風穴江のカッティングエッジ

ジャストシステムに何が起こったのか?



浮川夫妻の辞任を告げるプレスリリース

 株式会社ジャストシステムの創業者である浮川和宣氏と浮川初子氏が、10月29日付けで揃って辞任した。

 2人でジャストシステムを創業したのは'79年のこと。創業30周年を迎えた年に2人揃って辞任することになったのだが、そのことを伝える発表文は、事実だけが淡々と述べられた、たった1ページのPDFファイルであった)。

 ジャストシステムといえば、パーソナルコンピュータの黎明期から日本語を扱うという道なき道を先頭に立って切り開いてきた立役者である。そして浮川夫妻も、ジャストシステムの顔としてだけでなく、日本を代表するソフトウェア開発企業のシンボルとして大きな存在感を発揮してきた。そのためだろう、各メディアの報道は、

「ジャストシステム、創業者の浮川夫妻が役員を辞任」(PC Watch)
「ジャストシステム創業者の浮川夫妻が会長・副会長を辞任」(Internet Watch)
「ジャストシステムの創業者夫妻が辞任」(ITproニュース)
「ジャストシステム、創業者の浮川夫妻が辞任」(ITmediaニュース)
「ジャストシステムの浮川夫妻が辞任」(マイコミジャーナル)

のように、どれも「創業者がついに会社を去ることになった」という点に注目するものばかりだった。これはこれで感慨深いと感じる人も少なくないだろう。浮川夫妻とジャストシステムが作り上げてきた歴史のインパクトがそれだけ大きかったということなのだから。

 しかし、ジャストシステムという会社がこの先どうなっていくのかを考えるのならば、歴史の感傷に浸るだけではなく、冷静に「大株主でもある代表取締役と取締役が、突然、“一身上の都合”という、詳細を明らかにすることを拒むかのような理由で辞任した」ことの背景を分析してみる必要がある。

●疑問だらけの辞任劇
'97年に「一太郎 Office 8」を発表する浮川初子氏

 今回の辞任劇には、よく分からないことがいくつもある。

 まず、なぜこのタイミングで辞任する必要があったのか。同社は、第2四半期の決算発表を11月12日に行なうと予告していた。もし今回の辞任が、決算内容の悪化を受けてのものだするなら、決算を発表するタイミングで辞任を表明するのが賢明な方法だろう。それで責任を明確にできるし、新経営陣としても新たな出発をアピールすることにもつながるからだ。特に株式を公開している企業としては(ジャストシステムはジャスダック市場に上場している)、そうした演出によるメリットは少なくないはずだ。

 あるいは、いずれ一線から身を引くつもりだったのが、たまたまこの日になっただけという可能性もないとはいえない。しかし、そうだとしても、このような唐突な印象を与える幕引きの必要はなかったのではないか。前々から考えていたタイミングだったとすれば、もっと周到に準備して、ソフトランディングとなるようなやり方をとることができただろうにと思わずにはいられない。

 もう1つの疑問は、辞任の理由である。公式発表では、2人とも「一身上の都合」によるものとされている。しかし、「一身上の都合」というフレーズは、言ってしまえば、理由の詳細を明らかにできない場合に使われる表現だ。つまり公式発表文は、創業者の辞任理由の詳細を明らかにできない、そう宣言しているのと同じことである。

 もちろん、ごくプライベートな理由で詳細は明かしたくない、そういうこともあるだろう。創業者で、かつ有名人であったとしても、何が何でも洗いざらい発表しなければならないというわけではない。それはもちろんその通りだ。しかし、それならそれで、このような唐突な形ではなく、もっと自然な形でフェードアウトする方法がいくらでも取れたのではないだろうか。発表があまりに唐突なことと考え合わせると、やはり辞任の理由が明らかにされないことに、何か引っかかりを覚えるのである。

