笠原一輝のユビキタス情報局
ThinkPadデザインの父、デビッド・ヒル氏が語るThinkPad 25周年モデルの誕生秘話
2017年10月6日 11:00
LenovoのノートPCブランドである「ThinkPad」が誕生から25周年を迎えた。IBM PC部門が最初のThinkPadとなる「ThinkPad 700C」を発売した1992年10月5日から25年目という意味になるが、Lenovoではそれを記念した25周年モデルとなる「ThinkPad 25」を発売することを発表した。
そのThinkPad 25をデザインしたのが、今年(2017年)の6月までLenovoのCDO(Chief Design Officer)を務めていたデビッド・ヒル氏だ。ヒル氏によれば、今回の25周年モデルをデザインするにあたってこだわったことは、現代的なスペックを実現しつつも、7列配列のキーボードやLEDが入ったボリュームボタン、電源スイッチなど、かつてのThinkPadが採用していたデザインを再現することだ。
ThinkPadのデザインを22年にわたってリードしてきたデビッド・ヒル氏
デビッド・ヒル氏については、以前にも本連載でご登場いただいたことがある。興味がある方はぜひ下記の記事をご参照いただきたい。
ヒル氏は、1995年にIBM PC部門に加わり、2004年にLenovoに買収されてからも、22年間にわたりThinkPadのデザインを担当してきた、ある意味ThinkPadの生みの親の1人である。
同氏が関わっていた代表的な製品としてはThinkPad 600シリーズ、ThinkPad X300シリーズなどがあり、“黒い弁当箱”と呼ばれるブラックを基調にした長方形のベースデザインを生み出したリチャード・サッパー氏(故人)とともに、ThinkPadデザインの父と言ってよい存在だ。とくにここ数年のThinkPad X1シリーズといった、新しい形のThinkPadのデザインにも大きな影響を与えてきた。
IBMのPC部門がLenovoに売却された後も、ヒル氏はThinkPadのデザインチームに留まり、ここ数年はCDO(Chief Design Officer、最高デザイン責任者)として、ThinkPadのみならず、Lenovoの製品全般のデザインの統括を担当してきた。
最近、Lenovo製品のデザイン品質が上がったと思うユーザーは少なくないのではないだろうか。たとえば、最初のThinkPad Yogaシリーズの製品は回転ヒンジを採用した2in1デバイスという革新的な製品だったものの、デザインに関してはやや野暮ったい印象があった。
だが、昨年(2016年)のIFAで発表されたタッチキーボードを備えたYogaBook、そしてIFAで発表された新しいYoga 920など、日本の大和研究所ではない拠点で設計された製品も含め、デザインのレベルが上がっていることは疑いの余地がない。そこにもヒル氏の貢献がある。
だが、ヒル氏は今年の6月でLenovoのCDOから退任し、後任としてブライアン・レオナルド氏を指名した。現在は顧問として、レオナルド氏にアドバイスをしたりという立場でLenovoに関わっている。
ヒル氏がどういう方かは、これから紹介するエピソードでわかってもらえると思う。筆者が今年になってシルバーカラーのThinkPad X1シリーズが投入されたが、それについてどう思うかをヒル氏にうかがったところ、彼は「私はブラックが好きだ。ブラックはThinkPadの象徴的な色であり、色を見てそれがどのブランドの製品かわかるPCは、ThinkPadしかない」ととても正直に答えてくれた。
いくつかの例外はあるものの、確かに他社のノートPCの製品で、ずっと同じ色を維持している製品というのはThinkPadしかない。あれだけのブランドイメージを誇るAppleのMacBookシリーズでさえ、何度か色を変えている。
25年間かたくななまでに“ブラック”を守ってきたThinkPadには、これまでと同じようにブラックがふさわしいというのが、ヒル氏の率直な気持ちなのである。
ヒル氏は「もちろん選ぶのは市場であって、市場でブラック以外が受け入れられるならそれもいいと思う」と大人の配慮を忘れないが、生粋のThinkPadファンにとってはこれだけで十分ヒル氏が“信用できる人”であることが理解してもらえるのではないだろうか。
Retro ThinkPadというアイディアからはじまった「ThinkPad 25」のプロジェクト
そのヒル氏が、Lenovoで最後にデザインした製品となるのが、今回の「ThinkPad 25」だ。詳しい製品概要などは別記事に譲るが、ベースになっているのはThinkPad T470という、A4サイズのクラムシェル型ノートPCになる。
現在のThinkPadシリーズのフラグシップ製品と言えば、「ThinkPad X1 Carbon」シリーズおよび「ThinkPad X1 Yoga」シリーズであることは論を俟たないが、なぜThinkPad X1 Carbonなどがベースでないのかという疑問を持つユーザーは少なくないだろう。X1シリーズがベースではないのは、そもそもこの製品が“Retro ThinkPad”という取り組みからはじまっているからだ。
