笠原一輝のユビキタス情報局

ThinkPadのアクセントカラーは実は“赤”ではなかった

~ThinkPad事業部の司令塔、Lenovo米国本社を訪ねた

 Lenovoという会社は、中国資本の会社だが、実際の会社運営はグローバルに行なわれているということはご存じだろうか? LenovoのPC事業は北京の経営者にはコントロールされておらず、率いているのは米国ノースカロライナ州モーリスビル(州都ラーレイ市の隣の自治体)にあるLenovo米国本社の米国人のエグゼクティブだ。特にThinkPadやThinkCentreなどのThinkブランドの製品はLenovo米国本社が全て統括しており、日本の横浜市にある大和研究所などの研究開発センターと協力して、グローバルなThinkブランド製品の企画、マーケティングなどを行なっている。

 今回筆者は、そのラーレイ(一般的にはローリーと呼ばれるが、レノボ・ジャパンではラーレイと呼んでいる)でThinkPad製品を統括する副社長 兼 ThinkPadビジネス事業部 事業部長のルイス・フェルナンデス氏、およびThinkPadのデザインを長年担当してきた副社長 兼 PC事業本部/エンタープライズビジネス事業本部 CDO(Chief Design Officer)のデビッド・ヒル氏にお話を伺う機会を得た。

 ヒル氏は、今でこそThinkPadシリーズの定番である、黒に赤のアクセントというカラーの赤色が実は“赤色”ではなかったという秘話を明かしてくれた。

製品事業部にとっての事実上の本社となるラーレイ/モーリスビルのLenovo

 Lenovoのラーレイ事業所があるモーリスビルは、アメリカ合衆国東海岸にあるノースカロライナの州都となるラーレイ市の隣の自治体となる。ラーレイには元々IBMが研究開発センターと事業所を置いており、IBMがPCおよびPCサーバー事業を行なっていた時代には、ラーレイの事業所が世界各地のIBM PCおよびPCサーバービジネスをリードしてきた。

 有名なところでは、Butterflyの開発コードネームで知られる「ThinkPad 701C/Cs」(キーボードが真ん中で割れて、左右にせり出してくるキーボードを持ったノートPC)はラーレイで開発され、メキシコで生産されていた製品だ。当時のThinkPadシリーズの開発はラーレイと、日本の大和研究所(神奈川県大和市、現在は横浜市へ移動)の2拠点で行なわれていたのだ。後にラーレイではハードウェアの開発は行なわれなくなり、大和研究所に集約された。一方ソフトウェアの開発は現在もラーレイで行なわれている。

 2004年にIBMがPC事業をLenovoに売却した後も、ThinkPadの企画・マーケティングはラーレイに、開発は日本の大和研究所にという体制は継続された。つまり、米国での担当者がThinkPad製品の製品計画や、そのグローバルでのマーケティングを担当し、大和研究所の研究員がそれに基づいて開発を行なうという体制は継続されたのだ。その体制は今でも続いている。

 なお、IBMがPC事業をLenovoに売却した後、LenovoはラーレイのIBMの拠点をそのまま使うのではなく、自社ビルを新たにモーリスビルに建設し、それが現在のLenovo米国本社となっている。住所もThinkブランドの製品を扱う場所らしく“ThinkPlace”という通りに面している(ちなみに米国では自治体にスポンサードすると通りに自分の名前をつけることは比較的容易で、よく行なわれている……おそらくこの名前もその例なのだろう)。

 昨年(2014年)IBMから買収したx86サーバーを扱う部門もラーレイにあり、PC部門の拠点とは別の建物になるが、高速道路を挟んだ反対側と割と近い地域に位置している。こちらは、元々ソニーエリクソンが利用していた建物を転用し、さらに新しい建物を建てることで、構成されている。

 このように、Lenovo米国本社には、PC部門(PC製品事業本部=PCG)とx86サーバー部門(エンタープライスビジネス事業本部=EBG)という非常に重要な2大部門が置かれており、“製品”という観点からは、米国本社こそ本来の意味でのヘッドクオーターだと言っていい。

