笠原一輝のユビキタス情報局
ゲルシンガーCEOがIntelにもたらした大変革「グロービアン」と「IDM 2.0」
2023年9月26日 09:54
米Intelは、9月19日(現地時間)に年次イベント「Intel Innovation 2023」を開催した。この中でMeteor Lakeの開発コードネームで開発してきた次世代クライアントPC向けSoCとなる「インテルCore Ultraプロセッサ」(Core Ultra)の技術概要を明らかにしたほか、12月14日に正式に発表すると明らかにした。このほかにも、データセンター向けXeon SPに関する情報、4年間で5ノードやUCIeなど製造技術関連の発表などなど実に多岐にわたる話題が取り上げられた。
その主役は言うまでもなく、一度は後継者レースから敗れて去った会社から、2021年に熱望されて戻ってきたパット・ゲルシンガーCEOだ。ゲルシンガー氏が戻ってきて以来、競合との技術開発競争に敗れ、会社としても停滞していたIntelの雰囲気も、社内の文化も大きく変わった。社内の文化を変えるのにゲルシンガー氏が使っているのが「グロービアン」という言葉であり、そして企業戦略の根幹となっているのが「IDM 2.0」だ。
実はこの2つのキーワードこそが、この2年の大きな進化、そしてこれから見込まれるさらなる成長に向けて重要なキーワードとなっている。
Intel 中興の祖となるアンディ・グローブ氏、当時は「モーレツ」企業だったIntelを象徴する名経営者
筆者はもうかれこれ25年以上、Intelを取材している。1990年代のIntelという会社は良くも悪くも「イケイケ」の会社というのが印象的だった。ちょうどその頃はアンディ・グローブ氏がCEOを退任し、後任のクレイグ・バレット氏に交代する時期で、まだまだアンディ・グローブ氏の影響力が強い時代だった。
アンディ・グローブ氏はそもそも誰か。公式な社史では、Intelの創業者はロバート・ノイス氏とゴードン・ムーア氏で、シリコンバレーに当時存在していたフェアチャイルド・セミコンダクターを退職して2人で始めた会社がIntelだ。アンディ・グローブ氏は、実はその2人と一緒にフェアチャイルド・セミコンダクターで働いており、Intelができる段階でIntelに移ったことになっている(グローブ氏の社員番号は4番と創業者2人から1人置いての4番であることがそのことを示している)。
しかし、実際にIntelを今の規模の企業にする基礎を作ったのはアンディ・グローブ氏の功績であることは誰も否定できない事実で、言ってみればIntelの中興の祖はグローブ氏なのだ。このため、非公式にだが、Intel社員はグローブ氏を3人の創業者のうちの1人と呼ぶことが少なくないのは、以前の記事でも指摘したとおりだ。
筆者が記者としてIntelを取材し始めた頃は、既にグローブ氏は半ば引退モードに入っており、会社はバレットCEOと、後にその後任となるポール・オッテリーニ氏がリーダーとなっている時代だった。Intelを取材していると、とにかく社員がみんな「モーレツ」に働いている会社という印象で、その先頭に立っているのがグローブ氏というのが皆の共通認識だ。言ってみれば、「24時間戦えますか」的な昭和の時代の日本企業みたいな会社だなと思ったことを記憶している。
その時代から20年以上が経ち、今やグローブ氏も、そして本年の3月には「3人の創業者」の中で最後の1人になっていたゴードン・ムーア氏も逝去され、Intel創業時代のことは文字通り「歴史」になった。
この20年にIntelが活かせなかったグローブ氏の教え、そうした失敗を繰り返さないための「グロービアン」という言葉
一度はCEO後継者レースに敗れてIntelを去ることになったゲルシンガー氏だが、2021年にCEOとしてIntelに返り咲いたのはよく知られているストーリー。そのゲルシンガー氏は1979年に高校を卒業してすぐにIntelに入社している。
大学に行くという道もあったのだが、簡単に言えばIntelが当時の「天才青年」をスカウトして会社に入れたというのが実情だったそうだ。その後ゲルシンガー氏はIntelに通いながら大学に通って学位を取得したりするのだが、それをゲルシンガー氏にアドバイスしたのが、ほかならぬグローブ氏だった。
実は、グローブ氏は若きゲルシンガー青年のメンター(英語で指導役)で、そうしたさまざまなアドバイスをグローブ氏からもらったと、後年ゲルシンガー氏は語っている。