2003年頃の浮川社長は、方言や教育用ソフトなど新しい道を模索していた

 そして、私がこの辞任劇にここまでこだわる最大の理由が、浮川和宣氏が最後まで代表取締役だったという点にある。

 同社は、なかなか好転しない業績を立て直すカンフル剤として、今年(2009年)の4月に株式会社キーエンスと資本業務提携を結び、キーエンスグループに入った。そして6月になって、社長だった浮川和宣氏が会長に、専務だった浮川初子氏が副会長に就任し、新社長として、創業直後から同社に参加している福良伴昭氏を抜擢する改革人事を断行した。しかしこのとき、社長という肩書きは福良氏に譲ったものの、浮川和宣氏は依然として「代表取締役」の役職に留まっていたのである(福良氏と浮川和宣氏の2人が代表取締役となっていた)。

 ヒラの取締役や名誉職としての会長が辞任するのならともかく、株式会社において単独で会社を代表する権限を持つ代表取締役が辞任するとなれば、大局的な会社の運営に影響がまったくないとは言えないはずだ。会社にとって最も重要な役職である代表取締役が、突然に、しかも理由を明らかにせず辞任することの波紋は、どんな場合であれ決して小さくはない。辞任後の会社の行く末を少しでも案ずるのであれば、代表取締役の最後の仕事として、引き継ぎをできるだけスムーズにし、移行について余計な疑義をもたれないようにするのは最低限の配慮ではないだろうか。

 今回の辞任劇には、そうした配慮がまったく見られない。私自身は、浮川夫妻と個人的に親しくしていたというわけではないが、もうかれこれ15年以上も同社を注目して取材してきている者として、今回のようなやり方は、私が知る限りの浮川夫妻のこれまでの言行にそぐわない、大きな違和感を感じている。今回の件は、浮川氏らが信念に基づいて選択したやり方というより、やむを得ずそうせざるを得なかったのではないか、そう思えるのである。今回の辞任劇に関する数々の疑問は、その点に凝縮されていると言ってもいいだろう。

●辞任の背景に何があったのか?
'99年に秋葉原で行なわれた「一太郎10」発売記念イベントにて

 現時点では、残念ながら当の本人に話を聞くことができていないので、限られた情報から推測するしかない。しかし、推測とはいえ、確実な手がかりを基に推理して考えてみることはできる。

 代表取締役が辞任するという場合、特に今回のようにそれが創業者としてつとに有名な人物であり、加えて、同じ創業者であり妻である取締役も一緒に辞めることになるのであれば、それがどんな形であれ、それなりに世間の注目を集めることは容易に想像できる。したがって、本当に「特別な事情」が何もないのであれば、ジャストシステムという会社にとってプラスになるような形で辞任を演出しようとするのが普通だろう。特に、株式を公開して営利活動を行なっている企業としては、その機会を最大限に利用しようと考えるはずである。

 たとえば、2人の辞任を「新生ジャストシステムの象徴」や「新しい出発の強い決意」として演出することができれば、今まさに事業再建の緒に就こうとしているジャストシステムにとって大きなアピールとなっただろう。

 しかし、現実にはそのような形にはならなかった。それはなぜかと考えるとき、やはり、そうはできない何らかの事情があったのではないかという疑念をぬぐい去ることができない。

●5月28日に何があったのか?

 創業者夫妻の突然の辞任発表の8日前、同社は「主要株主の異動に関するお知らせ」を発表している。プレスリリースという形は取らず、投資家向け情報として“ひっそりと”行なわれた発表の中身は、取締役副会長(当時)の浮川初子氏の所有株式数が、729万株から629万株に変更されたというものだった。つまり、所有株式数が100万株減少し、それにより大株主順位は第3位と変わらないものの、浮川初子氏が保有する株式の割合は11.35%から9.79%へと減少することになった。

 これだけなら何の変哲もない情報だが、気になるのは、その異動が行なわれた日付だ。この10月21日の発表では「異動年月日に関して現在確認作業を行なっており、判明次第直ちに開示いたします。」とあり、この時点では保有株式数がいつ変更されたのか不明だったというのである。ジャストシステムは、浮川初子氏が保有する株式数が変更された事実を「10月16日、当社の株主名簿管理人より送付された株主名簿を確認」して初めて知ったという。

 肝心の異動日時が公表されたのは、10月26日になってからである。同日付の発表文でジャストシステムは「平成21年10月23日に提出された大量株主保有報告書(変更報告書)により、本日、異動年月日を確認いたしました」として、その日時が今年の5月28日だったことを明らかにした。

 5月28日にいったい何があったのか?