 Lenovo米国本社には、PCG、EBGを統括するエグゼクティブがおり、米国という場所もあり米国人が主にその役割を担っている。PCG、EBGの上に、COO(最高執行責任者)を努めるジャンフランコ・ランチ氏がミラノに在住して会社全体のオペレーションを担当し、CEO(最高経営責任者)を努めるユン・ヤン・チン氏が北京において会社全体の方針を決定するという体制になっている。

ThinkPadの司令塔となるラーレイ/モーリスビルにあるLenovoの米国本社。いくつかあるビルのうち、この建物はBuilding6と呼ばれる建物で、PC製品事業本部が入っている
Lenovoの住所を示す案内、ThinkPlaceという通りの名前がいかにも米国のIT企業的
ThinkPlace通りはもちろんモーリスビルの自治体に登録されている正式名称なので、このように道路案内も出ている
入り口の脇には、PC製品(Think製品=ThinkPad/ThinkCentre/ThinkStation/ThinkServer、LenovoブランドのPC)の現行商品が展示されている
展示されているThinkPad
展示されているThinkStation
展示されているThinkServer
展示されているLenovoブランドのPC
昨年Lenovoファミリに加わったMotorolaのスマートフォンも展示されていた
懐かしい製品もいくつか、ThinkPad 750CD、発売当時は軽自動車よりも高い100万円超えだった……
IBM版PalmPilotとなるWorkPadもひっそり置かれていた
Lenovo社内で“Eve”のコードネームで呼ばれるThinkPad出荷1億台目の個体。アダムとイヴからとってるという説もあるが、Lenovo社内ではこの製品の担当者のファーストネームから来ているらしいというまことしやかな都市伝説もあるらしい

ThinkPadビジネス事業部の製品展開方針は引き続きプロテクト&アタック

 そうしたPCGでThinkPadビジネス事業部(ThinkPad BU)を率いているのが、Lenovo副社長のルイス・フェルナンデス氏だ。

 氏によれば、LenovoのThinkPadビジネスの方針は、依然として「プロテクト&アタック」だという。

 プロテクト&アタックとは、IBM PC時代のThinkPadが持っていた価値(生産性の向上を実現するためのビジネスマシーン)を維持しつつ、新しい分野にも取り組むという方針だ。具体的に言えば、“Classic ThinkPad”と呼ばれる「ThinkPad X/T」のラインナップを維持しつつ、新しいカテゴリの薄型ノートPCとして「ThinkPad X1 Carbon」や、YOGAシリーズと同じ変形機構を備えている「ThinkPad YOGA」に挑戦し、新しい価値を作っていく戦略のことだ。

 フェルナンデス氏は「ThinkPadの価値は第一義的にはビジネスマシンであり、品質だったり信頼性だったり、生産性を上げるためのスペックだったりする。それと同時にデザインも重要視している。500m先から見て、あれがどのPCだと分かるクラムシェル型ノートPCを作れているメーカーは2つしかない」と説明する。依然としてThinkPadの製品作りがまずは生産性の向上を実現するビジネス機という観点にあり、その次にデザインを重視しており、もはやThinkPadのアイデンティティと言って良い“黒い弁当箱”のデザインが、多くのユーザーに認知されていることを強調した。

 好みの問題は置いておくとして、確かに仮にPCが遠くに置いてあっても、あれはどこのメーカーだと言い切れるのは、現代ではAppleのMacBookシリーズと、LenovoのThinkPadシリーズだけだと言っても過言ではない。Lenovo自身のコンシューマ向け製品(Lenovo PCシリーズ)やほかのPCメーカーのノートPCは世代毎にデザインのIDが変わっていたりとということが多いのに対して、MacBookやThinkPadのIDは長年踏襲されている。そうしたThinkPadの持つブランド価値を維持しつつ、新しいカテゴリの製品にも挑戦していく、それがフェルナンデス氏率いるThinkPadビジネス事業部の方針だという。

