大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

ThinkPadの父が語る、これまでとこれからのThinkPad

ThinkPadの父が語る、これまでとこれからのThinkPad

 1992年10月5日に、ThinkPadシリーズの第1号機となる「ThinkPad 700C」が発売されてから、2017年10月に、ちょうど25年の節目を迎えた。

 ThinkPadの父と呼ばれるレノボ・ジャパンの内藤在正取締役副社長は、「最初のThinkPadを開発したときに、今日の日を迎えることはまったく思っても見なかった。だが、なくならないブランドになるということは、なんとなくではあるが、確信のようなものがあった」と振り返る。

 そして、「ThinkPadは何かという、コンセプトが一貫していたことが、現在につながっている」と話す。内藤副社長に、ThinkPadの25年を振り返ってもらうとともに、次の25年についても聞いた。

ThinkPadとたどった25年

ThinkPadの父が語る、これまでとこれからのThinkPad レノボ・ジャパンの内藤在正取締役副社長
レノボ・ジャパンの内藤在正取締役副社長

――1992年10月5日に、ThinkPadシリーズの第1号機となる「ThinkPad 700C」が発売されてから、25年の節目を迎えました。どんな気持ちでその日を迎えましたか。

内藤(敬称略、以下同) 最初のThinkPadを開発したときに、25年目の日を迎えるということは、まったく想像していませんでしたね。ただ、その一方で、ThinkPadはいつかなくなってしまうという気持ちはまったくありませんでした。それはなんとなくではあるのですが、確信のようなものであったと言えます。

 IBMやLenovoという会社は、もともと名前があって、働く人は、そこに入るということになりますが、ThinkPadというブランドは私たちが作ったブランドであり、我々がオーナーシップを持ったブランドです。そして、もっとも愛着があるブランドです。

――ThinkPadという名前は、その後の進化や用途、ターゲットを考えると最適なブランドですね。

内藤 じつは、ThinkPad 700Cが登場する前に、IBMは、タブレットにThinkPadという名称を使っていた経緯がありました。1992年4月に発売したThinkPad 700がそれです。そこで使っていた名称を、新たなノートPCの名前につけたんです。

 これは、あとから聞いた話で、私自身、その存在を知りませんでした。米IBMのゼネラルマネージャーだったブルース・クラフリン氏が、「新たなノートPCの名前は、ThinkPadで行く」と連絡をくれたのですが、最初はへんな名前だなぁ、と思いましたよ(笑)。

ThinkPadの父が語る、これまでとこれからのThinkPad

――振り返ると、どんな25年間でしたか。

内藤 私は、幸運の積み重ねであったと思っています。たとえば、ThinkPadがスタートした当初は、社内のすべてにノートPCに必要なテクノロジが揃っていました。

 IBMは、液晶の技術を自前で持っていましたし、HDDも、基板製造技術も、そして、パワーマネジメントの技術もありました。また、デザインに関しても、IBMのデザイン顧問を務めていたリチャード・サッパー氏との出会いがあり、トラックポイントもテッド・セルカー氏による提案があって、それを採用することになった。

 こうしてみると、幸運の積み重ねが、ThinkPadのスタートにつながっているのです。そして最大の幸運であり、財産と言えるのは、ThinkPadを利用していただいている多くのお客様の存在です。ThinkPadは、多くのお客様によって鍛えられたからこそ、進化があり、それによってお客様の成功をサポートすることができるツールになることができました。25年間にわたって、多くの方々にThinkPadが利用されているのは、お客様の声があるからこそです。

 私が、最初に、お客様のことを強く意識することになったきっかけは、ある企業での利用シーンを聞いたときのことでした。

――それはどんな利用シーンだったのですか。

内藤 その会社ではThinkPadがよく壊れるというので、使い方を調べに行ったのです。すると、ThinkPadを入れるための専用のショルダーバッグを使っていました。そこまではいいのです。しかし、よく見てみると、多くの人が、ショルダーの紐の部分が長いので、その紐の部分を持って、振り回しながら歩いている(笑)。角があちこちにぶつかって壊れるわけです。

 これは、しっかりと堅牢性を考えなくていけないと思いました。こうしたことはつねに起こっています。学生の利用シーンを見ると、自転車のかごのなかにThinkPadを入れて、猛スピードで走ったり、試合を観戦中に寒いからとThinkPadを座布団代わりに使っていたり(笑)。

 離れたところにあるThinkPadも、その場所まで取りに行かずに、電源コードを引っ張って取ろうとする。下には滑り止め防止のゴムがついているわけですから、引っ張るたびに本体には大きな振動が与えられ、電源コードにも負担がかかる。我々が想定していないような使い方があちこちで起こっているのです。

