古くて新しい



 正月三が日が明けぬ間から出かけたInternational CESが終わり、さらに翌週のハリウッド取材も終えて東京に戻ると、もうすぐにも月の半分が過ぎていて、慌ただしく締め切りに追われる日々に入った。考えてみれば半月も家を空ける準備のために、その前の半月も慌ただしかったから、まるで年が明けた気がしていない。

 もっとも今年のCESで話題になった各技術も、新しい年を迎えたことを意識させるほど目新しいものでもなかった。どれも個人的には興味のあるテーマではあるし、どれもエレクトロニクス産業の未来を背負うエースであることに異論はない。しかし、どれもこれもが、古くて新しい技術の集合ということも、また強く感じたことなのである。

●古くて新しい

 古くて新しい物の代表は3D映像と電子ブックだ。いずれも筆者が子供の頃からあるものだから、もう何十年と遡ることができる話題である。

 カリフォルニア州バーバンクにあるワーナーホームビデオを訪ねると、現場の責任者は3D映画のタイトル数を「クアドラプル・ダズン」と答えた。つまり12×4で50本ほどあるというわけだ。もっとも実写映画が中心のワーナー・ブラザースは、実際の所、最近はあまり多くの3D映画を撮影していない。ワーナー・ブラザースはハリウッドメジャーが毎年公開する映画の半分近い数を供給するが、3Dに限っては数が少なく「センター・オブ・ジ・アース」や「ポーラー・エクスプレス」などが最近の代表作。さすがにアニメ中心のディズニーやドリームワークスアニメーションズに比べると少ない。

 そのワーナー・ブラザースがなぜ50本もの3D映画を持っているかというと、3D映画の起源がそれこそ'50年代にまで遡ることができるからだという。もちろん、そんな古い3D映画素材は今では使い物にならないが、3D映像技術が古くから存在し、商業化に繰り返し失敗してきたものである証明にはなるだろう。

 電子ブックにしても、最近の青空文庫の流行に限らず、昔から本を電子化するという事には多くの人がトライしてきている。日本では'90年代後半にエクスパンドブックが開発され、富田倫生氏らが本がインターネットに溶け出していくさまを熱心に説いて、青空文庫の開始へと繋がったが、考え方としては普遍的に存在し続けてきたのが本のデータ化だと思う。

 電子ブックに関しては、ドッグイヤーの(あるいは“だった”)PC業界を10年以上遡らなくとも、もっと近い例がある。日本でE-Inkの技術を用いてソニーが電子ブックリーダー「リブリエ」を発売したのは2004年の事だ。そして、そのビジネスは2008年7月に閉じられた。同じく電子ブック市場を作れなかったパナソニックも含め、国内各社は電子ブックリーダのビジネスをおしまいにすることについて「携帯電話向けにコンテンツ事業はシフトしていく」と口を揃えたが、理由はそれだけだろうか。

 携帯電話で長編を読むのは難しい。一般的な短編小説でも長いと感じるぐらいだ。失敗の原因はおそらく、まったく別の所にあるのだろうが、北米に端を発して欧州に飛び火しつつある電子ブック市場が、ふたたび日本で注目を集め始めた理由の多くは、3D映像技術が今、やっと注目を集めるようになってきたのと同じだと思う。

 1つは各々のコンテンツを楽しめるハードウェア技術が揃ってきたこと。もう1つはコンテンツを制作するための道具や流通させるためのインフラが整ってきたこと。そしてコンテンツ提供側、(機器を含む)インフラ提供側双方に、電子流通への取り組みに積極性が出てきたこと。この3つが要素として大きい。

 もし、ここで次の時代へと向かうバスに乗り遅れてしまえば、現在のビジネス上における地位も怪しくなるかもしれない。そんな雰囲気が醸成されていることも、今回の渡米において両業界に共通しているように感じられた。

 新しいことをやらねばならない、やらねば廃れると感じたことが、関係者たちの共通認識となった時、それまでうまく行かなかった分野でも、急に歯車が合い始めることがある。両分野とも、まさにその状態になっているのだ。

●原点への回帰

 さてCESへの出展にはCPUベンダーも熱心だ。特にここ数年、Intelの熱心さは目立っており、今年はMoorestownベースの統合チップや新しいネットブック、ネットトップのプラットフォーム売り込みに余念がなかった。NVIDIAもIONに熱心なほか今回のCESではTargaを発表(CESでの発表はノートPC向けGPUだったが)。AMDも昨今はAthlon Neoを売り込んでいる。

 業界は少しずつ変化してきているので、毎日見ているとわかりづらいが、CPUベンダーやCPUベンダーに近い立ち位置のベンダーは、用途に合わせて自社の持つ技術を多様な製品へとフィットさせるよう、細かなカスタマイズを重ねている。

