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産総研、光を99.98%以上吸収する「至高の暗黒シート」。触れる素材では世界一の黒さ

 国立研究開発法人 産業技術総合研究所(産総研)と国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構(量研)は、2023年1月18日、光を99.98%以上吸収する至高の暗黒シートを開発したと発表し、記者会見を開いた。漆に似た成分の「カシューオイル黒色樹脂」の表面に微細な凹凸構造を形成することで素材表面の鏡面反射(ぎらつき)も抑え、光を閉じ込める。これにより、レーザーポインターの光も反射せずに消えるほどの深い黒を実現した。

 光吸収率が格段に向上した新しい暗黒シートの開発に成功した今回の「至高の暗黒シート」は、イオンビーム照射と化学エッチングで微細な円錐状の凹凸(光閉じ込め構造)の原盤を形成して転写する方法を、幅広い素材に拡張して実現した。従来の暗黒シートと比較して可視光の半球反射率が一桁以上低い0.02%以下となり、一般環境で用いることができる触れる耐久性のある素材としては世界一の黒さを達成した。

至高の暗黒シートの可視光反射率は0.02%以下

 明るい場所でも沈む圧倒的な黒さを実現でき、背景の映り込みを防止できる。視覚表現にこれまでになく高いコントラストを提供できるという。技術詳細は2023年1月13日(米国時間)に、Science Advancesで掲載された。

レーザーの光も消える。触れる素材で一番黒いシート

レーザーの光も反射せずに吸収

レーザーポインターを使ったデモの様子

 記者会見では、実物を使ったデモンストレーションが行なわれた。写真の中央が今回開発された黒いシート。従来の黒いシートと比べると、レーザー光を、より吸収してしまう様子が分かる。

 右端の従来の黒いシートのほうがいわゆる「艶消し」素材のように見えるが、それが素材内部から生じる「散乱反射(くすみ)」で、今回の黒いシートは、ぎらつき(反射)と、くすみ(散乱)の両方をなくすことができた。これにより、反射率0.02%、光を99.98%以上吸収することに成功した。

計量標準と「至高の黒いシート」

開発した産業技術総合研究所 物理計測標準研究部門 総括研究主幹 市野善朗氏

 会見ではまず、産業技術総合研究所 物理計測標準研究部門 総括研究主幹の市野善朗氏が計量標準総合センター 物理計測標準研究部門を紹介。さまざまな単位に関する計量標準の研究を担当しており、産業に「ものさし」を使えるかたちで提供していると挨拶。これを「標準供給」と呼ぶ。時代にあわせて精確さを高める計量標準の高度化、次世代計量標準の研究開発を進めているという。

 今回の発表は光の計量標準の研究開発から生まれた成果で、光の標準供給のためには、黒・白の素材の開発が必要で、これまでにも標準LED光源の開発、赤外線ビーム計測、光子1つが見える顕微鏡の開発などを進めてきた。暗黒シートの開発も光の精密計測のなかから生まれてきた。光パワーを正確に測るためには光を全て吸収させたい。そのためとにかく黒い物質がほしい。そこで触れる耐久力があり、極めて黒い「至高のシート」と開発したという。

今回の研究のもともとの動機は「光の精密計測」

光を吸収する暗黒シート

産総研 物理計測標準研究部⾨ 応用光計測研究グループ 研究グループ長 雨宮邦招氏。個人的にも黒が好きで、自宅でも「(暗黒から取った)アンコ」という名前の黒猫を飼っているそうだ

 背景・技術詳細の解説は産総研 物理計測標準研究部門 応用光計測研究グループ 研究グループ長の雨宮邦招氏が行なった。雨宮氏は今回の黒いシートを使うことで「画面上で印刷物上で、肉眼が見た景色を再現したい。より階調を広げて鮮明にしたい」と語った。

 低反射な黒色材料は、装飾、映像、太陽エネルギー利用、光センサーなど、光の応用分野で幅広く用いられている。特に、カメラや分光分析装置内部の乱反射防止、迷光除去などの用途では、理想的には完全に無反射の黒体材料が必要となる。

 半球反射率(いわゆる反射率のこと)は鏡面反射(ぎらつき)+散乱反射(くすみ)からなる。人間の目は実は黒さに敏感であり、反射率が 0.2%以上の黒と、0.1%以下の黒を肉眼で識別できる。反射率が0.1%を大きく下回る黒体材料があれば、不快な照り返し(グレア)の防止や、映像の高鮮明化など、利用価値が高い。

半球反射率は鏡面反射(ぎらつき)+散乱反射(くすみ)

 近年、「ベンタブラック「などさまざまな黒い材料が登場してきて、時折話題になっている。しかし、反射率0.1%を大きく下回る極低反射率を達成したのはカーボンナノチューブなど脆い素材を使ったものに限られており、一般環境での利用は困難だった。そこで産総研は、一般環境でも使える耐久性を持ち、全ての光を吸収する素材の開発を目指した。

2019年時点でも可視光の99.5%を吸収するシートを開発

2019年に発表された「究極の暗黒シート」。

 2019年には量子科学技術研究開発機構(量研)とともに、サイクロトロン加速器からのイオンビーム照射と化学エッチングを使って微細な円錐状の凹凸を形成して「光閉じ込め構造」を実現することで、紫外線~可視光~赤外線の全域で99.5%以上の光を吸収する「究極の暗黒シート」を開発した(2019年4月24日に発表)。

 特に赤外線では99.9%を達成していたが、可視光では99.5%に止まっていた。これは反射率の低減だけではなく、「くすみ」をなくすという視点が欠けていたためだという。今回、イオンビーム照射の技術を適用拡大することで、「究極」よりもさらに黒い、可視光の 99.9%以上を吸収する「至高の暗黒シート」の開発を目指した。

