山田祥平のRe:config.sys

2in1 PCの光と影

 2018年がやってきた。今年(2017年)、PCシーンで起こるであろうトレンドの変化を、正月につらつらと考えてみた。デジタルトランスフォーメーションと働き方改革を支えるカギとなるPCやスマートフォンだが、どのようなターニングポイントを迎えるのだろうか。

これだけマイコン

 写真家の田中長徳氏の連載コラム「チョートクカメラ塾」でコンパクトデジカメについてふれられていたのを年初に読んだ(記事へのリンク)。コンパクトカメラでもコンパクトデジタルカメラでも写真家の表現の道具として使うのには小型軽量が良いという。

 そして、田中長徳氏は「仕事の現場でデジタル一眼レフを使うのはじつは私の場合クライアントに気をつかっているからです。というよりも間に立っている広告代理店さんがコンパクトデジカメだと請求書が起こせないのだそうです」とも語っている(記事へのリンク)。

 同氏が以前からよく語っておられる見解で、いかにもな話で思わず頷いてしまうのだが、この論理の展開をぼくらが仕事のために使うデジタル機器に当てはめてみたらどうか。

 今のPCシーンを取り巻く状況は、じつは、20年くらい前とあまり変わっていない。20年前というとWindows 98が出た年で、その翌年、Windows 98 SEがリリースされている。iMacが登場したのが1998年なので、USB前夜とも言える時期だ。

 当時のPCはとても高価なもので、1人1台を使えるのは、かなり恵まれた環境だった。昔からWindowsはマルチユーザー対応ができていて、本当はユーザーを切り替えて使うのがいいのだが、そういう使い方をしている現場はあまりなかった。複数のユーザーが1台のPCを入り替わり立ち替わり使うことが当たり前のように行なわれていた。

 そのうち持ち運びのできるノートPCが一般的なものとなってくるにつれ、「PCのある場所に行って作業する」使い方から「PCはいつも手元にあるもの」というようになっていった。必然的に1人1台に近い状態で使われるようになっていく。これが1つめの重要なターニングポイントだ。

 さらに持ち運びの容易なモバイルノートPCが一般的に使われるようになった。それでも使う側の意識はあまり大きく変わらなかった。持ち運びができていつでもどこでも作業できるけれど1人1台であるという抗いようのない現実がそこにあった。

 いや、むしろ、唯一無二の存在であったほうがいいという論調も優勢だった。いつでもどこでも仕事をするためには、いつでもどこでも同じ情報にアクセスでき、同じことができることが求められた。そのためにはオフィスのデスクと、外出先で別のPCを使うことはむしろ不便を強いられることだったのだ。

 このことは神話として今なお根強く残っているように感じる。多くの人に聞いても、PCは1台だけで十分という考え方をしているようなのだ。まさにクラウドを持ち運ぶというイメージだ。

どれでもマイコン

 パブリッククラウドが注目されるようになったのは2006年頃からだ。GoogleのCEOだったエリック・シュミット氏(現アルファベット社会長)がクラウドコンピューティングについて語ったのが最初とされているそうだ。

 クラウドサービスが一般のユーザーにも身近な存在になるまでには、それほど時間がかからなかったように思う。

 もっとも身近なものとしてはWebメールサービスを思いつく。POPを使って新着メールをローカルにダウンロードするのではなく、クラウドに置いたままのメールを読むことができる。それまでもWebメールはあったが、社会的な信頼という点では無料のメールサービスを使うことはあまり好ましいこととはされていなかったが、2008年にgmailが日本でのサービスを開始するころには、とくに抵抗なく使われるようになったと思う。まだ10年しかたっていないのかと思うくらいに昔のことに感じる。

 その傾向に拍車をかけたのがiPhoneやAndroidスマートフォンの登場かもしれない。初代iPhoneは2007年の登場、Android 2.1(Eclair)搭載のNexus Oneの登場は2010年だ。

