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パーソナルコンピュータはなくなるのか




 2000年代にPCの業界が犯した最大の過ちは、パーソナルコンピュータを家庭に普及させようとしたことだ。この時期は、携帯電話がみるみるうちに個人に浸透していった時代とも重なる。その時期に、PCの業界は、まるで固定電話を勧めるようなビジネスを展開していたのではないか。

●携帯電話が嫌いなわけじゃない

 Hewlett-Packard(HP)の業績が好調だという。残念ながら日本ではまだ世界最大のPCベンダーというイメージを実感できるような成績は見い出せないが、ワールドワイドに視点を移せば、それを確認できる。そのHPが、このところ掲げているのが「The Computer is Personal Again」というスローガンだ。まさにパーソナルコンピュータへの回帰である。そしてアップルもまた、家族でPCといったスタイルのパーソナルコンピューティングは眼中にない。

 もはや、企業で使われるPCはパーソナルコンピュータではない。パーソナルであることはTCOの増大につながるからだ。ここではコモディティとして必要なことをこなせるマシンであればそれでいい。

 だが、個人は違う。マイクロソフトもマイクロソフトだ。もし、VistaでWindowsのエディションを切り分けるなら、なぜ、“Home”などという位置付けにしたのか。ここは、“Personal”エディションとするべきではなかったか。

 コンピュータのマルチユーザーシステムの歴史は古い。過去をさかのぼれば、空調のきいた部屋に鎮座していた大型コンピュータをタイムシェアリングしてバッチ処理していた時代もあった。

 でも、今は違う。5万円もする携帯電話の売れ行きが好調で、それがNECのような日本を代表するPCベンダーを支えている。ここ数年でみるみるうちに進化を遂げた携帯電話は、およそ個人が必要とするであろう計算機資源の多くを、5万円という価格で担えるようになってしまった。それははっきりいってもう電話機ではないし、もしかしたら、コミュニケーションがその機能の主役でいられるのも、そんなに長くないかもしれない。

 誤解されやすいかもしれないが、ぼくは携帯電話を毛嫌いしているわけではない。これほど便利なものはないと重宝している。でも、携帯電話を単体で使うよりも、PCと併用し、連携させたほうが、ずっと魅力を発揮すると思っているだけだ。だから、PCを使った方が快適でリッチな結果が得られるのなら、人に迷惑をかける場所でない限り、迷わず、カバンからPCを取り出す。

 たとえば、すべてのメールをリモートメールサービス経由で携帯電話に転送しているので、外出時のメール着信は携帯電話に知らせられる。転送はパケット代をケチって先頭の200文字のみだ。それで内容がわからない場合はリモートメールサービスで続きを読む。

 返事が必要なメールは、たいていの場合、PCを開いてそちらで書く。携帯で書くときにも、メールの差出人が普段PCで使っているメールアドレスになるように、リモートメールサービスを使って書くことが多い。もし、携帯電話のアドレスを差出人として返信してしまうと、そこに返事が戻ってきた場合、見落としてしまう可能性があるからだ。というのも、自宅でPCに向かっているときには、当然、メールはPCで読み書きする。だから、自宅にいるときに携帯電話が受信したメールは、でかけるときに内容も確認せずに、すべて既読としてしまう。携帯電話のアドレスを差出人としたメールを出してしまうと、そこ宛に返信されたメールを見落とす可能性があるのだ。

 携帯電話ではフルブラウザも使わない。視力の衰えのせいもあるが、いまどきのPCサイトは、やっぱりPCで見た方がいい。解像度の問題だけでなく、リッチな表現に使われる各種のアドインのためでもある。けれども、これだけ携帯電話が台頭してくると、携帯電話のフルブラウザに最適化されたサイトばかりが増え、逆に、PC向けのサイトが少なくなっていくことも考えられるだろう。当然、表現は抑止され、一度に得られる情報量は少なくなる。でも、携帯電話だけで衣服の買い物をしてしまう若者がいるといった話を聞くと、それが現実になるのも時間の問題だ。