 あるとき、インターフェイスの部分の蓋が取れて困るという声が出ました。何度も素材や形状を工夫をして、取りつけてみたのですが、やはり取れてしまう。あるとき開発者が、「ない蓋は、絶対に取れない」と言い、蓋を全部とってしまった。これも、お客様の声を聞いた結果の改良の1つです。

――黒以外のThinkPadがほしいという声もあったのですか。

内藤 それはよくあります。「ThinkPadが黒でなかったら買いたいのだが」という声は、いつの時代にも出ていますよ。黒っぽいけど、黒でないものにしてみたり、今回、X1 Carbonでは、シルバーのものを出してみたりといったことをしています。

 しかし、あくまでもバリエーションの1つとして、黒以外の色を用意することはあっても、それを中心にするということはありません。あくまでも黒が基調となります。

――25年の歴史のなかでは、やはりLenovoによるIBMのPC事業買収が大きな転換点と言えますが。

内藤 2005年のLenovoによる買収も、ThinkPadにとっては、大きな幸運だったと言えます。

 Lenovoは、IBMのPC事業を買収するさいに、ThinkPadに対して強くリスペクトし、自分たちで完全にコントロールしてはいけないということを明確に示しました。ThinkPadがThinkPadのままでいられたのは、Lenovoのこの姿勢が明確だったからです。

ThinkPadの3つの定義

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――改めて、「ThinkPadとは何か」を定義していただきたいのですが。

内藤 これは私がずっと語っていることがですが、3つの要素に集約できます。

 1つは、ThinkPadは、目的をもって作られたPCであるという点です。ThinkPadは、オフィスから離れても生産性を維持でき、顧客の成功を支えることを目的に開発してきたツールであり、そのために必要な機能を搭載し、不要なものは搭載しないという姿勢が徹底しています。

 デビッド・ヒル氏は、ThinkPadの開発をスタートしたときに、虎の写真を用い、その縞模様を指しながら、「自然にあるすべてのものは余計なものは持たない。自然にあるすべてのものには意味がある」と説明しました。目的を持ったデザインは、自然と機能性を兼ね備えているからこそ美しい。長く座れない椅子は、余計な飾りや、余計なデザイン要素があるからこそ問題が発生しているというわけです。ThinkPadは余計なものがなく、目的を持ったデザインをしています。

 2つ目には、マスクテクノロジという表現をしていますが、自らが技術を主張するツールにはならないということです。ThinkPadは、「どうだ、この技術はすごいだろう」というモノづくりはしていません。ThinkPadが目指したのは、コンピュータを使うことに気を使わず、仕事に集中してもらうためのツールにするということです。これも、変わらない思想の1つです。

 そして、3つ目が信頼されるツールであり続けるということです。堅牢性や安定性といった要素も信頼されるツールの条件ではありますが、ThinkPadを使っていただいたユーザーが、次もThinkPadにしたいと思ったさいに、その満足度を感じていただいた部分が、新たな製品に継続されていなかったとしたら、信頼は生まれません。継続は、信頼につながります。

 こうした3つの考え方が、ThinkPadの開発チームの共通認識となっています。

――これはブレたことはないのですか。

内藤 いや、正直なところ、なんどもブレそうになりました(笑)。コンシューマ受けするThinkPadがほしいという要望があったときには、それを指向したこともありました。

 ただ、「○○受け」というのは感情的な部分であって、我々がずっとやってきたことは論理的要素です。論理的要素を開発チームが共有していたからこそ、感情的要素に大きく流されなかったと言えます。

――内藤副社長にとって、この25年のなかで、印象的な出来事はなんですか。

内藤 2000年~2003年頃のことですね。この時期は本当に辛かった。2000年頃から、ハイスピードネットワークの普及などもあり、オフィスや家でも、ノートPCを利用するといった動きが本格化しようとしていました。それに伴って、IntelのCPUもさらに高速化し、高い性能を求めるユーザーも増えてきました。

 しかし、性能を高めれば、発熱量が増え、消費電力も大きくなります。本体は分厚くなるし、バッテリ駆動時間が短くなる。お客様が求めるようなPCを作ることができなかったのです。

 一方で、ITバブルの崩壊もあり、経済環境が低迷していた時期ですから、企業もノートPCは導入したいが、最新のモデルを導入するよりも、前年のモデルでいいから安く供給してほしいという話ばかりが出てきた。メールとPowerPointしか使わないので、CPUパワーもいらないという声もありました。

