関係者、さらには一般の方々にも、画期的とも言えるPCを見てもらえる場所になる。歴史を感じてもらえるだろう。懐かしさもあるが、大塚商会も事業を拡大するなかで、お世話になってきたPCである」などと語る。

 業界内でも多趣味で知られ、オーディオマニアとしても有名な大塚社長は、子供の頃から秋葉原に通い詰めていた経験を持つ。その流れで、PCに関しても黎明期から親しみ、自らプログラミングをするなど、「パソコン少年」だった一面も持つ。そして、複写機ビジネスで創業した大塚商会において、PCビジネスを大きく成長させたのも、同社2代目社長である大塚裕司氏の手腕によるものだと言える。

 大塚社長と、これらのPCとの関わりを聞きながら、その画期的なPCを紹介する。

東京・飯田橋の大塚商会本社
本社コンセプトギャラリーの様子
展示された4台のPCはケースに入れられて常設展示されている

NEC TK-80

展示されているTK-80

 NECのTK-80は、1976年8月に発売されたマイコントレーニングキット。TKの型番は、「トレーニングキット」から命名された。CPUには、NECがIntelのセカンドソースで開発したμPD8080Aを搭載。クロック周波数は2.048MHzで動作。ROMは0.75KB、RAMは0.5KB。8桁の7セグメントLED表示素子でアドレスとデータを16進数で表示。キーは0~9およびA~Fの16個の16進数キーと、プログラミングやデバッグなどに最適化した9つのファンクションキーで構成された。価格は88,500円。

 「TK-80は使ったことがなかったが、秋葉原では、ゲーム機としてのマイコンキットが数多く売られていたのを覚えている。4人で一緒に遊べるキットが売られていて、それでテニスゲームをして遊んだことがあった。これは15,000円前後だったと記憶している。NECのBit-INNやマイコンショップCOMにはよく通っていた(大塚氏、以下同)」。

NEC「PC-8001」

展示されているPC-8001
PC-8001本体。本体とキーボードは一体型だ
純正のテープレコーダも展示されている

 1979年に、NEC初のPCとして登場したのがPC-8001。今年(2019年)はちょうど40年目を迎える。日本のPCの歴史を開いた製品でもある。型番のPCは、パーソナルコンピュータの頭文字。8001の80は、TK-80の流れを汲み、さらに、翌年にひかえた1980年代を迎えることを意識してつけられたという。01は、PC本体の型番として採用。周辺機器にも8011、8012などの型番が用いられた。CPUには、Z80互換のμPD780C-1(4MHz)を搭載。メモリは24KB、RAMは16KB。価格は168,000円。

 「最初に買ったPCはコモドールのVIC1001。価格は79,800円だったと記憶している。TVに接続して、カラー表示ができ、小さなプリンタをつなげて使っていた。1カ月間、マニュアルとにらめっこして、ようやく使えるようになった。本体はもう動かないが所有している。その後、PC-8001をおこづかいを貯めて購入した。

 コモドールでBASICを覚えて、PC-8001でさらにBASICを勉強し、その後、PALのプログラミングに進んでいった。PC-8001では、雑誌に掲載されているプログラミングコードを打ち込んで、カセットテープに保存して、ゲームもずいぶんやった。

 隠しコマンドばかり掲載している雑誌にはまって、それを試してみるのが楽しかった。バグは必ずあるし、わずか10行、20行のプログラミングでも間違いがあるという時代。また、PC-8001用の純正テープレコーダは帯域がせまいのでエラーが起こりにくいが、Hi-Fiラジカセをつなげるとエラーがよく起こった。あと少しで終わるところでエラーが起こって悔しい思いもした。

 Apple IIが欲しかったが高くて買えなかった(笑)。ワープロソフトなどが本当に意味で使えるようになったのは、PC-8800シリーズからのこと。当時は、PC-8800シリーズでワープロソフトの文筆を使っていた。

 大塚商会では、東京・八重洲にOAセンター八重洲という店舗をオープンして、PC-8000やPC-6000、PC-8800をずいぶん販売した。当時は、シャープのMZや、日立のベーシックマスター、沖電気のifシリーズ、エプソンのHC-20なども扱っていた。

 その後、αランドによる店舗展開を行ない、ここでは各社製品を取り扱うことになった。一方で、大塚商会では、1981年に、PC-8001向けに、独自開発の表計算ソフトのPC-PALを開発し、PCの黎明期からソフトビジネスも行なっていた」。

