山田祥平のRe:config.sys

パソコンは独り占めが当たり前




 パソコンは、個人が自分専用のコンピューターを所有することをずっと目指してきた。それがパソコンの原点であり、「パーソナル」を冠するゆえんでもある。

 でも、今、それが本当に叶っているのかどうか。そして、そのことは、これからのパーソナルコンピューティングにどんな影響を及ぼすことになるのだろうか。

●上がらない個人所有率

 ビル・ゲイツ氏がMicrosoftを創業した1975年当時のビジョンは「a computer on every desk and in every home」(全ての家庭と机にコンピュータを)というものだった。少なくとも今の日本の状況を見る限り、確かにこのビジョンは達成されたかのように見える。だが、米本国での創業から37年が経過した今、Microsoftの目下の悩みは、特に日本においてPCの個人保有率が著しく低いことなんだそうだ。

 日本マイクロソフトは日本を含む先進6カ国の状況を本社に比較され、言及されるそうなのだが、個人所有率ではほとんど最下位に甘んじているという。個人所有率の向上は、MicrosoftのWindows戦略においての大きなゴールであり、この状況はなんとか打破しなければならないという。

 かつてのコンピュータは確かに高価な機械だったから、それを1人で独占することなど考えられもしなかった。メインフレームの時代はともかく、パソコンと呼ばれるようになって、個人が購入するようになった1980年代ころでもずいぶん高い買い物で、おいそれと手が届くようなものではなかった。

 高いから買えない、買わないから高いままという循環が今の状況を作ってきたともいえる。それでも世帯普及率が飽和に近い状況まで持ってこれたのは、それはそれですごいことだ。でも、家族全員が自分専用のパソコンを持っているというケースは少なくないように思うし、それは共働き夫婦のように、比較的経済的に余裕があるような世帯でも状況は似たようなものだ。

 だからiPadなんですという声が聞こえてきそうだ。でも、iOSは家族で共有するのは決しておすすめできない割り切った仕様だ。その割り切りがWindowsにも欲しい。

 価格にフォーカスすれば、Microsoftが脅威としているMacBook Airも、価格競争力という点では、あまり変わらなくなってきている。もちろん高価格高スペックPCはたくさんあるし、それは価格にふさわしい付加価値を備えているが、5万円前後で購入できるPCも少なくない。同様の価格だったかつてのネットブックは今から考えるとちょっとスペック的に物足りなかった部分もあるが、少なくとも持ち歩けるPCを手の届く価格帯までもってきた功績は認めたい。今は、2007年のネットブックと同じ金額で、びっくりするようなスペックのPCが買えるようになっている。

 トレンドとしては、いいものを買って長く使うよりも、そこそこのものを買って不満を感じるようになったら買い換えた方が、幸せを感じる時間が長いと認知されているようにも思う。

●PCになれないパソコン、パソコンになれないPC

 “PC”のコモディティ化が話題になった時期があった。生活必需品になって価格は下落し、差別化が難しくなるとされていた時代だ。でも、PCはそうはならなかったとぼく自身は思っている。

 今のPCは、果たしてテレビ的なものなのか、冷蔵庫的なものなのか、どちらなのだろう。双方ともに一家に1台はありそうだが、テレビが2台ある家は少なくないが、冷蔵庫が2台ある家となるとグッと少なくなりそうだ。

 数の論理でいうと、PCは今、冷蔵庫だ。それをテレビのような存在にしなくてはならない。それがようやく叶ってきた。次は、携帯電話のようなものにするべきだ。つまり、めったやたらに家族といえども貸し借りできない(したくない)ものにするべきだ。

 1993年5月。新高輪プリンスホテルの飛天の間で催されたWindows 3.1日本語版の発表会では、当時、マイクロソフト株式会社(現日本マイクロソフト)の社長だった成毛眞氏がステージで「これからはパソコンと呼ばず、PCと呼んでほしい」といった意味のことを言ったことを思い出す。現場で聞いていて、いったい何を言っているのかと思ったのだが、今にして思うと、あれは、PC-98シリーズの時代が終わろうとしていて、PC互換機の時代がやってきたのだということだったのだろう。今でいえば、ガラスマの時代は終わり、グローバルスマートフォンの時代がやってこようとしている、といったところだろうか。

 そして、成毛氏の言葉通り、パソコンはPCとなり今に至っているはずなのだが、世の中の多くの人は、今もPCのことをパソコンと呼び続けている。もしかしたら、PCは業務用、パソコンは個人用というイメージもあるのかもしれない。でも、個人用になりきってはいないのが現状なのだ。PCになれないし、パソコンにもなれない。実に中途半端だ。

 Microsoftも、PCの個人所有率を上げようと思っているなら、WindowsのHome Editionなんてエディションはさっさと捨ててしまうべきだと思う。この呼称を普通にとらえれば、家庭に1台あればみんなで使えるWindowsという印象が強い。だからこれは思い切ってやめるべきだ。

 そして、中途半端なマルチユーザーシステムを撤廃し、Windows Live IDと紐付けられた個人のためのパーソナルエディションと、ドメインアカウントと紐付けられた業務用のプロフェッショナルエディションに分ければいい。どうしてもアカウントを切り替えなければならないパワーユーザーのために、Ultimateを用意すればいいんじゃないか。

●PCを独り占めするささやかな贅沢

 Windows 8の登場です。今日からパソコンは家族で共有できなくなりました。

 極端にいえばそういうことだ。

 世の中のノートPCのうち、外に持ち出されたことがある機体はかなり少ないと聞いたことがある。当たり前だ。家族で共有していたら、それを外に持ち出されてしまっては残った家族が困る。PCが大きくて重いというのは別問題だ。でも、自分専用のPCだったら持ち出しても誰も困らない。家の電話を持ち出されては困るけれど、携帯電話ならOKというのと同じだ。固定電話は構造上持ち出しは無理だが、かかってきた電話を別のところに転送設定されてしまっては困るはずだ。そして、持ち出すようになれば、ちょっとでも軽くて薄い方がいいと思うようになる。その相乗効果で個人所有率は加速度的に高まることになるはずだ。

 いきなり、Windowsの仕様がそういうことになったら、困るユーザーも出てくるとは思うが、もう、そろそろ、それが許されてもいい時代じゃないだろうか。

 IntelはUltrabookで、モバイルPCへのハードルを一気に下げようとしている。持ち歩く気になるハードウェアとしてのPCを手頃な価格で入手できるようにしようとしている。

 だったらPCに必須のOSも、持ち出す気になる仕様であるべきだ。それはモバイル対応といったことではなく、むしろ個人が独占することしか考えていない制限に近いものかもしれない。いきなりは無理なら、Intelがファンドまで作って推進しているのだから、MicrosoftもHome Editionは据え置いて、マルチユーザーシステムを省略したパーソナルエディションを、大幅に安く提供するようなことも考えてほしい。

 今は、クラウドのおかげで、PCにログオンしても、クラウドサイドのサービスにログオンするには別のアカウントが必要だ。煩雑なログオン、ログアウトを厭わず、ローカルにデータを置かなければ、プライバシーは守られる。そういうことが、あまり無理なくできる時代だし、それで十分だと思うユーザーも多いだろう。

 けれども、やっぱり、PCを独り占めして使う贅沢を、少しでも多くの人に知って欲しいと思う。Microsoftには、そう仕向ける義務があると思うのだ。