大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

【短期特集】40年目を迎えた「EPSON」ブランドの歴史を紐解く

~【第3回】ヒゲ剃りやカラオケ、ロボットも? エプソンが作り上げた数々の製品たち

長野県諏訪市のセイコーエプソン本社内にある「ものづくり歴史館」

 今年(2015年)、ブランド制定から40周目を迎えた「EPSON」。1968年9月に出荷を開始した大ヒット製品の小型軽量デジタルプリンタ「EP-101」の型番を使い、「EP-101の子供(SON)たちが、世の中に多く出ていくように」という願いを込めて制定されたのが「EPSON」の語源であった。

 そして、この40年の歴史の中で、EPSONは数多くのエポックメイキング(画期的)な製品を世の中に送り出してきた。現在では、プリンタやプロジェクタが事業の柱となっている同社だが、ポケット液晶TV、ロボット、半導体製造装置などのほか、ひげ剃りや眼鏡用レンズ、ハンディ型カラオケシステムなど、今のエプソンからは想像ができないような製品を市場投入していた時期もあった。

 長野県諏訪市のセイコーエプソン本社には、「ものづくり歴史館」が設置されている。本社敷地内にあるため、広く一般に公開されている施設ではないが、このほど、ものづくり歴史館を訪れる機会を得た。セイコーエプソンの歴史を、数々のエポックメイキングな製品を通じて辿ってみたい。

エプソンの歴史的製品が展示されている

セイコーエプソン黎明期のエポックメイキングな製品

 セイコーエプソン黎明期のエポックメイキングな製品を3つ挙げるとすれば、小型軽量デジタルプリンタ「EP-101」、世界初のクオーツ時計「セイコークオーツアストロン35SQ」、そして、東京オリンピックにも使用された小型水晶時計「セイコークリスタルクロノメーター QC-951」であろう。いずれも、それまでにはなかった製品を、セイコーエプソンが持つ、“エネルギーを省く”、“モノを小さくする”、“精度を追求する”という「省・小、精」によって作り上げ、世の中に送り出したものだ。まさに、セイコーエプソンのDNAを受け継いだ製品たちと言えるだろう。

EPSONブランドの由来となった小型軽量デジタルプリンタ「EP-101」は、1968年9月に発売された。それまでにはなかった小型化と、高い耐久性を実現したことから、世界中で大きな反響を呼んだ製品。写真はミニプリンタ出荷1億台を記念した金メッキモデル
精密加工技術とエレクトロニクス技術の融合によって登場した世界初のクオーツ時計「セイコークオーツアストロン35SQ」。時計史に革命を生んだ製品だ。1969年12月に発売。IEEEのマイルストーン賞にも認定されている
セイコークオーツアストロン35SQの内部構造。時間精度は月差±5秒という高精度を誇った
水晶時計用の水晶振動子。クオーツアストロン35SQに搭載されたものだ
世界初のAC電源不要のポータブル型高精度水晶時計「セイコークリスタルクロノメーター QC-951」。ロッカーほどのサイズだった水晶時計を携帯できるサイズに小型化。単一乾電池2本で1年間動作。東京オリンピックなどでも利用された。1963年9月に製品化した

「東洋のスイス」で作られた腕時計

 セイコーエプソンは、1942年に設立した大和工業をルーツに持つ。当時は、第二精工舎の協力工場としてスタート。味噌蔵を改造し、輪ぶりと呼ぶ時計部品の加工が始まりだ。そして、部品加工から製品製造へとシフト。諏訪が「東洋のスイス」と呼ばれるきっかけとなった歴史的製品とも言える「5型腕時計(婦人用)」が生まれることになる。ものづくり歴史館では、EPSONブランドが生まれる前の部品や製品なども展示している。

