大原雄介の半導体業界こぼれ話

7月に相次いだ半導体業界の事業撤退と買収

 7月に入って立て続けに発生した事業撤退だの売却だの買収だのは、ちょっと異様なペースな気がしなくもない。ちょっと主要なものをご紹介すると

  • Codasipが事業売却手続きを開始(7月1日)
  • Esperanto Technologiesが欧州拠点を閉鎖、事業閉鎖ないし売却を計画中(7月4日)
  • IAR SystemsがQtによる買収提案に応じることを株主に推奨(7月4日)
  • GlobalFoundriesがMIPSを買収(7月8日)

といった具合。1週間でこれであるからどうかしている。

Codasip

 まずCodasip、7月1日に事業売却手続きを加速することをアナウンスした

 Codasipという社名は「CO-Design Application-Specific Instruction-set Processor」の頭文字である。創業者のKarel Masarik博士がブルノ工科大で博士号を取った際のテーマがハードウェアとソフトウェアのCo-designだったのだそうで、その研究テーマの際の成果物をそのまま商売のネタにした、という形か。これが同社のCodasip studioという開発ツールのコアになった。

 ちなみに創業は2014年であるが、この研究そのものは2004年から始まっており、Masarik博士も博士課程を履修しながら別の会社(ATRON electronic GmbH Germany/ApS Brno)でこの研究テーマを利用したツール(Codasip Studioの前身にあたるもの)の開発などを行なっていたようだ。その後2014年に独立してCodasipを創業し、Codasip Studioに加えてRISC-VコアのIPの販売を始めるようになる。

 このCodasip StudioとRISC-Vコアの関係をまとめたのがこちら(図1)。同社の本丸は自分の必要なプロセッサコアを本当にスクラッチから構成できるCodasip Studioなわけだが、完全に自由に作ると命令セットも独自のものになってしまい、いくらソフトウェア開発ツールを提供されるといっても、ソフトウェアを全部揃えるのに手間が掛かる。そこでベースとしてCodasipが開発したRISC-Vコアに、必要に応じてカスタム命令を追加したり、カスタムロジックを追加できるようにすることで、柔軟性を高めるとともに性能を追求できる、というものだった。

【図1】2022年のRISC-V Days Tokyoにおける同社のスライドより

 そんなわけなので、当初の同社のビジネスはむしろCodasip Studioに重点を置いたものになっていたが、ここ数年はむしろRISC-V IPを重点的に販売する方向にシフトしていた。ただRISC-V IPのベンダーはそれこそ雨後の筍のように山ほどあるわけで、既にややレッドオーシャン化しつつある現状では、思ったように販売が伸びなかったのも無理ないところだろう。

 ちなみにMasarik博士は2021年末でCEOをRon Black博士(この人もRambusやらImaginationやらいろいろな会社のCEOを歴任されている方だが)にバトンタッチしていったんCOOにステップダウン、昨年(2024年)10月からはChief Innovation Officerに転じて経営そのものからちょっと離れる方向になっていた。

 今回の事業売却プロセスでは、Codasip Studioそのものと、そのCodasip Studioで開発されたRISC-Vコア、CHERI(Capability Hardware Enhanced RISC Instructions)、それと現在EUから資金を受けて開発中のアプリケーションプロセッサという4つのポートフォリオを単独あるいは連携して売却する事を目論んでいるらしい。何となくCodasip Studioを買収すると自動的にMasarik博士が付いてきそうな気もするが、さて買収先は見つかるだろうか?

