山田祥平のRe:config.sys

パソコンだって変わるのさ

 Lunar Lakeの開発コードネームで知られるCore Ultraプロセッサーシリーズ2が正式に発表された。40TOPS超のNPUを内蔵するCopilot+ PC要件準拠のSoCだ。

 その低い消費電力やプロセッサとしての処理能力については、OEM各社からの製品発売を待って、実際に製品を手元で使ってからのお楽しみといったところだが、少なくともこの先のパーソナルコンピューティングにおけるエンドユーザー体験は、このタイミングで大きく変わることになるだろう。

変わるなら変えよう

 フォームファクタに大きな変化はなさそうだが、そのインパクトは大きそうだ。たぶん、PCの使い方が変わる、あるいは意志をもって変えなければ損をするタイミングだ。

 MicrosoftのCopilot+ PCコンセプトはそれをうながす1つの潮流で、パーソナルコンピューティングにおけるAIの利活用を、より柔軟なものにしようとする姿勢が感じられる。そしてQualcommとAMDに続く、今回のIntelの新SoC登場で役者が揃った。

 過去において、PCと対話するための方法にはいくつかのパラダイムシフトがあった。当初はお願いするために人間が機械語を学習した。2進数のマシン語がニーモニックになってアセンブラが使えるようになっても似たようなものだった。

 PCはそのうち機械語よりももっと人間の言葉に近い高級言語を理解するようになりインタプリタを使えるようになった。通訳を介することで日常的に使っている言語に近い言葉で対話ができるようになったのだ。

 その対話の手段についても、コマンドという文字によるコミュニケーションを経て、グラフィカルなオブジェクトへの直感的な指示ができるようになった。

 そして今は、オペレーティングシステムでのファイル操作とアプリケーションの使いこなしが、一般エンドユーザーにとってのPCの使いこなしと見なされている。やりたいことをやるには、それができるアプリケーションを用意するというのが一般的なPCの使い方だ。

 ここまでの過程ではとにかく人間がPCの都合を配慮する必要があった。そして人間が自分自身でデータを生成する必要もあった。つまり、テキストやグラフィックスを人間である自分自身で生み出さなければならない。

 クリエイティブな素養を持っている人は魅力的な文章を書いて小説や脚本、詩歌を作るし、人の心を打つグラフィックスを描いたりできる。その表現の優劣はコンピュータとはあまり関係がない。上手い人は紙とペンでも上手いのだ。

 AIがPCで気軽に使えるようになることで、人間が機械の都合を考える必要がなくなる。もっとも、現時点ではAIが対処しやすいようにお願いの仕方を工夫する必要があったりもするが、そんなことをしなくても適切に意図を機械に理解してもらえるようになるまでに、そんなに時間はかからないだろう。

 機械が人間の気持ちを学べば、人間は機械に併せる必要がなくなるということだ。これで主従がやっと正しくなったとも言える。

NPUは新世代アプリが消費する電力削減のための処理ユニット

 AIのユースケースについては当面は確立されない中途半端な状態が続くだろう。もしかしたら今がピークで将来はそれほど話題にならなくなるかもしれない。

 でも、AI処理を効率的に実行するために、CPU、GPUに続く新たな処理ユニットとしてNPUが追加されたのだから、それがむしろ足をひっぱることがないように活用しなければ損だ。明示的にエンドユーザーがNPUを使わなくても、知らないところでアプリケーションが積極的にNPUを使えばそれでいいという考え方もある。

 これまではその処理をCPUやGPUに頼ってきたが、それをNPUにオフロードすることで、電力効率が高まることの意義が大きい。逆に言うと電力の確保に不自由がなければNPUがなくてもCPUやGPUに処理させれば同じこと、あるいはそれ以上のことができるだろう。

 だから、今回のNPUの追加はバッテリ運用される時間が長いモバイルPCにもたらすパラダイムシフトだと言ってもいい。要するにモバイルノートの新しい当たり前だ。

 フルスペックのWindowsをバッテリ運用されるノートPCで使うとき、5G WAN経由でOutlookのようなメールクライアントを動かしながら、Officeアプリに加えてTeamsやZoomといったオンラインコミュニケーションアプリを併用する使い方をしたとしよう。

 この使い方ではかつてのプロセッサでの利用では大体1時間あたり10W程度の電力を消費する。多くのノートPCは50Wh前後のバッテリを搭載しているので5時間程度はバッテリ駆動ができる計算になる。これをカタログスペック上で確認すると、3倍くらいの時間が記載されているだろう。話半分どころか話3分の1といったところか。

 多くの処理をNPUに逃がすことができればバッテリ駆動時間はスペックに近い値に収束していく。個人的にはバッテリ駆動時間としてカタログスペックの15時間を確保できればまったく問題がない。それ以上稼働できても、人間がインタラクティブにつきあうこと自体が無理だ。

 逆の言い方をするとバッテリ駆動時間が正味5時間と、現状と同じ程度で我慢できるなら、搭載バッテリの容量は3分の1で済む。重量的には200g減量程度のインパクトが生じるだろう。今のモバイルノートPCは1kg前後の重量のものがほとんどだが、それが2割ダイエットできる。つまりモバイルノート800gが新しい当たり前の時代がやってくる。

 カタログスペックに近いバッテリ駆動時間をとるか、従来と同等の使用時間をより少ない消費電力で確保して薄軽化するかは機器のコンセプトやユーザーの利用目的次第だが、PCメーカーにとっては機器バリエーションの充実につながる。そしてそのこともエンドユーザーコンピューティングのパラダイムシフトに影響を与えることになるはずだ。あまり使わない人にとって「あれば邪魔だがないと困る」的な存在だったPCの存在感が変わるからだ。

対話方法と重量、そしてアプリケーション

 ノートPCを使うエンドユーザーのほぼ100%がスマホを携帯しているし、日常的な機械との対話の多くはスマホを使って行なわれている今、PCがたかだか2割ダイエットしたところで、その使い方に大きなインパクトを与えるはずがないという議論もあるだろう。でも、そこはそこ、個人的には30年ほど前にノートPCが登場し、オフィスから持ち出せるようになったときと同じくらいのインパクトがあると考えている。

 そう言えば、1989年に東芝が発売したノートPC DynaBook J-3100SSは、重量2.7kgでカタログスペック2.5時間の運用ができた(dynabookの特設サイト)。機器として携行したがジャストシステムのワープロアプリ「一太郎」で文書を書いても1時間程度でバッテリの残り容量は不安になった。話半分以下は当時から変わらない。だが、まさにパラダイムシフトをもたらしたあの名機は今年で35周年を迎える。

 コンピュータとの対話方法、コンピュータの重量、コンピュータのアプリケーションという、まったく関係がないように見える3つの要素は、実はコンピュータの使い方に半端ではない影響を与えるし、それぞれが影響しあう。NPUという新たな処理ユニットの追加は、その関係性にただならぬ変革をもたらすだろう。だからコンピューティングが変わり、パラダイムがシフトするのだ。