そうしたグローブ氏の指導の下、ゲルシンガー氏はIntel 386や486の開発者として才能を発揮し、PC用プロセッサの事業責任者からCTO(最高技術責任者)になり、最終的に将来のCEO候補の1人と考えられるようになっていった。そして、2009年にIntelを退任することを明らかにし、EMC(その後Dellと合併して今はDell Technologies)に転じ、その子会社だったVMwareでCEOを務めてきた(そのあたりの詳しい経緯は以下の記事を参照いただきたい)。
そうしたゲルシンガー氏にとって、Intelでの人生、そしてIntel後の人生に大きな影響を与えたのは入社後にメンターだったグローブ氏であることは想像に難しくない。スターウォーズ風に言えば、マスター「アンディ」とアプレンティス「パット」という関係だったということだ。
だが、そのアプレンティス「パット」も、今や巨大組織Intelの「マスター」になった。そのマスターとなったゲルシンガー氏が最近のIntel企業文化を象徴する言葉として使っているのが「グロービアン」という言葉。
「オリンピアン」がオリンピックの精神に賛同する人たちという意味からオリンピックに参加する選手という意味であるように、グロービアンはグローブ氏の精神に賛同するIntelの社員という意味になるだろう。
では、グローブ氏の精神とはなんだろうか。かつてのIntelのように社員に「モーレツ」に働けということか? いやいや、そうではないだろう。言うまでもないが、あの当時はそういうことがまだ許される時代だったが、今はそういうことは許されないし、そんなことをゲルシンガー氏が望んでいるとは思わない。グローブ氏は自分にも他人にも厳しい人として知られていたが、少なくとも筆者の知っているゲルシンガー氏が自分を律することには厳しいと思うが、他人に厳しいというこという批判は聞いたことがない。
筆者はゲルシンガー氏のいうグロービアンというのはこうだと思っている。それが「決めたことは着実に実行」であり、「変化を恐れないこと」の2つだ。というのも、ゲルシンガー氏が戻るまでのIntelは、そのどちらもできていなかったからだ。
前者はグローブ氏が常々社員に言っていたことだと聞いている。同社のビジネスで言うなら、ロードマップという計画を決めたら、石にかじりついてでもそれを予定通り実現していくということだ。ゲルシンガー氏が戻ってくる前のIntelは率直にいってこれができていなかった。製品レベルでも、製造技術のレベルでもだ。
後者はアンディ・グローブ氏の名著「Only the Paranoia Survive」という書籍に書かれていることだ。詳しくは邦訳(日経BP刊、邦題:パラノイアだけが生き残る)も出ているので同書を読んでいただくのがいいと思うが、簡単に言えば「どんなに強い製品を持っていても、いつの日か市場環境の方が変わることがあり、気がついたら強みがなくなっていた」という時点がある(それをグローブ氏は「Strategic Inflection Point:戦略的転換点」とよんでいる)。そのため、その時点より前に、自社の強みを捨てても変わることを避けていけないということを表現する言葉がこの「戦略的転換点」になる。
Intelは過去20年の間に、このグローブ氏の教えを2度も活かすことができなかった。1つはPC市場の覇者となったことで、モバイルへの対応が奪われ、その市場はArmに奪われてしまったことであり、もう1つがこちらは現在進行形だが、データセンターはCPUで高い市場シェアを取っていたことで、AI学習という大きなトレンドをNVIDIAのGPUに奪われてしまったことだ。
「巨大か、ニッチか、それとも死か」の半導体製造市場で、生き残るためにファウンドリ事業の開始を選択
筆者はゲルシンガー氏のいう「グロービアン」はそうした、そうした過去の失敗を反省し、学習して、もう一度成長できるような企業へと文化を変えていくという意味だと捉えている。つまり、もう二度と「戦略点転換点」を見逃さずに、積極的に変化を受け入れる会社にしていく、ということだ。
その変わっていくIntelを象徴する言葉が、ゲルシンガー氏がIntelに帰って来てからすぐに発表した「IDM 2.0」という新戦略だ。IDM 2.0とは簡単に言えば、従来のIntelのビジネスモデル(自社の半導体で使う分を、自社の製造施設で製造する)といういわゆるIDM(Integrated Device Manufacturer )のモデルをアップグレードして、自社で使う分の製造はもちろん引き続き行なうが、それと同時並行で他社製品を製造する受託製造サービス(Foundry Services、ファウンドリサービス)を開始するというものだ(進化したIDMという意味で、IDM 2.0と呼んでいる)。