 しかし、本当は、セキュリティソフトを稼働したり、ビデオの利用が増えはじめたことを考えれば、CPUにはパワーがあったほうがいいのは明白でした。このときに、議論をして気がついたのは、「我々は言いわけばかりをしていたのではないか」ということでした。改善に対する努力が少なく、お客様が先に進むことができる提案ができていなかったのです。

 そうしたなか、IntelからCentrinoが発表され、さらに、我々の技術進化も加わり、ようやく新たな世界を提案できるようになった。この苦しい時期が一番の思い出です。

――良い話はないのですか(笑)

内藤 良い話のほうが、たくさんあるのですが、どうしても辛かったときのことが思い出されます(笑)。

 製品という点では、2008年に発売したThinkPad X300が思い出深い製品ですね。それまでは、PCがコモディティ化し、安い製品ばかりに注目が集まっていたのですが、ThinkPad X300を投入したことで、再びPCが、コモディティの製品から、ハイテクの製品に生まれ変わりました。

 当時は、この製品に対して、「Perfect ThinkPad」という表現が用いられたほど、高い評価を得た製品です。これも、その後のリーマンショックの影響がなければ、もっと売れていたはずなのですが(笑)、この経験と成功が、その後のX1 Carbonへとつながっています。

ThinkPad 25と次世代のThinkPad

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――製品という点では、25周年にあわせて、ThinkPad 25を限定で販売しています。この製品開発に、内藤副社長はどれぐらい関わっているのですか。

内藤 ThinkPad 25は、ヒル氏がブログで提案を行ない、それに多くのユーザーからの反響を得てスタートしているもので、私自身は、直接は関わってはいません。むしろ、口を出さないほうがいいと思っていました。

 途中で、試作段階のものを見せてもらったのですが、そのときにキーボードがブカブカで、「こんなものは出せない」と一言だけ言いました(笑)。もちろん、私が言わなくてもわかっているチームですから、出荷直前のものをみたら、しっかりとしたキーボードになっていましたよ。

 ThinkPad 25は、私もとても楽しみにしていました。昔の美しいデザインのクルマに、最新の技術が搭載され、新たなクルマに生まれ変わったら乗ってみたいと思いますよね。ThinkPad 25は、「Retro ThinkPad」と言われるように、それと同じことを、ThinkPadで実現したものです。

――内藤副社長は、ThinkPad 25を使う予定ですか。

内藤 まだ私のところに届いていないんですよ。もう少し強く言わないと手元にこないようなので、要求してみようと思っています(笑)。

――現時点でのThinkPadは、第5世代としていますが、そろそろ第6世代が視野に入りはじめているのではないでしょうか。

内藤 第6世代という言い方をするかどうかは決めていないのですが、その言葉を用いるとすれば、いまは第6世代の入口に立ちはじめていると言えます。

 第4世代の時代には、携帯電話やスマートフォンの台頭などによって、PCの存在感が薄くなりがちでした。PC業界全体が挑戦を怠った時代だったとも言えます。

 しかし、それを払拭したのが第5世代であり、タブレットや2in1といった新たな製品を投入したほか、Windows 10を搭載。薄く、軽く、長時間のバッテリ駆動を実現して、その答えを出せたと思っています。

 では、第6世代は何か。PCがつねにネットワークに接続され、さまざまなデバイスやサービスと連携しながら、クラウドと真に融合した新たな時代に対応したThinkPadが、第6世代となります。

 ThinkPadでは、すでにLTEモデルを発売し、一部で常時接続の世界を実現していますから、その点で、第6世代の入口に立ったとは言えますが、それをさらに進化させ、ThinkPadを閉じていても、メールなどがすべて受信され、最新の情報が入手されていながら、蓋を開ければバッテリ駆動時間を維持した形で、長時間使用できるという環境が必要です。

 このように、クラウドを使うことを前提としたThinkPadが、次世代のThinkPadということになります。

ThinkPadはなくならない

――これからの25年間、ThinkPadは何が変わり、何が変わらないのでしょうか。

内藤 ThinkPadというブランドは、これからもなくならないでしょうね。

ThinkPadの父が語る、これまでとこれからのThinkPad

 しかし、技術の進化に伴って、ThinkPadは形を変えていくことも考えられます。いま、入力作業をするには、キーボードがもっとも効率的なものとなっています。ですから、キーボードをもっともうまく利用できるクラムシェルタイプが長年にわたって主流となっています。ペン入力や音声入力が一般化したさいには、クラムシェルタイプでなくてもいいわけです。

 コンピュータの歴史は、集中と分散の繰り返しです。言い方を変えれば、上に行ったり、下に来たりといったことを繰り返しています。いまは、クラウドを活用する方向へと向かっており、そこで、AIなどの新たな技術が進化を遂げています。

