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「広いAI」の研究に挑むIBMとMIT

 日本アイ・ビー・エム株式会社は16日、「MIT-IBM Watson AIラボ」の研究内容を紹介する記者会見を開き、IBMとMITの取り組みについて解説した。より少数データでさまざまな領域で用いることができる「広いAI」の開発に注力しているという。

 MIT-IBM Watson AIラボは、IBMとマサチューセッツ工科大学(MIT)が2017年9月に設立した研究所。AI関連の基礎研究を行ない、ブレイクスルー促進を目指すために、10年間にわたり2億4,000万ドルの投資を行なっている。具体的にはディープラーニング(深層学習)などに関するAIハードウェア、ソフトウェア、アルゴリズムを発展させ、ヘルスケアやサイバーセキュリティーなどの業界におけるAIの利用効果を高めるだけでなく、社会に与えるAIの経済的および倫理的な影響について研究することを目的としている。研究所は米国マサチューセッツ州ケンブリッジに設立され、IBMおよびMITから100人を超える研究員らが集まり、共同研究を推進している。

日本IBM執行役員 森本典繁氏

 会見ではまず、日本IBM執行役員の森本典繁氏が概要を紹介。IBMとMITには双方に古いAI研究の歴史があり、かつ業界をリードしてきたと述べた。MIT-IBM Watson AIラボはIBMによる取り組みのなかでも最大級の産学連携の取り組みであり、特筆すべきは単にファンドを大学側に渡して終わりなのではなく、IBMが産業面の知識と知財・技術を投入してMITと一緒に活動するというところがコアだと述べた。これまで普及しているAIだけでなく、将来のより高度なAIの普及を見据えて、データ管理や倫理面、そして社会インフラとしての基礎を打ち立てるために必要な技術を開発して世の中に送り出すことを目的としている。

学習と推論を組み合わせることで「広いAI」を目指す

IBMリサーチDirectorのダリオ・ギル(Dario Gil)氏

 IBMリサーチの代表をつとめるダリオ・ギル(Dario Gil)氏は、改めてMIT-IBM Watson AIラボはIBMにとって最大の学術連携との取り組みであると紹介し、1956年の「ダートマス会議」を振り返った。1959年には機械学習という言葉が生み出された。このような時代から進捗もあれば、失望の時代もあった。そしていま、新たな高まりが生まれている。

ダートマス会議

 次はどのようなステップにいくのか。ギル氏は、「AI」という言葉は誤解を招きやすいとし、形容詞を前につけるべきだと語った。現時点の「狭いAI(Narrow AI)」、まだまだ先の「汎用AI(General AI)」、その間に「広いAI(Broad AI)」がある。「狭いAI」は狭い定義されたタスクに対しては超人的パフォーマンスが出せる。ただし多くのデータが必要だ。いまIBMが取り組んでいるのは「広いAI」だ。学習・推論によって少数データでマルチタスクができるようになるという。そのためにIBMでは「ニューロシンボリックシステム」という概念を研究している。

 狭いAIから広いAIへとシフトするために、100人の研究者、2億4,000万ドルの投資、10年の期間をかける。ギル氏はAI投資は長期的に行なうことが重要だと強調。MITからは186の提案が出ており、IBMと共同で取り組む。AIは多くの分野が関係することから49のプロジェクト、23の学部が関わっている。

 AIはあらゆる領域に関わる。今後はAIの入っていないソフトウェアはなくなり、あらゆる仕事に影響が出る。そのためAIを信頼できるかたちで作ることが必要になる。「MTIもIBMも社会に対して責任を持ってAIを開発していきたい」と述べた。過去の共同研究は研究者を引き抜くようなかたちで行なわれていたが、今回の共同研究は長期にわたって本当に共同で研究を行なうと強調し、学習と推論を組み合わせることで、ディープラーニングよりも深いAIを実現していきたいと述べた。