過去に、IntelのIDMビジネスモデルが同社の成功を支えてきたことは紛れもない事実だ。Intelの製造部門は、競合他社に比べて先を行っている製造技術とキャパシティを備えており、それがIntelの製品部門(CPUやGPU、FPGAなどの部門)の競争力の源泉だった。直接のライバルである、AMDが自社製造を諦めて、製造部門をGlobalFoundriesとして独立させたのは、自社だけで製造部門を抱えていてもIntelに勝つことはできないと判断したことの裏返しにほかならない。
しかし、実はその裏でIntelは「戦略的転換点」を迎えていた。というのも、そのAMDや、NVIDIA、Qualcommという競合メーカーが製造を委託しているTSMCやSamsung Electronicsなどのファウンドリサービスが、いつの間にかIntelを製造技術で追い越して前に行くようになっていたからだ。
もちろん、Intelが2010年代後半に10nmを立ちあげることに失敗してつまずいたことは大きかったのだが、それ以前に従来とは市場環境が大きく変わっていた。具体的に言えば、AMDが端的な例のように、自社で製造技術の開発や工場を持っていた時には全く対抗できなかったが、それをTSMCのような巨大なファウンドリに委託するようになった結果、Intelの前に行けるようになった。
なぜかと言えば、それはゲルシンガー氏自身がInnovationで説明している言葉がもっとも分かりやすいだろう。「半導体製造には3つのやり方しかない。巨大か、ニッチか、それとも死か、だ」。どういうことかと言えば、半導体を製造するメーカーは、ほかのメーカーよりも巨大になって規模を追求するか、ニッチな製品を作り続けて市場の片隅で生きていくか、それとも破産かという3つのやり方しかないというのだ。半導体製造のビジネスは「規模の経済」という当たり前のことをゲルシンガー氏は指摘しているということだ。
そのルールに照らせば、2010年代のIntelは自社だけの製造工場というビジネスモデルをただ続けてきたため、Intel以外の半導体メーカーの受託を多く集めたTSMCなどに規模で負けてしまっていたということだ。だから、製造技術の開発でも後れを取るし、性能でも負けてしまう、そういう市場環境側の変化が起こっていたことを2010年代のIntelは見逃してきた、つまりグローブ氏のいう「戦略的転換点」を見逃してきてしまったということだ。
そこに理解が至れば、なぜゲルシンガー氏がIDM 2.0でIFS(Intel Foundry Service)の本格的な立ち上げを宣言したのかを、容易に理解できるだろう。コロナ禍で半導体への需要が高まった結果、TSMCの顧客にとっては、TSMCのラインが空いていなくて思うように供給を増やせないという事態が発生しているのは秘密でもなんでもない。そうした時に、IntelがIFSで自社の製造施設を競合他社でもあるファブレスの半導体メーカーに開放してくれれば、TSMCへのプレッシャーにもなるし、価格交渉でも有利になるのは言うまでもない。Intelと競合しているNVIDIAやQualcommなどが、IFSに前向きな評価を与えているのはそういうことだ。
このIDM 2.0戦略の肝となるIFSが成功すれば、10年後のIntelは、もはや製品部門はないかもしれない。あるいはあっても、収益に影響する率はかなり低くなっている可能性すらあるといえるだろう。それぐらいIDM 2.0というのはIntelにとって破壊的な変革プランだし、「戦略的転換点」への対応プランとしてふさわしいものだと言って良いと筆者は考えている。
RISC-Vも含めてさまざまなアーキテクチャの可能性を見つめている
最後に、技術者出身でもあり、半導体製品に深い造詣をお持ちのゲルシンガー氏に、IntelはNVIDIAがAI学習で確立した覇権にチャレンジすることは可能なのかを聞いてみた。
というのも、半導体業界は一度覇権が決まったら、そのアーキテクチャがその市場をベンダーロックインするのが普通だからだ。実際、Intelはx86プロセッサで、PCとデータセンター向けCPUを(そのライセンスを与えているAMDを含めて)ベンダーロックインしており、PC市場でもデータセンター市場でも80~90%の市場シェアをもっている。いずれの市場でもArmがそこに割って入ろうとしているが、依然としてその取り組みは、AppleのMシリーズがやや成功したな程度であって、なかなかうまくいっていないというのが現状だ。