 つまり、サーバーのプロセッシングパワーを利用して、処理を行なう「集中」の時代に入り、「上」の方向に向かっています。しかし、次の時代には、ローカルのコンピュータがパワフルになり、AIなどの高度な技術を、クライアントで処理する時代が必ずやってくるでしょう。

 ローカルAIの時代が到来し、同時に、より小型化し、もっと身近に存在するデバイスへと変化することも考えられます。これが、ThinkPadにとって、第7世代となるのかはわかりませんが、私は「パフォーマンス信奉者」でもあるので(笑)、よりローカルで処理ができるように、性能を高めていくことに興味を持っています。

 PCで処理をしているときに、砂時計が表示されたり、円が回転したりしていますが、この間、多くの人がボーっとそれを見ています。人が、何も考えていない時間なんです。こんな無駄な時間はありません。処理に時間がかかるのであれば、ほかのこともできますが、少しの時間だとどうしても待ってしまう。この待ち時間をなくしたい。これによって、人の生産性はさらに上がるはずです。そんな環境も実現したいですね。

 一方で変わらないことでは、先にもふれたように、ThinkPadは何かといったときに、仕事のためのツールであること、成功を支援するためのツールであること、信頼性を追求するという3つの姿勢は変わりません。

 じつは対外的には、3つという言い方をしているのですが、社内には4つめの要素に、「人」を挙げています。社員がこれらの考え方を継承し、それを基本にしてThinkPadを開発し続けることは、変わらない要素の1つだと言えます。

 いま、ThinkPadに関わるすべての社員が、「ThinkPad 開発哲学の木」が描かれたカードを所持しています。これは、これまで大和研究所に受け継がれてきた開発哲学をまとめたものです。私が作ってくれといったわけではなく、社員自らが制作したものです。社員は、これをつねに携帯し、何かあったときや、迷ったときに見て、どうすべきかを判断する原点にしています。

ThinkPadの父が語る、これまでとこれからのThinkPad

 社員と話すときに、「なぜ、この機能をつけたのか」と聞くことがあるんです。そのときに、「『○○さんに言われたので』という答えは、エンジニアとして最低だ」と言っています。「お客様がこう作ってほしい」といったのならばわかります。しかし、誰かに言われて作ったのは、本当に必要なものを納得して作ったことにはなりません。

 すごい発明をしても、それが必要とされなくては意味がありません。「○○さんに言われたので」と回答するエンジニアに対して、「それをお客様の前で言えるのか」、「お客様の前にいると思って、説明してほしい」と言っています。お客様が何を求めているのかという肌感覚で知り、ThinkPadを開発することを徹底しています。

 こうした姿勢が、若いエンジニアに継承されることが、ThinkPadの継続につながります。これは、ThinkPadの将来にとって、とても重要な要素です。

――25年後の50周年のときには、内藤副社長は何をしていますか?

内藤 そのときには、私は90歳になりますから(笑)、ThinkPadに対して、何かしらの影響を与えているのではなく、次の世代にしっかりと受け継いだThinkPadを見届けている、といった状態になっているでしょうね。

 私は、1970年代の環境で育ってきたエンジニアですから、発想や感受性には限界があります。ThinkPadの根本を理解した若いエンニジアが持つ新たな感性で、ThinkPadを発展させてもらいたいですね。

 いまは、大きな会社に入り、その結果、ThinkPadのチームに偶然配属されたという人材ではなく、ThinkPadを開発したくて大和研究所に入ってきたという社員ばかりですし、インターンのときから接したり、私が面接をして採用した社員ばかりです。

 そして、直接、顔を見て、ThinkPadの思想を伝えることができます。この規模の組織だからできることでもあり、その点ではいい環境にあると言えます。

――最後に、PC Watchの読者、とくにThinkPadユーザーに対して、ひとこといただけますでしょうか。

ThinkPadの父が語る、これまでとこれからのThinkPad

内藤 振り返ってみますと、この25年間は、多くの幸運に恵まれたと言えますが、そのなかでも多くのお客様に巡り会えたことが最大の幸運でした。さまざまな意見をいただきました。また、直接的な要望でなくても、質問を受けたことでさえも勉強になり、ヒントになりました。これまでの25年間に対して、感謝の気持ちを伝えたいと思っています。

 ThinkPadはお客様の成功を一番の目標に置いて、開発した製品です。お客様の声が一番の力になります。これからも意見をいただき、ご指導していただきたいですね。それが、ThinkPadのこれからの進化につながります。