大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」
“東京生産”で勢いづく日本HPのシェア拡大。国内首位獲得にいたった裏側を追う
2019年9月5日 06:00
日本HPの「東京生産」が、1999年7月にスタートして以来、ちょうど20年目の節目を迎えた。あきる野、昭島、日野と場所を変えながら、「Made in TOKYO」を継続。さまざまな要求仕様に応える柔軟なCTOや、顧客に近い環境での生産による短納期、国内生産ならではの高品質を実現し、日本HPのPC事業の成長を支えている。
2019年第1四半期には、国内PC市場におけるブランド別シェアが初の首位を獲得した日本HPは、第2四半期も業界全体が前年同期比45%増と伸長するなか、それをさらに上回る87%増という高い成長を記録。その座を維持し続けている。
「Made in TOKYO」の生産体制は、こうした日本HPの急激な成長を下支えするかたちで拡張を続けている。東京・日野の日本HP 東京ファクトリー&ロジスティックスパークを訪れ、20年目を迎えた東京生産の今を追った。
20周年目に東京生産を拡大
今年(2019年)は、PC業界にとって、周年行事が目白押しだ。
先ごろ、PC-8001が発売40周年を迎え、記念モデルを発売したのは本誌でも紹介しているとおりだが(NEC PC、PC-8001生誕40周年を記念した「LAVIE Pro Mobile」参照)、そのほかにも、Dynabookが発売30周年、VAIOが設立5周年の節目を迎え、それぞれに記念したモデルを発売した。また、エプソンダイレクトは1993年11月の設立であり、25周年に入っているところだ。
こうしたなか、日本HPも、1999年7月に、「東京生産」を開始してから20周年という節目を迎えた。
日本HPの岡隆史社長は、「東京生産の20周年の節目にあわせて、PCに貼付する『Made in TOKYO』のロゴをリニューアルした。また、生産ラインを拡充し、国内トップシェアのPCメーカーとして、旺盛な需要に対応できる体制の構築に力を注いだ」と語る。
2019年3月には無休での生産体制をスタートして、増産に対応。さらに、今後は、再び月曜日から金曜日の稼働体制に戻しながら、生産ラインを、最大で約1.5倍へと拡張する考えを示す。20周年という節目に、東京生産の体制は大きく拡大することになるのだ。
日本HPでは、東京生産の規模を明らかにしていないが、調査会社のデータや関係者に取材からわかるのは、20周年の節目にあわせて実施された生産ラインの強化などによって、2020年度以降には、国内のPC生産拠点として、最大規模になる可能性があるという点だ。
現在、最大規模を誇るのは、富士通製ノートPCの生産を行なう島根富士通。2019年度は、ピーク時に月産35万台の生産を見込む島根富士通にはおよばないが、日本HPでは、東京生産に対する継続的な拡張計画を打ち出しており、国内最大のPC生産拠点というポジションに、いよいよ王手をかける状況にまで拡大してきているのだ。
言い換えれば、20周年という節目は、日本HPの東京生産が、日本最大規模のPC生産拠点になるための体制づくりに向け、新たなスタートを切るタイミングともなりそうだ。
東京生産の歴史
では、日本HPは、なぜ「東京生産」をスタートし、「東京生産」にこだわるのだろうか。少し歴史を振り返ってみたい。
もともと、日本HPの東京生産は、のちにHPが買収する旧コンパック時代に、東京・あきる野の多摩事業所(あきる野工場)でデスクトップPCの生産を開始したのがはじまりだ。多摩事業所は、コンパックが買収したDEC(ディジタル イクイップメント)の日本法人である日本DECが所有していた生産拠点であり、ワークステーションなどを生産。コンパックはそこでPCの生産を開始することにしたのだ。
多摩事業所でPC生産が開始された背景の1つとして見逃せないのが、1999年7月に、同時にスタートした直販サイト「ダイレクトプラス」の存在だ。この事業は、米国本社主導で検討が進められていたオンライン直販モデルへの参入計画がベースにある。
当時、オンラインによるメーカー直販モデルで成長を遂げていたデルに対抗するため、コンパック自らもオンライン直販モデルへの参入を検討。これを「プロジェクトアーセナル(弾薬庫)」と呼び、新たなビジネスモデルの構築に乗り出そうとしていた。
だが、パートナービジネスを中心としていたコンパックにとって、米国で運用をはじめるにはあまりにも影響が大きかった。そこで主要各国の現地法人などに打診したところ、手を挙げた国の1つが日本だった。
全世界ではトップシェアを誇っていたコンパックだったが、日本のコンパックはシェアがまだ低く、8位に低迷していた段階だったこともテスト市場として好都合だった。米国本社は、オンライン直販のテスト市場として日本を選択することを決定。システム開発に大規模な投資を行ない、旧日本DECのIT部門が中心となってシステム開発を担当するという特別プロジェクトだった。
