山田祥平のRe:config.sys

聴き放題、読み放題サービスの功罪

 サブスクリプションサービスはコンテンツの所有に対する考え方を変えた。なにしろ、一生かかっても聴ききれない、読み切れないほどのコンテンツがそこにある。ないものはないように見えて、それでもないものはなかったりもするのも悩ましい。ぼくらはこの流れにどう乗っかっていけばいいのだろう。

YouTube MusicがGoogle Play Musicを飲み込む

 YouTube Music Premiumの日本におけるサービスがスタートして約3カ月。最初に申し込んだ3カ月の無料期間がもうすぐ終わる。継続するかどうかをそろそろ決断しなければならない。

 じつは、YouTube Music Premiumのサービス加入者は、Google Play Musicの有償サービスも利用できる。逆も真なりで、Google Play Musicの加入者はYouTube Music Premiumも利用できる。双方ともに同じGoogleが提供しているサービスだが、その性格はずいぶん違う。将来的には統合されるサービスとされているが、本当にそうなると、ちょっと困るかもしれない。

 まず、Google Play Musicが4,000万曲超としている曲数だが、YouTube Music Premiumは非公開だ。これはYouTubeに登録されている音楽コンテンツが、玉石混淆というと失礼かもしれないが、YouTuberの「歌ってみた」、「弾いてみた」的なものから、アーティスト本人によるミュージックビデオなどまでがコンテンツに含まれるからだろう。

 過去のTV番組などの録画データから作成されたお宝映像もそうだ。はたして権利者の許諾を得ているのだろうかと思えるものまでリストアップされる。その一方で、Google Play Musicに登録されたコンテンツはオフィシャルなものばかりだ……と思っていたら、Google Play MusicはすでにYouTubeとつながっていて、検索結果の「動画」カテゴリにはYouTubeのコンテンツが出てくるようになっている。

 だが、純粋に映像を伴わない純楽曲コンテンツということであればGoogle Play Musicが提示するコンテンツのほうがオフィシャルっぽい。YouTube Music Premiumの検索結果には、なんとなくうさんくささがつきまとうのだ。たとえば内山田洋とクールファイブの「長崎は今日も雨だった」を急に聴きたくなったとして、オリジナル音源はGoogle Play Musicでは見つからないが動画なら見つかる。西田佐知子の「初めての街で」を聴きたいときもそうだ。そしてそれらはYouTube上のものなのだ。それでいいじゃないかという人も多いだろうけれど、そうじゃないと考える人もいる。

その曲にピンときたら欠かさずマーキング

 こうしたサービスが定着する前、個人的な音楽コンテンツの購入方法としては、いくつかのアプローチがあった。

  • 日常的にTVやラジオ、街角などで耳にする音楽から気に入ったものの正体を突き止めてAmazonなどでCDで購入するか、レンタルショップでレンタル
  • 気が向いたときにCDショップを訪れて、新譜を視聴し、気に入ったものを購入
  • Amazonから届くメールでお気に入りアーティストの新譜情報を見て予約購入

 といったところだろうか。

 いずれにしても対価を払ったコンテンツは、CDやデジタルデータで手元に残り、各種サービスに継続加入していなくても、聴きたいときにいつでも聴ける。デジタルデータならクラウドにあるのでデバイスも問わない。

 音楽コンテンツに消費できるコストには限界があるので、どれだけ所有しても、普通の個人なら、自分の見通せる量におさえられる。それでも、所有しているのを忘れて2枚目を買ってしまうから間抜けだ。

 サブスクリプションの場合、モノの所有という概念が希薄で、あるのは権利の所有だ。だから、自発的に「持っていることにする」というマーキングの作業が重要になる。それを怠ると、せっかく気に入った曲を見つけたのに、10年、20年たって、そのことが忘却の彼方に追いやられてしまい、二度と聴けなくなってしまう可能性がある。

 先日、手持ちのLP、EPを整理していたときに、ピーマンというグループの「部屋を出てください」を見つけた。CDにはなっていないはずだ。これはYouTube動画として見つかるが、よほどのきっかけがないと1974年のこの曲を聴こうという気持ちにはならなかったはずだ。