 もっともわかりやすいのはIntelのやり方だろう。Atomをさまざまな切り口で各種用途にフィットさせ、絶対的なパフォーマンスよりも、最終製品がトータルでどのような製品になるかに注目した製品の作り方をするようになってきた。

 かつては高クロックでブン回るCPUこそ正義だ、とばかりに、アーキテクチャが多様化することの極端に嫌がっていた(故に統合チップの計画がキャンセルされたこともある)Intelも、最高性能のCPU屋さんとしてパフォーマンス最優先という立ち位置から、より良い製品を開発するために使い途に適した部品を提供する部品屋さんという立ち位置に変化してきた。

 もう'90年代中頃の古い話になるが、“Intel Inside”キャンペーンを始めたIntelに対して、AMDは「CPU屋は部品屋だ。高性能なCPUを開発することはもちろん必要だが、最終製品を作るメーカーの意志を尊重するためにも、部品のブランドを前に出すべきじゃない」と批判していたことがある。

 結局、Intel Insideキャンペーンは大成功を収め、AMDはIntelの後を追ってプロセッサのブランドキャンペーンを自らも行なうようになる。AMDが後を追ったのは、ビジネス面の判断から致し方なかった事だとは思う。

 が、AMDの主張は至極もっともなところもある。確かにCPUやGPUといったLSIメーカーは、PCという最終製品をどのようなものにするのかについて、まったく責任を負っていない。ならば自分たちがどんなプロセッサを作りたいかではなく、PCメーカーがどんなプロセッサを求めているのか、どんな最終製品をユーザーに届けたいと考えているのか。そのメーカーのやりたいことを成し遂げさせる部品を提供するのが、部品屋としての務めというのは、確かにその通りなのだ。

 かつてTransmetaの低消費電力プロセッサCrusoeについて、この連載の中でどんなプロセッサになりそうか。消費電力が下がることで、PCメーカーはIntel製プロセッサよりも自由に新しいタイプの製品を模索できるようになるだろうと書いたことがある。この時、今はもう、ずいぶん偉くなってしまった富士通のノートPC開発部長から「まったくもって、我々がやりたいのは使う部品のスペックについて、もっと自由に選べるようになることだ」とメールを直接いただいたことがあった。

 あれからもう10年近い。Intelをはじめとして、CPUやGPUのベンダーが、部品屋として新しいタイプの製品が生まれることを阻害しない、いやむしろハード屋のアイデアを実現し、その発想をさらに発展させてやろうぐらいの勢いになっていることが、製品の多様性を高めていることは、ここ数年のネットブック現象を引用するまでもなく明らかだ。

 CESのIntelブースにはAtom Nシリーズ、Atom Zシリーズを搭載するさまざまな製品に加え、CULVプロセッサ搭載のノートPCにも、幅広いダイナミックレンジが生まれてきていた。

 部品メーカーが、最終製品への責任を持つメーカーが望むような部品を提供するという当たり前のことが徹底されるようになれば、同じx86ベースのWindows PCでも、全然違うテイストの製品へと育っていく。単に昔に戻っていっただけなのだが、原点に回帰した先に新しさが存在した典型的な例と言えるかもしれない。

●再版制度への挑戦

 ところで前回、前々回と電子ブックについてのコラムを書いたが、ここで1つ謝罪しなければならない。Amazonが売り上げの7割を要求しているという話だが、この数字は必ずしも正しくないことがわかった。

 前々回のコラムで取り上げた数字は海外での報道や国内の大手出版社への聞き取りから出した数字だったが、Amazonが出版社の原価を3割としているのは、米国において特定の地方新聞社がKindle向けに発刊する場合に設定されていたものだったようだ。同じ割合の数字は、出版各社から一様にあちこちで聞いたのだが、実はAmazonでは「定価の何割」といった利益設定のやり方はしていないのだという。定価の7割という数字は、どうやら業界内でまことしやかに一人歩きした噂だったのかもしれない。

 詳細は別媒体での記事作成のための取材において知ったため、現時点において細かく紹介はできないが、Amazonが目指しているのは、再販制度に守られた一般書籍からは独立した、自由競争型の出版ビジネスモデルだ。ソニーなど他の電子ブック事業を行なおうとしている企業が、Amazonと同じ事を考えているかどうかはわからない。

 前述したように別媒体においての取材だったため、そちらが発刊後には、この連載でもきちんとした内容を伝えることにしたい。

 いずれにしろ、電子的なデータとして本を販売するという、古くて新しいビジネスの行方は、古い再販制度と新しい自由競争のビジネスを同じ内容のコンテンツで両立しうるか? という難しい問題を抱える事になりそうだ。

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(2010年 1月 20日)

[Text by本田 雅一]