微細な「空洞黒体」を敷き詰めることで光を閉じ込める

光閉じ込め構造

 2019年に発表したシートも含めて、雨宮氏らの黒いシートの開発は「空洞黒体」の原理に基づいている。シートの表面を拡大すると、数十μメートルくらいの微細な円錐孔型の空洞黒体が面上に敷き詰められている。これが「光閉じ込め構造」だ。「光閉じ込め構造」に入射した光は、壁面で何度も吸収と反射を繰り返すことで、反射率がゼロに近づいていく。原理は単純だが、正味の反射率が0.1%を大きく下回るには、光閉じ込め構造の勾配を急峻にし、エッジは鋭く、壁面はナノレベルで滑らかにする必要があるという課題があった。

 このような構造は、従来の微細加工技術では作製が困難だったが、雨宮氏らは、サイクロトロン加速器からの高エネルギーイオンビームを用いて表面加工を行なうことで解決してきた。CR-39樹脂基板にイオンビームを照射して生じた損傷痕跡は、化学エッチングを使うことで、狙ったサイズや形状に形成し、基板表面に敷き詰めることができる。このように作製した微細な凹凸を原盤とし、光閉じ込め構造を黒色樹脂の表面に転写する。原盤から繰り返し転写可能なため量産性も期待できる方法だ。

サイクロトロン加速器からの高エネルギーイオンビームを用いて光閉じ込め構造の原盤を作成

 2019年に発表された「究極の暗黒シート」は、カーボンブラック顔料を混錬したシリコーンゴムに光閉じ込め構造を転写したものだった。触るくらいでは性能が損なわれず一般環境で使用できるため、2019年のリリース後、 大きな反響を得たという。しかし、黒体材料の実際の需要の多い可視光域では、暗黒シートの反射率は0.3%から0.5%程度にとどまっていた。以上がこれまでの経緯だ。

カシューオイル黒色樹脂膜を使うことで「くすみ」を低減。「究極」から「至高」へ

 雨宮氏らは今回、暗黒シートの反射率低減を制約してきた原因が、カーボンブラックに含まれる「顔料」による散乱であると突き止めた。カーボンブラックの粒子が可視光の波長と同サイズ、またはそれ以上の凝集体を作ってしまうと、光の散乱が生じやすくなってしまう。これにより、散乱光が一部逃げてしまっていた。これが散乱反射(くすみ)の原因となっていた。

 そこで、カーボンブラック顔料を用いない低散乱の黒色基材の探索を行なった。あらゆるさまざまな材料の探索を行なった結果、漆の代用に用いられることが多い「カシューオイル樹脂」に着目した。一般には「カシュー塗料」と呼ばれており市販されているものだ。

 漆の成分と似たカシューオイル樹脂を構成するポリフェノール類は、鉄と錯体を作ることでポリマー自体が黒くなる。顔料を加える必要がない。このため、カシューオイル黒色樹脂膜は散乱反射(くすみ)の量が極めて少ないことが分かった。「漆黒」は通常は鏡面に磨いた光沢のある黒を指すが、同時にくすみの少ない「深みのある黒」も意味すると言えるという。

カシューオイル黒色樹脂が顔料を加えなくても黒く、くすみが少ない

 市販のカシューオイル黒色樹脂に適用した結果、鏡面反射(ぎらつき)も散乱反射(くすみ)も抑えられ、従来の暗黒シートと比較して可視光の反射率が1桁以上低い0.02%以下(光吸収率99.98%以上)を実現した。なお、材料に使うのは艶消しではない、通常の黒色カシュー塗料に限るとのこと。

カシューオイル黒色樹脂膜を使うことで「くすみ」を低減

触れる真っ黒な材料では世界一

シリコーン樹脂の型を使うことで光閉じ込め構造の転写対象を拡大することに成功

 今回、原盤から新たに2次的なシリコーン樹脂製の型を介することで、光閉じ込め構造の転写対象の材料を大幅に拡大する技術も開発した。これは量産においても貢献する。

 こうして、触ることも可能な素材では世界一の黒さを実現した。なお、こすったりすると微細構造が潰れてしまうかもしれないということで、今回も触れるのは雨宮氏のみに制限された。

これまでにない高コントラストを提供可能

人間の目は黒さに敏感だが至高の暗黒シートは4桁の高コントラストを実現

 世界一黒い材料とされているカーボンナノチューブ配向体は、あらゆる光を99.9%以上吸収する。しかし脆く、触ると性能が損なわれてしまう。そのほか、生体模倣の黒色材料技術などもあるが、0.1%を下回る反射率は得られていなかった。今回開発した「至高の暗黒シート」は、触っても性能が損なわれず取り扱いが容易でチリなどを簡単にブロワーなどで除去できる。これほど黒く、有用な黒体材料はほかに例がないという。

 また、カシューオイル黒色樹脂ほどではないものの、カーボンブラック顔料を用いない複合組成で低散乱な黒色基材が他にもいくつか見つかっているという。必要な反射率や用途に応じて基材の選択肢があり、光閉じ込め構造を作製できるのも、今回の新しい暗黒シート技術の特長だとしている。

 今後は、今後はライセンス契約のもと素材メーカーなどに技術移転を行ない、具体的な用途開発や実用化に向けた検討を進める。将来的には光の乱反射を極力抑えたいプロ用途だけでなく、身近な場面も含め、光制御・利用技術の格段の性能向上に貢献することを目指す。

圧倒的に黒い素材で高コントラストを提供可能になるという