大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」
密かに市場が拡大している電力線搬送通信「HD-PLC」。パナソニックの取り組みを追う
2021年10月25日 06:55
HD-PLCの施設などでの利用が促進されることになりそうだ。2021年6月30日に、電波法施行規則等の一部を改正する省令が公布されたことに伴い、HD-PLCの通信可能範囲が広がったことがその背景にある。
そして、2023年を目標に第4世代のLSIの開発が進められており、現状の2倍となる高速通信が可能になることで、改めて住宅市場に対するアプローチも始まることになりそうだ。HD-PLCの現状はどうなっているのか。この分野のリーディング企業であるパナソニックに聞いた。
HD-PLCのメリットとデメリットをおさらい
HD-PLCは、電力線を通信線として利用し、通信が行なえる技術だ。
50Hzおよび60Hzの100V/200Vの電力線に、LANの信号を高周波化して乗せる仕組みであり、2~30MHzの高周波帯域を使用。出口では高周波部分を取り出して、LANの信号に戻すというのが基本的な構造だ。
一般家庭やオフィスなどにあるコンセントを利用して接続できるなど、既設電線を有効活用できることから、配線工事コストを大幅に削減。省線化による工期の短縮や軽量化、施工時における躯体の損傷の軽減、機器や設備のメンテナンス性向上というメリットがあるほか、無線LAN使用時に発生する躯体や、複数台を設置した際の混線などによる通信障害を回避できるという特徴もある。
基本的には、PLCアダプタをコンセントに差し込み、PLCアダプタとPCをLANケーブルでつなげば、インターネット接続が利用できる。また、1台のPLCアダプタを親機とし、もう1台のPLCアダプタを子機としてコンセントにさし、監視カメラとLANケーブルでつなげば、親機に接続されたPCに、監視カメラのデータを簡単に送ることができる。
「重要文化財などでは、建物に配線用の穴を開けられないという場合もある。HD-PLCでは、そうした課題にも対応できる。監視カメラの場所を変えたいといった場合のネットワークの移設作業も容易だ。また、電気工事と通信工事との一体化工事が可能であり、現場作業者の手配や日程調整を削減でき、作業の効率化が図れるというメリットも大きい」(パナソニック ライフソリューションズ社エナジーシステム事業部パワー機器BU市場開発部の寺裏浩一氏)という。
2012年に第3世代にHD-PLCが進化し、安定性、高速性、省電力が図られたほか、2017年には、端末機をつなげ、情報信号をバケツリレー方式で送るマルチホップ技術が採用され、端末機自身が中継器の役割を果たし、長距離通信が可能になった。最大ホップ時には2km以上の通信距離で利用することも可能だ。
「これにより産業利用が増加。分電盤を経由することで減衰するといった課題も、子機を分電盤に設置することで解決。分電盤を超えた通信が可能になったことも、産業用途での広がりを支えている」(パナソニック ライフソリューションズ社の寺裏氏)という。
また、セキュリティに関しても、AES128bitおよびトーンマップによって端末間の暗号化を行なうことが可能だ。
だが、通信速度に関しては、光回線などを利用した有線LAN環境では数Gbps、無線LAN環境でも数100Mbpsであるのに対して、HD-PLCは、最大で30Mbpsとなっており、その点では機能的に劣るといえる。
「有線LAN、無線LANに比べて最大の弱点が速度となる。HD-PLCは画期的なネットワーク方式だが、すべてのネットワークを置き換えるものではない。有線LANにありがちな工事費用の問題、無線LANに発生しがちな電波が届かないという課題を解決することができるため、これらのネットワーク技術を補完する第3の通信手段が、HD-PLCということになる」とする。
実際、HD-PLCは、Wi-Fiが届かなかったり、LAN工事ができなかったりというように、ICT環境の整備が難しい場所での利用では重用されている。
船舶や地下、スタジアムといった閉鎖空間、トンネルや公園、工場、倉庫などの通信環境を整える際に離れた場所になっているケース、仮設の工事現場や建屋の周りといった屋外などでの通信環境の整備には適している。
住宅向けから転換
実際、HD-PLC搭載デバイスの市場は成長基調にある。