 浮川夫妻によって提出された変更報告書によると、問題の2009年5月28日に「株式会社AMコンサルティングとの間で提出者の保有株式数1,000,000株を同社に貸し付ける株券貸借書に関する契約を締結」(注:この部分の「提出者」は浮川初子氏のこと)したということになっている。

 実はジャストシステムの発表では、浮川初子氏の異動についてしか触れられていないが、この変更報告書では、まったく同じ日付(2009年5月28日)に、浮川和宣氏も、株式会社AMコンサルティングとの間で、同氏の保有株式200万株を貸し付ける株券貸借に関する契約書を締結したことが報告されている。

 浮川夫妻が株式会社AMコンサルティングと結んだ株式貸借契約が何を意図したものだったのか、現時点では明らかにされていない。そもそも、株式会社AMコンサルティングが何をする会社なのかも、残念ながら現時点では分かっていない。

 金融商品取引法では、大量保有者(発行総数の5%以上の株式を保有している者)について、保有割合が1%以上増減した場合など、開示すべき重要事項に変更があった場合は、5日以内に報告することを義務づけている(罰則もある)。この株式会社AMコンサルティングとの間で結ばれた株式貸借契約は、2009年5月28日が報告義務発生日となっているので、本来であれば、それから5日以内に報告していなければならないはずのものだった。

 浮川夫妻と株式会社AMコンサルティングとの契約が適切に報告されなかったのはなぜなのだろう? いずれにせよ明らかになってしまうことなので、隠そうとした意図でこうなったとは考えにくい。また、これほど重要な地位に長らく就いていた2人が「うっかりしていた」ということも、およそ考えられないだろう。では、いったい何があったのか。疑問は深まるばかりである。

 この間の経緯をまとめてみると、以下のようになる。

2009年04月03日:株式会社キーエンスと資本・業務提携を結ぶことを発表
2009年04月20日:株式会社キーエンスが筆頭株主(保有割合:43.96%)に
2009年05月28日:浮川和宣氏、浮川初子氏が、株式会社AMコンサルティングとの間で、株式貸借契約を締結
2009年06月18日:福良伴昭氏が代表取締役社長となり、浮川和宣氏が代表取締役会長、浮川初子氏が取締役副会長に就任
2009年10月16日:株主名簿管理人より送付された株主名簿によって、浮川初子氏の所有株式に異動があったことが判明
2009年10月21日:浮川初子氏の所有株式が100万株減少したことを公表
2009年10月23日:浮川夫妻が「大量保有報告書(変更報告書)」を提出
2009年10月26日:浮川初子氏の所有株式の異動日が5月28日だったと発表
2009年10月29日:浮川和宣氏、浮川初子氏が「一身上の都合」で辞任

 こうして並べてみると、10月16日に発覚した「浮川初子氏の所有株式の異動」の件が、10月29日の2人揃っての辞任と何らかの関係があったのではないかと考えたくなる。少なくとも大量保有者としての報告義務に違反していたことは間違いないが、そのことだけで2人揃っての辞任になるとは、創業者としての2人の存在感の大きさ(しかも、浮川和宣氏は依然として代表取締役でもあった)を考えると、想像しにくいものがある。となれば、株式会社AMコンサルティングとの契約そのものが辞任につながるインパクトを与えた可能性も考えてみる必要があるだろう。

 また、そもそもこの株式会社AMコンサルティングとの契約は、株式会社キーエンスが筆頭株主になったおよそ1カ月後に行なわれている。そして、その契約の半月後には、浮川和宣氏が社長を、浮川初子氏も専務をそれぞれ退任している。こうした事実を目の当たりにすると、2009年の4月から10月にかけてジャストシステムで起こった

・株式会社キーエンスの資本参加
・株式会社AMコンサルティングとの契約
・社長交代、専務退任
・浮川夫妻の辞任

という重大事は、ほんとうにすべて無関係だったのだろうかという疑念をぬぐい去ることができない。これらは、表には明らかになっていない何らかの繋がりによって起こった一連の出来事ではなかったのだろうか?

