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レノボとNEC PCの統合に尽力した元社長ラピン氏を偲ぶお別れ会

~友人ら関係者が氏との数々のエピソードを語る

ロードリック・ラピン(Roderick Lappin)氏

 2019年2月14日に急逝した、レノボのロードリック・ラピン(Roderick Lappin)氏の「お別れの会」が、2019年4月3日、東京・六本木のグランドハイアットホテル東京で開催された。

 葬儀は、2019年3月1日に、オーストラリア・シドニーで執り行なわれ、日本での葬儀の予定はなかったが、日本のIT業界関係者の間から、「お別れの会」を開催してほしいとの要望が強く、レノボ・ジャパン、NECパーソナルコンピュータ、レノボ・エンタープライズ・ソリューションズにより開催した。会場には業界関係者など、約170人が参加して、故人を偲んだ。中締めが終わっても多くの人が会場に残り、故人の人柄を感じさせる「お別れの会」となった。

お別れの会の会場の様子

 ラピン氏は、2008年10月に、レノボ・ジャパンの代表取締役社長に就任。2011年7月には、Lenovo NEC Holdings B.V. の設立に伴い会長に就任し、NECのPC事業とのジョイントベンチャーの設立を指揮した。

 その後、レノボ・ジャパンおよびNECパーソナルコンピュータの代表取締役執行役員社長に兼務で就任。2015年4月には、レノボのアジア太平洋地区担当バイスプレジデントに就任し、2016年4月には、データセンターグループワールドワイドセールス&マーケティング担当シニアバイスプレジデントに就任していた。

友人代表として挨拶したSB C&Sの溝口泰雄社長兼CEO

 友人代表として挨拶したSB C&Sの溝口泰雄社長兼CEOは、「亡くなったとは思えずに、まだどこかにいるのではないかと思ってしまう。だが、こうやって祭壇の写真を見ると、寂しい思いがこみ上げる。残念だ」と切り出した。

 「ここに集まっているIT業界のうるさい人たち全員が、あなたを信頼していた。東日本大震災が発生したさいに、多くの外国人は日本から離れたが、あなたは、わざわざ海外から戻ってきてボランティアを行なった。現場に寄り添う姿勢をみんなは知っていた」とし、ラピン氏に、「メルローを飲むなら、ダックホーンだ」と言われたエピソードを披露しながら、米国で買ってきたダックホーンを祭壇に供えた。

東日本大震災後の被災地でボランティア活動を行うラピン氏
NECパーソナルコンピュータの元社長である高須英世氏

 NECパーソナルコンピュータの元社長である高須英世氏も、友人代表として挨拶。「次はいつ会えるのかと思っていたが、こんなかたちで会うことになるとは思っていなかった。訃報を聞いたときには、なぜロッドが……と思い、とても信じられなかった。本人もまだやりたいことがたくさんあったはずで、無念だっただろう」と語った。

 「最初に会ったのは、2010年秋に行なわれたLenovoとNECパーソナルコンピュータの統合の打ち合わせのときであった。明るく元気なロッドが、先頭に入ってきたことが印象的だった。その後、2社の統合に関して、何度も話し合った。

 生まれも、育ちも違い、仕事のやり方も違う2社の統合において、レノボ本社との間で調整をしてくれたのがロッドであり、NECパーソナルコンピュータの立場に立って、レノボ本社を説得してくれたことが何度もあった。本当に感謝している。ロッドが、私のカウンターパートナーでなければ、この統合が本当にうまくいったかどうかもわからない。

 統合後も群馬や米沢の事業場を訪れてくれたが、明るい笑顔と日本語交えて話すさわやかな姿に、多くの社員から、『ロッドさんのファンになりました!』という声が出ていた」といったエピソードを紹介した。

NECレノボ・ジャパングループ発足記念パーティの様子

 献杯では、大塚商会の大塚裕司社長が挨拶。「信じられない気持ちである。写真を見るとグッとくる」と述べ、「きちっと仕事をする人で、日本を愛しており、この業界を愛している人であった。レノボ・ジャパンの本社が、六本木に移転したときは、リーマンショック後で、世のなか全体が暗い環境にあったが、そのときに、移転パーティーを開催し、明るくしたいと言ってくれた。そのパーティーを開いたのが、このホテルであった。ロッドさんには、元気をもらい、いろいろなことを教わった」と語った。

 また、お別れの会では、メモリアルビデオが放映されたり、参加者による寄せ書きが家族に送られたりしたほか、レノボ・ジャパンおよびNECパーソナルコンピュータのデビット・ベネット社長が開会の辞を、レノボ・エンタープライズ・ソリューションズのジョン・ロボトム社長が閉会の辞を述べた。

レノボ IDG ROW Services Operations担当バイスプレジデントのアマル・バブ氏

 レノボ アジアパシフィック時代に、COOとしてラピン氏の片腕として活躍したレノボ IDG ROW Services Operations担当バイスプレジデントであるアマル・バブ氏は、「日本の寿司屋で会食をしていたときに、老夫婦が、オーストラリア人(=ラピン氏)とインド人(=バブ氏)が、上手に箸を使っていることを話しており、それを私にそっと通訳をしてくれた。

 ロッドは、帰りぎわ老夫婦に、私たちのことを褒めてくれてありがとうと、流ちょうな日本語でお礼を言って、相手を驚かせていた。こうしたトリックが大好きだった」と、ラピン氏流のユーモアを披露。

 「最高の人間であるとともに、タフなボスであった。毎朝、電話をかけてきて、ビジネス上の課題を数多く投げかけた後に、必ず『Keep Smiling!』と言う。どうやって笑顔になれるのかと思ったが、長年かかって、彼の仕事のやり方は、まずは笑って、それから、その課題に真正面から取り組むということがわかった。笑って今日を迎えることは、彼が私たちに課した挑戦である。ロッドの笑顔に感謝したい」と語った。

 “Keep Smiling!”は、ラピン氏のモットーでもあった。

ソフィ・ラピンさん

 奥様であるソフィ・ラピンさんは、「ここ数日、東京に帰ってきて、さまざまな思い出がよみがえってきた。10年近く、東京に暮らしていて、私たちはここを『ホーム』と呼んでいた。東京での暮らしはもっとも幸せな日々であった。

 すばらしい友人と出会い、日本中を旅し、北海道でのスキーが大好きになった。今のシドニーでの夕食でも、娘たちがラーメンとお寿司を食べたいと言い出すほどである。ロッドの日本でのキャリアは、1991年に、福島県の箕輪スキー場の駐車場の係員からスタートし、2017年にレノボ・アジアパシフィックの社長を最後に、日本を離れた。

 私は、ロッドのキャリアの道のりを誇りに思っている。その道のりは容易ではなく、常に、もっと多くのことを成し遂げようと努力し、たえず仕事に情熱を注いできた。そして、みなさんと一緒に仕事をすることが大好きであった」と語った。

 会場では、悲しみの涙が見られる一方で、故人の性格を反映して、明るく、楽しい会にしたいという意図が述べられていたこともあり、ラピン氏を偲んだ数々のエピソードに談笑する姿も見られた。ラピン氏らしい「お別れの会」になったと言える。