おそらく私が出版業界に極めて近い立場にあるからという前提条件も影響しているのだろうが、今年のCESに関連して最も多くTwitterや読者向けメールアドレスへのメールという形で反響や質問が多かったのは、電子ブック関連の話題だった。
Sony Readerについて解説するソニーエレクトロニクス 野口氏 |
もちろん、全体を通してみれば3D映像技術に関連する話題がもっとも大きかったことは間違いないが、読者からの興味の持たれ方という意味では、全く負けていない。
CES開始直前にも電子ブック関連の情報をまとめたが、CES会場で取材した電子ブック関連の話題を整理しておくとともに、会場近くのホテルで聞いたソニーエレクトロニクス副社長で「Sony Reader」を担当する野口氏のコメントも交えながら話を進めたい。
●クロスオーバー化が進み始めた電子ブックリーダー
毎年筆者が担当しているCEA公式視察ツアーの講演で来場者からも質問されたのだが、電子ブックリーダーに関しては、新たな機能の追加を期待する声もあるようだ。確かにハードウェアサイドを話題の中心と考えるならば、リーダーハードウェアの多機能化という流れはある。しかし、それは話題の本質ではない。どんな携帯の電子ブックリーダが良いかは、人それぞれだからだ。
ソニーが販売するSony Readerの現行3モデル。一番右のDaily Editionは3Gワイヤレス通信機能内蔵で書籍購入や新聞購読を簡単に行なえる他、USペーパーバックサイズのタッチパネルディスプレイを備える新製品 |
中にはPCで本を読む人もいるかもしれないし、別の人は満員電車では携帯電話の方が読みやすいと言うかもしれない。音楽が常に手放せないという人なら、あるいは音楽プレーヤが主で、そこにリーダーがついている方が幸せという人もいる可能性だってある。
電子ブック形式のデータを表示できるデバイスならば、どんなものでも電子ブックリーダーに成り得るわけだ。
同じように考える人が多いことは、E-Inkの電子ペーパー技術を使うデバイスに、さまざまな機能を統合したクロスオーバータイプの製品が増えていることからもわかる。代表例はサムスンの電子ブックリーダーで、スケジュール管理や電子メールクライアントとしての機能、住所録機能などオーガナイザーとしての機能が豊富だ。分厚いこともあって、電子ブックリーダーというよりは、電子ブックの読めるシステム手帳といった雰囲気だ。
注目されたプラスティックロジックのCUEも、機能的にはWebブラウザこそ搭載していないものの電子メールを見たり、Officeのドキュメントを見る機能などもあり、さらなるクロスオーバー化を感じさせる面もあった。
もちろん、今月中にも発表か? と噂されているApple製タブレット端末などは、いろいろなデジタルメディアやアプリケーションのプレーヤとして、電子ブックを読むことも可能なクロスオーバー製品になると考えられる。
しかし、一方では本を読むための道具は、本を読む機能に特化すべきと考える製品も当然に存在する。メールやスケジュールへのアクセスや写真の撮影や閲覧などは、何も電子ブックリーダで行なう必要はなく、スマートフォンが1つあれば十分。電子ブックリーダーは、電子ブックリーダーとして使い易いよう特化した製品にすべきという考えだ。
この代表格が、いかにもクロスオーバー製品の企画が好きそうに思えるソニーというところが面白い。野口氏は「電子ブックリーダー以外の機能が豊富なデバイスはたくさんある。電子ブックリーダーは、本を読むための機能と性能の良さにフォーカスすべしと指示している。今後もキーボードを付けるつもりもない」と話す。
●電子ペーパーの質は各製品で驚くほど違う
CESで展示されたハードウェアに関して言えば、電子ペーパーの表示品質差が想像以上だったことも驚きだった。前回のコラムでも述べたように、電子ペーパーの歩留まり幅が広いという事は知識として知っていたが、無名ブランドから一流ブランドまで、幅広いブランドの電子ブックが並ぶCESで比較してみると、製品ごとに大きく違う。
どの電子ペーパー技術も基本的な構造はE-Inkの技術に基づくもので、中には旧世代の製品に含まれている可能性はあるが、スペック上の性能は同じだ。独自性をうたうプラスティックロジックやLG電子の電子ペーパー技術もE-Inkをもとにしており、根本的な違いはない。E-Inkの電子ペーパーといっても世代ごとに書き換え速度などさまざまな面で違いがあるが、同じスペックのものでも違いがある。
例えば電子ブックパビリオンにはASTAKというシリコンバレーの企業が自社ブランドおよびMETRONIXブランド(計測器のブランド名だが、商標権を購入したものと思われる)で電子ブックリーダーを展示していた。ソフトウェアは自社で開発しているとのことだが、ハードウェアは中国製である。手に取ってみると黒の濃度が薄く、薄墨で文字を書いたようだった。
