山田祥平のRe:config.sys

コンパクトカメラはなくなるの?

 ついこの間まで子どもだましのような絵しか撮れなかったスマートフォンのカメラ機能が、飛躍的によくなりつつある。最近のスマートフォン新製品の発表会では、通信機の発表なのかカメラの発表なのか分からないくらいだ。それほどカメラ機能が優れていることをアピールしている。

スマートフォンカメラ VS コンパクトカメラ

 今は、日常的に、パナソニックの「LUMIX DMC-TZ70」というコンパクトカメラを持ち歩いている。既に発売後1年以上が経過してしまったが、日常的な取材活動での撮影は、ほとんどがこのカメラだ。だが、その場でツイートするために、適当にスマートフォンで撮った写真の方が良かったりすることもあるから驚いてしまう。

 カタログスペックとしては、このカメラのレンズは35mm換算で24~720mmの光学30倍ズームで、明るさはF3.3~6.4だ。仮にこの焦点距離を一眼レフカメラで得ようとすると、ぼくが使っているのはフルサイズセンサーだから、720mmもの焦点距離を持つレンズはとてもじゃないが携行できないだろうし、そもそも交換レンズのラインナップでも、高倍率ズームの望遠端は500mm止まりだ。

 焦点距離は、撮像素子のサイズによって35mm換算値が変わる。だから、720mm相当といっても、DMC-TZ70の場合は、実際には4.3~129mmのレンズにすぎない。4.3mmの焦点距離というと、びっくりするほどの超広角レンズのように思えるが、1/2.3型センサーにとっては24mm相当のレンズなのだ。それでも広角には間違いない。だから歪みをいかに補正するかはレンズ設計者の腕の見せ所だ。

 それでもぼくがこのコンパクトカメラを日常的に携行しているのは、何よりも、EVFが装備されているからだ。やはり、カメラはファインダーを覗き込んでレリーズしたい。古い人間だ。それは認める。そしてこればかりはスマートフォンには難しい。特に、炎天下で画面がよく見えないような場合には、EVFの有り難みを強く感じる。

 冒頭の写真は、最近入手したSamsungの「Galaxy S7 edge」で撮影したものだが、このくらいの画角の写真ならもうこれで十分じゃないかとも思う。ファイルのEXIFデータを確認すると、シャッタースピードは1/3,200、F1.7、ISO50で撮影したことになっている。焦点距離は4mmだ。35mm換算では26mm相当ということになる。

 レリーズのタイムラグも、さすがに一眼レフカメラには及ばないが、コンパクトカメラと比べても遜色がないところまで来ている。Galaxy S7 Edgeは、カメラのスペックの詳細を公式には明らかにしていないが、あちこちで解析されているようで、どうやら1/2.5型センサーを使っているようだ。そのセンサーを1,200万画素相当で使うことで、大きな画素ピッチを確保しているみたいだ。LUMIX DMC-TZ70も、いたずらに画素数を上げるのではなく、1,200万画素相当に抑えることで受光感度を高めている。考え方としては同じだ。

急ぐスマートフォンカメラ

 LUMIX DMC-TZ70のテレ端は、720mmもの焦点距離で、被写体から遠い位置にしか陣取れない場合は心強いのだが、暗い場所の場合F値が6.4では、ISO感度を6,400まで上げたとしても適正らしき露出でのシャッター速度は1/30を切ってしまう。こうなるとどんなにがんばっても、被写体となる人物が動いてしまいブレブレの写真を量産してしまう。でも、スマートフォンで撮ればそうはならない……、というよりも、そもそもスマートフォンでは光学ズームで720mm相当まで寄れないのだが。

 レンズの望遠域に限って言えば、今のところちょっとだけコンパクトカメラが有利だ。実際、高倍率の光学ズームレンズを薄いスマートフォンの筐体に実装するのは至難の業だし、それをやると、スマートフォンとしての携行性などが犠牲になる。つまり、スマートフォンにカメラが付いているというよりも、カメラがスマートフォンの機能を持っているというものになる。実際、そういうコンセプトの製品はLUMIXの「CM1」やASUSの「ZenFone ZOOM」などが思いつくが、望遠側の焦点距離は、常識程度のものに抑えられている。それはそれで設計側の良心のようなものなのだろう。

