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無償公開される、スパコンより高速な「量子ニューラルネットワーク計算機」とは何なのか
~NTT、QNN計算装置実機見学会レポート
2017年11月22日 14:13
日本電信電話株式会社(NTT)、情報・システム研究機構 国立情報学研究所(NII)、東京大学 生産技術研究所、科学技術振興機構(JST)、内閣府政策統括官(科学技術・イノベーション担当)は20日、光の量子的性質を用いた計算機「量子ニューラルネットワーク(QNN)」をクラウド上で体験できる「QNNクラウドシステム」を開発し、11月27日より公開すると発表した。
QNNシステムの開発および今回のクラウドシステム公開は、内閣府 総合科学技術・イノベーション会議主導の「革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)」の下で行なわれたもので、システムの利用にはサイトでユーザー登録が必要となるが、一般利用も可能となる。
今回の発表に合わせ、NTT厚木研究開発センタで記者発表会が開催され、技術解説やQNN計算システムの公開が行なわれた。
発表会にはImPACTプログラム・マネージャーの山本喜久氏、NTT物性科学基礎研究所 上席特別研究員の武居弘樹氏らが登壇し、説明を行なった。
古典コンピュータでは計算できない「組合せ最適化問題」
山本氏は、ImPACTでは、古典コンピュータでは解くことが困難な、NP困難/イジング問題のためのコヒーレント・イジングマシン(組合せ最適化問題や機械学習)、NP完全/k-SAT問題のためのコヒーレント・SATマシン、ユニタリ暗号化イジングマシン(クラウド上の秘匿計算)、XYマシンやハイゼンベルグマシン、ハバードマシン(量子シミュレーション)という4つのマシンを開発し、古典コンピュータに接続することで、それぞれの処理を高速に実行できるアクセラレータとしての利用を目指すものと説明。
今回公開されるのはコヒーレント・イジングマシンにあたるQNNで、NP困難問題に属する、古典コンピュータでは解くことが困難な「組合せ最適化問題」に特化している。
組合せ最適化問題とは、選択肢の中から最も良い選択肢を見つけ出すという問題で、例としては「巡回セールスマン」問題などがある。
巡回セールスマン問題は、複数の都市の間をセールスマンが1度ずつすべて訪問し、出発点に戻ってくるとき、移動距離が最小になる経路を求めるというもの。4都市なら経路は3通りしかないが、10都市になると181,440通り、20通りでは6京822兆5,502億441万6千通り、60都市では観測可能な宇宙にある全原子数(10の80乗)という膨大な数に膨れ上がる。
このような組合せ最適化問題は、創薬におけるリード最適化、無線通信での周波数や送信電力の実時間の最適な割り当て、圧縮センシングなどでの元画像のスパース推定、金融での連続量最適化など、現在の社会システムが抱える課題の解決に多く関連付けられる。
しかし、古典コンピュータでは、複数の組合せの中から総当たりで解を探すしかなく、前述のように組合せが膨大になると、計算時間が爆発的に増加するため、厳密解を諦めて近似解を出しているというのが現状で、事実上解くことができない問題とされている。
組合せ最適化問題は、相互に作用する磁石(スピン)が多数あったとき、全体としてもっとも安定するそれぞれの磁石の向きを考えるというイジングモデルに置き換えることができる。相互作用する磁石の場合、磁石は“勝手に”もっとも安定した(エネルギーの小さい)組合せ(基底状態)を取る。
武居氏は、組合せ最適化問題をイジングモデルに変換することで、組合せ最適化問題を高速に解くことができるというのが、今回のQNN計算システムであると説明した。
コヒーレントイジングマシンでは、「光パラメトリック発振器(OPO)」の量子力学的特性を用いて最適化問題を計算する。OPOは、0またはπの位相だけを取る特殊なレーザー発振器で、位相0を上向き、πを下向きのスピンに対応させることができる。
OPOに接続した長距離の光ファイバーを用意し、その円周上に「位相感応増幅器(PSA)」と呼ばれる光の増幅器を配置する。このPSAをオン/オフすることで、数千単位のOPOパルスを生成し、人工のスピンとして扱う。
そしてパルス間の結合信号をFPGAによって生成し、パルスにフィードバックさせることで、ネットワークを形成する。「量子ニューラルネットワーク」という名前は、パルスをシナプスに、フィードバック回路をシナプス結合に見立てて名付けられたものだ。
量子力学の世界では、測定する前はどんな測定値が得られるかはあらかじめ特定できない(重ね合わせの状態)が、測定すると測定値の近くに波束が引き寄せられ、不確定さも小さくなるという「波束の収縮」が起こる。
この測定結果に基づくフィードバック信号を、ほかのOPOパルスへ結合すると、エネルギーの低い状態に2つの波束が変化する。このような、測定フィードバックによる波束の収縮がOPOの発振(相転移)で起こると、イジングモデルの基底状態が実現できるという。
武居氏は、「パルスはいわば光の粒で、磁石(スピン)に置き換えて考えれば、2,000発の磁石を用意し、それを光ファイバの中に配することで、スピンネットワークを実現した状態」という比喩で表現していた。
今回公開されたマシンでは、光ファイバーは全長1kmで、OPOパルスは2,000個になるという。
このスピン群に、解きたい問題に対応する相互作用を入力してやれば、光ファイバーを周回するうちに、スピンの向きが安定した組合せへと変化していき、もっとも安定した状態となり、それを読み取ることで問題の答えを得られる。このとき、QNNでは周回ごとにスピンの極を読み取っている。
QNNはトランジスタコンピュータに対する50年ぶりのリベンジマッチ