Lenovo 副社長 兼 ThinkPadビジネス事業部 事業部長 ルイス・フェルナンデス氏

 日本のユーザーとしては、ThinkPadも確かにいいが、パナソニックのレッツノートシリーズに代表されるように、日本市場に特化した軽いノートPCが人気を集めており、ThinkPadブランドでもそうしたもっと薄くて軽い製品に取り組んで欲しいという意見は少なくないだろう。フェルナンデス氏の下でThinkPadのワールドワイドのマーケティングを担当するジェリー・パラダイス上級部長は「地域毎に異なるニーズがあり、弊社のようにグローバルに製品を展開する場合には常に考慮しなければいけない課題だと考えている。日本の場合には、NEC PCという別ブランドを使ってビジネスをしていることもあり、そうしたより薄型軽量のノートPCはLAVIE Hybrid ZEROのような製品でカバーしていくと考えている」とし、日本市場に特化した製品はNEC PCにその開発や役割を担ってもらっているという考え方を示した。

 パラダイス氏によれば、米沢のNEC PCの開発チームが開発した製品をLenovoやThinkPadのブランドで販売している例や、その逆があるとし、今後もNEC PCのリソースをうまく使いながら日本市場に最適な製品を投入したいとした。

 フェルナンデス氏は今後のノートPC市場について「タブレットの成長は既に止まっており、今後急速に伸びたりはしないと考えている。依然としてビジネス向けのクラムシェル型ノートPCの需要は堅調で、特にプレミアムなウルトラポータブルや2-in-1デバイスの市場は今後も成長を続けていくと思う」と述べ、特にハイエンドの薄型軽量のノートPC(Lenovoで言えばThinkPad X1 Carbon)や2-in-1デバイス(Lenovoで言えばThinkPadタブレットやThinkPad Yogaなど)が成長を続けるだろうという見通しを明らかにした。

 日本では、今でもタブレットがクラムシェル型PCを駆逐するという議論を今でも続けている人が少なくないが、既に米国でそういう議論をしている人はほぼいない。タブレットが新しい市場を作ったのは事実だが、既に市場は大きなスマートフォンとなる8型ファブレットと、10型タブレットに完全に分離しており、10型タブレットは多くはキーボードとセットで使われているような現状だ。今後は2-in-1デバイスの市場が伸びてくると、2-in-1デバイスが逆にタブレットの市場を侵食するという状況が発生してもおかしくないだけに、ThinkPad製品事業部は2-in-1デバイスに注力していくというのは正しい判断だと筆者は考えている。

 それだけに、今後登場するThinkPadの2-in-1デバイスがどのような形になるのかは楽しみだ。Skylake世代のThinkPad X1 Carbonがどのような形(2-in-1になるのか)になるのかを含めて、要注目と言っていいだろう。

ThinkPadのアクセントは赤ではなく、“IBMマゼンタ”だった理由

 Lenovo 副社長 兼 PC事業本部/エンタープライズビジネス事業本部 CDO(Chief Design Officer)のデビッド・ヒル氏はThinkPadのデザインの哲学などについて語った。ヒル氏は、1995年に当時のIBM PC事業部に加わり、それ以来20年近くThinkPadのデザインについて担当してきた。同氏の代表的な製品は、「ThinkPad 600」シリーズで、「ThinkPad X300」にも関わっていたという。同氏は大和研究所のチーフデザイナーである高橋知之氏と一緒に、現在に至るまでの“黒い弁当箱”スタイルのThinkPadのデザインを守ってきた、ThinkPadシリーズの生き証人の1人と言ってもいい。

 筆者も誤解していたのだが、実は黒い弁当箱の提唱者は大和研究所のデザイナーではないという。ヒル氏によれば「黒い弁当箱のデザインを最初に提唱したのはドイツ人のリチャード・サッパー氏。彼がIBMのデザインセンターに勤めていた時代に、現在のスタイルのThinkPadの大本を作った」との通りで、最初はドイツ人のデザイナーが提唱し、その後定番デザインとして定着していったのだという。弁当箱というぐらいだから日本で作られていたのだとばっかり思っていたが、実際にはもっと国際的に作られていたということだ。