Esperanto Technologies

 Esperanto Technologiesに関しては、同社の公式のリリースはない。ただ米EETimesでこの話が報道され、またRISC-V Days Tokyoでしばしば登壇されていた笠原栄二氏(Technical Marketing Manager, Sr. CPU Architect in R&D)も5月いっぱいで退職されたことがLinkedInで明らかになっている。現在の同社CEOであるArt Swift氏が先月、元従業員の職探し的なポストをしているあたりからも、EETimesの報道はほぼ確実だろう。

 Esperanto Technologiesについては2017年の後藤さんの記事の後はあまりアップデートが見当たらない(いや単に私がPC Watchで書いてなかっただけです)のだが、もう既に第1世代のET-SoC-1は出荷を行なっており、チップレットを利用した第2世代のET-SoC-2の設計も大詰めだったはずで、さらに第3世代のET-SoC-3についてはRapidusと2nmを利用した製造に関するMOUを2024年に交わしていた。

 ET-SoC-xシリーズは、いずれもRISC-VコアにVector Engineを増設した構成で、これを利用してAIの推論だけでなくトレーニングまで行なうことを想定しており、核となる技術は(いかにも創業者のDave Ditzel氏の設計らしく)ギリギリまで電圧を落とすことで高効率動作を可能とする(TSMCのN7プロセスを0.38V駆動で利用する:図2)というもの。

【図2】一番性能/消費電力比が良いのは0.32V付近だが、ただこれだと効率はともかく絶対性能が低すぎるということで、0.38V駆動程度になった模様

 これはSamsung SF4を利用予定だったET-SoC-2やRapidusの2nmを利用する予定だったET-SoC-3でも同じである。なんというか旧TransmetaのEfficeonの頃から、核となる技術があんまり変わらない(さすがにBody Biasではないと思うが)気もしなくはない。

 Esperanto Technologiesがうまく行かなくなった理由は恐らく資金不足だろう。単純な話で、それなりの数のエンジニアを雇ってシリコンまで製造するとなると、相応のコストがかかる。ET-SoC-1は確かに既に量産に入っているものの、それがこれまでの経費を全部回収してET-SoC-2以降の開発費を賄えるほど売れていたか?というとそんな話は全く聞こえてこないわけで、まぁその状況でいつまでもファンドが投資を続けてくれるとは思い難い。

 同社の製品ロードマップ(図3)を見ても、性能/消費電力比はともかくとして絶対性能的にはちょっと厳しい感じは否めないわけで、このロードマップをファンドがどう見たか、は想像に難くない。

【図3】ET-SoC-2が4つで1 PFlops/60~240Wというところ(Int8/FP8)。4.3~17.1TFlops/Wという効率は悪くはないが、絶対性能として見るとたとえばAMDのMI350XがFP8で36.9PFlopsのピーク性能を持つ(Sparsity有効だと倍の73.8PFlops)ことを考えると、結構厳しい

 Esperanto Technologiesについて筆者が思うのは、現CEOであるArt Swift氏のハズレくじの引きっぷりである。Swift氏は元々Sun Mircosystems時代にDitzel氏の部下となっており、以来TransmetaではDitzel氏の後を継いでCEOになり、同社の後始末に追われることになった。

 その後もWave Computingやprpl foundationなど、消えてなくなる会社の最後のCEOやら社長やらを務めることが多く、今回もまたEsperanto Technologiesの後始末をしているあたりに悲哀を感じる。以前お会いした際の印象で言えば個人的にはナイスガイだと思うのだが、そういう星の巡りあわせなのだろうか?

IAR Systems

 そもそも読者の中にはIAR Systemsを知らない方も多いかと思う。同社は組み込み向けの開発ツールというかコンパイラとデバッガ、これをカバーする開発環境(Embedded Workbench)を提供している会社であり、創業は1983年。ちなみにIARはスウェーデン語の「Ingenjörsfirma Anders Rundgren」の略で、英語表記だと「Anders Rundgren Engineering Company」の意味となる。

 名前の通りAnders Rundgren氏が創業した会社であり、1992年までRundgren氏がCEOを務めている。提供したのはさまざまなプラットフォーム向けのCコンパイラ(のちにC++も提供)とデバッグツール、デバッグプローブ、それと統合開発環境である。

