福田昭のセミコン業界最前線
「松下の半導体」が歩んだ60年を振り返る(最終回)
~半導体事業の終えん
2020年8月19日 06:55
パナソニック株式会社(旧・松下電器産業株式会社)の半導体事業が歩んだ60年を超える道のりを振り返るシリーズ。第1回では松下電器産業がオランダのフィリップスとの合弁企業「松下電子工業」を1952年12月に大阪府高槻市に設立してから、1957年5月に半導体事業に参入し、1993年に合弁事業を解消するまでの概略をご説明した。
第2回では、1993年に松下電子工業が松下電器の完全子会社となり、2001年に松下電器に吸収されたこと。2004年にはシステムLSIを中核とするデジタル家電の統合開発プラットフォーム「UniPhier(ユニフィエ)」を開発したこと。そして2008年に松下電器産業がパナソニックに社名変更するまでを記述した。すなわち1990年代から2000年代の歩みをご報告した。
第3回では、2010年代前半における化合物半導体デバイスと抵抗変化メモリ(ReRAM)の研究開発成果を説明するとともに、半導体事業の減収と赤字慢性化という厳しい状況を報告した。赤字が慢性化したことで、パナソニックは半導体事業の再構築に取り組みはじめた。
今回は、パナソニックが2010年代後半に半導体事業の再構築を模索し、最終的には事業活動のほとんどを手放すまでを振り返る。
パナソニックの「お荷物」となった半導体事業
前回で述べたように、パナソニックが2013年10月31日に発表した中期計画「事業変革の取り組み」で「半導体事業」は5大赤字事業の1つに挙げられた。半導体事業はこれまでのおもな用途である民生用から、車載用と産業用へとシフトするとともに、アセットライト化(資産の軽量化)を強力に進めることとなった。
半導体事業のアセットライト化は、後から振り返ると2段階で実施されたことがわかる。はじめは2013年から2015年にかけてである。このときは事業の切り出しによる合弁会社の設立と、製造子会社の売却が実施された。その後、数年の間を置いて2019年には事業の売却を相次いで進めた。その結果、ごく一部を除いてパナソニックの半導体事業は消滅することとなった。
システムLSI事業を富士通との合弁企業に移管
第1段階のアセットライト化を象徴するのは、設計部門と前工程製造部門における合弁会社の設立、それから後工程製造部門の売却だろう。まずは設計部門の合弁会社について概説する。
2013年2月7日にパナソニックと富士通は、「システムLSI事業会社を合弁で設立することを検討することで基本合意した」と発表した。「検討することで合意した」のであって、設立に合意したのではない、という点に留意が必要だ。設立の基本合意にいたるのはこの発表から1年半近く後の2014年7月31日である。
基本合意にいたった合弁会社の設立は、以下のように進んだ。まず富士通が「新会社」を設立する。富士通の子会社である富士通セミコンダクターのシステムLSI事業とパナソニックのシステムLSI事業を「新会社」は吸収分割によって承継する。また日本政策投資銀行(DBJ:Development Bank of Japan)が、資本増強のために200億円を出資する。「新会社」の出資比率(議決権ベース)はパナソニックが20%、富士通が40%、DBJが40%となる。「新会社」の設立予定は2014年度第4四半期(2015年1月~3月期)とする。
そして2015年3月1日に、新会社「株式会社ソシオネクスト」が事業を開始した(富士通とパナソニックのシステムLSI統合会社「ソシオネクスト」参照)。同社はシステムLSIの設計と販売は担うものの、製造部門は持たない。ファブレスの半導体ベンダーである。
システムLSI合弁企業ソシオネクストの現在
2015年3月に設立されたソシオネクストはその後、どうなったか。現在までの歩みを簡単に振り返ろう。まず、拠点数が大幅に増えた。設立当時の主要拠点は6拠点だったのが、2020年7月現在では14拠点以上に増えている。とくに海外拠点の増加が目立つ。
従業員数は設立当時が約2,600名だったのが、2020年7月現在では約2,700名とわずかに増えた。事業収支は公表していないので不明だが、人員削減をするような状況でないことはうかがえる。