広いAIへ注力

情報科学や脳科学の知見を組み合わせる

MIT Electrical Engineering and Computer Science Professor/MIT-IBM Watson AIラボ Directorのアントニオ・トラルバ(Antonio Torralba)氏

 MIT側の代表であるMIT Electrical Engineering and Computer Science Professor/MIT-IBM Watson AIラボ Directorのアントニオ・トラルバ(Antonio Torralba)氏は、「人間のインスピレーションの源は脳だ」とし、「赤ちゃんが言葉を学ぶプロセスを真似たい」と考えていると語った。赤ちゃんは多くのデータを求め、突然データが途切れると泣き出し、たとえば「もっと絵本を読んでくれ」とねだる。また、赤ちゃんは非常に複雑な環境で学んでおり、現在の機械学習はまだまだ及ばない。

人間の赤ちゃんのように学ぶAIを目指すという

 MITのコンピュータサイエンス受講者は、2000年は4,000名弱だった。2010年ごろまでは横ばいだった。だが機械学習の性能が爆発的に向上すると同時に受講者も増え、2018年には8,000人になった。トラルバ氏はMIT周辺のGoogleマップを示しMITではコンピュータ科学、認知科学、ヒューマン・マシン・インタラクションなどに多くの研究者が取り組んでいると紹介した。

MITのコンピュータサイエンス受講者数の伸び

 IBMとの共同研究において、なぜいまが良いタイミングなのか。多くの成果を組み合わせることができるからだという。まだ人間の脳には敵わないがアルゴリズムは向上しており、人間の脳の働きも非侵襲的な方法でじょじょに解明されつつある。互いに長い歴史を持つIBMとMITの200人以上の研究者が共同研究を進めることで、ただ単体で研究を進めるよりもヘルスケア分野などで多くの成果を出せるのではないかと語った。

今がAI研究を産学協同で進めるには良いタイミングだという

四本の柱でAI研究を進める

IBMリサーチ/MIT-IBM Watson AIラボ IBM Directorのデイビッド・コックス(David Cox)氏

 IBM側の代表であるIBMリサーチ/MIT-IBM Watson AIラボ IBM Directorのデイビッド・コックス(David Cox) 氏は、IBMに入る前はハーバード大の教授だった。産業界に影響を与えることは意味があると考え、IBMに加わったという。現在の、かぎられた領域では性能を発揮できる狭いAIは、たとえば皮膚ガンを発見したりできる。ただし、そのためには膨大なデータが必要だ。いっぽう、汎用AIは未だSFの世界だ。

 これから有望なのは、複数の領域で、マルチモーダルデータを扱い、非構造化データ、自然言語情報などを分散処理やクラウドで処理して実行できる広いAIであり、広いAIは業界を問わずAIによる変革をもたらすと再度強調した。

狭いAIから広いAIへ
広いAIへの研究の柱

 人の仕事の進め方もAIによって変わる。そのためにはAIの処理結果にも説明性が求められる。なぜAIはそのような出力を出したのか説明できる必要がある。セキュリティ、堅牢性も重要だ。バイアスがかからないように倫理も求められる。ビッグデータから学ぶだけではなく、スモールデータから学ぶ能力も必要になる。社会におけるさまざまな問題ではデータ量が少ない場合もあるが、その場合も結果を出すことが求められるからだ。またインフラも重要である。コンピューティングは現状のままでは2040年には電力消費量が大きくなりすぎてしまう。そのためより消費電力を下げることや、量子コンピューティングのような新しい取り組みも必要になる。

 現在、55のプロジェクトが走りつつあり、MITの近くに研究所を作り、互いに常に近い関係で研究を進めているという。大きくわけると4つの柱がある。1つ目は少数データで学習推論できるようにするAIアルゴリズム。2つ目は産業アプリケーション。3つ目はAIの物理インフラ。そして4つ目は公正性を保ち、多くの人が豊かさを共有できるようにするためのAI研究だ。

