山田祥平のRe:config.sys

機械の家族としてのスマートディスプレイ

 スマートスピーカーは、思ったよりも早く人々の暮らしに浸透していきそうだと思っていたが、ここにきて、各社のスマートディスプレイが続々と登場し、スマートスピーカーに感じていた不便が解消されつつある。まるで、スマートフォンを据置にしたようなこのカテゴリのデバイス、いったいどんないいところがあるのだろうか。

スピーカーとディスプレイがスマートに統合

 「Google Nest Hub」、「Amazon Echo Show 5」と相次いでスマートディスプレイが発売された。さらにレノボも「Lenovo Smart Clock」を発表した。それぞれ、7型、5型、4型とサイズのバリエーションもお好み次第だ。また、レノボとAmazonは10型ディスプレイの製品もラインナップしている。お望みならAmazonのEcho Spotのように丸型ディスプレイのものもある。Amazonは、スマートディスプレイにもっとも熱心なプラットフォーマーだといるかもしれない。

 Amazonは、このカテゴリのデバイスを「スクリーン付きスマートスピーカー」と呼んでいる。まさにそのとおりで、これまで慣れ親しんだ、というよりも、慣れ親しみかけていたスマートスピーカーに、音声のみならず、グラフィックスやキャラクターでの視角情報を付加し、さらにはタッチによるGUIを兼ね備えているものを十把一絡げにすれば「スマートディスプレイ」ということになる。

 Amazonほどバリエーションが豊富だと、デバイスごとに微妙に操作方法やGUIが異なってしまうため、ユーザーはちょっとした混乱に陥ってしまうのだが、ごく普通の家庭ではあまり問題にならないかもしれない。

 興味深いのはレノボの考え方だ。同社では、今回の新製品を「Lenovo Smart Clock」と命名している。ディスプレイでもなくコンピュータでもなく「Clock」、つまり時計だと位置づけた。もっとも、できることは他社のデバイスとそれほど違うわけではない。Googleアシスタントをプラットフォームとして利用しているNest Hubとできることは、ほぼ同じだ。天気予報がよくあたるといったこともない。

 ただ、目覚まし時計として特化した機能がデバイス側に実装され、そこでアラームのサウンドを選んだりすることができる。スマートスピーカーが奏でるアラーム音では、いまひとつパンチが足りなくて目を覚ますことができず、目覚ましはスマートフォンにかぎると思っていた方でも、これなら納得できるかもしれない。朝は時間との戦争だ。優雅な環境音などで目覚めている場合じゃない。

コンピュータのようでコンピュータではない

 これらのデバイスの画期的なところは、いつのまにかアップデートされて新たな機能が使えるようになったりする点だ。とくに、スマートディスプレイは、スマートスピーカーと異なり、まがりなりにも、ディスプレイを使ってデバイスと対話することができるので、新しい機能の追加に気がつきやすい。

 たとえば、いつものように「YouTubeでナスの煮浸しの作り方を見せて」といったリクエストをすると、ある日とつぜん、YouTube専用のGUIで動画が開くといった具合だ。Amazonによれば、どうやら、積極的に機能追加をアピールすることはしない方針のようだ。そこが、コンピュータ的なスマートフォンとは性格が違うところなのだろう。

 視角情報を提供できるようになったスマートデバイスは、ちょっと間違えば、スマートフォンやタブレットと同じ道をたどることになる。だが、極端に近い距離で操作をするようには仕向けず、かと言ってつきはなすこともせず、いい感じの距離感でつきあっていけるという点で、汎用と専用、家庭内というセミパブリックとプライベートの中間位置をキープしているようにも見える。

 これらのデバイスが、密接に個人に結びつけられていないというのもその一因となっている。設定や管理、コンテンツのサブスクリプションのために、ある程度は、個人との紐付けが必要になるが、決して個人専用ではなく、家庭という空間のなかで、中立的な存在として、誰のいうことでも理解しようとしてくれる。

 話しかけたのが誰であっても、プライバシーにひっっかる情報をペラペラとしゃべってもらっては困るのだ。そういう使い方に応えるのは、個人に1台が浸透した小さなコンピュータ、つまりスマートフォンであって、スマートディスプレイやスマートスピーカーの役割ではない。