セイコーエプソンの沿革。大和工業に端を発している
大和工業創業者である山崎久夫氏。諏訪に「東洋のスイス」を作り上げた人物でもある
大和工業の第1工場の様子。食品会社から購入した土地にあった味噌蔵を改造してスタートした
1942年の事業開始当初の様子。中央が山崎氏。「場長」と呼んだという
大和工業が生産していた輪ぶり。正確に振動する振動体(調速機)と、それが歯車を1個ずつ規則正しく回るようにする装置(脱進機)で構成される
時計の裏面から見たところ。矢印のところに使われているのが輪ぶり
1942年に作られた番人時計。輪ぶりを使用した時計であり、大和工業はこの中に使用されている輪ぶりを生産していた
精工舎で作られた置時計。「SEIKOSHA」のブランドが入っている。この中にも輪ぶりが使われている
55秒信管。戦時中は、兵器部品も生産していた。ここにも時計の精密技術が活かされているという。これは試作段階で終戦となった
こちらは二式13粍機銃弾。これも試作段階で終わったものだ
人工水晶の生産を行なう製造炉の模型。鋼鉄製のものであり、水熱温度差法により育成するという。この製造炉の筒は、大砲の筒に活用した精密加工技術を活用したものだという
1946年1月に同社が独自に作り上げた最初の時計「5型腕時計(婦人用)」。徹夜の作業で4個が完成し、そのうち動作したのは2個だけだった
1950年に発売した「10型中三針スーパー」。7年間に渡って生産され、100万台以上が生産された
1963年に開発されたプリンティングタイマー。時計計測機構と時刻印刷機構を組み合わせたもので、東京オリンピックでも使用された。「EP-101」の源流となる製品
セイコーエプソンが開発したミニプリンタ製品の数々

EPSONブランドの存在感を高めた世界初の製品たち

 セイコーエプソンには、いくつもの世界初の製品がある。そして、それらの製品が新たな市場を開拓し、EPSONブランドの存在感を高めてきたとも言える。その一方で、水晶技術や半導体技術においても長年のノウハウを持ち、それがEPSONの省・小・精のものづくりを下支えしてきた。ここではエポックメイキングな製品、そして技術を追ってみよう。

1973年に発売したデジタルクオーツ「06LC」は世界初の6桁液晶表示に対応。当時のデジタル時計は時間を見る時スイッチを押すスタイルだったが、06LCは低省電力技術によって、時、分、秒を常時表示できた
世界初の液晶TVウォッチ「T-001」。Apple Watchよりも34年前に製品化されていた。ギネスブックに世界一小さいTVとして登録された
こちらは2000年に開発した腕時計サイズの携帯情報端末「クロノビット」。PDAの基本機能を全て腕時計サイズに埋め込んだという
世界初の液晶ポケットTV「ET-10」。セイコーエプソンが持つ半導体技術、液晶技術、高密度実装技術によって実現した製品で、2型のTFT液晶を搭載。1984年に発売し、テレビアンの名称で人気を博した。価格は84,800円
こちらは「ET-10」の試作機。「SUWA SEIKOSHA」と「EPSON」のブランドが入っている。1983年に開発され、SID(Society for Information Display)で技術発表した
ポケットTVの製品の数々。この分野でのリーディング企業としてさまざまな形状の製品を発売。毎年、進化させていった
3板式の液晶パネルを使用した世界初のプロジェクタ「VPJ-700」。現在のプロジェクタ事業の原点と言える製品
1986年に米サンディエゴで開催されたSID(Society for Information Display)に出品した世界初の3板式液晶プロジェクタのプロトタイプ
1986年に完成した液晶プロジェクタの量産向けプロトタイプ
2007年にはDVD一体型プロジェクタ「dreamio EMP-TWD10」を発売
セイコーエプソンの最先端の時計技術を支えた水晶振動子や水晶発振器の製品群も数多く展示されている
1978年に開発された世界初のメロディIC。目覚まし時計向けにメロディ音、チャイム音、ブザー音の3種類を鳴らすことができた
半導体技術を持つのもセイコーエプソンの特徴。半導体分野では時計への活用のほか、CMOS ICゲートアレイ、CMOS ICメモリなどとして外販された

世界初のターミナルプリンタなど、プリンタ事業を躍進させた製品たち

 「プリンタのエプソン」の原点は、EP-101であるが、その技術とノウハウを活用して製品化したのが、PCに接続して利用できるプリンタの開発であった。原点となったのは、世界初のターミナルプリンタ「TP-80」。そして、その後継機種となった「MP-80」は幅広いPCユーザーが利用できる製品として全世界から大きな注目を集めることになった。その後もセイコーエプソンはプリンタ事業を加速。インクジェットプリント技術の開発によって、カラー化や写真画質において先行。プリンタ市場をリードしていくことになる。