 このころになってようやく人々は複数台のデジタル機器を使い分けるとかつてない便利が得られることに気がついた。これが第2の重要なターニングポイント。

 とはいえ、その便利さに気づき、知りながらも、さまざまな役割をスマートフォン1台に集約しようとしてしまうのだ。そして、あげくのはてには一般的な作業にはPCは必要がないという論旨にまで発展していく。

 じつに乱暴な話だがそれが現実だ。多くのユーザーがコミュニケーションを依存するLINEにしても基本的には1デバイスでしか機能しない。別のデバイスでログインすると、それまで使っていたデバイスからは履歴がごっそり削除されてしまう。キャリアメールも機種変更とともに古いメールは捨て去ることになるのに似ている。正確にはPCやiPadはスマートフォンと併行して同時利用ができるのだが、そのことを知って積極的に活用しているユーザーは、それほど多くはないように感じる。

適材適所

 世のなかで2in1 PCがチヤホヤされているのは、この流れをくんでいるんじゃないか。1台だけを持つなら、いろいろな用途に使えたほうがいい。2in1、あるいは、オールインワンであることを求めるわけだ。

 必然的に、不自由なく持ち運びしたいから、あまり大きなものは歓迎されない。かといって小さすぎても使いにくいから13型前後の画面サイズになる。A4書類のフットプリントくらいのサイズなら持ち運びにも便利だし、机上で日常的に使うにもあまり窮屈な感じはしない。

 個人的に昔から、PCは大中小の3種類を使い分けてきたが、そういうスタイルはついぞ一般的に受け入れられなかったし、これからもそうなのかもしれない。

 PCにキーボードは必須ということで、2in1 PCは、なんらかの工夫でキーボードを装備する。大きく分けてデタッチャブル(着脱式)とコンバーチブル(YOGAスタイル)に分類できるが、潔さではタブレットとキーボードが分離できるデタッチャブル、膝の上でも使えるといった現実的な実用度ではコンバーチブルだ。個人的にはコンバーチブルが好きだ。タブレットで用が足りる場面の多くはスマートフォンでもことが足りることが多いからだ。

 今年は、Windows on Snapdragonがちょっとしたブームになるとされている。すでにASUSやHPが製品を発表しているのに加え、年初のCESではLenovoからの発表もあるようだ。はたして、これらのデバイスがどのような役割をになうことになるのか。

 今、手元で使っているレッツノートRZ5は、Core m5-6Y54搭載だが、性能的にどうしても不満に感じる場面が多くなってきた。2015年の秋に使いはじめたときにはあまり感じなかったもたつき感を最近になって顕著に感じるようになってきた。たぶん、クラウドサービスがリッチになってきたからなのだろう。それでも使い続けているのは、この製品にしかないよさがあるからだ。とはいえ、プロセッサの世代が変わったこの秋冬モデルにはちょっとだけ心が動いたが入れ替えにはいたらなかった。

 それに、1台のPCにすべてを委ねる使い方に、RZシリーズのような製品は向いていない。あらゆることが快適にできるかというと決してそうではないからだ。

 小型軽量を追求することは性能を犠牲にするということでもある。そこが田中長徳氏にとってのカメラとは異なる点だ。同氏に言わせれば小型のカメラでも十二分にシャープな映像が得られる以上、機動力があったほうがいいということなのだが、残念ながらPCはまだそうではない。

 性能をバカにしてはいけない。性能が低いせいで作業に時間がかかってしまっては、働き方改革もなにもあったもんじゃない。処理能力としての性能のみならず、画面サイズや画面数なども作業の効率に大きな影響を与える。

 その面について、ある種の試金石となるのが各社のWindows on Snapdragon搭載機なのだろう。個人的には、これらの製品が、2台目のPCという存在の便利さを人々に気づいてもらえるきっかけになればと思っている。それが第3のターニングポイントになるかどうか。より処理性能の高いPCが求められ、複数台のPCが売れるというようになれば、IntelにとってもMicrosoftにとっても悪い話ではあるまい。