2020年度には、累計400万個に到達していたいるが、今後も成長を遂げ、2023年度には690万個の累計出荷に到達するとみられている。年平均成長率は20%増という高い伸びだ。
産業分野におけるIoTの浸透に伴い、これらの用途でHD-PLCが注目されており、「有線LAN、無線LANに続く、ローカルエリアネットワークの第3の手段として、産業用途に利用されている」(パナソニック ライフソリューションズ社エナジーシステム事業部パワー機器BU市場開発部の松崎章氏)とする。パナソニックによると、2021年4~7月のPLCアダプタの販売実績は前年同期比39%増という高い伸びを見せている。
もともとHD-PLCは、住宅向けとして導入が開始された。当初は450kHz帯を利用していたことで、ほかの機器から発生するノイズの影響によって、つながりにくいという課題が生まれたが、2005年に高周波帯域を利用したHD-PLCの認可にあわせて、こうした課題を解決するとともに、高速化を実現。パナソニックでは第1世代のLSIを完成させ、これを搭載したPLCアダプタを製品化し、住宅内での通信環境の整備が手軽に行なえる点を前面に打ち出した提案を行なっていた。コンセントに差し込めばいいため、1階でも、2階でも、ネットワーク回線が確保できるという点が普及の原動力となっていた。
しかし、無線LANが普及。HD-PLCの需要は一気に落ち込んだ。
この間、HD-PLCは、パナソニックの独自規格から、IEEE国際標準規格として認定されたり、電波法の改正により、敷地内での屋外利用が可能になったり、先に触れたように、2017年にはマルチホップ機能の搭載により長距離での設置が可能になるといった追い風があったものの、なかなか広がりを見せなかった。
だが、ここにきて、HD-PLCの特徴を活かした利用が少しずつ増加しており、産業用途などを中心に注目を集め始めているのだ。
HD-PLC導入事例
いくつかの事例を紹介しよう。
外国人研究者や留学生向けの寮である名古屋大学インターナショナルレジデンス東山では、159台のPLCアダプタを導入。137戸でのインターネット接続を可能にしている。
従来は電話回線によるVDSL環境となっていたが、リモート授業の増加に伴い、ネットワーク負荷が課題となっており、学生からの要望に対応する形で、ネットワーク環境の改善に乗り出したという。その際に、短期間で工事を完了させる必要があったこと、費用を抑えて導入するという課題があり、それに最適だったのがHD-PLCだったという。具体的には、有線LANの場合には、入札に3カ月、工事に約1カ月、光ケーブルの施設に約2週間かかることがわかった。また、ポケットWi-Fiを導入した場合には、1部屋あたり月2,000円の費用負担が必要であり、全体の回線使用料が月27万円程度になることもわかった。
そこで、HD-PLCの導入を検討したところ、既存電力線の活用により、工事費用は当初予算から約60%削減。ポケットWi-Fiと比較するとランニングコストはわずか3%に抑えることができたという。また、工事期間は約3日で済み、PLCアダプタの発注から工事完了までは約3週間で済んだという。
この時課題となったのは、戸数の多さだ。通信速度の実効値は最大20Mbps程度であり、これを137室で分割して通信すると、使い物にはならないほどの超低速になってしまう点だった。試算によると、全戸に同時配信した場合には、146kbpsに留まるという、どうにもならない水準だった。
この課題に対して、HD-PLCで通信を行なう住戸を、フィルタを使用し、系統ごとに分割する方法を採用。キュービクル内の分岐ブレーカーごとに系統をわけ、それぞれネットワークごとに割り当てる住戸を抑制し、速度を確保したという。
「HD- PLCは、2MHz~28MHzの周波数を使用しているため、この周波数をフィルタでカットすることで複数の系統を形成できる。フィルタによってPLCアダプタの通信を分割し、1戸あたりの通信速度を増やした。7戸同時に通信した場合でも、1戸あたり、2.8Mbpsの通信速度が見込める」という。
電気室では、ブレーカーが21回路に分割されており、最大7室に電気を供給していた。その仕組みをベースにフィルタを入れたという。
2.8Mbpsの速度は低速に感じられるが、7戸が同時に使用することがあまりないため、実際の通信速度は15~20Mbpsを維持でき、Web会議やリモート授業などでも、不自由なく利用できているという。施主からも「クレームはなく、運用面も問題はない」という報告を受けているという。
