山田祥平のRe:config.sys

eスポーツの試合結果がスポーツ紙の1面を飾る日

 eスポーツは今のPC業界を支えているといわれている。どのPCベンダーも、そして周辺機器のメーカーも、ゲーマーにとって魅力のある製品を提供することに余念がない。ただ、そのトレンドを一過性のものに終わらせない動きが希薄であるようにも思う。

ゲームと無縁のPC人生

 PCとは四半世紀つきあってきたが、あいにくゲームとはあまり縁がなかった。仕事の関係で、開発系支援のプロジェクトに参加して、コンソールゲームにかかわったことはあったが、ゲームそのものにはあまり深い興味を持てずに今日まできてしまった。

 そもそも運動神経が鈍いこと、根気がなくて何かをやりとげるということが苦手だということ、さらにはパズルを解くような頭の良さも持ち合わせていなかったので、ゲームに夢中になるということができないできた。

 そんなぼくでも、昨今のeスポーツを取り巻く動きは興味深く、せっかくそれなりの環境が手元にあるのだから、ちょっと手を出してみようかとも思ってみたりもする。

 ところが、いったい何から始めていいのか、情報を集めようとしても途方にくれてしまうのだ。そもそも最初は1人で楽しもうと思っても、トレンドはネットワークを介したマルチプレイヤーでの戦いだ。初心者がおいそれと入り込むにはハードルが高い。

 昔、オセロゲームがネットワークに対応した最初の頃、ちょっとやってみるかとチャレンジして、あまりの打ちの遅さに相手にあきれられ、チャットの会話で同情されたことがある。そのときのトラウマ的な思いがあり、どうしても躊躇してしまうのだ。

 見るだけなら誰にも迷惑をかけまいと思ってYouTubeを検索したりもするのだが、プレイするゲームの世界と同様に、やはり、何から手を付けていいのかわからない。

 身の回りにはゲームに詳しい編集者もたくさんいるし、ライター仲間も多い。そういう人たちに何からはじめたらいいのかを尋ねてみたりもするのだが、どうにもピンとくる回答がかえってこない。eスポーツを体験してみたいと思っても、なかなかその領域に入っていけないのだ。

戦うことと競うこと

 eスポーツというくらいだから戦いの要素があるのはわかる。でも、どうやら人気があるのは銃撃戦や格闘系のゲームが多いようだ。当たり前の話だが、銃撃も格闘も自分で経験したことがない。中学生、高校生の頃に体育の授業で剣道や柔道をちょっと体験したくらいで、それが自分の格闘のすべてだったりする。

 コンピュータが仲介するゲーム体験には2とおりある。1つはコンピュータが相手をしてくれるもの。もう1つはコンピュータは環境を提供するだけで戦うのはあくまでも人間同士というパターンだ。

 コンピュータゲームというとどうしても前者のパターンを想像しがちで、そのゲームのプランナーのお膳立てがものをいうのだということが、どうしても頭をよぎってしまい、完全な信頼でゲームに取り組めない。それに自分では経験したことがない格闘や銃撃を競うのだから、その世界に入り込むのはたいへんだ。

 世の中の多くの一般エンドユーザーは、ゲームに対して、そういう先入観を抱いているのではないか。ロングテール的にもっと幅の広い世界があってもいいのに、そうはなっていない世界観に溶け込めない。

 ウィンタースポーツのトレンドとして、スノーボードがはやり始めたころを思い出す。個人的には30歳を過ぎてからゲレンデスキーを始めたので、それなりに滑れるようになるまでにものすごい苦労をした。今では笑ってしまうような緩い斜面のてっぺんに立っても、恐怖心が先にたって怖がった。スキー教師はこういった。「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ」と。そりゃそうだ。今から思えば確かにそうだ。でもあのときは確かに怖かった。正しいアドバイスは、怖がらなくてもいいと安心させることではなく、どうすれば怖くなくなるかを教えることだ。結果として安心したいからだ。スキー板のエッジをたてるとか、体を斜面の下方に倒すなどで足場がきちんとひっかかる感覚を伝えることではなかったかと、今にして思う。

 そんなわけでスノーボードが流行っているのを横目に見ながら、もう二度とスキーを始めたときのようなつらい思いをするのはいやだったので、スノーボードにチャレンジしよう、やってみようという気にはなれなかった。

 だが、そのスノーボードは次第に人気を得て、今ではオリンピックの種目にもなっている。スキーの次にスノーボードというのではなく、最初からスノーボードというのも当たり前になってきた。

 マイナーなアクティビティがメジャーになるには、いろいろな条件が重なっていいほうに導かれなければならない。ウィンタースポーツにおけるスノーボードはそういうラッキーな環境にあったし、そういう環境を関係者は作ってきたと思う。そして、プロフェッショナルなプレイヤーはあこがれの対象となり、アクロバティックな演技を鑑賞することが、自分では協議に取り組まない圧倒的多数の観客の楽しみにもなった。

コンピュータはゲームで何をメタファにするのか

 新しいことが世の中に広まるためにメタファは重要だ。誰も経験したことがない格闘や銃撃といったこと、極端には殺戮を競うようなことではなく、誰もが知るあの経験をコンピュータでできることも大事なのではないか。子どもに暴力ゲームをさせたくないという親の声が聞こえてきたりもする。

 コンソールゲームのヘビーユーザーがある程度の人口を持ち、その世界はメジャーなようにも見える。また、電車に乗っていてもスマホゲームに夢中になっている乗客は頻繁に見かける。その層をもっと増やすことができるような新しいゲーム体験を提案することはできないものなのだろうか。

 卓球やテニス、剣道や柔道といった既存のリアルスポーツをコンピュータで楽しめるのは大事だ。昔、喫茶店のテーブルがTVゲーム機になって、100円玉を山積みして熱中している時代にも、それとは無縁に過ごした立場としては、宇宙からやってくる侵略者を倒すことよりも、もうすこし別の何かがほしいとも感じている。

 オリンピックにeスポーツが採用されることが微妙になってしまっているのには、そういう背景もあるように感じている。知的財産の問題もある。

 だからこそ、運動部に入って真剣に取り組むのは無理だが、同好会でなんとなくチャラチャラとスポーツを楽しみたい的な、そんなニーズにこたえるゲームがあってほしい。家でこっそり練習して、気の合う仲間と対戦して大騒ぎができるようなカジュアルなゲーム。誰もが知っている競技をコンピュータ上でかなえるゲームだ。

 単純であればあるほど奥は深いはず。そんなゲームが登場し、圧倒的多数の支持を得ることができなければ、試合の結果がスポーツ新聞の一面を飾るようなことは起こらないだろう。でも、そういう日がきてほしい。今こそ、カジュアルな遊びに使うコンピュータの提案が欲しいところだ。