セイコーエプソンのプリンタ事業の系譜
プリンティングテクノロジの変化
世界初のターミナルプリンタとなった「TP-80」。PCやPOS端末などにも活用され、ローコストながら80桁の印字ができる点がウケた
1980年に発売したMP-80は、個人がPCにプリンタを接続して利用する時代の幕開けを導いた製品とされており、「プリンタのエプソン」のイメージを築き上げた
セイコーエプソン初のインクジェットプリンタ「MP-130K」。静音性、高速性、鮮明性という点で、当時主流のインパクトドットプリンタを凌駕したが、491,000円という高い価格が足かせとなりヒット製品にはならなかった
1987年にターミナルプリンタの累計出荷が1,000万台に到達したことを記念してゴールド塗装されたLQ-1050。インパクトトッドプリンタの標準機として高い人気を誇った
ターミナルプリンタ出荷1,000万台出荷記念式典の様子
カラービデオプリンタ「CV-5000」。碓井稔社長が開発に携わったものだが、「技術先行で顧客のニーズを無視した」と自ら反省する苦い思い出の製品
レーザープリンタも長い歴史を持つ。1993年に発売したLP-8000。展示品には、当時、イメージキャラクタを務めていた飯島直子さんのシールが貼られていた
同社が開発したMACH(マッハ)テクノロジを採用したMJ-500。1993年に発売した製品
1994年に発売した世界で初めて720dpiを実現したカラーインクジェットプリンタ「MJ-700V2C」。93年に開発したマイクロピエゾヘッドによって、優れたドット形状を確保。国内出荷35万台を誇り、年賀状のカラー印刷を自宅で行なうという使い方を定着させた
1996年に発売したPM-700Cは、初のフォトマッハジェットシリーズの製品。基本4色に、ライトシアン、ライトマゼンダを加えた6色インクを採用。銀塩写真に迫る高画質を実現した製品として大ヒットした
「プリントン」の名称で発売したインクジェットプリンタ「PT-100」。PCを使用しなくてもデジカメで撮影した写真を簡単に印刷できた
1998年に発売した初のラージフォーマットプリンタ「PM-9000C」。A0判で約10分の印字速度を実現。出力業者への委託が主流だった広告やポスター、POPの作成をオンデマンドで内製化することができた
カラリオスキャナーとカラリオプリンタを一体化し、「カラリオコピー」の名称を持ったCC-700
海外向けに出荷したStylus C-80。コンシューマ向け製品として世界で初めて普通紙対応顔料インクを採用したプリンタ。独立式インクカートリッジも採用している
2002年に発売した新たな顔料インク「PXインクテクノロジ」を採用したPM-4000PX。2800dpiを実現し、プロカメラマンやデザイナー、ハイアマチュアなどから高い評価を得た
2003年に発売した「PM-A850」は。本格的なA4対応フォト複合機として注目を集めた。つよインクの採用のほか、携帯電話からのダイレクトプリントにも対応した
ダイレクトプリントが可能なカラリオミー「E-100」。女性が使いやすいプリンタを作るため、女性だけで構成されたプロジェクトチーム「Team8」により企画された製品だ。2004年に発売された
2007年に発売したオフィリオブランドのA3モノクロレーザープリンタ「LP-S4000PS」。100万ページの印刷が可能だ
中国・深せんにおけるレーザープリンタの生産ラインの様子
2007年に発売したMAXART PX-20000。新世代高速ヘッド「マイクロピエゾ TFヘッド」を搭載した第1号機。深い海の色などの再現を可能にした
2008年に発売したEP-901F。再び、プリンタに「EP」型番を搭載した意欲的な製品。生活空間に溶け込むことを狙った製品
2010年にインドネシアなどの新興国向けに発売した大容量インクタンクを搭載したインクジェットプリンタ「L200」。海外戦略の主力製品の1つに育っている
ちなみにエプソンプリンタは宇宙でも活躍している。1998年に打ち上げられたスペースシャトル「ディスカバリー」に搭載され、宇宙空間において、実験レポートの印刷や写真の印刷など、500ページ以上が印刷されたという

エプソンダイレクトへと続くPC事業の始まりの元は“会計事務所向け専用コンピュータ”

 現在、エプソンダイレクトで継承されているPC事業は、EPSONブランド初の製品である会計事務所向け専用コンピュータ「EPSON EX-1」が始まりだ。その後医療事務所向け、ガソリンスタンド向けなどの製品を開発する一方、ハンドヘルドコンピュータの開発で世界的な成功を収め、ワープロ専用機の投入、海外でのIBM・PC/AT互換機の投入、そして日本でのPC-9800互換機の投入といったように事業を拡大していくことになる。ちなみに「EPSON EX-1」で開始した会計事務所向けの事業は、現在でも財務会計ソフト製品として継続されている。