ソシオネクストが発足してからのおもな出来事を同社のリリースからまとめると、海外における積極的な展開が目立つ。米国のパッケージ設計企業の買収からはじまり、台湾法人の設立、英国の研究開発拠点の設立、海外企業との数多くの提携などの展開を見せてきた。
前工程の生産ラインを合弁会社に移管
ここからはアセットライト化の動きにテーマを戻そう。製造部門(前工程)に切り出しと合弁会社の設立である。パナソニックは2013年12月20日に、イスラエルの半導体ファウンドリ企業「タワーセミコンダクター」と合弁で、2014年4月1日に合弁会社「パナソニック・タワージャズ セミコンダクター株式会社(略称TPSCo)」を設立すると発表した。
パナソニックが富山県魚津市に新会社を設立し、新会社にタワーセミコンダクターが出資する。出資比率はパナソニックが49%、タワーセミコンダクターが51%で、経営の主導権はタワーセミコンダクターが握る。新会社にはパナソニックの北陸工場(魚津工場、砺波工場、新井工場)にある最先端の前工程ラインを移管する。また岡山工場を閉鎖して魚津工場に生産ラインを移設する。
新会社は外部企業からの半導体製造請負と、パナソニック向け半導体の製造請負を主力事業とする。北陸工場はパナソニックの半導体製造における主力工場なので、パナソニックの主要な半導体の大半は、合弁会社で生産することになった。
そして現在の合弁会社は、パナソニックが合弁会社の持株会社を台湾企業に売却すると2019年11月に発表したことを受け、2020年7月1日に社名を「タワーパートナーズセミコンダクター株式会社(略称はTPSCoで同じ)」に変更した。「パナソニック」はすでに社名から外れている。
後工程(組み立て工程)担当子会社の一部を売却
続いて製造部門(後工程)の売却に移ろう。海外の後工程(半導体組み立て)ラインの一部を、2014年にシンガポールの半導体組み立て企業に売却した。具体的な売却先は、シンガポールの半導体組み立てサービス企業UTACホールディングスの子会社である、香港のUTACマニュファクチャリングサービス(UMS)である。売却を発表したのは、2014年2月4日のことだ。売却は同年6月1日に効力を発生する。
UMSに売却するのは、シンガポールとインドネシア、マレーシアの半導体組み立て子会社である。売却後は当面、パナソニックが半導体製品の組み立てを委託する。
2015年には事業集約がいったん落ち着く
前回の末尾で述べたように、2014年2月にパナソニックは、「パナソニック セミコンダクター ソリューションズ株式会社(PSCS)」を3月に設立し、パナソニック株式会社AIS社セミコンダクター事業部の半導体関連事業を同年6月1日付けでPSCSが承継すると発表した。さらに同日付けで、パナソニックの100%子会社である個別半導体メーカーの「パナソニック デバイスディスクリートセミコンダクター株式会社」と、同じく100%子会社で発光ダイオードメーカーの「パナソニック デバイスオプティカルセミコンダクター株式会社」をPSCSに吸収合併させると公表した。
パナソニック セミコンダクター ソリューションズ株式会社(PSCS)の設立と並行して、前述のように2014年4月1日に合弁会社TPSCoへ前工程主力ライン(北陸工場の最先端ライン)を移管し、2014年6月1日にはシンガポールとインドネシア、マレーシアの後工程(組み立て)子会社を売却したことがわかる。
一連の事業集約の前後で、半導体工場の状況を比較しよう。事業集約以前、すなわちパナソニック株式会社AIS社セミコンダクター事業部の時点では、国内にLSIの前工程拠点を4カ所、そのほかの生産拠点を3カ所、所有していた。海外にはLSIの後工程拠点を4カ所、そのほかの生産拠点を2カ所、いずれも子会社として設けていた。
事業集約後は、国内の半導体製造は「パナソニック セミコンダクター ソリューションズ株式会社(PSCS)」の北陸製造グループ(砺波、魚津、新井の直径150mm以下のウェハを扱う古い前工程ライン)、白河工場(車載モジュール)、亀岡工場(電子部材)、鹿児島工場(発光ダイオード)と、合弁企業TPSCoの北陸工場(魚津の300mm前工程ライン、砺波の200mm前工程ライン、新井の200mm前工程ライン)で構成されるようになった。
