福田昭のセミコン業界最前線

ルネサスとMediaTekがNTTドコモを挟んで対峙



 次世代携帯電話機用の半導体を巡って、この7月に2つの重要な提携が明らかになった。1つは、7月9日に公表された、ルネサス エレクトロニクスとフィランドNokiaの事業提携、もう1つは7月27日に発表された、台湾MediaTekとNTTドコモのライセンス契約である。いずれも、2011年後半~2012年に市場に投入される次世代携帯電話機の開発に、少なからぬ影響を与えそうな動きだ。

●ルネサスがNokiaのベースバンドモデム開発部門を買収

 ルネサス エレクトロニクス(ルネサス)とNokiaの事業提携の柱は、Nokiaの携帯電話機用ベースバンドモデム開発部門のルネサスへ譲渡にある。ルネサスは旧ルネサス(ルネサス テクノロジ)時代に携帯電話機向けアプリケーション・プロセッサ・ファミリ「SH-Mobile」を数多く開発し、販売してきた。しかしベースバンド・プロセッサの独自開発部門は持たずにいた。

 その代わりに採用していたのが共同開発と技術ライセンスである。共同開発方式では、NTTドコモおよびドコモ陣営の携帯電話機メーカーと共同で、ベースバンド・プロセッサとアプリケーション・プロセッサをワンチップに集積したシステムLSI「SH-Mobile Gシリーズ」とミドルウェアを開発してきた。ドコモ陣営の携帯電話機メーカーからみると、国内半導体大手から携帯電話機用システムLSIとミドルウエアを入手できることは、開発期間の短縮や開発の効率向上、部品コストの低減、部品調達の安定化といった利点を享受できることを意味する。「SH-Mobile Gシリーズ」はその代表的な成功例だろう。

 また2009年には旧ルネサスがNokiaのベースバンドモデム技術をライセンス導入し、LTEモデムとHSPA+モデムをルネサスとNokiaで共同開発中である。

●次世代携帯電話機向けの開発プラットフォームを提供
ルネサスが提供している携帯電話機用半導体ソリューション(赤枠の内側)。ベースバンドモデムだけは他社の開発資産を活用していた

 実はルネサスは、ベースバンドモデムを除くと携帯電話機向けの主要な半導体ICをすべて保有している。RFトランシーバ・モジュールや送信アンプ・モジュール、電源IC、アプリケーション・プロセッサ、およびミドルウェアなどである。ここにベースバンドモデムの開発リソースが加われば、携帯電話機向けの主要な半導体ICをすべて用意できる態勢が整う。ただしベースバンドモデムの開発エンジニアをこれからルネサス社内で育成するのでは、時間がかかりすぎる。モデム技術は専門技術であり、ワイヤレス・モデム技術に長じたエンジニアを中途採用で雇用することが望ましい。

 一方、携帯電話機の最大手メーカーであるNokiaは、携帯電話機の開発モデルを変更する必要に迫られていた。携帯電話機の開発モデルには、すべての技術を自社開発する垂直統合モデルと、自社開発部分を最小限にとどめて外部調達を最大活用する水平分業モデルがある。


携帯電話機の開発モデル。左が垂直統合モデル

 携帯電話機が先進国で普及し始めた1990年代前半、携帯電話機は音声通話専用機であり、まさに「電話機」と言えた。このころは携帯電話機メーカーが大半の技術を自社開発する、垂直統合モデルが普通だった。携帯電話システムが音声以外にデータの通信を装備し、携帯電話機に電子メールやWeb閲覧などの簡単な情報処理機能を搭載するようになっても、垂直統合モデルはまだ健在にみえた。

 しかし携帯電話機が32bit OSと32bitアプリケーション・プロセッサを搭載し、オーディオ録音再生機能や写真撮影機能、動画録音再生機能を内蔵するようになってくると、すべての開発リソースを携帯電話機メーカーが用意する垂直統合モデルでは、維持コストが大きく膨れ上がってしまう。携帯電話機としての基本的な機能はすべて半導体ベンダーから調達し、アプリケーションの開発もオープン・ソースを利用する。差異化要因となる部分だけを独自に開発する水平分業モデルに移行する携帯電話機メーカーが相次いだ。

 その中でNokiaは、垂直統合モデルを最後まで維持してきた大手携帯電話機メーカーだった。だが携帯電話機、特にスマートフォンの機能向上が進む中で、開発モデルを水平分業モデルへ移行することで、開発リソースを再編成することが必須になりつつある。