セイコーエプソンのPC事業の変遷
1982年に発売した世界初のハンドヘルドコンピュータ「HC-20」。A4サイズにディスプレイ、キーボード、プリンタ、マイクロカセットを収納。1.7kgでバッテリ駆動が可能。累計出荷は25万台という大ヒットとなった。価格は138,000円だった。
1983年に発売した日本語ワープロパソコン「QC-10」。OSにはCP/Mを搭載し、日本語ワープロと一体化。さらにFDDを搭載した点で注目を集めた製品だ。当時の広告コピーは「コンピュータが日本語に恋をした」
キーボードのファンクションキーは日本語入力に最適化した操作に割り振られていた
セイコーエプソンはオフィス向けPC製品として「EQUITY」シリーズも用意していた。写真は1986年に発売した「EQUITY II」
ワープロ専用機市場には「ワードバンク」の名称で展開。写真は1986年に発売した「ワードバンクF」(PWP-800F)
プリンタを持たないワープロ専用機として注目を集めたワードバンクノート。1987年に発売した製品だ
会計事務所向けオフコンは長年継続していた事業の1つ。写真は1987年に発売した「KX-30」
PC-9800シリーズ互換機の「PC-286モデル0」。CPUには名称通りに80286を搭載。OSにはMS-DOS Ver3.1を搭載していた。NECのPC-9800シリーズよりも高い性能を持った製品を投入することを目指し、処理性能は25%以上高速化したものを実現したという。1987年に発売した。価格は357,000円。
1989年に発売したPC-286BOOK。本体サイズの厚さは63mm、重さ4.3kgながらも、3.5インチFDDを2基標準搭載して注目を集めた。価格は258,000円
1989年に98互換機で100万台を出荷したことを記念した模型。1996年までに累計166万台を販売したという
1989年に発売したPC-286NOTE executive。徹底的に薄さを追求した製品で、458,000円という価格にも関わらず大きな反響を呼んだ。BOOKをスタンダードモデルとする一方で、NOTEを高付加価値モデルと位置付けていた
1992年に発売したPC-486GR。486SXを搭載して、458,000円の価格設定だった
1993年に発売したPC-486 PORTABLE。2-in-1パソコンの走りとも言える形状を実現した製品だ。価格は288,000円
エプソンダイレクトによるEndeavorブランド第1号製品となった「Endeavor AT-1000」。直接販売だけの取り扱いであり、発売初日には同社コールセンターのエリアを管轄していたNTT塩尻局の交換機が一時不通となる事態に陥った。価格は98,000円から
CADやCGなどのプロユースにも対応可能なフラッグシップモデルの「Endeavor Pro4000」。拡張性の高いタワー型筐体を採用していた。2006年の発売
グラフィック性能にも優れたノートPCとして発売した「Endeavor NA802」。Centrino 2プロセッサを搭載し、自己治癒コートなどの機能も持つ
Endeavor Na03mini。AtomプロセッサN470を搭載したネットブック。最小構成の価格は39,900円から

エプソンが作った意外な製品たち

 セイコーエプソンは、事業の多角化を指向し、それとともにさまざまな製品分野に進出している。それらは、時計やプリンタなどで培ってきた技術を応用したものが多い。ここので最後に、これまでエプソンが投入してきた意外な製品群を見てみよう。