 ヒル氏によれば「リチャードのデザインはいつも赤が少しアクセントになっていた。ThinkPadでもそれを導入しようと考えた」と、当時の計画を語る。ところが、その赤の採用に待ったがかかった。「IBMの安全管理の人間からダメ出しされた。というのも、IBMにとって赤はメインフレームコンピュータの緊急時オフボタンという意味合いがあったからだ。ダメ出しされて彼は最初とても落ち込み、やり過ぎだと怒っていた。そこで彼はどうしたかと言えば、色をIBMが規定していた赤ではなく“IBMマゼンタ(赤紫)”だと言い張ったのだ。その結果、全ての製品のマニュアルなどにその色が赤ではなくIBMマゼンタだと書くことになった」と秘話を明かしてくれた。

 つまり、ThinkPadのロゴのiのドットが赤いのは、実は赤ではなくて“IBMマゼンタ”、つまり赤っぽい紫だったのだ。しかも「製品化に向けて彼はそれをこっそりと赤に近付け、最後はほとんど赤になった。それでも“IBMマゼンタ”だと言い張ったのだ。IBMの安全管理の人達はそれに気が付かなかった」という。その名残で、しばらくは社内のマニュアルなどに、ロゴやTrackPointなどの色は赤ではなくIBMマゼンタと呼ばれていたそうだ。今でこそ、ThinkPadと言えば、黒に赤のアクセントは定番だが、その色が赤(名前だけだが……)ではなかったというのは本当に驚いた。ちなみに、今でもThinkPadの電源スイッチが赤く光らないのは、メインフレームコンピュータの緊急オフボタンと間違えられることを防ぐための名残そうだ。

 ヒル氏は開発コードネーム“Butterfly”で知られるThinkPad 701C/Csの開閉型キーボードに関しても秘話を語ってくれた。このThinkPad 701C/Csの開発者はジョン・カリダス氏(故人、数年前に癌で亡くなられた)で、当時IBMのPC事業部で製品マネージャーの役職にありThinkPad 701C/Csの開発を担当していた。カリダス氏は自宅に帰って娘さんの三角形のブロックを組み合わせているのを見て、これだとひらめき、会社にいってコピー機でキーボードのコピーをとり、それをハサミで切り離していろいろ組み合わせているうちに、あのユニークな開閉キーボードの機構を思いついたのだという。

 ヒル氏自身がデザインしたThinkPadで思い出深いのは、ThinkLightと呼ばれるキーボードライトを思いついた時のことだったという(ThinkLightとは今のフロントカメラの位置に設置されていた、暗所でキーボードを照らすための小型照明)。1997年当時、飛行機で日本へ向かっている中、機内が消灯され本を隣席の乗客が本を読むのに読書灯をつけているのを見てひらめいたのだという。

 「ノートPCを使う時にもキーボードを操作する時に、読書灯を付けなければいけなかったので不便だと思った、そこでこれをThinkPadでなんとかできないものかと考えた」と、さっそく事務所に帰って試作機を作ったそうだ。ところが、当時のThinkPad事業部の事業部長に話をしにいったら冗談だろうと言われた。しかし、それでめげなかったヒル氏は、実際に暗室にその試作機を置いて事業部長を連れて行き、動いている様子を見たところ、即導入が決まったそうだ。今でこそ、ThinkLightは廃止され、キーボードのバックライトイルミネーションになっているが、筆者も飛行機の中で、あるいは暗いところでの記者会見ではThinkLightには大変お世話になった。

Lenovo 副社長 兼 PC事業本部/エンタープライズビジネス事業本部 CDO(Chief Design Officer) デビッド・ヒル氏
ThinkPad 701C/Cs、開発コードネームButterflyからとったバタフライキーボードと呼ばれる開閉式のキーボードが特徴的だったノートPC。ヒル氏の自宅では今でもWindows 95が動く状態で保存されているとのこと。1995年販売開始
初代ThinkPadと言えるThinkPad 700Cの日本版モデルPS/55note C52 486SLC、日本ではダブルブランドで販売されていた。1992年販売開始

今の技術で1992年のThinkPadを製造したらどうなるかを考えると?

