山田祥平のRe:config.sys

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 世の中にOSを名乗るプラットフォームはたくさんある。Windows、macOS、Android、iOS、Linuxなどが広く使われている。ごく普通の人にもOSという用語が通じるようになったといってもいいし、逆にOSの存在をまるで意識しないで済むようになってもいる。ただ、OSごとに、作法が大きく異なるというのは懸念でもある。スマートデバイスの差異化がそこで勝負されていいのだろうか。

UI、UX標準の重要性

 OPPOから7月に発売予定のスマートフォン「Find X3 Pro」を使ってみた。OPPOの製品を使うのは久しぶりだ。発売前の実機なので、なんともいえないが、Pokemon Goのグラフィックスがギクシャクしてゲームにならないので、いろいろと調べてみたら、デフォルトで画面のリフレッシュレートが「高品質」(120Hz)になっていた。それを「標準」(60Hz)に設定したら快適に使えるようになった。また、充電時の挙動で気になる点が散見されるが、このあたりは、正式リリース後に試してみたい。それ以外では、すこぶる心地のいい端末だ。もうちょっと軽量ならとは思うが、193gという重量ももがんばっている。

 OPPO Find X3 ProにはAndoroid 11をベースにしたColorOS 11が搭載され、Android OSにさまざまな拡張が施されている。とはいえ、ColorOSは、独自のOSというよりも、Android OSのUI、UXを拡張するシェルに近いイメージだ。もっとも、AndroidもそのカーネルはLinuxなのだし、macOSやiOSはBSDやMach出自のUNIXカーネルだ。各種OSを拡張したプラットフォーム全体をOSと指すことが多くなり、OSという概念はちょっと変わってきつつもある。

 Googleは、Android OSスマートフォンのリファレンス的存在として、Pixelシリーズの提供を続けている。これまでのパターンでは、秋に無印、春にaシリーズをリリースしてきたが、最新機は、昨秋以降に登場した「Pixel 5」と「Pixel 4a」、「Pixel 4a(5G)」となっている。いわゆるPure Googleデバイスとして、Googleの提供するサービスを快適に使う環境のお手本を担う存在だ。

 PCの世界では、1990年代のはじめ頃、各社がWindows 3.1を少しでも使いやすいものにしようと、工場出荷の段階で各社各様のアプリランチャーやシェルを実装してプリインストール、同じWindowsなのにまったく違うとユーザーが大混乱した時代があったが、2000年頃以降は、次第に、独自展開は収束し、どのメーカーのどのPCでも、そう大きく変わらない体験が得られるようになっている。

 逆にいうと、どのPCも処理性能以外はそう変わらないという没個性にもつながるわけだが、誤解を怖れずに言えば、個人的にはその方がいいと思っている。というのも、ある種の標準があって、誰もがそれを手に入れることができなければコモディティとして不便だからだ。そこをスタートとして、拡張の自由度があればそれでいい。

 それは、クルマのアクセルとブレーキの存在にも似ている。初めてプリウスに乗ったとき、そのキーを使ってエンジンを始動するためにどうすればいいのか、めんくらったのを覚えているが、そういうことはあまりないほうがいい。これから自動運転が一般的になっていく中で、同様のことが起こり、アクセルとブレーキのUI、UXにも影響があるかもしれない。ここは慎重に議論しなければならないポイントだ。

 どのメーカーのどの製品でも基本的に同じように使えることは、同じカテゴリのコモディティでは重要な要素だ。iPhoneをAndroidスマホに、あるいはその逆にした時の違和感はある程度仕方がないし、それはWindowsとmacOSでもいえることだ。でも、同じAndroidスマホなのに、使い方が大きく異なるというのはよくない。「みんな違うと困るし、みんな同じだとつまらない」というコラムで指摘したような混乱は起こらない方がいいに決まっている。

みんな同じにできることも大事

 「らくらくスマホって本当に必要か」を書いたのは、行きつけの居酒屋で、知り合いかららくらくホンの操作方法を尋ねられたのがきっかけだった。2018年のことだが、これからきっと問題になっていくだろうなと感じたのを覚えている。

 今、教育現場でのPC 1人1台体制が整備されていこうとしているが、iPad、WindowsPC、Chromebookという3種類の環境があり、学校や自治体ごとにそれが異なることで、将来的な影響はないのかどうか。もっとも、そのくらいのことはカンタンに乗り切れるくらいに柔軟な頭を持っている若い世代こそが、これからの日本を担っていくと考えればいいのかもしれない。ただ、その環境の選択が、教わる側ではなく教える側の論理で成立しているのだとすれば心配にもなる。

 OPPOのColorOSは、以前は独自性が強く感じられたが、今、改めて最新バージョンをさわってみると、少なくとも、デフォルトの状態では、PixelでのPure Google体験に近いものが得られ、エンドユーザーが各種の機能をオンにしていくことで機能を拡張できる。つまり、何ができるかではなく、何をできるようにさせられるかというスタンスだ。

 このポリシーでは、持てる機能に気がつかないエンドユーザーも出てくるだろう。でも、向上心さえあれば、機能を掘り起こせる。それでいいんじゃないかと思う。それに、いったんアプリの世界に入ってしまえば、OSについてはあまり意識しなくてすむので大きな問題にはつながらない。

 そういう意味でも、らくらくホンのような製品は、「らくらくOS搭載」を名乗り、その拡張機能をオフにすることで、標準的なAndroidのUI、UXが得られるようにしておいたほうがいいのではないだろうか。これからスマートデバイスをより多くの人が日常的に使うようになることを考えると、そのデバイスの操作は、その人の中だけに完結していればいいというものではなくなっていく。

 今も、チェーンの飲食店などで、クーポン提示で割引などがある場合、アプリの操作がわからない時に、従業員に操作してもらったりしているシニア層を見かける。この光景が、役所などの公共の場での日常茶飯事になるに違いないのだ。ワクチン接種のようなことのためにもスマートデバイスの操作が必須というのはこれからの世の中では新しい当たり前になる。一般市民のスマートリテラシーの向上に期待すると同時に、つまらないかもしれないけれど、みんな同じという面をきちんと考慮しておかないと、やっかいなことになりそうだ。