 このような状況で決まったのが、Nokiaのベースバンドモデム開発部門をルネサスに譲渡することだった。ベースバンドモデム開発部門はハードウエア開発とソフトウエア開発の両方を手掛けている。開発エンジニアは約1,100名。所在地別の内訳はフィンランドが700名、インドに200名、英国に100名、デンマークに100名である。ルネサスはドイツに欧州法人を有するが、元Nokiaのモデム開発チームをドイツに集約する考えはない。現在の所在地域内にルネサスのオフィスを構える予定である。ベースバンドモデム開発部門の譲渡時期は2010年の10~12月を計画している。

 重要なのは、ルネサスとNokiaで次世代モデム技術(LTEモデム技術とHSPA+モデム技術)の共同開発が継続されることだ。ルネサスはこれまでNokiaに携帯電話機用送信アンプ・モジュールを供給してきたが、共同開発の完了後はベースバンドモデムの半導体ソリューションもNokia向けに供給する。市場調査会社IDCの調べによると、2009年の携帯電話機市場(台数ベース)におけるNokiaのシェアは38.3%、2009年のスマートフォン市場(台数ベース)におけるNokiaのシェアは38.9%で、いずれもトップを走る。非常に大きな事業機会をルネサスは獲得したことになる。

Nokiaとルネサスの事業提携の概要ルネサスがNokiaのベースバンドモデム開発部門を買収した後の状況。携帯電話機の開発プラットフォームをほぼすべて、自前で提供できるようになる

●モバイル機器に携帯電話の高速データ通信機能を載せる

 ルネサスの目論みはスマートフォンにとどまらない。携帯電話システムの高速データ通信機能がモバイル機器に普及していくことで、高速データ通信の市場が急速に拡大していくことを期待する。データ・カード、ネットブック、スマートブック、パーソナル・ナビゲーション・デバイスなどだ。ルネサスはマイコン事業とSoC事業によって国内外で数多くのモバイル機器ベンダーを顧客としており、携帯電話機用半導体を専門とする半導体ベンダーに比べると、LTEモデムやHSPA+モデムなどの高速無線データ通信モデムを携帯電話機メーカー以外の半導体ユーザーにも提供しやすい立場にいる。

 逆に、HSDPAやGPRS、EDGEなどの既存の携帯電話システムを利用したデータ通信の市場には、あまり関心がない。こういった2.5G/3G携帯電話機向けの半導体市場は激烈な価格競争に突入しているからだ。ルネサスとしては価格競争に巻き込まれにくい、ハイエンドのスマートフォンとモバイル機器を中心に事業を拡大していくとする。

ルネサスが今後、狙っていく応用分野(青線の枠内)

 ルネサスはモバイル・マルチメディア事業(NTTドコモ向け携帯電話機用プラットフォーム、携帯電話用アプリケーション・プロセッサ、RFトランシーバ・モジュール、送信アンプ・モジュールなど)で2009年に約1,000億円を売り上げている。LTEモデム事業が立ち上がる2012年には同事業の売上高を約2,000億円に倍増し、2015年にはさらに2倍の4,000億円に拡大する計画である。

 携帯電話システムの将来を考えると、携帯電話システムの標準化団体3GPPの作業部会で主要なメンバーをNokiaのベースバンドモデム開発エンジニアが務めていることも見逃せない。買収によってルネサスは、標準化作業の情報を素早く入手できる立場になる。

 ベースバンドモデム開発部門の買収金額は約2億ドル。その価値を考えると、率直に言って高価ではないと思う。もちろんNokiaの開発エンジニアが移籍後もルネサスにとどまれば、という条件付きだ。そこはルネサスのマネジメント能力いかんだろう。


●MediaTekはLTE技術をNTTドコモからライセンス導入
ライセンス契約の調印式。左はNTTドコモ代表取締役社長の山田隆持氏、右はMediaTekチェアマン兼CEOのMing-Kai Tsai氏

 それでは、台湾MediaTekとNTTドコモのライセンス契約締結に話題を移そう。NTTドコモがLTEベースバンドモデム技術「LTE-PF」をMediaTekにライセンス供与する契約を結んだことを指す。「LTE-PF」はNTTドコモが、携帯電話機メーカーのNECカシオモバイルコミュニケーションズ、パナソニックモバイルコミュニケーションズ、富士通とともに共同開発してきた技術で、2009年10月に共同開発の完了を発表し、国内外の半導体ベンダーにライセンス供与していくとしていた。その最初のライセンス先が、MediaTekとなった。


