山田祥平のRe:config.sys
働き方って変えられるのか、変えるべきなのか
2018年4月20日 06:00
もうすぐゴールデンウィーク。人によっては9日間の休暇を確保できる大型連休がやってくる。
フリーランスの身としても、ゴールデンウィーク中は記者会見もなく、普段のあわただしさで置いてけぼりになっていたいろいろな考え事をするいいチャンスでもある。
テレワークと副業
働き方改革が叫ばれる昨今、果たして連休はどういう意味をもつのだろう。もしかしたら、連休に働くということをやってみれば何かわかるかもしれない。そもそも働くことが好きな人から楽しみを奪うことにもなりかねないのが連休だったりもする。
働き方改革において、重要なキーワードとなるのがテレワークと副業だ。とくに、テレワークは場所や時間にとらわれない柔軟な働き方として、これまで以上に注目されている働き方のスタイルだ。そして、その実現には、ITの活用は避けられないし、ITを活用することでよりスムーズな移行が可能だ。
また、テレワークの実現によって、副業も容易になる。学校を出て入社した会社が、一生面倒を見てくれるとは限らないいまの世の中で、それを生きる方便としてのテレワークという働き方のスタイルは大きな意味を持つことになりそうだ。
その一方で、テレワークは働く時間を増やしてしまう方向にも機能してしまう。いつでもどこでも仕事ができる、1人でできるということは、誰にも文句を言われずに働き続けることができるということでもあるからだ。
フリーランスの場合、週に2日の休暇をとるよりも、立て続けに働いて、仕事の切れ目にあわせて休暇をとった方が効率がいい。土日にまでたいへんですね、と言われることはあるが、実際には、7日かかる仕事を5日でやるよりも、土日をあわせて7日ぶっとおしでやって終わってから2日休んだ方がラクだ。
だが、世の中で働く人のすべてがそういうスタイルで働くのは難しい。たとえば、サービスを提供する仕事ではカレンダーの休日は関係ない。電車やバスなどの公共交通機関はいつも通り動いているし、街に出れば商業施設は無休営業、リゾートに遊びに行けば、そこではすこぶる気持ちのいいおもてなしが待っている。われわれの休暇は、そういうサービスを提供してくれる人たちによって支えられているといっていいだろう。
また、仮に物販のすべてがITを活用した通販に置き換えられるようなことがあったとしても、商品を配達するのは生身の人間だ。将来的には無人自動車が宅配ロッカーに自動配達とか、ドローンが配達といった世の中になるかもしれないが、そんな時代まで生きていられるかどうか。
またキャッシュレスの世界も同様で、現金の使用が禁止されるくらいの世の中になれば、今までカネにまつわる作業によって失われていた時間の多くが別のことに使えるようになる。日計などはPOSの導入で合理化できても、現金の集計は人間がその場にいなければできないが、現金が消失すればそうでなくなる。その一方で、どんな誰が何を消費したかのがビッグデータとして蓄積しやすくなり、消費のコントロールが進む懸念もある。
AIという名の欲望
今後、AIはさまざまな既存の仕事を引き受けるようになるだろう。ある意味で仕事を奪うという言い方をされることもある。そしてAIも進化し続ける。人間でなければ判断できないとされていたことの多くが、AIまかせでよくなるにちがいない。
個人的に興味があるのは、いわゆる「前例のないこと」についてAIがどう振る舞うかだ。かつて人間の営みの中で、あらゆるチャレンジがあって、そのチャレンジが、やはり人間によって評価されてきたし、今、この瞬間もそれが行なわれている。その積み重ねがビッグデータとしてAIの知識となり、AIはその知識を判断の材料にする。だが、前例のないことが起こったときに、どう振る舞うのが正しいのだろう。そういうことを考え始めると、どうにも時間がどれだけあっても足りなくなってしまうのだ。
スマートフォンやPCの世界にもAIはどんどん入ってくる。めんどうくさいと思うことのほとんどはAIが肩代わりしてくれるようになるだろう。今はクラウド側のコンピュータリソースが求められることが、ローカルでこなせるようにもなるのが先か、クラウドとつながるネットワークがストレスフリーなくらいに高速大容量になるのが早いかどっちだろう。
働き方改革においてもAIの果たすであろう役割は大きい。いってみれば人間を肩代わりするAIによって人間が解放されるからだ。それによって得た時間をどのように使うのかは人間が決めることができる。これまでは移動の時間に座っているだけでは時間がもったいなから、移動中にできることはやってしまおうという具合に、電車や飛行機、タクシーの後部座席でPCを開いたり、スマホを眺めたりしていたわけだが、その移動の時間さえ極限まで省略できるテレワーク社会では、たぶんモビリティという概念が変わってしまうかもしれない。
働くって何なのだろう
PCが登場し、一般の人々が慣れ親しむようになってからザッと20年、スマホが10年といったところだろうか。たったこれだけの間によくぞ進化したと思うのか、これだけかけてこの程度かと思うのか。
じつは、道具の進化ほどには、人間そのものが何も変わってこなかった。働き方についても同様だ。人間が変わっていないのだから、働き方も変わらない。そもそも政府がようやく音頭をとりはじめたくらいだし、先導している政府のあり方さえも、デジタル化への道半ばでもある。あと20年で実現できれば上々といった議論もあるくらいだ。となると2040年あたりが節目になるのだろうか。じつに遠い未来だが、Windows 98が出たころに思っていた20年先の世界のイメージを考えれば、そんなにべらぼうに未来の話ではないようにも感じる。
この春から社会に出て働き始めたばかりの諸君には、その働き方の改革といってもピンとこないかもしれないが、自分なりの働き方を模索していってほしいし、退職して次の人生を歩み始めた方々には、人生100年時代に向けて歩みを止めないでほしい。もちろん、今、現役の方々は改革を引っ張る立場にある。
変える変えないの是非よりも、働くことって何なのさを、とりあえずは考えることから始めたいと思う。