だが、実際には日本の市場においても、主要な販売パートナーと緊密な関係を構築しており、じつに95%がパートナービジネスだったのだ。その状況において、日本法人がオンライン直販に乗り出そうものならば、これらの販売パートナーから総スカンを食うことは必至であり、シェアが低い日本のコンパックは、オンライン直販だけで成長戦略を描かなくてはならないという事態に陥る可能性すらあった。
そこで、日本のコンパックは、メーカー直販モデルに、パートナー販売モデルを組み合わせたハイブリッド型のダイレクトプラスの仕組みを考案。これをもとにしたシステム構築を開始したのだ。「ダイレクト」は直販を指すが、そのあとにつく「プラス」は、販売店による販売モデルを指している。この時点で、米国本社の当初の思惑とは外れたかたちで、日本独自のオンライン直販モデルを構築する動きがはじまることになる。
では、日本のコンパックが生み出したダイレクトプラスの仕組みとはどういうものか。
たとえば、法人ユーザーが購入したいPCがあった場合に、Webサイトであるダイレクトプラスを通じて商品/構成を選択してもらえば、法人ユーザーは、コンパックとの直接取引だけではなく、普段から取引実績がある販売店経由でも購入することができる。
販売店は、ユーザーが選択したその製品情報をもとに仕入れを行ない、売上と収益が計上できる。販売店にとっては、在庫を持たずにビジネスができ、配送もメーカー直送が利用可能になることで手間とコストが大幅に省けるというメリットが生まれる。ダイレクトの仕組みを利用した、販売店支援モデルとも言えるものだった。
ただ、これを実現するためには、国内に生産拠点を持つ必要がある。仮に中国の生産拠点でダイレクトプラスの仕組みを動かそうとすれば、納期を長期化させるか、CTOを行なわずに売れ筋モデルを在庫して販売するかのどちらかを選択しなくてはならず、目指した仕組みとはかけ離れる。ユーザーの要求にあわせて、カスタマイズ製品を供給する一方で、在庫を持たないビジネスモデルを確立するには、中国生産では実現が難しいと判断。そこで、国内での生産体制の確立にこだわったのだ。
いわば、ダイレクトプラスの仕組みの構築と、東京生産のスタートは、切っても切れない関係にあったのだ。
先にもふれたように、日本が構築したオンライン直販の仕組みは、もともと米本社がイメージしたものではなかったのは事実だ。しかし、日本法人が取り組んだダイレクトプラスの仕組みは、販売店から受け入れられ、日本におけるコンパックのPCビジネスを成長させる原動力となった。この基本システムは、本社のシステムに統合されることなく、2016年に日野に拠点を移設するまで使用されていたのだ。
振り返ってみれば、DECとの統合で得られた多摩事業所とITチームの存在、グローバルでのオンライン直販の試行タイミング、その偶然が重なった異例とも言える流れのなかで、ダイレクトプラスが開始され、同時に東京生産もスタートしたことになる。
あきる野でスタートした東京生産は、デスクトップPCの生産に続き、2001年5月には、ワークステーションの生産を開始。2003年1月には、HPによるコンパックの買収により、昭島事業所に生産拠点を移設して、新たな体制でPCの生産を開始した。
2004年11月からは「MADE IN TOKYO」のステッカーの貼付を開始。2010年6月からは、一体型PCの生産を開始、2011年8月には、ノートPCの生産開始、さらには2012年7月にはモバイルワークステーションの生産を開始した。
日本HPと日本ヒューレット・パッカードが会社を分離したあととなる2016年6月には、現在の東京・日野の「東京ファクトリー&ロジスティックスパーク」に、生産と物流拠点を統合するかたちで移設した。そして、2019年7月には、東京生産開始から20周年を迎え、それにあわせて「Made in TOKYO」のステッカーを刷新した。
他社が中国生産に移行するなか、頑なにMade in TOKYOにこだわった
この間、日本のPCメーカーのなかには、中国へと生産拠点を移転する例が見られた。
だが、日本HPは、むしろ日本生産にこだわった。2011年にノートPCの東京生産を開始したタイミングは、日本は超円高とも言われる時期であり、労働コストや土地の価格などを考慮しても、それまでの中国生産体制を日本に移すのは、まさに異例の措置であり、他社とは「逆張り」の一手でもあった。
そこまで、日本HPが、東京生産にこだわったのは、先にふれたように、ダイレクトプラスの仕組みに実効性を持たせるという意味があったが、日本HPは、最初から東京生産のメリットを知りつくし、それを米本社に訴え続けてきた点が見逃せない。
東京生産の開始後も、米本社からは中国で生産したほうが、人件費が安く、生産コストを抑えられると、生産拠点の見直しを要求されることが続いた。日本から中国に生産移転を進めたメーカーの多くもそれを理由にしていた。
だが、岡社長は次のように語る。
「2011年当時を振り返ると、確かに、中国で生産したほうが人件費は遥かに安かった。しかし、人件費はコストの一部でしかない。たとえば、中国で生産すれば、受注から納品までに、2週間以上のリードタイムが生まれる。これでは、競合他社には勝てず、成長もできないのは明らかだった」。