NEC「PC-9801」

展示されているPC-9801

 1982年に発売された16ビットパソコンがPC-9801。「きゅうはち」、「きゅっぱち」の愛称で親しまれた98シリーズの初代モデルで、NECがPC市場で7割以上のシェアを占めるほど圧倒的な人気を誇る地盤を作った。のちにセイコーエプソンから98互換機が登場。その存在は、「国民機」とまで言わるほどだった。

 PC-9801は、CPUには、Intel 8086互換であるNECのμPD8086(5MHz)を搭載。価格は、298,000円。2008年度に情報処理学会から「情報処理技術遺産」に認定されている。

 「PC-9801は、個人的に利用するというよりも、大塚商会のビジネスとしてつながりが強い製品。当初は、漢字ROMが別売りであり、しかも、さまざまな周辺機器を組み合わせないとシステムとして動かない場合が多く、しかも周辺機器群を生産している場所が異なり、それらを揃えるのに苦労した。

 周辺機器やソフトウェア、オプションの1つでも揃わないと検収できないが、それをしっかりと供給できる体制が当時のNECにはなかった。NECのディスプレイが入手できなかったため、シャープのディスプレイをつけて販売するといったこともずいぶんやったが、両社のノイズ対策の考え方の違いに苦労した。

 ディスプレイ側でシールドするのと、PC本体側でシールドするという考え方の違いがあったため、組み合わせ方によっては、ディスプレイから発生するノイズが、本体に搭載されたフロッピーディスクの読みとりエラーにつながるといったことも発生した。そこで、本体とディスプレイの高さを調節して、少し離して設置してもらったり、間にノイズ対策を施こす板を入れたりしていた。

 一方で、表計算ソフトのPC-PALもPC-9800シリーズ向けに開発したが、当初はBASICで開発してしまい、ガベージコレクション機能によって、実行中のプログラムが占有していた不要なメモリ領域を消去。この作業の間は、操作できないという問題が発生して、長時間利用しているお客様にはご迷惑をおかけした。すぐに書き換えて開発し直し、再出荷した。

 漢字ROMを入れなくて済むようになって、ずいぶん楽になったのを覚えている。独自開発のワープロソフトのオーロラエースでは、複数のウィンドウを開くことができる機能を搭載した。ジャストシステムの一太郎Ver4の対抗であり、メモリが少なくても動くのが特徴だった。

 今見ると、PC-9801のシリアルコネクタのサイズも大きいし、本体にはディスプレイ向けのサービスコンセントが用意されているなど、隔世の感がある。個人的には、マルチプランやロータス1-2-3などを使い、SYLKファイルでアプリケーション間のデータ移行を行なうことが多かった。

 ネットウェアを動かすために、大塚商会社内にコンパックのプロシグニアを大量に導入するプロジェクトに関わり、そのときには、NECからずいぶん怒られた(笑)。だが、米ヒューストンのコンパックのPC工場まで見学に行き、安定して利用できるのはこれしかないと思った。インサイトマネージャーによる管理や、ホットプラグ対応など先進的な技術を採用していたことに感心した」。

IBM 5150

展示されているIBM 5150
マニュアルも展示されている

 1981年に発売された初代IBM PCが、IBM 5150である。CPUには、i8088(4.77MHz)を搭載。メインメモリは16KB、ROMは40KB。米国では1,565ドルで販売された。当初、IBMは、OSにデジタルリサーチの「CP/M」を使用する予定であったが、結果として、Microsoftの「PC-DOS」を採用。IBM 5150の好調な売れ行きによって、Microsoftの現在の基盤を築き上げるきっかけとなった。

 「当時は、大塚商会としては扱っていなかったが、CADソフトの一部がIBM PCでしか動かないということもあり、PS/55シリーズの取り扱いは行なっていた。私と、IBM PCとの出会いは、大塚商会に入社する前に在籍していたバーズ情報科学研究所で、NEC PC向けのOCRを開発しており、これを業務用に利用するためにIBM PCに対応したことが最初。1990年頃のことで、リコーが発売していた世界最速のスキャナを使って、IBM PC向け専用システムとして製品化した。私が、箱崎の日本IBM本社で製品紹介セミナーの講師を務めたことがあった」。