また、工事を行なった業者からも、「工事開始当初は、フィルタの設置に苦労したが、ユニット化するなどの工夫により、工事が効率化した」という声があがっているという。
2つめの事例は、長野県駒ケ根市の日本旅館である「山野草の宿 二人静」での導入事例だ。本館と別館、離れを含めて58室を持つ旅館で、各部屋へのネットワーク環境の整備に、HD-PLCを活用した。インバウンド需要を想定して、すべての部屋へのネットワーク環境の整備が狙いだった。
当初は、無線LANのアクセスポイントを館内に設置する際に、地下1階から5階まで、縦配線でのLAN工事を検討したが、施工が難しく、工事費用の負担が大きくなることから、HD-PLCの導入を決定。6台のPLCアダプタを導入して各フロアに子機を配置。この子機に、1フロアあたり2台ずつの無線LANアクセスポイントにつなげ、全室への無線LAN環境を実現した。
3つめが、都内の大規模タワーマンションである西戸山タワーホウムズの地下駐車場での導入事例だ。自動車用充電器の使用状況の管理のため、ネットワーク環境を整備することを検討したが、無線LANや4Gの場合には、コンクリート躯体が電波を遮ったり、駐車場の出入口が螺旋状のスロープとなっているため、電波が届きにくいという課題があった。また、有線LANの場合には、壁や天井に配線を通すための穴あけ工事ができないという課題があった。
そこで、7台のPLCアダプタを使用し、セントラルタワーの地下1階駐車場、地下2階駐車場、サウスタワーの地下駐車場に設置。地下駐車場に設置した自動車用充電器の使用データを収集し、管理室に送信する仕組みを構築した。
さらに、九州新幹線が走る長崎県の新長崎トンネルでは、7460mという西九州ルートでは最も長く、トンネル内では携帯電話も無線も届かないという問題があったが、外部との連絡手段として、HD-PLCを活用した無線LAN環境を構築した。約7.5kmという長距離を有線LANで施工した場合、工事費用の負担が大きくなること、LANの長距離通信における通信不良が発生するといった課題があった。そこで、18台のPLCアダプタを利用し、これを200mおきに設置。17区間をマルチホップ機能により接続して、入口から3.8kmの範囲で、無線LANアクセスを利用できるようにした。
また、鹿児島県にある陸上競技場のジャパンアスリートトレーニングセンター大隅では、グランドに設置した監視カメラの映像データの送信用にネットワーク環境を整備。従来工法では100メートルごとにHUBを設置する必要があること、光ケーブルやLANケーブルの施工、配線では、工事費用が高いこと、工事のための作業人員が多くなること、工事期間が長いことなどの課題があった。HD-PLCの親機を管理室に設置し、2カ所の分電盤に子機を設置。400mの配線距離を安定的にデータ送信できる環境を構築した。「新設の競技場であっても、HD-PLCを導入した事例になる」という。
そのほかにも、工場内の電力管理にHD-PLCを導入し、従来は月1回、半日をかけてPCを持ち歩いて、計測機器の電力利用を転記していたものをネットワーク接続して省力化したり、農場では、牛に取りつけたセンサーから、行動記録や健康管理に関するデータを収集するために、24棟ある牛舎にそれぞれPLCアダプタを設置。牛舎ごとにデータを集約することができるようになったという。穴あけ工事などが不要であるため、牛に影響を及ぼす工事の騒音がなく、工事ができないような場所でも通信が可能になったという。
さらに、北海道の支笏湖ビジターセンターでは、通路をまたぐ場所でのネットワーク環境の整備において、新たな配線工事をすることなく通信を可能にしたり、近鉄の大阪阿部野橋駅ホームでは、監視カメラの設置において、省施工のPLCアダプタを採用し、工期を短縮したりといったように、HD-PLCの特性を活かした導入が進んでいる。
電波法の規制緩和で通信範囲が広がるのは、大きな転換点になるか
HD-PLCにとっての大きな出来事は、2021年6月30日に公布された「電波法施行規則等の一部を改正する省令」により、規制が緩和され、HD-PLCの通信範囲が広がった点だ。 これは、産業分野などでの利用が促進されることにつながる。
これまでHD-PLCの利用範囲は、電波法により、住宅であれば分電盤の二次側であることや、同一敷地内であること、マンションや施設では、キュービクルなどにより一括受電を行っているトランスの二次側であり、同一敷地内であることだった。そして、単相交流(100V/200V)の利用に限られていた。