ヒル氏は「Retro ThinkPadの話をはじめたのは、とくに25周年を意識してというわけではなかった。ただ、Retro DellとかRetro HPとかはないかもしれないけど、Retro ThinkPadであれば製品としてはアリなのではないかと検討してソーシャルメディアで呼びかけたところ、多くの反響があった。それでその反響を分析した結果やってみる必要があるのではないかとということになった」という経緯で、ThinkPad 25のプロジェクトがはじまったことを語った。
そのRetro ThinkPadのコンセプトは、現代の技術(CPUやメモリ、SSDなど)を利用して、昔のThinkPad風なデザインを採用したらどうなるのかという形でスタートした。
このため、現代風のデザインであるThinkPad X1 CarbonやThinkPad X1 YogaといったX1シリーズではなく、ヒル氏自身もデザインに関わったThinkPad 600シリーズ、その後T20、T30、T40、T400と発展してきたTシリーズの直接の後継となるT470が、“黒い弁当箱”を再現するベースモデルとしてふさわしいと判断があったということだ。
ThinkPadのアイコンで有り続けた7列配列キーボードが“一夜だけの復活”
このThinkPad 25の最大の特徴は、長年スティック型のポインターとなるTrackPointとともにThinkPadのアイコン(象徴)であり続けた7列配列キーボードを採用していることだ(ちなみにベースモデルのThinkPad T470はもちろん6列配列のキーボード)。
ThinkPadシリーズは、2012年に販売を開始したモデルで、7列から6列キーボードへと変更されている。なぜ6列キーボードに変更する必要があったのかに関しては、過去記事(変わるThinkPad、変わらないThinkPad)をお読みいただきたいところだが、Windows PCの薄型化(当時はそれをUltrabookと呼んでいたが)や、新しい大型パッドの導入、さらにはアスペクト比16:9の液晶パネルの普及などの要素が絡まり、6列にしなければ製品として成立しえなかったからだ。
ヒル氏によれば、「Retro ThinkPadへの反響を分析してみると、7列配列のキーボードはぜひ復活させてほしいという意見が多かった。そこで、7列配列のキーボード、そしてそれに伴ってLEDが入ったボリュームボタン、電源ボタン、さらにはブルーのエンターキーといった特徴を復活させることにした」と述べた。デザインとして7列配列のキーボードを復活させ、さらにEnterキーに関してもかつてのThinkPadシリーズのように青いキートップにするなどの変更を加えている。
また、何もキーボードを、無理矢理6列から7列にしただけでなく、いわゆるCカバー(キーボード面のカバーのこと)もThinkPad 25用に起こし直し、矢印キー手前の湾曲など、かつてのThinkPadで採用されていたデザインを再現しているという。
だが、スペックは第7世代Coreプロセッサ、GeForce 940MX、16GBメモリ(最大32GB)、512GB SSD、Wi-Fi/Bluetoothといった一般的なワイヤレスだけでなくNFCも搭載、指紋認証センサーとIRカメラを利用したWindows Helloの生体認証など、まさに現代風のPCになっている。
このほかにも、このモデル専用のTrackPointのキャップ、さらには昔懐かしい、ThinkPadのロゴの“Pad”の部分がトリコロール(赤、緑、青)になっている。なお、このPadの部分がトリコロールになっているのは、本来はIBMのロゴがトリコロールだったためであり、あくまで今回の製品限定での復活となる。
この製品のために新たに起こした7列配列キーボード、それこそがThinkPad 25を象徴している
ヒル氏によれば、このThinkPad 25の7列配列キーボードは、今回完全で新規に起こしているという。
ヒル氏は「6列配列のキーボードに切り換えてから大分経っているので、すでに何も残っていなかった。このため、キーボードベンダーに協力してもらって完全にゼロから起こしている」とのこと。
正直なところ、筆者はてっきりまだどこかに残っていた7列配列キーボードの金型を探してきて“再生産”したのかと思っていた。新規起こしということは、その分のコストが半端なくかかっているはずで、そこまでこだわったというのは驚愕である(今後ほかのモデルでも採用されるというのなら話は別だが……)。
とてもビジネスとしては成立しないじゃないですか? と筆者が聞くと、ヒル氏はにっこり笑って「I don't know(そんなことは知らないよ)」とだけ答えてくれた。
その瞬間、筆者はこの製品がどういう性格かよく理解できた。これは本当に25周年を記念して、採算度外視でThinkPadの復古のためだけに作ってしまった製品であり、それはこれまでThinkPadを愛してきたユーザーへの、ヒル氏からの置き土産なのだ。