山本氏は、日本初のデジタル計算機はフェライトコアを使った「パラメトロンコンピュータ」で、一時は日本のお家芸と言える技術だったが、現在の“コンピュータ”である「トランジスタ回路コンピュータ」に、速度と消費電力の面で至らず負けてしまったという歴史を振り返り、今回の光パラメトリック発振器を使った量子ニューラルネットワークは、その時代から発振周波数を10桁引き上げたものとも言え、そういう意味では「50年ぶりのリベンジマッチ」になると語った。
山本氏は、QNNはトランジスタコンピュータだけでなく、量子コンピュータと比較しても優位性があると説明。
QNNは2,000ビットを達成している一方で、量子干渉を用いたゲート型量子コンピュータは、1~15量子ビット(qubit)の実装というのが現状となる。
ビット数で見れば、カナダのD-Waveが、量子トンネリングを用いたアニール型(アニーリング型)量子コンピュータで、2,000qubitの製品を商用化しているが、こちらはビット間の結線数が12,000に過ぎないと指摘し、QNNはビット数2,000に対して結線数が400万、すなわち全結合である点が大きいとアピールした。この結線数は、解ける組合せ最適化問題の大きさに関わる。
加えて、10mK(ミリケルビン)といった極低温や超高真空環境をを必要とするゲート型/アニール型の量子コンピュータと異なり、エネルギーの大きな光をビットとして扱うため、室温/常圧で動作できるというメリットを示した。
さらに、コヒーレントイジングマシンの大きな特徴としては、OPOがエラー訂正(誤り訂正)機能を有することだという。
量子コンピュータは位相エラーを抑制するため、誤り訂正機構を組み込まなければ、計算の正確性を担保できない。このため、1つの論理量子ビットに対して、1万の物理量子ビットを用意するといった設計を求められる。加えて、演算時間のほとんどが誤り訂正に費やされることになる。
QNNでは、光ファイバを通過することでパルスの位相と振幅はズレていくが、OPOへ戻ってくるとそのズレが補正されるため、別途誤り訂正を必要としないという。
QNNは量子コンピュータなのか
筆者が疑問に思ったのは、ここまで大きく原理の異なるゲート方式、アニーリング方式と並び、QNNが量子コンピュータなのかという点だった。
ほかと区別するため“汎用量子コンピュータ”などと呼ばれることもあるのが量子ゲート方式で、古典コンピュータが扱う「0または1」という2つの状態だけを持つビットと異なり、「0かつ1」を取れる量子ビットを扱う論理回路で計算を行なう。このとき、n個の量子ビットがあれば、2のn乗通りの計算を同時に行なえることになり、超大規模な並列演算が実現できる。
一方、D-Waveなどが開発している量子アニーリング方式コンピュータは、「量子アニーリング(量子焼きなまし法)」という組合わせ最適化問題を解くために使われる量子力学的計算手法を、ハードウェア的に実現した「量子アニーリングマシン」となる。ゲート方式とは動作が大きく異なるが、イジング問題(組合せ最適化問題)を高速に解決する自然計算を行なえるハードウェアという面では、QNNとアニーリング型量子コンピュータは共通している。
つまり、3方式すべてに共通するのは、量子ゆらぎを動作アルゴリズムに用いているという点で、今回のQNNは、それをもって「量子コンピュータ」の動作方式の1つと表現されているとみられる。
「量子ビットを使って論理回路を実装したもの」が量子コンピュータとするならば、量子ゲート型だけが量子コンピュータということになるが、動作原理が量子力学で成り立っているという考えで見れば、どれも量子コンピュータであり、筆者の結論としては、QNNが量子コンピュータかどうかというのは「量子コンピュータ」をどう定義するかで変わると言えそうだ。
理研のスパコン「Shoubu」より100倍高速
実験では、最適化問題の1つである最大カット(Max-Cut)問題を用いた測定で、2千ノードの問題を5ms(ミリ秒)以下でカット数13,313という解を導き出したという。
最大カット問題とは、複数のノード(点)と、それらを結ぶエッジ(線)からなるグラフで、ノード群を2つの部分集合に分割するとき、異なるグループに属するノードの間に張られたエッジの数が最大となる分け方を求めるというもの。例えば、下図上段左のような5人組を2つのグループに分割するとき、上段右図のような分けかたをした時、赤グループの人と青グループの人とを繋ぐ線がもっとも多くなる。
この5msという演算速度は、先日Green500で首位を獲得した、理化学研究所 情報基盤センターに設置されているスーパーコンピュータ「Shoubu(菖蒲)」と比較して100倍高速であるとした。
ここまでは、これまでの実験で達成していたものだが、今回のWebでの一般公開にあたっては、10分程度しか動作が安定しなかったQNNを、24時間安定して動作するよう改善が施されている。
先にQNNの特徴として、室温で動作するというメリットを挙げたが、光ファイバーは温度変化による変形が大きく、室温が1℃変わると、長さ1kmでは1cmほどの変化を起こしてしまうという。
これを防ぎ、OPOの長期安定化を実現するため、光学部分をすべてラックマウントサイズの密閉した箱に閉じ込めることで、±0.1℃未満の温度管理を行なったという。結果として、大規模な光学実験装置だったQNNをデータセンターなどに設置できる筐体に納められたとする。
公開される体験Webサイトでは、QNN計算機を用いた計算の体験ほかにも、理研のスパコンを用いた量子モデルシミュレーション体験も追加される予定。
NII 特任准教授の加古敏氏は、27日の公開時点ではサイズ100~2,000までの完全グラフ最大カット問題の演算を体験できると説明。今後は創薬のリード最適化など、実社会の問題解決に適用できるアルゴリズムを開発し、2018年5月以降より順次公開していく予定とした。
QNNの今後については、現在の2,000ビットから10万bitまで拡張し、かつ全結合するという大型化と、アルゴリズムの開発を行なっていきたいとした。