 こうして今目の前にある製品群を見ていると、コンパクトデジタルカメラが歩んできた道と、ほぼ同じような道を一気に駆け抜けようとしているのが、今のスマートフォンの内蔵カメラなんだなと思う。そして、それは、スマートフォンがPCの歩んできた道を、同様に一気に駆け抜けようとしているのにも似ている。画素数追求などでは、失敗するところまで同じだったりすると笑ってしまうのだが、さすがに気が付くのも早いようだ。

変わってしまった写真を見るまなざし

 いずれにしても、世の中の写真の役割が、1,000万画素を超えるようなものは、いらないというところまで行き着いてしまったことに注目しなければならないだろう。このことは今後、TVの4K、8Kが定着するかどうかといったことにも、密接に関係してくる。

 ほんの20年くらい前までは、撮影済みのフィルムを、街のDPEショップに持ち込み、L版用紙にプリントしてもらうのが普通だった。時間が経過した10年くらい前の時点でも、コンパクトデジタルカメラと比べた時のケータイカメラはまだまだ子供だましみたいなものだった。その時点では圧倒的に画素数が足りず、フィルムで撮ったプリントの方が美しかった。これはズブの素人でも分かることだった。

 でも、人々は、美しいことよりも、楽しいことを選んだ。かつては画素数に興味を持った人々も、画素数のことは気にしなくなってしまった。どうせ見るのはケータイの画面。メールで送るのだからサイズもコンパクトな方がコストも時間もかからない。

 各社のコンパクトカメラがたたき出す画像ファイルを、大画面のディスプレイに等倍表示し、このカメラはああだ、あのカメラはこうだと楽しんでいた層とは、まったく異なる人たちが、今のSNS全盛の時代に、水を得た魚のように料理の写真、街の写真といったリア充スナップを投稿する。Instagramに投稿される写真は、もう真実を写すなんて世界ではなくなってしまっている。自分にとってどう見えたかの方が重要なのだ。

 TVを見ていたって、「現場からは以上です」とレポートされる前に、普通の人が普通に撮ったスマートフォンによる静止画や動画が紹介される時代である。事件が起こったからマスコミは現場に駆け付けるのであって、事件に立ち会うのは不可能だ。でも、今は、世界市民総特派員だ。スマートフォンのカメラで撮影されSNSに投稿された写真は100年後くらいに、今の時代を振り返る時に、本当に有用な情報を提供することになるだろう。そして、そこに必要なのは画素でもなく、レンズのズーム倍率でもなく「その場に居合わせた」という偶然だ。この偶然が大事なのは、木村伊兵衛の時代からの真理でもある。

欲張りなスマートフォン

 こんな具合に、極めて悪い体制にあるコンパクトカメラではあるが、実は、コンパクトカメラにもいいところがある。それは写真を撮ってもうるさくないところだ。シャッター音がしないというのは、物理的にミラーが上がってシャッター幕が走る一眼レフカメラでも無音は無理だし、日本のスマートフォンは業界の申し合わせ的な慣例でシャッター音を奏でる。無音で写真が撮れると犯罪に繋がることを懸念したものだ。心配する気持ちは十二分に理解できるが、なんとかならないものかなとも思う。動画なら音がしないじゃないかというのは別の話としても、誰もが常に携行し、「偶然」との出会いを虎視眈々と狙っているこの時代ならではの副作用なのかもしれない。

 これから、コンパクトカメラが生き残るのか、生き残らないのか。新たな役割を見い出すことができるのかどうか。現代の万能ナイフとしてのスマートフォンは、これからも多くの役割を押しつけられ続け、それを果たすべく進化していくのだろう。欲張りは美徳だ。そして次に役割を奪われるのはいったいどんなデバイスなのか。デジタルの時代も酷なものだ。