もっとも大きな違いを感じるのは、フォントを小さくした場合で、Sony ReaderやKindleでは十分に読めるUSペーパーバックの書籍と同等の文字サイズにすると、ASTAKの電子ブックリーダーでは文字がかすれて認識しづらくなる。スペック上は同じでも、実際の使い勝手となると全く異なる。
ASTAKブランドの電子ブックリーダ。EPUB、Word Doc、RTF、PDFなどの表示に対応。コントラストが低く、また階調の連続性が低いため小さな文字がカスレて見づらい | オーガナイザ機能を含む機種などいろいろな機能を統合した製品が電子ブックパビリオンには数多く並んだ | プラスティックロジックのCUEは有機TFTを用いた独自性の高いE-Ink電子ペーパーで超薄型筐体を実現 |
また展示会場では、どれがそうなっているのか分析できなかったが、安価な製品では古い世代の電子ペーパーを用いているものもあり、そうするとさらに一段コントラストが下がるだけでなく、書き換え速度が格段に遅くなるのだとか。
世代を重ねていくことで、一線級のベンダー以外も品質の高い電子ペーパーを入手しやすくなると考えられるため、数年もすればほとんど気にならなくなるだろうが、“ここまで質が違えば、当面は低価格品には手を出しづらいな”と感じるぐらいの差は十分にあった。電子ブックリーダーの本質は、その表示デバイスや使い勝手にあるとするならば、電子ペーパーの品質違いは、初期の電子ブックリーダーの人気を左右する大きな要素となるだろう。
●Kindle対EPUB連合の構図鮮明少し切り口を変えて、電子ブックリーダーとしての分類をすると、Amazon Kindleとそれ以外という対立構図が鮮明だ。電子ブックパビリオンに集まる電子ブックリーダーの多くは、電子ブックの形式としてソニーとアドビが中心に策定を進めてきたオープンフォーマットのEPUBを採用している(他にDOCやPDF、プレーンテキストなどもサポートするものが多い)。これに対してKindleは独自形式の電子ブックフォーマットを採用し、自社サイトのみで流通させている。
それでもKindleが成功しているのは、本のオンライン販売において圧倒的な地位にあることで、電子ブックの出版社と読者をつなぐもっとも太いパイプになっていることが大きい。しかし、その一方でEPUBの広がりも無視できない。EPUBに関してはGoogle Booksが採用していることが紹介の際、必ず語られる。Google Booksからは著作権フリーの電子ブックデータが100万冊以上もダウンロードできるので、この話を引用するわけだが、実際にはEPUBの広がりは幅広い。
EPUBはオープンフォーマットだけに、電子ブックを作るためのオーサリングツールや、他形式からのコンバータなどが豊富。Kindleの採用するフォーマットはオープンではないものの、ユーザー数が多いこともあってコンバータはいくつかある。しかし今後はEPUB対応ツールの方が豊富になるだろうことは想像に難くない。
EPUBの形式は単純なもので、ZIP形式のアーカイブに、指定された構造でデータを収めるだけ。XHTMLのサブセットを基本に書籍向けのタグが追加されているだけなので、実に簡単にツールが作れる。筆者はまだ入手していないため確認出来ていないが、本文のXHTMLの書式を設定するスタイルシート内で有効な日本語フォントを指定、Sony Readerのフォントフォルダに該当する日本語フォントを入れておくと、日本語の文章が収められたEPUB形式のデータをSony Readerで読むことも可能だという。
書籍タイトルなどユーザーインターフェイス部分まで日本語化となると、システムをハッキングして表示に使うフォントの変更などが必要になってしまうため、日本語化が容易というわけではないが、システムそのものは国際化を前提に開発しているようで、ダブルバイトの文字データも正常に扱えるようだ。
シングルバイト言語圏であればさらにハードルは低く、たとえばロシアではSony Readerがまだ発売されていないのに、売り上げランキングでベスト5に入った月もあったという。ロシアでは発売されるやいなや、あっという間にハッキングしてロシア語対応ためのハック情報が出回るためだという。EPUBによる電子ブックデータも、ネット上で幅広く流通しているようだ。
筆者はロシア語を読めないのだが、新聞のWebサイトから記事を抜き出してEPUB形式にまとめる自動巡回ツールなども出回っているという。すでにEPUB形式はデファクトスタンダードとしての道を、メーカーや出版社の思惑とは別に独立して歩み始めており、この流れをAmazon一社で止められるとは考えにくい状況だ。
また、北米の状況だけを見ていると、Amazonの地元でKindleが最初に発売された地域ということもありKindleの存在感が強いが、他国では必ずしもそうではないと前出の野口氏は話す。