その逆のことは、スマートフォンの市場にも言える。こちらは7~8年前にIntelが市場参入を諦めてから、Armアーキテクチャのほぼ100%という状況になっている。そして今最も注目されているAIでは、学習向けの処理ではNVIDIAが90%以上とされる市場シェアを持っており、NVIDIAがこの市場の覇者であることを否定する者は誰もいない。
なぜそうしたことが起こるのかと言えば、簡単に言えばそのアーキテクチャには開発者という「ソフトウェア・エコシステム」が成立しているからだ。PCで言えばQualcommが過去5年間に渡ってArmアーキテクチャのSoCをWindows向けに投入しているが、ソフトウェアの互換性の問題が普及の足かせになっていることは否定できないだろう。それだけソフトウェア・エコシステムが既に完成していることが強みになるのだ。
NVIDIAがCUDA+GPUの組み合わせでそうしたソフトウェア・エコシステムの環境を構築していて、ソフトウェアこそがNVIDIAの強みになっているというのは、半導体の世界では常識だ。そこが足かせになって、AMDやIntelのGPUの採用がなかなか進んでいないというのが現状だからだ。
そうした現状の中で、IntelはNVIDIAを追い越せるのかとゲルシンガー氏に問うてみると、ゲルシンガー氏は「NVIDIAの今の強みはCUDA、NVLinkなどのプロプライエタリな技術でベンダーロックインしており、業界は今他の選択肢がないかということを考え始めている状態だ。
確かにCUDAとその周辺のソフトウェア・エコシステムがAI学習に強みを持っていることは誰も否定しないだろう。しかし、今や開発者の目はその上のソフトウェアレイヤーとなる「Llama 2」、「GPT」などの大規模言語モデル、「Jax」や「PyTorch」のようなフレームワークなどに向かっており、もっと適正なコストでよりよく演算できるハードウェアはないものかということに注目が集まりつつある。だからこそ、Intelはオープンなソフトウェア(筆者注:oneAPIのこと)とハードウェアを組み合わせて提供していく。
また、IntelがLinuxのオープンソース開発に貢献してきたように、より上位のソフトウェアレイヤーをオープンソースの取り組みへの貢献を深めていく」と述べ、IntelがCPU、GPU、FPGAなどのアーキテクチャを問わない中間レイヤーの「oneAPI」をAI学習市場に提供を開始し始めたことで、市場に変化がおこり始めていると強調し、さらに上位のソフトウェアレイヤーのオープンソース開発に貢献を深めていくことで、IntelのCPU、GPU、FPGAなどへの最適化を実現することで、じょじょにNVIDIA GPUからの移行を促していくと説明した。
個人的にはゲルシンガー氏の言う、ソフトウェア開発への貢献を強めるという戦略には非常に同意できるのだが、オープンな戦略をとることで、プロプライエタリな技術に対応という戦略は実現可能なのかな、とは感じた。
というのも、歴史を振り返れば、PCでのx86プロセッサ、データセンターでのx86プロセッサ、スマートフォンでのArm、そしてAI学習でのCUDAと、いずれも勝者はプロプライエタリな技術で、オープンを謳ったチャレンジャーは軒並み勝てなかったからだ。それをオープンで覆そうというIntelの戦略には「?」がつくのもまた事実だからだ。
もっとも、ゲルシンガー氏はさらにその先を見ているのかもしれない。「我々はこれまでx86、Arm、NVIDIA GPUで何が起きてきたのかを見てきた……そしてこれからRISC-Vで何が起きるのかを見ていく必要があるだろう。それらのアーキテクチャはそれぞれに強みをもっており、ダイナミックに変化をし続けている」と述べ、Intelが現在は採用していないオープンアーキテクチャの「RISC-V」も含めてどうなっていくのかについて注意深く見守っていると話したからだ。
PC(x86)、データセンター(x86)、モバイル(Arm)、そして今のAI(NVIDIA GPU)の後に立ちあがることになる、次の時代の市場で、どのようなアーキテクチャが主流になっていくのか、ゲルシンガー氏はどんなアーキテクチャも排除しないでその可能性を見つめているということなのではないだろうか。