 2カ月前の6月末のことだが、ヒル氏はLenovoのブログサイトに印象的な投稿をして話題を呼んだ。そのタイトルは「ThinkPad Time Machine」で、1992年に登場した最初のThinkPad(ThinkPad 700c)をベースラインにして、現在の技術(例えば、CPUやメモリ、SSD、液晶ディスプレイなど)を活用して現代に蘇らせてみたらどうなるのかを、ヒル氏なりに考えてみたという内容だ。「T92」という架空のモデルが与えられたその製品は、16:10の液晶ディスプレイ、7列キーボードを備えており、18mmの薄さで、180度の角度まで液晶が開くようになるという。ヒル氏自身は「かなりThinkPad X300に近いモノになるね」とブログで表現しており、今回のインタビューで聞いたところ、ご自身でもThinkPad X300は、Lenovo時代になってからのThinkPadの傑作だと考えているとのこと。

 ヒル氏によれば、ThinkPadの現在のキーボードが6列配列になったのは、他社製品と互換性というビジネス上の問題もあるが、デザイン的には液晶ディスプレイが16:10から16:9のアスペクト比が主流になり、7列配列のキーボードを入れようとすると綺麗な形で入らないからなのだという。

 言われてみれば、7列配列キーボードの末期はちょうどClassic ThinkPadが16:10のディスプレイから16:9のディスプレイへ切り替わっていく時期になっている。PC業界が16:9のディスプレイを採用し出したのは、MicrosoftがWindows 8のガイドラインの中で16:9のディスプレイの採用を奨励したことも大きく影響している。しかし、現在ではそれはもう奨励しておらず、徐々に局面は変わりつつあり、今後16:10のディスプレイを採用したThinkPadの登場とともに、7列配列復活……なんてことがあるといいのだが……。

 今回のレトロThinkPadのプロジェクトはLenovoが近年力を入れているSNSでユーザーとの対話を行なう戦略の延長線上にある。Lenovoは、各地のThinkPadユーザーとの対話を、SNSやオフラインで行なっており、日本だけでなく、ほかの地域でユーザーイベントを開催したりしている。そうした取り組みの1つである今回のレトロThinkPadプロジェクトだが、ユーザーの反応は非常に良いという。ブログには非常に多くのコメントが付いたし、テクノロジメディアでも盛んに取り上げられた。

 ヒル氏は「例えば、フォードは昔のスタイルのムスタングを新型車として投入したし、FIATもオールドスタイルのFIAT500を新型車として導入している。実際にユーザーと話してみると、ThinkPad 600を出して欲しいという意見もよく耳にする。我々としては、今回多くのユーザーから寄せられたニーズを理解して、さらなるユーザーニーズの調査を行なっていきたい」と述べ、将来的には今回の成果がLenovoのロードマップに反映される可能性があると述べた。もちろん、今回の“T92”が来年の製品として登場するというわけではないと思うが、そのエッセンスが今後登場するかもしれないThinkPadに反映されるとなれば、いろいろ期待ができると筆者は感じた。

 今回、筆者は先週サンフランシスコで行なわれたIDFが終わった後、ノースカロライナまで飛行機で5時間強をかけてアメリカ大陸の横断をした。本社ツアーのような取材の場合、苦労しても、成果が乏しくがっかりということも正直少なくないのだが、今回の取材でヒル氏にあって話を聞けたことは、非常に大きな成果を得られた。我々がThinkPadとはかくあるべきだ、と考えている“想い”をLenovoで製品作りを指揮している人達は理解しようと努力してくれている、それが分かったことは嬉しくあり、近い将来にそれを反映したThinkPadをヒル氏が世に送り出してくれることを願って、この記事のまとめとしたい。

ヒル氏がブログで公開した“T92”のイメージ画像、見た目はClassic ThinkPadに近いが、7列配列だったりと往時のThinkPadの思想を現在に復活させたイメージ(出典:「ThinkPad Time Machine?」David Hill)

(笠原 一輝)