異なるデバイスは別の名前で起こしたい

 ちょっと困るのは、評価のために家のあちこちにスマートディスプレイを設置し、とくに、枕元には3台のスマートディスプレイが並んでいたりするのだが、せまい我が家では応えてほしいデバイスが応えてくれないことがある。それに加えて、スマートフォンまで反応するので、「明日7時に起こして」と言っても、期待した枕元のデバイスが応えずに、リビングのスマートスピーカーが反応したりといったことが起こる。デバイスごとにウェイクワードを自由に設定できればこんなことはないのにとも思う。もちろん、ほかのデバイスが音声を拾っても、呼びかけたデバイスに伝言してくれるようになっていたら便利だ。

 閉口するのは、これらのデバイスが、ごく一部をのぞいて、あのダンゴ形状の邪魔になるACアダプタを使い、丸型のバレルコネクタで電源を供給しなければならない点だ。Type-Cとはいわないまでも、せめてMicro USBを使ってくれれば、以前に使っていた各種のコンパクトなチャージャーが使えるのになとも思う。

 ほとんどのデバイスは5V/1Aもあれば十二分に稼働するので、そこが惜しいところだ。もし、USB給電ができれば、モバイルバッテリと組み合わせ、電源ケーブルを配線できないところでも使える可能性がある。容量に余裕があるバッテリを使えば、1週間くらいは充電なしで運用できるかもしれない。たとえばQiを実装したバッテリで給電できるといったことがができれば使い道は広がっていくだろう。

薄型スマートディスプレイとタブレット

 今、スマートスピーカーは音楽を楽しむのにもっとも活躍しているらしい。だから、小さな筐体でも少しでも品位の高い音質で音楽を楽しめるようにしようというのが、各社の戦略だ。だから、本体はちょっとかさばりボリューム感がある。radikoとつながり、ラジオコンテンツの復権にも貢献している。そもそもラジオというデバイスが家庭に1台もないという状況が当たり前になりつつある昨今だ。

 あったとしても非常用に普段は電源を入れられることもなかったりする。そんなラジオ放送を、日常的に聴くようになるというのはおもしろい。radikoを使ってラジオ放送を流しても、スマートディスプレイは、テロップで音声内容のダイジェストを併せて表示してくれたりしないことだ。

 このあたりも、将来的には、ある日とつぜん、文字と音声での情報提供に切り替わる日がくるのかもしれない。同様に、スマートディスプレイはTV放送のあり方にも変化をもたらすだろう。いろいろとこの先がおもしろそうだ。

 こうなると欲しくなるのが薄型デバイスで、壁に貼り付けられるようなスマートディスプレイだ。昔から壁掛けTVは未来の象徴だったが、今、スマートディスプレイはそちらの方向を向いていない。個人的には、一般的なタブレットをスマートディスプレイとして使うためのアプリを提供するようになれば、それですむし、Amazonあたりは、Fireタブレットでいつでも簡単に環境を提供できそうなものだが、そういうふうには動いていないようなのがもどかしい。

 電源が必要なことを忘れてしまうくらいにバッテリが長持ちして、冷蔵庫の扉に貼り付けておいて、キッチンでいろいろ便利に使えるようなスマートディスプレイがあったらいいなと思っている方も少なくないのではないだろうか。

 いずれにしても、スマートディスプレイは、パーソナルコンピュータから「パーソナル」な要素を拭いさろうとしている。その存在感は、いわば、機械の家族だ。あらゆるものが個人を向いていくなかで、そうではない方向性をもったデバイスが注目されるというのは、いろんな意味で興味深い。

 もっともスマートスピーカーの利用にはインターネットへの常時接続が必要だ。トラフィック量を気にする必要はないと思うが、積極的に活用して未来のコンピュータのあり方を考えてほしい若い世代は、自室に、常時接続のインターネットがなかったりする。携帯電話料金の値下げも重要だが、無線有線はどちらでもいいので、固定インターネットの普及浸透も、これからの社会には重要なテーマなのではないだろうか。