今回の電波法改正による規制緩和では、大きく2つの点が緩和された。
1つめの改正点は、従来から使用が認められている単相交流(100V/200V)に加えて、工場などで利用されている600V以下の三相3線での使用が可能になった点だ。
工場などの大規模施設では、有線LAN配線の場合には、長距離配線による工事費用の増大や100mごとのHubの設置、レイアウト変更による再工事費用の発生のほか、施設内でLAN配線が不可能な場所が存在するという課題が発生しやすい。また、無線LAN配線の場合には、コンクリートの壁に遮られ電波が届かなかったり、無線ルーターが遠くて電波が届かないといった課題が発生しやすい。生産設備の稼働状況管理やトラブル監視など、設備管理用ネットワークを、配線を新たに行なうことなく構築。既設の電力線を活用するため、LAN配線の施工が難しい場面でも、大がかりな工事をすることなく、生産効率を上げることができる。
昨今では、IoTの広がりとともに、工場をはじめとする「現場」からのデータ収集が、DXを推進するための重要なテーマとなっている。そうしたニーズにHD-PLCが活用される機会が増えることになる。
2つめは、従来は使用が認められていなかった船舶において、鋼船に限定してHD-PLCの利用が認められるようになったことだ。
これまでは、移動体での利用は不可能であったが、初めて移動体で、HD-PLCが利用できるようになったのだ。
国土交通省では、船舶業界における労働力確保のために、「船員のための魅力ある職場づくり」を目指しており、具体策の1つとして、船舶内におけるインターネット環境の改善があげている。
今後製造される新しい船舶では、船室へのネットワーク環境の整備が進んで行くことが予想されるものの、現在、運行中の既存船舶では、甲板から船内にネットワーク設備を敷こうとした場合、無線LANでは、金属の船体では無線の電波がさえぎられる可能性があること、有線LANでは、配線のための穴あけ工事ができず、さらに長距離配線となるため、高額な費用が発生するという課題があった。
こうした課題を持つ船舶内でのネットワーク環境の整備に、HD-PLCを活用できるようになるメリットは大きい。
なお、今回の規制緩和は、パナソニックが総務省に提出した申請が受理されたもので、「今後、IoT基盤構築の有効な手段の1つとして、一層PLC設備の利用拡大が期待できる」としている。
さらに弾みをつけるパナソニック
パナソニックでは、創業期に「二股ソケット」と呼ばれる製品が大ヒットして成長した。当時は、アタッチメントプラグで電気を供給しており、二股ソケットは、アタッチメントプラグを2個接続できるようにして、照明と家電製品が同時に使えるようになったことが受けた。
「HD-PLCは、現代の二股ソケットといえる。電力線を電力供給とデータ伝送の2つの用途に利用でき、電気の通り道に情報を通すことで、IoT時代の社会課題を、配線情報インフラで解決できる。これまでの電設資材を、配電情報インフラへし進化させることができる商材になる」(パナソニック ライフソリューションズ社の松崎氏)とする。
パナソニックでは、HD-PLC関連製品として、コンセントに取り付けて、ネットワークを実現するとともに、長距離通信が可能なマルチホップ機能を搭載している「PLCアダプタ」と、天井などに敷設した配線ダクトに取り付けることができ、PoE給電により、監視カメラなどの周辺機器も配線なしで設置できる「PLCプラグ」を用意している。
さらに、パナソニックでは、2023年を目標に第4世代のLSIをリリースする予定であり、これにより、HD-PLC市場の拡大に弾みをつけたい考えだ。
パナソニックによると、第4世代のLSIに進化することで、通信速度は、現在の約2倍となる60Mbps程度へと高速化できること、消費電力が大幅に下がること、さらに、小型化が可能になるとしている。
パナソニックでは、「2023年までは、産業分野全般に注力していき、とくに、規制緩和によってビジネスチャンスが広がった工場や船舶分野に力を注ぎたい」とする一方、「第4世代のLSIが登場する2023年以降は、産業分野が中心となるものの、住宅分野にも展開を図っていきたい」とする。
HD-PLCは、産業分野を中心に着実に実績を作っているのは明らかだ。そして、引き続き、技術進化の歩みも進めている。そうしたなかで、近い将来に、住宅分野において、どんなアプローチを開始することになるのか。パナソニックの取り組みに注目したい。