山田祥平のRe:config.sys

命令から対話に遷移するコンピュータとのセッション

 Microsoftの消費者向けCopilot in Windowsがスタートした。正式と言っても手元のPCのタスクバーのアイコンには「(プレビュー)」が付いたままだが、ご存じの通り、Windows内で誰でも使える生成AIのサービスだ。

コンピュータとの対話が変わる

 PCがネットワークにつながり、通信機として機能するようになって久しい。その重要な役割は情報の収集だ。生成AIは、コンピュータで得られるコンテンツの次の当たり前を生成する。過去に学習した知識を元に自律的な思考をするようになる時代の到来だ。

 PCをLANやWANなどのネットワークに接続せずに、その機器を単独で使うことを「スタンドアロンで使う」という言い方をする。要するにPCをネットワークから孤立した状態で利用することだ。

 このとき、PCが過去に十二分な知識を学習していて、各種の情報を提供してくれない限り、その知識の源泉は、PCを使うユーザー次第となる。

 もっとも小説家が小説を書く、アーティストがイラストを描く、シンガーソングライターが楽曲を書くといったことなら、ネットワークへの接続はかえって邪魔になるかもしれない。真っ白のキャンバス、真っ白の原稿用紙、未記入の五線譜のような状態であることをそれを使う人間は求める。

 そうは言っても、小説の中で主人公のカップルが心の葛藤の中で外国に逃避行するようなシーンを書こうとする場合、作家は、飛行機に乗せるか、船に乗せるか、あるいは、徒歩で国境を越えて亡命するかなどのパターンを考え、その現実的な実現性を検討する。

 そのためには、かつての作家の多くは、取材旅行で情報を集めたはずだ。その膨大な情報をもとに、白紙の原稿用紙に向かってペンを走らせる。

 そこまでいかなくても、文章を書くということ自体が今はコンピュータとの対話になっている。日本語入力のためのかな漢字変換は、まさに、コンピュータとの対話によるセッションの結果だと言える。少なくとも、ぼく自身は、もう手書きでこのコラムのような文章は書けない……。

 こうしたコンテンツ生成のための取材はいろいろなところで行なわれているはずだが、場合によってはインターネットを検索し、そこで得られる情報を元にすることも取材の一環として行なわれている。

 昔は、サーチャーという職業があって、過去に公になった膨大な量のメディア情報の中から、求めている内容に合致するものを見つけるプロフェッショナルがいたりもした。

 現代社会ではインターネット検索のノウハウがコンピュータリテラシーの基本となっていて、誰もがある程度のスキルで欲しい情報を探すことができているはずだが、それでも検索ボックスに入れる単語は一語、そして、最初に出てきたリストを順にひとつ、ふたつ開いて、それで分からなければあきらめるといったユーザーも少なくない。

 もちろん、情報の信憑性も検索エンジン任せとなる。やはり、求めている情報を得るためには、それなりのスキルが要求されるわけだ。

 コンテンツには、文字、画像、写真、アニメーション、実写動画など、さまざまな形態があるが、音声付きの実写動画の生成は、当面は難しそうではあるが、時間の問題かもしれない。

本当は誰もが専門家

 コンピュータの黎明期は、コンピュータを使うために、それ相応の知識が必要だった。いわば、コンピュータの専門家でなければ、コンピュータを使うことができなかったわけだ。コンピュータを使うために、コンピュータのことを学習するという、ややこしい状況が当たり前だった。

 今は、少し状況が変わってきてはいるが、やはり、高度なスプレッドシート操作、複雑な動画編集、明解に意図を伝えるプレゼンテーションスライドといったものを作るためには、コンピュータソフトウェアの操作に習熟していることはもちろん、その完成形へのイメージをきちんと持てるかどうかが問われる。

 でも、五線譜にペンで音符を記すしかなかった作曲が、マイクの前で鼻歌を口ずさむだけでもできるようになったのはものすごいことだ。

 教師が児童に向かって、絵の具の使い方、筆の握り方など、ちょっとした道具の使い方を教えれば、その先は、それぞれの児童の創造の翼が拡がるのを見ているだけでいい。大人では考えもつかない何かが産まれる瞬間だ。

 Windowsのように、誰もが使う環境に生成AIが組み込まれたことで、コンピュータを使うためのハードルは低くなり、覚えなければならない当たり前も少なくなる。

 本当は、誰でもが何かの専門家なのだ。その専門家がやりたいことをコンピュータが支援する。専門知識がなくても生み出せるようにする。これまでは、その支援を得るために、コンピュータへの歩み寄りが必要だっただけのことだ。コンピュータへの命令ひとつとっても、呪文の習得が必要だった。まるで物語に出てくる魔法使いと同じだ。

 その歩み寄りの距離感が今までよりも格段に近いものになる。そして、今までコンピュータに縁遠かった多くの人々が、コンピュータの恩恵を、これまで以上に得られるようになるということだ。

 スマホは、コンピュータ的なデバイスの持ち歩きを容易にし、誰もがいつでもどこでもコンピュータを使えるようにした。それはそれで偉大だ。きっとそうなるだろうと信じていたが、本当にそうなった。

 個人的には広さは正義だと思っているので、スマホの小さな画面でのコンピュータとの対話よりも、大きな画面を使っての対話の方が、短時間で目的に到達できるとは思っているが、それについては人それぞれだろう。

 どっちにしても、今のコンピュータテクノロジでも、3歳児が世界的な大ヒット曲を作曲し、魅力的な編曲で楽曲に仕立て上げることはできそうだ。そのとき、3歳児は作曲の専門家として、誰にも負けない名声を得る。

 まあ、専門家の概念は新しい当たり前で上書きされる。多かれ少なかれ、コンピュータとの対話の中で、個人が潜在的に持っているチカラを、顕在化させることができるわけだ。

人間が生成する新たな何か

 今、コンピュータをネットワークに接続しないで使うことは、ほとんどなくなった。世界中のほとんどの環境でインターネットが使えるようになっている。飛行中の航空機の中でさえ、料金さえ払えばインターネットに接続できる。

 携帯電話が圏外で、しかもWi-Fiも使えないといった場所で、携行しているノートPCを開いても何もできなくて絶望的な気分に陥った経験はないだろうか。そこまでいかなくても、極端に遅いネットワークでは、コンピュータが途端に無能になったような気がしてくる。

 だが、大量の素材がノートPCのローカルストレージに保存されていて、それを組み合わせて、新しい何かを作るといった行為においては、外部とのつながりは、あまり関係なかったりもする。

 今後、Windows Copilotのような生成AIの利用がネットワークや外部の情報に依存しなくなることは十分に想定されていることだ。ネットワークに接続されず、外部から情報を新たに入手できないスタンドアロンのコンピュータが役に立つようになる時代が再びやってくる。

 とは言え、人間がそうであるように、外部とのやり取りができるときには学習を怠らず、常に最新の知識で成長を続ける。

 将来的に、コンピュータはネットワークにつながっているときと、つながっていないときの区別が今よりももっと曖昧になっていくのではないか。いつでもどこでも手元のコンピュータと対話すれば自分自身を強化し、望みの結果が得られる。人間自身が新たな創造のためにコンピュータの支援を得られるようになる。

 それは、人間自身が何かを生成することにほかならない。Copilot in Windowsが目指しているのはそんな方向性かもしれない。願わくばもっと高速にと言いたいところではある。