ライセンス契約の記者会見。左からMediaTekのCheng-Te Chuang氏とMing-Kai Tsai氏、NTTドコモの三木俊雄氏

 MediaTekとNTTドコモは7月27日に東京で記者会見を開催し、ライセンス契約の締結を発表した。MediaTekからはチェアマン兼CEO(最高経営責任者)のMing-Kai Tsai氏とバイス・プレジデントのCheng-Te Chuang氏が、NTTドコモからは移動機開発部部長の三木俊雄氏が出席した。記者会見での質疑応答によると、ライセンス契約料とロイヤルティ料金は公表していない。ロイヤルティがNTTドコモ以外の携帯電話機メーカー(LTE-PFの共同開発企業)に入るのかどうかも明らかにされなかった。

 MediaTekは携帯電話機用チップセットやデジタル家電用半導体チップなどのベンダーで、特にローエンドの携帯電話機用チップセット市場で強い。2009年は3億5,000万を超える携帯電話機用半導体チップセットを出荷したとする。市場調査会社IDCの調べによると、2009年の携帯電話機出荷台数は11億2,780万台である。その中で3億5,000万台にMediaTekの半導体チップが搭載されたとすると、シェアは31%という計算になる。


MediaTekの概要。2009年の年間売上高は35億米ドル、従業員数は4,500名携帯電話機用半導体チップベンダーとしてのMediaTekの位置付け

 MediaTekもルネサスと同様に、将来を考慮すればLTEのベースバンドモデムを用意しておく必要がある。開発コストを考えると独自開発ではなく、技術ライセンスを導入する手法が安上がりだ。それもライセンス元は、QualcommやST-EricssonなどのLTEモデム開発で先行する半導体メーカーからではなく、携帯電話事業者または携帯電話端末メーカーからが望ましい。携帯電話事業者では世界トップクラスの技術力を有するNTTドコモは、ライセンス元としてはうってつけにみえる。

 MediaTekによると、「LTE-PF」を内蔵した半導体チップが出荷されるのは2012年の見込みである。販売地域の制限はない。すなわち日本国内でも「LTE-PF」内蔵チップをMediaTekは販売できる。

●次期SH-Mobile Gプロセッサはベースバンドを削除

 ルネサス エレクトロニクスとMediaTek。この2社の動きから見えてくるのは、ルネサスとNTTドコモの距離の変化だ。ルネサスはNokiaのベースバンドモデム開発部門を買収することで、Nokiaを含めた海外の携帯電話機メーカーとモバイル機器メーカーに高速データ通信対応の半導体ソリューションを提供していく。これに対してMediaTekは、NTTドコモのLTEモデム技術を活用し、日本国内の携帯電話機メーカーに高速データ通信対応の半導体ソリューションを売り込む可能性が少なくない。

 注目すべきは、SH-Mobile Gシリーズの次期バージョンだ。4月26日に共同開発が発表された次期携帯電話機用プラットフォームは「アプリケーション・プラットフォーム(AP-PF)」と名付けられ、開発対象はLinux OS対応のミドルウエア・ライブラリとSymbian OS対応のミドルウエア・ライブラリ、両OSに共通のミドルウエア・ライブラリに絞られている。ベースバンド処理部はハードウエア(LSI)、ミドルウエアともに共同開発対象から外された。

 このため、次期SH-Mobile Gは、アプリケーション・プロセッサ「SH-Mobile AG5」(Aはアプリケーションの意味)として開発される。共同開発グループの携帯電話機メーカーは、アプリケーション・プロセッサは「SH-Mobile AG5」を採用する可能性が高いものの、ベースバンド・プロセッサは自由に選ぶようになることを意味する。採用するのはルネサス製品なのか、MediaTek製品なのか、両社以外の半導体ベンダーの製品になるのか。2012年までには明らかになるだろう。

NTTドコモ陣営が共同開発する次期携帯電話機用プラットフォーム。共同開発企業はNTTドコモ、ルネサス エレクトロニクス、富士通、NEC、パナソニックモバイルコミュニケーションズ、シャープ。なお白抜き部分は組み合わせ対象および検証対象のブロックルネサス エレクトロニクスが想定する次期携帯電話機用プラットフォーム。ベースバンド・プロセッサ、アプリケーション・プロセッサ(SH-Mobile AG5)、RF IC、電源ICなどの半導体製品をルネサス が供給する

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(2010年 8月 3日)

[Text by 福田 昭]