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Amazonが新型量子チップ「Ocelot」を解説。エラー訂正の実装コストを大幅削減
2025年5月8日 06:24
アマゾンウェブサービスジャパン(AWS)は5月7日、量子コンピューティングの取り組みに関する説明会を開いた。Amazon Web Services Quantum Technologies General managerであるシモーネ・セヴェリーニ(Simone Severini)氏が量子コンピューティングの概要から、AWSによる量子ハードウェアへの取り組み、各種量子コンピュータをクラウド経由で使える「Amazon Braket」、そして3月に発表されたばかりの新しい量子チップ「Ocelot(オセロット)」について解説した。
「Ocelot」は量子エラー訂正の実装コストを従来のアプローチと比較して最大90%削減できる新しい量子チップだとされている。
量子コンピューティングは従来型スパコンを置き換えるものではない
セヴェリーニ氏は、まず量子力学についての話から始めた。量子力学はすでに今日、多くの技術のベースとなっている。では21世紀には何が可能になるのか。セヴェリーニ氏は「量子コンピュータが実現できる」と語った。
量子コンピュータは従来のコンピュータと違って量子ビット(キュービット)を使って計算を行なう。量子ビットは従来型コンピュータのように「0」と「1」の2値だけではなく、その両者の状態を「重ね合わせた」状態を取ることができる。量子ビット自体は原子やフォトンなどを使って構成することができる。
量子ビットを使った量子コンピュータの演算は、量子ゲートを組み合わせた量子回路で行なわれる。従来のゲートに加えて重ね合わせを組み合わせたものだ。つまり、量子コンピュータは従来のコンピュータより高速で動くわけではなく、従来の計算機とは異なるアルゴリズムを使ったコンピュータとなっている。
これにより、いくつかの問題においては、古典的計算機では膨大な操作が必要なタイプの計算を、指数関数的に少ないゲート数(操作数)で解決できると期待されている。
今日、化学や材料、エネルギーなど、いくつかの問題では量子力学シミュレーションそのものが必要になっている。セヴェリーニ氏はアンモニア合成を例として紹介した。膨大な数の電子を持つ分子のシミュレーションは古典的スーパーコンピュータでは計算できない。それが量子コンピュータでは可能になると考えられている。
ほかの分野の例としては「量子シミュレーションによってバッテリの改善や、高温超伝導などが可能になる可能性がある」と語った。
だが、あらゆる問題をより短時間で解決できるわけではない。量子コンピューティングは従来のスパコンにとって変わるわけでもない。
ではどんな問題に量子コンピュータが必要とされるのか。セヴェリーニ氏は「量子コンピュータは特化した領域のための計算機だ」と述べ、最先端の物理学、化学、暗号、材料科学、最適化問題などを挙げた。
エラー訂正が重要
量子ビットは超伝導、シリコンスピン、フォトニクス、中性原子、イオントラップなど複数の手法で作ることができる。いずれもまだ規模感を持って構築するのは難しい。エラーが発生してしまうためだ。
近年はエラーレートを1,000回に1回にまで下げることができるようになっているものの、これでは複雑な計算を行なうにはまだまだ不十分だ。重要な問題を解決するには数十億演算で1回くらいのレートにまで引き下げなければならない。
そのためには「エラー訂正」と呼ばれる技術が必要になる。AWSではエラー訂正ができる量子コンピューティングの研究を行なっている。量子コンピューティングそのもののビジネス面での優位性は、まだ証明されていない。セヴェリーニ氏は「だがいつかは量子コンピューティングが重要になるだろう。いつかは分からない。投資が重要だ」と率直に語った。
量子コンピュータをクラウド上で使える「Amazon Braket」
AWSは2019年より、AWSから複数種類の量子コンピュータを活用できる「Amazon Braket」というサービスを提供している。2021年8月には米国カリフォルニア工科大学(Caltech)のキャンパス内に「AWS量子コンピューティングセンター(AWS Center for Quantum Computing)」という研究センターを作り、自らも量子エラー訂正、デバイス物理、アルゴリズムなどのほか、ハードウェアの研究も進めている。Ocelotもこの研究チームが開発したものだ。なお、AWSでは超伝導を使った量子コンピューティングに取り組んでいる。
AWSは、現時点では量子コンピューティングの進化に合わせて顧客に技術を提供し、長期には独自の量子コンピューティングを構築することを目指している。何が現実的で何が現実的でないのか、いつ投資をするべきかといった情報も顧客に提供している。