「MIT-IBM Watson AIラボ」の研究ポートフォリオ

画像生成や因果推論を行なえるAI

機械に新しい絵を描かせる

 トラルバ氏は、実際に自身が関わっている研究を紹介した。機械に絵を描かせるプロジェクトだという。機械に多くの画像を与える。機械は、その画像において重要な要素は何かを学び、新しい絵を描く。非常にリアルに見える絵を生成する研究は、GAN(Generative Adversarial Nets)によって発展した。2010年ごろはぼんやりしていたが、いまでは非常にリアルな画像を生成できるようになった。GANによる生成系についてはIBMとMITの研究者が互いにコードを書きあって研究を進めているという。

2010年ごろのGANによる生成画像
2018年のGANによる生成画像
GANとGANによる生成画像
研究チーム

 ここまで映像を生成できるようになるまでに機械は何を学んでいるのか。絵を描くためには中間の「内部表現」が必要であることがわかった。ネットワークのなかで窓やベッドなどの「コンセプト(概念)」が自動的に作られれば、ネットワークに少しの変更を加えるだけで、新しい絵が生成される。ただ指示を与えるだけで非専門家でも新しい絵を作らせることができる。

ネットワークが内部表現を獲得する
人だけを消したりすることも自在になった

 IBMのコックス氏は、ニューラルネットワークを使ってシンボルをロジックに合わせて操作する「ニューロシンボリックAI」についても紹介。1980年代に比べると、コンピュータの処理能力は大きく向上した。AIシステムが画像インプットによって画像からラベルを作り、学習を行なう。データサイエンティストの仕事の多くは、データのフォーマットを適切なかたちに変換していくことだが、それの自動化を目指す。

 また相関を発見するのではなく、因果推論を行なわせるAIの研究も進めている。メイン州の離婚率とマーガリンの消費量のあいだには実際には相関はない。あるいはキャビアと億万長者の健康のあいだには関係があるのか。このような相関だけでは不十分な対象に対して、原因を推論できるようにすることを目指す。

ニューロシンボリックAI
相関ではなく因果関係を理解させる試みも進行中

産業フォーカスはセキュリティとヘルスケア

AIとセキュリティ

 産業フォーカスとしてはヘルスケアとセキュリティを挙げた。サイバーセキュリティは社会的課題となっている。AIを使ってサイバーインフラを守れるかもしれない。いっぽう、攻撃側もAIを使う可能性もある。AI自身がハッキングの標的となる可能性もある。学習のときに標的となることもあれば、実装後に標的になることもある。現在、MIT-IBM Watsonラボでは、変異するマルウェアを検知できるAIに関する研究を行なっている。また、人間では絶対に間違えないようなかたちで顔認識や標識認識を間違えてしまうAIに対して、それをより堅牢にする仕組みを研究している。

シグネチャーを変異させるマルウェア対策もAIで

 医療においては、最適な治療ポートフォリオを各種センサーから自動的に組むシステムの研究を紹介した。医療現場では常にベストな医師がいるとはかぎらない。そこで医師へ適切なアドバイスを行なうAIを開発中だという。また、この仕組みは人間の治療だけではなく製油所の事故予防や工場の空調環境調整などにも使えるのではないかと考えていると述べた。銀行取引の視覚化を行なえばマネーロンダリングなどを発見することもできるかもしれない。

ICUのモニタリングデータから適切な医療を提案
グラフ化によるマネーロンダリングの発見

 量子コンピューティングについては、ピーター・ショアが現在、連携ラボに所属しており、研究を進めている。従来型であれば高コストだったマッピング処理を量子コンピュータを使うことでより安価にできるのではないかと考えている。また、多値メモリの研究も進めている。

 「人に対してメリットがあるAI」の開発については、データのバイアスの問題を扱っている。AIはデータに依存するが、データには必ずバイアスがかかる。それをどのように取り除くと公正なローン審査ができるかといったことを研究しているという。とくに出力を説明できるシステムの実現に注力しているとトラルバ氏は語った。

AIバイアスを防ぐ
広いAIへの取り組み
質疑応答に答える3人