 ちなみに創業したと言いつつも、2005年には同じスウェーデンのNOCOM(2008年にINTOIに改称)という会社に買収されており、独立したのは2011年頃のようだ。

 そんなIAR Systemsで2001年1月から2021年10月までCEOを務めたのがStefan Skarin氏である。2001年頃の売上とかがもう年次報告書を見てもよく分からなくなっているのだが、2005年におけるIAR Systemsの売上は9,390万スウェーデン・クローナ(SEK)、営業利益1,300万SEK。当時の換算レートだと1SEK≒15円ぐらいなので、売上が代替14億1千万円、営業利益1億9,500万円といったところだ。これがSkarin氏退任の2021年には売上が3億5,580万SKE、営業利益6,570万SKEまで増えている。

 ただこの2021年、Skarin氏は突如取締役会によりCEOを解任されている。解任理由は未公開のままである。強いて言うならグラフ1に示すように、2018年までは順調に売上/営業利益共に増加していったのが、2019~2021年はちょっと不調に陥っており、取締役会としてもこのまま座視できなかったというあたりだろうか?

【グラフ1】IAR Systemsの売上推移

 その後Richard Lind氏が暫定CEOを経て正式に就任するが、2024年3月にに60歳を迎えたということで引退を表明し、同年10月1日に後任としてCecilia Wachtmeister氏がCEOに就任した。

 さてここで冒頭の話である。リリースによれば、ノルウェイのQt Group Plcの子会社であるThe Qt Company Ltdが7月4日、IARに対して公開買付提案を行なっている。条件はIARの全株について1株あたり180SEKの現金を支払うというもので、これはNASAQストックホルムの7月3日におけるIARの株価の終値である108.2SEKに66.4%のプレミアオプションを付けたものとなっている。

 既に同社の大株主であるFjärde AP-fonden、Aktia Nordic Small Cap Fund、およびAktia Nordic Micro Cap Fund(合計で約10.9%の株式を保有)は同提案を受諾する意向を表明しており、また取締役会も全員一致で株主に対してこの提案を受諾することを推奨する、としている。ちなみに取締役会には経営陣が一切含まれていない(もしWachtmeister氏が取締役会にいたら、全員一致になったかどうかちょっと疑問が残るところだ)。

 The Qt Companyはさまざまなプラットフォーム向けのGUIツールを提供しているベンダーである。身近(?)なところで言うと、AMDのCPUやGPUを入手してドライバをインストールする際のインストール画面とか、インストール後のRadeon Settingsの画面とかが実はQtで作られている。

 元々はLinuxのGUIのToolkitというかフレームワークで無償提供されていたものだが、途中からいろいろ紆余曲折あって、現在は有償の組み込み向けグラフィックスフレームワークと開発ツールをThe Qt Company Ltdが提供している。このQtの方もいろいろあって、つい最近technology-agnostic Qt ecosystemなるプランを発表したりするなど、ラインナップやエコシステムの拡充に余念がない。

 実はこっちはこっちでQt Design StudioやQt Designer、最近だとQt Creatorといったツールが開発されているが、顧客の中には既にIAREW(IAR Embedded Workbench)を利用しているところも少なくないため、IAREW用のQtのプラグインが提供されたりしている。もっとも機能が被っているところもあってりして、どう使い分けるかが結構難しかったりするのだが、今回の買収提案は、technology-agnostic Qt ecosystemの一環だと考えると理解はしやすい。

 IARの方は?というと、以前に比べるとアドバンテージがだんだん薄れてきているのは事実である。統合開発環境も、以前のEclipse IDEベースの競合製品にはアドバンテージがあるが、最近この分野はMicrosoftのVS Codeベースになっており、使い勝手はどうかするとVS Codeに軍配が上がりかねない(IAR自身VS Code用の拡張機能を提供している)ほどだ。サポートする言語がC/C++のみというのも問題で、昨今のPythonベースでの開発とか、新たなトレンドとしてはRUSTの対応とかは後手に回っている。