Amazon Braketを使うことで、顧客はクラウド上で量子コンピュータを使うことができる。クラウドにすることで、顧客は量子コンピュータに関するコストリスクの低減、技術ロックインのリスクや運用上の負担などを回避できる。
Amazon Braketではこれまで、IonQ、Oxford Quantum Circuits、Rigetti、QuEra、IQM、D:Wave、XANADUなど各社の量子コンピューティングサービスを提供してきた。ではどのように使うのか。説明会では実際にデモが行なわれた。Braket上ではさまざまな言語やツールを使うことができ、顧客は自由にサービスをプルダウンメニューから選んで演算させることができる。
すでにエアバスやBMWは外部開発された量子ソリューションをBraketを使って検証している。また100以上の大学に対して、量子ハードウェアへのアクセスも提供している。韓国ではBraketを非線形流体力学の計算に活用しているという。AWSでは顧客アドバイザリープログラムも用意しており、ブログなどでも情報発信を行なっていると述べた。
セヴェリーニ氏は「世界を変えるような量子アプリケーションは、これから出てくる。量子コンピューティングを使って新しい世界をのぞくこともできるし、新しい業界も作られるかもしれない」と語った。
誤り耐性量子コンピュータ構築への第一歩「Ocelot」
AWSが新たに発表した「Ocelot」は、誤り耐性量子コンピュータの構築にブレークスルーをもたらすとされている。セヴェリーニ氏は「量子ビットの誤り訂正の歴史は遅かった」と話を続けた。たとえば古典的なストレージの誤り訂正は研究開発が進んでいる。だが量子ビットエラーの世界はまだ研究途上だ。
量子ビットエラーには、ビット反転と位相反転の2種類がある。ではこれにどう挑めばいいのか。理論的な方法は分かっているものの、単純に考えると量子ビットエラー訂正のためには論理量子ビット1つあたり最大1,000個の物理量子ビットが必要となり、法外なオーバーヘッドコストが生じかねない。
AWSでは超伝導量子回路を使うことでこの課題に取り組んでいる。AWSのOcelotのアーキテクチャは、「ノイズバイアス量子ビット」、通称「キャット量子ビット(cat qubit、思考実験の「シュレディンガーの猫」に由来する名前)」を採用したエラー訂正を設計段階から組み込んでいる。
特定のエラーを抑制することにより、量子エラー訂正に必要なリソースを削減でき、ビット反転を5,000分の1まで減らすことができるという。これらによってハードウェア効率のよいエラー訂正が可能になった。位相反転のエラーも減らせるという。
Ocelotを使うことで、キャット量子ビット技術と追加の量子エラー訂正コンポーネントを、スケーラブルな方法で製造可能なマイクロチップに統合することができるという。
セヴェリーニ氏は「Ocelotはあくまで1ステップに過ぎない。だが、どういう道筋か、どのようにすれば拡張性を持たせられるかが分かった。非常に重要なステップだ」と強調した。
日本のパートナーとAWSは何をしているのか
セヴェリーニ氏はここで、日本の門脇正史氏、西脇秀稔氏による量子アニーリングの論文と、世界で初めて超伝導量子ビット素子を開発した中村泰信氏の業績を紹介し、賞賛した。そして日本の顧客に対してはワークショップなどを行なうほか、産業界との連携、日本で開発された量子コンピュータのクラウド公開支援などを進めていると語った。
多くの量子スタートアップをサポートし、コミュニティ作りも行なっている。日本では特にQunaSys、blueqat、Jijと協力している。「量子コンピューティングは長い道のり。遠くへ行くためには多くの人たちと協力が必要だ」と語った。
また、大阪大学の量子ソフトウェア研究拠点とも連携している。理研の量子コンピュータ国産1号機はAWSを使ってクラウド公開を行なっている。「量子コンピュータに演算させるためには多くのインフラが必要だ。そのためのインフラ構築を我々が手伝うことで顧客は利用しやすくなる」と強調した。
富士通の国産2号機クラウドもAWSを活用。大阪大学に設置された国産3号機もクラウドサービスを活用している。これは単にBraketを使うだけではなく、クラウドサービスのテストベッドをAWSを使って構築しているという。
セヴェリーニ氏は最後に「量子コンピューティングコミュニティ発展の一翼を担いたい」と語った。なお、Amazon Braketのユーザー数などは公開されなかったが、学術界や大企業からのニーズは高く「ワークロードは複雑性を増している」という。日本では主に大学や研究コンソーシアムなどで使われており、業界は自動車、金融、製薬などのほかメディア企業でも使われているとのことだった。