「英国は人口に対する普及率で言うと米国の1年前の状況をトレースしており、今後は市場が爆発しそう。さらにドイツ、オランダのビジネスが急伸しており、始めたばかりのフランスも好感触を得ている(野口氏)」。
中でもオランダは地元の有名書店ブランドと組んだことで、市場で流通する電子ブックの多くがEPUB形式になっているという。欧州ではEPUB形式の電子ブック市場が確立されつつあり、Amazonの影響力もアメリカほどではないこともあり、北米とは異なる展開になっていきそうだ。
●北米での状況にも変化?一方、北米ではAmazon Kindleは圧倒的な存在と見る向きは多い。しかし実際にはKindleが大ヒット商品になっているのと同じように、それ以外の電子ブックリーダーも売上を大きく伸ばしている。それ以外というのは、ほぼ例外なくEPUB形式をサポートする電子ブックリーダーだ。
例えばソニースタイル(全米に展開するソニー直営店)の店頭ではSony Readerが最前列にあり、量販店のベストバイでも入り口を入ってすぐの目立つ場所に独立コーナーとしてSony Readerコーナーが設けられていて驚かされた。ソニースタイルはもちろん、ベストバイでも主力商材の1つとして扱われている印象だ。
それもそのはずで「台数や金額は公表していないが、昨年、ソニースタイルで販売されたソニー製ハードウェアのうち、もっとも多くの台数を売ったのはSony Reader(野口氏)」だったそうだ。量販店での販売も好調のようで、ラスベガス、ロサンゼルスでベストバイを訪ねてみたが、昨年末のクリスマスシーズンは新モデルが品切れを起こすほど好評だったと現場の店員は話していた。
序盤戦をうまく戦ったのがAmazonであることは間違いないが、今後の急成長が見込まれている市場だけに、オープン性を活かして仲間が増えれば北米でもデファクトスタンダードはEPUBになっていくだろう。というのも、Sony Readerがこれほどのヒット商品になった背景には、既存流通のAmazonへの反発という要素も見え隠れするからだ。
ご存じの方も多いだろうが、電子ブックリーダーなどの電子機器の販売利益は、販売店にとってそれほど大きなものではない。キャッシュフローが多い割には実りが少ないのは、家電量販の宿命だが、アクセサリ類の利益率は電子機器類よりも良い。ところがAmazonのビジネスモデルは電子ブックリーダーのビジネスだけでなく、ブックカバーなどアクセサリ類のビジネスも奪ってしまう。
そこでソニーは自社でSony Reader用アクセサリを開発するだけでなく、パートナーと新製品のNDA契約を結び、他社開発のSony Reader用アクセサリの流通で協力(たとえば本体と同じ棚で販売したり、ソニースタイルのリアル店舗、Web店舗で販売するなど)するなど、アクセサリを充実させる体制を整え、流通側からの支持を得ている。
●日本での発売は「すべての条件が揃ってから」AmazonがKindleの日本語版を発売するという噂は、すでにかなり広まっている。実際に出版社側にも説明が行なわれたが、その影響は2月の設立が明らかになった日本電子書籍出版協会(仮称)の設立にもつながった。
この組織はKindleで日本市場のスタンダードも握りたいAmazonに対して、出版社がスクラムを組んで団体交渉へ持ち込もうとしていることを意味している。各社がAmazonの条件に納得していれば、このような組織が急峻に組織されることはなかっただろう。著者による自主流通のハードルが格段に下がることや、再販制度で守られている書籍販売との整合性といった問題も含め、出版社側としても主張したいことがあるということだろう。
まだ正式に発足しているわけではないため、我々は外から見守るしかないが、いよいよボタンの掛け違いが許されない緊張した局面になってきたと言えるかもしれない。
前出のソニー・野口氏は日本でのSony Reader発売について「日本だけでなく、全地域についてチェック項目を設け、そのチェック項目すべてがOKとなった段階で発売している」と話す。日本の状況に関しては「仮に5つのチェック項目があるならば、まだ2つしかグリーンシグナルは点灯していない。3つ目が点灯すれば、残りも一気にOKサインとなるかもしれないが、現在はとても微妙な時期でコメントできない」(野口氏)。
ソニーは一度、日本で電子ブック事業を失敗している。それだけに出版社側の協力や新しい流通形態に対する業界全体のサポートが重要であることを骨身に染みているのだろう。「Sony Readerの日本語化は全く難しくなく、今すぐにでもハードウェアは発売できるが、それではダメ。業界全体が納得いく形でビジネスを開始できなければ」と話すように、野口氏は慎重な姿勢を最後まで崩さなかった。
(2010年 1月 15日)