世界最小のマイクロロボット「ムッシュ」。わずか1立方cmの銀製ボディに98個の部品を組み込んで自律自走することができる。ギネスブックには世界一小さいロボットとして登録された
ムッシュを構成するパーツ群。セイコーエプソンのマイクロメカトロニクス技術が数多く活用されている
マイクロフライングロボット「μFR-II」。世界最軽量のドローンとも言える製品。2004年に開発したものだ。重量はわずか8.6g。飛行時間は約3分であった
1968年に時計分野以外の初の製品として投入したのが電気シェーバー「ES-102」。時計製造の技術を活かして、国内初の電鋳法加工による外刃を実現したという
左が女性用シェーバー「ES-818」、右が業界初のアラーム機能付回転刃を搭載した「ES-629」
シェーバーの外刃の生産には、セイコーエプソンの時計製造技術のノウハウが活かされている。雑誌「暮らしの手帳」で切れ味抜群と評価されていた
ひげ剃りの技術を活用して1985年に製品化した毛玉とるとる「KS-200」。爆発的ヒットとなった
カラオケブームに乗って開発したハンディーカラオケ「まめから MK-200」。マイクとスピーカーを一体型とし、片手で気軽にカラオケを楽しむことができた
プラスチック製メガネレンズ「ビスタプラックス」。1975年に発売。プリンタ、シェーバーに続く3つ目の新事業分野に位置付けられていた
メガネレンズは、時計のカバーガラスやケースに使われていたプラスチック加工技術が活かされて製品化されたものだ
ハードコンタクトレンズの製品化も行なっていた。酸素透過性ハードコンタクトレンズとして「ポリコン」のブランドで販売。その後、セイコーハードなどの製品も投入した
1981年に開発した初のスカラ型ロボットのプロトタイプ。時計の自動組立用として開発し、その後、外販も開始した
FDDにも、セイコーエプソンは積極的に取り組んでいた。これは業界初となる28mmの薄さを達成した5.25インチFDD「SD-250」
世界初の板金フレームラック&ピニオン構造を実現した3.5インチFDD「SMD-480L」。全社プロジェクトによって製品化したものだ
3.5インチと5.25インチを搭載したFDD「SD-880」。ディスク形状の変化に伴ってこうした製品も市場投入していた
セイコーエプソンが投入していたFDDの数々の製品群
セイコーエプソンのストレージ事業の最終製品となった3.5インチFDD「SMD-1340」
スキャナーでもヒット製品を数多く投入していた。写真は1998年に発売したGT-7000。世界的なヒットとなった
世界最小ペンタイプのデジタルマルチメーター。1983年に発売したテスターだ
電子体温計を発売していた時期もあった。これも世界最小を打ち出した製品だった
1989年には、電子英訳機も製品化。文字を読み取るとそれを英訳してくれた
デジタルカメラ市場に参入していた時期もあった。セイコーエプソン初のデジカメ「CP-100」。1996年の発売だ
ティアドロップデザインと呼ぶユニークな形状を持ったデジカメ「CP-80Z」
「カラリオフォト」の名称を持った大口径3倍ズーム搭載の「CP-920Z」。2001年の発売
世界初のレンジファインダーデジタルカメラ「R-D1」。2004年に発売した製品
2007年に発売したマルチメディアストレージビューワ「Photo Fine Player P-3000」。4型の液晶ディスプレイと40GBのHDDを搭載したスタンダードモデル
液晶リアプロジェクションTVも商品化していた。57型ディスプレイの「ELS-57P1」
CDやDVDを手軽に作成できるデュプリケーター「PP-100」。データの書きこみと、ディスク表面の画像印刷が一度にできるという
エプソン・クラシック・CDコレクションは、光メモリなどの研究開発を通じて培ったスタンパ製作技術を活かして、音楽CDの制作を手掛けたこともあった。1993年から製品化。EPSONブランドが入ったCDボックスも製品化された
1986年に発売したワードバンクペン「PWP-PEN」。手書き入力が可能な端末。その後のハンディワープロ「えどぺん」にも繋がる
GPSを搭載した情報端末「Locatio」。位置情報を元にコミュニケーションを行なうことができる。1999年に発売したものだ
Locatioの前身となったタブレット端末「MCモベリオ」。98互換機事業の終息後、持ち歩けるPCとして開発したという
コードレス電話市場にも参入。1991年に発売した「WR-250A」
セイコーエプソンは技術供与でも実績を持つ。世界初となるカメラ用日付写しこみモジュールは、写真に日付を写し出すという機能を初めて実現。多くのカメラに搭載された
セイコーエプソンが最初に開発した液晶プロジェクタはコダックにOEMされた
バンダイナムコの大ヒット製品「たまごっち」の液晶部にもセイコーエプソンの技術が活用されていた
プラスチック基板TNパネルは、カシオのフィルムカード電卓に採用
日立が製品化していた携帯電話にはセイコーエプソンの液晶技術を活用
MAXへOEMしたテープワープロ「LM-200」。1990年に発売された
キングジムのラベルライター「テプラ」シリーズも、実はエプソンで生産されていた

(大河原 克行)