2023年11月10日 18:00
徳島大学ポストLEDフォトニクス研究所の加藤遼特任助教、矢野隆章教授、東京工業大学科学技術創成研究院化学生命科学研究所の前田海成助教、田中寛教授及び理化学研究所光量子工学研究センターフォトン操作機能研究チームの田中拓男チームリーダー(同開拓研究本部田中メタマテリアル研究室主任研究員)らの研究グループは、超解像赤外分光イメージング技術を用いて、光合成微生物が形成する細胞の集合体(バイオフィルム)の分子成分を非標識かつ高解像度で可視化することに成功しました(図1)。
<ポイント>
・超解像赤外分光イメージングにより、藍藻バイオフィルムの構成成分を非標識で可視化した。
・バイオフィルムを主に構成する硫酸多糖成分に沿って藍藻が配列している様子を世界で初めて明らかにした。
・硫酸多糖だけでなく、他の多糖成分やタンパク質が共在し、バイオフィルムを構成していることを示唆した。
<報道概要>
光合成を行うバクテリアである藍(らん)藻(シアノバクテリア)は、様々な環境でバイオフィルムを形成します。藍藻バイオフィルムは藍藻自身の生存だけでなく、他の微生物のすみかや栄養源としても活用されている重要な存在です。藍藻バイオフィルムは多糖を主要構成要素としつつも、タンパク質などの他の分子も共在しており、それらの分子の分布を観察することは、バイオフィルムの機能や形成機構の解明につながります。
しかし、これまでのイメージング技術では、分子を標識した際にバイオフィルムの構造に影響を与えるといった課題がありました。そこで研究グループは、非標識で試料の構成分子を分析できる超解像赤外分光イメージング技術を利用することで、バイオフィルム中に含まれる硫酸多糖成分や藍藻細胞などを可視化することに成功しました。これにより、バイオフィルム内で硫酸多糖成分に沿って藍藻が配列している様子や、タンパク質と多糖成分が共在している様子が明らかになりました。
本手法により、光合成微生物バイオフィルムの形成メカニズムや機能に関する新たな知見が得られるだけでなく、他の微生物バイオフィルムにおいてもその構造と組成の理解が進むことが期待されます。
なお、本研究成果は、2023年11月10日(金)18:00(日本時間)公開の Analyst 誌に掲載される予定です。
【背景】
多くの微生物はバイオフィルム※1とよばれる細胞集団を形成し、微生物にとって最適な環境を構築し、その生物機能を維持します。また、病原菌が作るバイオフィルムは、その感染力や薬剤耐性能力にも関わっています。そのため、バイオフィルムの構造や機能を理解することは、基礎・応用を問わず重要な研究課題です。 多くの微生物バイオフィルムにおける主要構成要素の1つは、微生物が細胞の外に放出する多糖である細胞外多糖(EPS)です。EPSはバイオフィルムに物理的強度や保水性といった機能を与えています。一方で、バイオフィルム中にはタンパク質などの他の分子も存在して機能しています。そのため、それらの分子の空間的な分布を可視化することは、バイオフィルム研究の一つの有力な切り口です。
酸素発生型の光合成を行う微生物である藍藻(シアノバクテリア)の多くもバイオフィルムを形成し、河川、海洋、陸上、温泉といった様々な環境に生息しています。藍藻バイオフィルムは藍藻自身の増殖、ストレス耐性、栄養保持などの機能に関わるだけでなく、環境中の他の生物群にとってもすみかや栄養源などとして重要な役割を果たしています。そのため、藍藻バイオフィルムの形成メカニズムや機能を理解することは、藍藻の生き方を理解するという生物学的観点のみならず、持続可能な社会の実現に資する知見を得るという社会的需要の観点からも重要です。
藍藻バイオフィルムの主要構成要素はEPSであり、藍藻は非常に多様なEPSを作ることが知られています。その中でも硫酸基で修飾された多糖類である硫酸多糖※2はバクテリアの中ではほぼ藍藻においてのみ存在が知られています。そのため、研究グループは藍藻硫酸多糖に特異的な役割があると考えており、その研究の一環として、藍藻バイオフィルム中における硫酸多糖やその他の分子の空間分布の可視化を試みました。従来の光学イメージング技術では、硫酸多糖を標識※3して観察する手法が一般的でした。しかしながら、標識により多糖の自己凝集が生じるため、バイオフィルム内の構成分子のありのままの状態を観察することは、これまで困難でした。
試料を標識せずにその分子組成を可視化する手法としては、分子の赤外吸収※4を計測する赤外分光法があります。しかし、中赤外光の回折限界※5により一般的な赤外分光法の空間分解能は10 マイクロメートル程度に制限されるため、それよりもサイズの小さなバクテリアやバイオフィルム内の分子構造の空間分布を正確に可視化することは困難でした。
【研究成果の概要】
本研究では、分子組成を可視化できる超解像赤外分光イメージング技術を利用することで、試料を標識せずにバイオフィルム内の構成分子の可視化することに成功しました。研究グループが開発した超解像赤外分光イメージング技術は、中赤外パルス光の吸収によって誘起される光熱効果※6を、中赤外光より波長が10倍程度短い可視連続光により検出することで、従来法より10倍以上高いサブマイクロメートルの空間分解能で赤外分光分析が可能な手法です。この手法は、これまでポリマーや生体組織のイメージングに応用されてきましたが、微生物とそれらが形成するバイオフィルムの構成分子を可視化に応用した例はありませんでした。