 かぎられた量の物理的な音源が手元にあるというのは、そういう楽しみも含めてのことだ。岡本正とうめまつりの「すみれの花」とか、上田知華+KARYOBINの「メヌエット」だとか。調べながらレコードを整理していて、2018年にデビュー40周年の7枚組CDボックス「オール・アバウト KARYOBIN」が発売されたことなんてことを今頃になって知った。

 だから、ピンときたら、その曲にマークしておく必要があるのだ。そうでないと永遠に闇に葬り去られてしまう。

あの曲を見失わないために

 困ったことに、統合される予定の両サービスは、マーキングした楽曲が共有されない。個人的には流行り物を聴いて、新たな音楽との出会いを期待したり、グレーな音源を探したりするときにはYouTube Musicを使い、購入したオフィシャルな音源を楽しむこれまでのような聴き方をするにはGoogle Play Musicと、使い分けている。

 たとえば、前者で任意のカテゴリのホットリストなどを流しているときに気に入った曲に出会うと高評価のマークをつける。するとその曲は自動的にライブラリの「高く評価した曲」のなかに登録される。

 よほど気に入った曲の場合、そのアーティストの他の楽曲を聴きたくなるわけだが、YouTube Musicで探すと検索結果にノイズが混じるので、Google Play Musicに切り替える。

 だが、Google Play Musicのオートプレイリスト「高く評価」のなかには未登録なので、改めて検索して登録する必要がある。これがけっこうめんどうくさい。

 オリジナルアルバムを聴いてみたいという気持ちが強いので、アルバムも検索し、ライブラリに登録しておいたりもする。ただ、アーティストが複数の楽曲を収録したアルバムをリリースというのは、近い将来古き良き時代の商慣習として葬り去られる可能性もある。

 いずれにしても、発見したら登録するという作業を怠ると、とにかくわけがわからなくなる。マーキングの作業は、これまでの購入に相当すると自覚してこまめに作業を続けている。これを続けてあと10年もたてば、自分のものではないにせよ、あの曲を見失わずに済むようになっているはずだと信じている。

モノを残さずコトを残す

 サブスクリプションとのつきあい方について、パーソナルな姿勢を改革する必要性を感じるのは、音楽のみならず、書籍にも言えることだ。

 個人的には音楽は繰り返し楽しむことが多いが、書籍は、とくに小説などの場合、一度読んだらそれっきりだ。だから資料的意味合いの強い評論本や写真集など以外はそのコピーとしての実物にあまり執着はない。

 むしろ、資料としては二度と手に入らないであろう昔のムック本や雑誌の特集のほうに魅力を感じる。そしてそれらはおそらく今後も読み放題のサービスで提供されることはないだろう。

 かぎられた人々にだけ評価され将来的に入手不可能になるであろうコンテンツだけは手元におき、かぎりなく多くの人々に愛されたコンテンツはサブスクリプションサービスに任せるといったスタイルでいくしかないのか。

 そして、「買ったことにしたコンテンツ」は、サービスを乗り換えればキレイサッパリ消えてしまうので、乗り換えると決めたら、その前になんらかのかたちで移行を考える必要がある。将来的に、すべてのサービスは同じコンテンツを保有することになるだろう。そうなれば使い勝手だけが評価の対象になる。

 いずれにしても財産としてのモノの存在感はどんどん希薄になる。デジタルネイティブはコンテンツを語り継ぐことはあっても、コンテンツそのものをモノとして遺すことはなくなるだろう。生まれたそのときから断捨離終活をはじめる。

 最後にCDを購入したのは昨2018年の8月、Perfumeの「Future Pop」だった。ちなみにこのアルバムはYouTube Musicには登録されていないが、他社サービスでは聴けるところもある。さて、いつまでCDを買わずにいられるだろうか。そして、単一のサービスですませることはできるのか。AmazonとAppleのサービスを横目に悶々としている。