山田祥平のRe:config.sys
電子メールの作法と社風あるある
2019年4月19日 06:00
デジタルトランスフォーメーションの時代だそうだ。国も企業もこぞってデジタル移行をたくらんでいる。それでもこれがなかなか進まない。四半世紀前は最先端だった電子メールコミュニケーションでさえ混乱をきわめ、インスタントメッセージやグループウェアに押され気味だ。でも、その本格的稼働の日は遠い。
メールとともに走り続けた昭和から平成
「メールしておきましたから目を通しておいてくださいね」と電話がかかってくる。忠犬FAXと呼ばれるファクシミリ時代と同じように、メールの時代になっても、あいかわらず、そんな笑えない話があったりする。今でもだ。
個人的にはいつの頃からか、届いたメールを整理するのをあきらめた。大事なメール、そうでもないメール、プライベートのメールと、いろいろあるが、もう、ほとんどすべてのメールを1つの受信トレイに入れっぱなしだ。
唯一、整理しているのは、毎日、各社から届くプレスリリースと、いつ登録したのかもわからない各企業から届くメールマガジンなどをnewsというフォルダに移動するだけだ。これらのメールが受信トレイにおいたままだと、あまりにも数が多すぎて、ザッと一覧を見るときのノイズになってしまい、肝心のメールを見落としてしまうからだ。
フラグをつけるといったことも試したが、結局はなにがなんだかわからなくなってしまう。立てたフラグを降ろすことを怠ってしまう結果だ。振り分けなどで分類を自動化する手もあるが、一応、タイトルくらいには目を通しておきたいので、手動で選りわけるようにしている。
ぼくがメールクライアントとして使っているのはOutlookだ。メールそのものはOffice 365にホスティングしているのでメールの実体はクラウドにある。ローカルで読むのはそのキャッシュだ。それでも、すべてのメールをキャッシュするようにしている。もっとも古いメールは1995年のものだからほぼ25年前だ。確認すると総メールサイズは38GBある。これを持ち歩くすべてのPCでそれぞれキャッシュしている。
もしOutlookに検索の機能がなかったら、自分の仕事は破綻しているだろうと思う。メールそのものを仕事の道具として使いはじめたのは、パソコン通信の時代からなので、たぶん1985年頃だ。まさに昭和である。昭和の時代にはじめたメールで平成を駆け抜けた。当時のメールもテキストファイルで保存してあるが、容量的にはたいしたサイズではない。
名刺よりもメールのはずが
はじめて会った相手とは、名刺を交換するが、いつのころからか、その名刺の整理もしなくなってしまった。転職も多いし、そもそも電話番号もあまり意味がない。それに大きな組織では、その構成系統がしょっちゅう変わるので、部署名が変わったりして1年前の名刺はほとんど役にたたない。
それよりも、なんとかしてメールを送る、メールを受け取るなりして、一度は電子的につながりをもっておき、それを保存しておけば検索にひっかかる。そのほうがずっと確実だ。
部署名という点では、最近受け取るメールは、署名として社名しか書かれていないものが少なくない。何千人、何万人もの社員がいる会社で、当たり前のように会社名しか書かれていなかったりするのだ。
いつもメールで連絡をしていて、たまたま相手の会社でリアルで会おうとするときに、受付で部署名がわからず、途方に暮れることもある。また、貸し出し機材などを宅配便で返却するときにも、郵便番号がわからない、住所がわからない、電話番号がわからない、そもそも部署名がわからないといったことがある。
そのメールは誰に読んでほしいのか
メールの本文は本文で、とにかくToとCCに相手アドレスが複数並んでいて、一連のやりとりの履歴が1通のメールを読めばすべてわかるようなものが多い。逆の言い方をすると検索機能の存在を信じていない。話題が変わったら件名を変えてほしいなとも思うのだが、絶対に件名を変えないというのも1つの文化らしい。