海外では、子会社である中国のパナソニックデバイスディスクリートセミコンダクター蘇州(電子部材)、パナソニックセミコンダクター蘇州(後工程ライン)、パナソニックデバイス上海(後工程ライン)を生産拠点とするほか、UTACマニュファクチャリングサービス(UMS)に売却した組み立てラインを協力工場として活用する。
また2015年3月1日にはシステムLSI設計の合弁会社ソシオネクストが事業を開始した。この段階で、半導体事業の集約はいったん落ち着きを見せる。様子見の段階に入ったとも言える。
半導体事業からの「完全撤退」
半導体事業の集約が第2段階へと動き出すのは、2019年のことだ。基本方針は売却による「完全撤退」である。半導体事業の将来性を見限ったことになる。
事業売却はディスクリート事業ではじまった。2019年4月23日にパナソニックは、ダイオード事業と小信号トランジスタ事業をロームに売却することで最終合意したと発表した。
ダイオード事業には、ショットキーバリアダイオード、TVS(Transient Voltage Suppressor)ダイオード、ツェナーダイオード、スイッチングダイオード、ファストリカバリダイオードが含まれる。また小信号トランジスタ事業には、バイポーラトランジスタ、抵抗内蔵型トランジスタ、接合型電界効果トランジスタが含まれる。なおロームは2019年12月1日に、パナソニックによる売却が完了したと発表した。
そして2019年11月28日、パナソニックは半導体事業を台湾の半導体メーカーNuvoton Technologyに売却する契約を締結したと発表した。Nuvotonは台湾の半導体メモリメーカーWinbond Electronicsが61.55%を出資しているロジック半導体メーカーで、直径150mm(6インチ)のウェハを扱う前工程ラインを所有する。この売却により、パナソニックと資本関係を有する半導体事業はソシオネクストだけとなり、事実上、「松下の半導体」は消滅する。
半導体事業のNuvotonへの売却(譲渡)は、以下のように進む。まず準備段階としての事業再編成をパナソニックが実施する。パナソニックの子会社であるパナソニック デバイスシステムテクノ(PIDST:Panasonic Industrial Devices Systems and Technology)とパナソニック デバイスエンジニアリング(PIDE:Panasonic Industrial Devices Engineering)の全株式を、パナソニック セミコンダクター ソリューションズ(PSCS)に承継させる。
それからパナソニックが設立する新会社「PSCS持株会社」(仮称)に、PSCSの全株式を保有させる。ただしリードフレーム事業だけはPSCSから切り離し、パナソニックの子会社として残す。
ここから、Nuvotonへの事業売却を実施する。「PSCS持株会社」(仮称)の全株式をNuvotonに譲渡する。また、パナソニックの子会社のグループ企業であるシンガポールの「パナソニック アジア パシフィック(PA)株式会社」で半導体の開発と販売を担当する社内カンパニーの「パナソニック デバイスセミコンダクターアジア(PDSCA)」の事業をNuvotonのシンガポール法人に売却する。さらに、中国の蘇州にあるグループ会社「パナソニック セミコンダクター蘇州(PSCSZ)有限会社」に関わる半導体の設備や在庫などをNuvotonの中国法人に譲渡する。
新型コロナウイルスの影響で売却完了は9月に延期へ
Nuvotonへの事業売却の完了は当初、2020年6月1日を予定していた。しかし実際にはCOVID19(新型コロナウイルス感染症)の影響で関係国の承認手続きが遅れ、同年9月1日に延期されたようだ(北国新聞が2020年5月27日に報じた記事による)。
またタワーセミコンダクターは合弁会社TPSCoに関し、今後も取締役会の支配権を維持し、半導体ファウンドリ事業を継続していくと2019年12月2日に発表している。
株主は日本のパナソニックから海外企業のNuvotonへと移行するものの、日本における半導体工場が消滅したわけではない。工場は存続し、そこでは数多くの人々が働いている。これからはNuvotonが日本の工場をどのように扱っていくかを注視していきたい。