「今月中に納品してほしい」という商談は日常茶飯事で起きている。しかし、ここに2週間以上のリードタイムが存在すれば、受注できるのは月の前半までにかぎられる。販売機会の損失期間が、毎月15日以上にも達するのだ。この機会損失を埋めるために、販売店は在庫を持とうとする。
だが、この在庫のための保管費用はコスト増につながる。しかも、新製品の投入サイクルが速く、製品が陳腐化し、コスト構造が変化しやすいPCの場合、在庫を持つということはリスクが膨れ上がることになる。
さらに、在庫を持てば売れ残りのリスクも発生し、在庫モデル主導では、在庫不足の売り逃しも発生する。持っている在庫がニーズに合致したものであればいいが、欲しい機能が足りていなかったり、過剰だったりすれば、それに伴う余計な提案や補填もしなくてはならない。
こうしたトータルコストを考えて、日本HPは、東京生産にこだわった。この理解を本社側が納得するまでにかなりの時間がかかったが、日本HPは粘り強く交渉を続けた。実際、2011年のノートPCの生産開始は、米本社と6年にわたって折衝を続けた結果、実現したものだった。
東京生産はスタート時点から、5営業日での納期を実現している。これにより、販売店は在庫を持たずにビジネスができる。「今月中に納品してほしい」という要望にも、毎月25日まで受注できるというわけだ。
日本HP サプライチェーンオペレーション本部・近藤和豊本部長は、「東京生産の強みは、お客様のさまざまな要求仕様に応えることができる柔軟なCTOや、最大の消費地である東京で生産することで、顧客に近い環境で短納期化が可能になること、そして、国内生産ならではの高品質を実現するとともに、市場の要求にあわせた品質改善がやりやすい点にある」と語る。
日本HPが国内でシェアを急拡大
以前、本コラムでも伝えたように、2019年第1四半期(2019年1月~3月)における国内PC市場のブランド別シェアで、日本HPが首位となった。外資系PCメーカーが首位となったのははじめてのことである(国内PCメーカーが史上初の首位陥落の衝撃! Intel製CPU供給問題が業界勢力図を変えた参照)。
実際、1999年に東京生産を開始した時点で、コンパックのシェアは4.5%。それが、この20年間で、18.8%にまで拡大しているのだ。その勢いは2019年第2四半期(2019年4~6月)も継続している。日本HPのシェアは、コマーシャルPC分野で23.6%、PC市場全体では18.8%となり、依然として首位を維持した。
ここでは、PC市場全体が前年同期比45%増という、第1四半期を大きく上回る高い伸びを示したが、日本HPは、第1四半期を上回るとともに、市場全体の伸びを上回る前年同期比87%増という高い成長率を記録している。とくに、コマーシャル向けPCでは、前年同期比95%増という、2倍近い伸びを示しているのだ。
言い方を変えれば、東京生産は、この1年間で、倍増する需要に対応できるほど生産能力を高めたとも言える。
日本HPでは、日野に東京生産を移転したさいに、拡張できる環境を確保。それまでは分散していた倉庫スペースも同じ場所に確保し、効率的なサプライチェーンを実現。さらに、旺盛な国内PC需要に対応するため、2019年3月からは、従来の月曜日から金曜日までの稼働体制を、無休の稼働体制へと移行。2019年5月には、生産ラインを拡張。出荷台数の増加に対応できる体制を整えた。
この体制強化はこれからも続くことになる。今後は、稼働体制を見直し、土日の稼働を再び休止。その一方で、生産ラインを拡充し、需要に対応する考えだ。ここでは、組立工程の増加にあわせて、梱包ラインも増強することになる。
さらに、生産ラインの増強にあわせて、全体のレイアウトを大幅に変更する考えであり、それにより、フロアの効率利用を実現する考えだ。
「これまでは少量多品種だったものが、大量多品種と言える生産体制へと移行している。オペレータのスキルや知識を高め、多能工化することにより、需要の変動や生産機種の変動に対応するといったことにも取り組む。また、ピッキングの自動化や、サプライヤーからの入荷時の半製品比率を高めるといった効率化にも取り組む」という(日本HPの近藤本部長)。
一方で、品質改善への取り組みも強化している。生産台数が増加すれば、初期不良率が同じでも、絶対数は増えることになる。その点で、品質改善への取り組みはこれまで以上に重要になる。
日本HPの近藤本部長は、「東京生産における品質向上はもちろん、サプライチェーン全体での品質向上にも取り組んでいる。日本HPの品質部門のリーダー格の社員が、中国のサプライヤーの拠点に2、3カ月常駐したかたちで、日本品質のモノづくりを指導するといったこともある。新製品の立ち上げ時には、開発チームも立ち会って、品質面でのサポートを行なうこともある」という。
日本品質をサプライチェーン全体に広げるための取り組みもますます重要になっていきそうだ。その点でも、東京生産の拠点は、その中核的役割をはたすことになる。