 なので他社にないメリットと言えばIARのDebug Probe(I-jet/I-jet Trace)ぐらいだが、これも競合製品は存在するからIAR「だけ」というものに欠けるのは事実だ。これは、たとえば自動車業界向けのMISRA:C対応とかも同じである。あとIARそのものはGUIには一切手を出しておらず、競合であるSeggerのemWinのようなものがないのもデメリットとして挙げられよう(その分Qtとの協業を進めてきたわけだが)。

 買収提案の承諾期間は今年8月18日から9月25日頃までだそうで、第3四半期中には決着がつきそうだ。また1つ、独立系開発ツールベンダーが消えることになるのかもしれない。

MIPS

 今回の一連のニュースの中で一番意味が分からなかったのがこれ。GlobalFoundriesMIPSの両方からリリースが出ているが、中身は同じである。

 このリリースが出た直後、米国EETimesがMIPSのSameer Wasson氏にインタビューを行なっており、MIPSの立場から見た今回の買収のメリットが語られている。まぁこちらは良い。率直にいって現在のMIPSは旧MIPSアーキテクチャを捨ててRISC-V一本鎗になっており、ただ財政的には決して楽ではない状況である。この先の開発を進めるのに、GlobalFoundriesがバックにつくのはもちろんメリットしかない。

 問題はGlobalFoundriesの側のメリットであり、これが思いつかない。現在のMIPSが提供するIPはP8700I8500シリーズで、どちらも最先端とまでは言わないが、7nm以下のプロセスで製造しないと競争力に欠けるが、GlobalFoundriesは先端プロセスが12nmどまりである。

 要するに自社の子会社で提供するIPを使ってASICを作るにあたり、TSMCなりSamsungなりの外部ファウンダリを利用することになる。自社のファブで製造できないチップ向けのIPを提供する子会社にどんな意味があるのか?という疑問は誰しも抱くところだろう。

 これもちょっと悩んだのだが、思いついたのはAvera Semiconductorの代わりということだろうか?GlobalFoundriesは、IBMから2015年に半導体事業を丸ごと買収したのだが、その中で半導体の設計などを行なう部門を2018年にAvera Semiconductorという子会社として分離した上で、2019年にMarvellに売却している。当時の事情からすると、先端プロセスの製造を諦めた同社が先端プロセスを利用したASIC設計子会社を保有していても仕方がない、という判断だったのだろうし、少なくとも2019年の時点では正しい判断だったと思う。

 これが変わってきたのは、今年(2025年)に入って新たにパッケージビジネスに参入したことである。これに絡み、6月にはアメリカ国内の製造施設に160億ドルの投資をすることも発表している

 ただ、先端プロセスは12nmのFinFET留まりで、あとはRFとか特殊用途向けにFD-SOIの製造しかできないし、その先のプロセスを開発するといった話がない以上、この投資の結構な部分が新たなパッケージビジネス向けということになる。シリコンインターポーザやその先の大きな基板を利用した有機インターポーザ、あるいは3D積層といった技術を利用したパッケージの生産を手掛けると考えるのが普通だが、その際に必要になるのはそうした技術を実際のチップに落とし込む際の設計の手伝いである。

 AMDとかIntelのように、そうした技術を自前で開発できる会社はそう多くないから、普通はそうしたパッケージ設計を行なう会社に委託することになる。GlobalFoundriesもパッケージビジネスを本格的に行なおうとしたら、そうした設計を行なえるサービスを自前で顧客に対して提供しないといけないわけだが、もうAvera Semiconductorを手放してしまった同社にはそういうリソースがない。今回MIPSを買収したのは、そのMIPSにRISC-Vコアの開発以外にチップレット設計のサポートまで担わせたいのではないか?というのが筆者の推測である。

 これはこれで無理がないか?と言われればいろいろ穴があるのは認めるが、でもほかにどんな理由が?というと正直思いつかない。謎の多い買収劇である。