本研究では、硫酸多糖の硫酸基に特有である赤外吸収信号と、藍藻に特有の自家蛍光※7に着目することで、バイオフィルム内のそれぞれの分子の空間的な配置を可視化しました。初めに、バイオフィルム内の硫酸多糖に含まれる硫酸基が、その他のバクテリアや多糖成分とは異なる特有の赤外吸収信号を示すことを赤外吸収スペクトルから確認しました(図2(a))。その後、同じ領域の硫酸多糖の赤外吸収信号強度とバクテリアの自家蛍光強度を計測しました。バイオフィルム試料の光学顕微鏡像からは分子の組成を区別することはできませんが(図2(b))、赤外吸収信号と自家蛍光の強度像からはそれぞれ硫酸多糖成分とバクテリアをサブマイクロメートルの空間分解能で区別することができました(図2(c))。
イメージングの結果から、バイオフィルム内では硫酸多糖がライン状の構造を形成しており、その構造に沿って藍藻細胞が配置していることが分かりました。これまでは、マクロな領域での観察により、まず培養液中に繊維状に広がった硫酸多糖に藍藻細胞がトラップされ、その後に気泡の浮力などによってそれらが集合し、高密度のバイオフィルムを形成するとこれまで予想されてきました。本成果は、ありのままのバイオフィルムの様相を直接可視化することで、その予想が正しいことを世界で初めて実証しました。また、硫酸多糖の他にも、バイオフィルム内でタンパク質が介在し、多糖成分と相互作用しながら構造を形成していることも、イメージングにより明らかにしました。
(a)シアノバクテリアと硫酸多糖成分を多く含む試料の赤外吸収スペクトル
(b)バイオフィルム試料の光学顕微鏡像
(c)硫酸多糖由来の成分の赤外吸収信号強度像とシアノバクテリア由来の自家蛍光強度像の重ね合わせ
【今後の展望】
藍藻バイオフィルム研究に本技術を有効活用することで、硫酸多糖と細胞や特定の分子との間の相互作用や、硫酸多糖を含む多様なEPSのバイオフィルム中における役割分担等の理解につながることが期待されます。また、本成果は藍藻と硫酸多糖を対象としたものですが、本技術は様々な微生物が形成するバイオフィルムの構成分子の可視化にも応用可能であり、バイオフィルムの機能や形成メカニズムを明らかにできると期待されています。基礎生物学だけでなく、感染症や歯科治療など、バイオフィルムが関連する様々な分野へ貢献することや、環境問題の解決へつながる知見が得られることも期待されます。
【謝辞】
本研究は、科学技術振興機構(JST) の戦略的創造研究推進事業 ACT-X「環境とバイオテクノロジー」(研究代表者:加藤遼、JPMJAX21B4/前田海成、JPMJAX20BG)、CREST(研究代表者:田中拓男、JPMJCR1904)、創発的研究支援事業(研究代表者:矢野隆章、JPMJFR202I)及び科学研究費助成事業「学術変革A公募研究(研究代表者:加藤遼、JP23H04139)」の支援を一部受けて実施されました。
【用語解説】
※1 バイオフィルム
主に生物が固体の表面などに形成する膜(あるいはシート)状のものを指します。身近なバイオフィルムとして、魚を飼育する水槽のガラスや岩の表面に見られる緑色の藻類バイオフィルム、歯の表面にできる歯垢、流し台にできるぬめりなどがあります。バイオフィルムの中には様々な微生物が生息しています。バイオフィルムの主な構成要素は、微生物が作る細胞外多糖やタンパク質などの細胞外高分子物質です。なお、本発表においては細胞外高分子物質を介して形成された微生物集合体であるブルーム(アオコ)や群体なども広義のバイオフィルムとして含めています。
※2 硫酸多糖
硫酸基で修飾された多糖であり、酸性多糖の一種です。硫酸化多糖ともよびます。酸性多糖は全生物に存在する一方で、硫酸多糖は動物、真核藻類、藍藻に特異的に存在しており、それ以外の生物ではほとんど報告がありません。代表的なものとして動物由来のヘパリンやコンドロイチン硫酸、真核藻類由来の寒天、カラギーナン、フコイダン、藍藻由来のサクランなどが知られています。硫酸多糖は保水性や粘性、生理活性を示すものが多く、医薬品や化粧品、繊維の素材などとして産業利用されています。
※3 標識
発光性の高い色素や蛍光分子を観察したい標的分子へ結合させることです。標識に利用した色素や分子からの発光・蛍光を観察することで、標的分子を可視化することができます。
※4 赤外吸収
分子振動周波数に対応したエネルギーの中赤外光を分子が吸収する光学応答。赤外吸収を観測することで、分子振動や分子結合に関する情報が得られるため、分子を同定することが可能です。
※5 回折限界
光の回折に起因する、顕微鏡の空間分解能の限界。一般的には、用いる光の波長の半分程度です。
※6 光熱効果
光エネルギーが物質に吸収された際に、その物質の温度が上昇する現象。温度上昇に伴い、試料内の屈折率変化や体積膨張が生じます。
※7 自家蛍光
生物内の分子や構造による自然の発光であり、特に細胞や生体組織内で広く発生する現象です。藍藻のような光合成生物には、自家蛍光を発する成分が多く含まれており、輝度の高い発光が得られます。