 残念ながら、現時点では疑問を呈することしかできない。しかし、ジャストシステムという会社がこれからどうなっていくのか、もっと具体的に言えば、ジャストシステムが生まれ変わって再び業界に強い影響を与えうる存在になれるのかを考えるには、この疑問から目をそらすことはできないと思うのである。

●あと書き―ジャストシステムよ!

 エッセイではないこのような記事に、筆者の個人的な思いを述べるあと書きを付するワガママをお許しいただきたい。

 残念ながら、ジャストシステムで何が起こっているのかについて、現時点で私がたどり着いたのは、ここまでである。事の本質に迫る決定的な事実にたどり着けないまま発表することは、筆者として甚だ不本意な思いを抱いている。力不足とのそしりは甘んじて受けようと思う。結局のところ、断片的な事実をいくつ並べたところで、推測は推測であり、疑問は疑問でしかないからだ。

 こういう企業内部での動きの真実に迫るには、その当事者自身の口から語られる言葉は不可欠である(それだけで真実に迫れるとは言わないが)。今回は残念ながら叶わなかったが、当事者である浮川和宣氏、浮川初子氏、そして新社長である福良伴昭氏には、いずれ何らかの形で話をうかがってみたいという気持ちは今でも持っているし、この先もずっと機会を待ち続けようと思っている。というのも、この一連の出来事が「腑に落ちる」ことがなければ、15年以上にわたって追いかけてきたジャストシステムの物語が私の中で完結することはないし、また、新生ジャストシステムを注目し続けようというモチベーションにもつながらないような気がするからだ。

 ジャストシステムという会社は、最近はめっきり存在感が薄くなってしまっている。各社の記者仲間らと話をしていても、私が依然としてジャストシステムの動きを気にしているというと「ふーん」という冷たい反応が返ってくる。特にこの業界で起こる「新しいこと」を積極的に追いかけている記者たちのスコープには、もはやジャストシステムとい会社は過去のものとしてしか映っていないかのようだ。

 もちろん、ジャストシステムは依然としてジャスダックの上場を維持している公開企業であるし、赤字が続いているとはいえ、売上げ規模もそれなりに大きい日本有数のソフトウェア会社であることには変わりはない。しかし、そうした外形的なこととは別に、注目される企業かどうかという点では、残念ながらここ数年で大きくその評価を下げている。このことが端的に表れていると私が感ずるのは、記者発表会でのやりとりで、たとえば同社の主力製品である一太郎シリーズの発表会は、ここ数年、以前のような活発な質疑応答がやり取りされることがほとんどなくなってしまった。これは、ジャストシステムに特に注目する積極的な記者たちの出席が減ってきているということも関係している。

 企業の栄枯盛衰は歴史上良くあることだ――そう頭では分かっていても、やはり私の中では、ジャストシステムが積み重ねてきた歴史は相当に重いものがあると感じており、だからこそ、他の記者たちが言うように「終わった」なら終わったで、その終わり様がきっちり語られるのでなければ何とも納得できないというのが正直なところだ。

 代表取締役が「一身上の都合」という、理由なき理由で突然辞任するというのに、何も説明がないというのは本当にどうしたことなのか? この6月に経営を立て直すべく新しく社長となった福良氏が4カ月以上もパブリックに向かって生の声を発していないのはいったいどうしたことなのか?

 筆頭株主も変わり、社長も代わり、これから新生ジャストシステムとして歩んでいこうとするのであれば、存在感がますます希薄になっていることへの危機感をきちんと認識すべきだと思う。そういう意味で「ジャストシステムよ!」と思っている人は少なくないのではないか。それだけが一縷の望みなのだが……。