添付ファイルについても文化が異なる。多くの場合、本当はどんなに大きなファイルでも添付ファイルにしたいのが本音のようだ。だが、企業ごとにメールで送受信できる添付ファイルのサイズ制限があって、それにひっかかってしまう場合にのみ、クラウドストレージを使うらしい。小さなファイルでもクラウドに置いてそのURLを書いておけば、ファイルを改訂してもそのまま参照できるので便利なはずなのだが、あまりそういう使い方はされていないようで、新しくなるたびに、別の添付ファイルが送られてきたりもする。
メールを読んでもらうにも工夫が必要、返事をもらうにはもっと工夫が必要
そもそもToに自分のアドレスがないかぎりはメールを読まないというポリシーでメールを使う人もいる。あるいは、基本的にタイトルと、メールの一覧に表示される冒頭の数行しか基本的に読まないという人もいるらしい。となると、丁寧に季節の挨拶からメールを書いてくるような人からのメールは読まれない可能性もあり、それがわかっていればいいが、自衛手段としては件名をいろいろ工夫するしかない。
かくゆうぼくも、newsフォルダに分類するメールは基本的に「あとで読む」なわけで、本当にあとで読むのかというとそうじゃなく、ついぞ、それを開かないことも多いから人の事は言えない。
ずっとこだわり続けてきたのはテキストメール形式だったのだが、最近はもうあきらめている。そもそもスマートフォンのメールクライアントはテキストメールを出すように設定ができないものばかりで、届く多くのメールがHTMLメールになってしまうのは仕方がないのかもしれない。OutlookだってデフォルトはHTMLだ。
HTMLメールは、本文中のURLを偽装したりするのもたやすいので、あまり好きではないのだが、相手はわかりやすさを優先した表現力を求めているし、過去のやりとりの整理などがご破算になってしまうので、そのままHTML形式で返信するようになってしまった。それも時代の移り変わりなどだということだろう。ただし、最初にメールを送るときだけは、テキスト形式を使う。
さらにはインスタントメッセージの台頭は、メール文化の存続を左右しかねない勢いで浸透している。検索がやっかいなのを気にしてはいけないらしい。これじゃ電話と同じだ。それに、メールはどの企業宛、どの個人宛でもやりとりできるが、インスタントメッセージは、相手ごとにプライマリーのプロバイダを選ぶ必要がある。ある人はFacebook Messenger、ある人はLINE、ある人はSkypeといった具合だ。かと思えばTwitterのDMで連絡が届くこともある。
Skypeは企業の相手とやりとりするのに重宝してきたが、今、MicrosoftはSkype for BuisinessからMicrosoft Teamsへの置き換えを進行中だ。とくに、うちのような零細企業はこの5月には、強制的にTeamsに移行させられるようだ。大企業はそうじゃないので、今月までSkypeではコミュニケーションできていたのに、Teamsではできないといったことも起こりそうで、ちょっと困っている。そもそもSkypeを使っているのに、外部サイトとは接続不可の設定をしている企業もある。
令和の時代のコミュニケーション
ともあれ、メールは便利で手放せないものの、いろいろな不都合もあったりして、ついに平成の間は完全無欠のコミュニケーション手段にはなりえなかった。暗中模索の時代が30年以上続いてきたわけだ。働き方改革の時代もついでにやってきて、先進的な企業の社員は基本的に土日はメールを読まないという話もきこえてきたりする。当然、月曜日の朝は、PCをネットワークにつないだとたん、怒濤のような数のメールが届くことになる。
そんな話を聞くと見落とされてしまいそうで心配になって、土日はメールを送るのはやめようと弱気にもなってしまう。相手の都合を考えずに、送り手が好きな時間に送っておけば、受け手は自分の好きな時間に読んで返事ができるというメールの特性が、なんとなく崩壊しつつもあるわけだ。
異なる企業の構成員がコラボレーションしつつ、1つのプロジェクトを進めていくのに最適な方法はなんなのだろう。そういう時代がやってくるはずなのだが、はたしてうまくやっていけるのか。セキュリティや機密が重要視されるテーマでもあり、なかなか1つの方向が決まらない。はたして令和の時代には、この状況に光が見えることがあるのだろうか。