●パーソナル街道まっしぐら

 その携帯電話は家族には触らせない、見せないという個人は少なくない。なのに、PCはなぜか家族でシェアしている。家族がそれぞれ撮った写真をPCに保存し、リビングルームの大型TVで見る。確かにそれもありだ。だが、携帯電話に保存されている幾多の写真、そして、仲間から送られてきた写真を、家族が共有するストレージに置き、自由に見られるようにするだろうか。そういえば、最近、デジカメの市場動向にちょっとした変化が現れ、過去において、一家に1台の位置付けだったデジタルカメラが、1人1台の位置付けにシフトしているそうだ。ベンダーもそこを狙うし、消費者もそれをわかった上で、自分自身が気に入るカメラを買う。

 音楽はどうか。家族がそれぞれ気に入った音楽を、いったいどこで楽しむのか。たぶん個人の居室だろう。リビングルームに高級オーディオ装置を置いて家族で楽しむなどという時代ではない。家族の楽曲データを一元化し、1つのiTunesライブラリに統合することにどれほどの意味があるのか。現在のiTunesが提供するライブラリ共有機能で十分ではないか。

 そしてTV番組。録画はいったんパーソナル化した経緯がある。ビデオカセットデッキが廉価になり、TVのある部屋にはビデオデッキも設置されているというケースが多い。そして、そのTVとデッキの持ち主が、自分のために録画を予約する。家族に録画履歴を聞かれて、手元にあれば、それを貸すようなことがあるかもしれないが、貸すのはカセットであって、その場で見るわけではないだろう。カセットの時代は終わり、HDDへの録画が当たり前となった今、これからネットワークの時代に入るのか、それとも、カセットが次世代光ディスクに変わるだけなのか、それは、デッキのコストに依存して決まっていくだろう。また、それがデッキという専用機の仕事なのか、PCのような汎用機の仕事なのかはまだ見えない。なにせ、世の中には、PCのビデオ編集機能よりも、専用デッキをリモコンで操作したほうが編集しやすいという層もいるのだ。ぼくは、そのことが信じられないのだが、そんなことを言わせてしまう程度のPC用ソフトしか作れなかった業界にも問題があると思う。

 映画コンテンツ? それはオン・デマンドに置き換わる。それはまちがいない。

●1台より2台

 PCは、1人1台はもちろん、1人が複数台を所有すれば、さらに便利になる機械だ。でも、そう思っているユーザーは多くない。たぶん、携帯電話のユーザー層は、携帯電話は1台で十分だと思っている。だから、きっと個人の所有台数が2台を超えることはないだろう。携帯電話の業界も、データを複数台の携帯電話で共有することは想定していないだろう。もし想定していれば、すべてを預かるサービスがすでにあってもおかしくない。

 でも、PCは、世帯普及率よりも個人普及率を100%超にもっていくことを考えなければならない。これ以上世帯普及率を上げるのに、相当の努力をするよりも、今、便利にPCを使っているユーザーに、もう1台買ってもらえるような商品企画をする方がずっと簡単だ。このことは、以前にもこのコラムで書いたが、そのためのソリューションはいくらでも思いつくのに、それを実際にパーソナルユーザー向けに咀嚼して提供していない。だから、複数台のPCを所有することは、かえって不便を招くとまで思われている。

 かつて、TVがリビングルームの主役だった時代、誰もが自分専用のTVを欲しがった。そして、それは現実のものとなった。今、大画面TVは、まだまだ高価で、なかなか世帯に複数台というわけにはいかないが、かつてと同じ経緯をたどるのは火を見るよりも明らかだ。コンテンツの好みは人それぞれだし、家族といえども生活時間帯も違う。録画であれリアルタイムであれ、自分が見たい時に自分が見たいコンテンツを見るためには、TVもまたもういちどパーソナル化のプロセスをやり直す必要がある。でも、その役割は携帯電話のワンセグに取られてしまうかもしれない。

 つまり、今、PCは、TVと同じ土俵に立っているということだ。まだまだ高価で大げさで、家族に1台が精一杯という存在だ。TVはお茶の間の主役であることに慣れているから、たぶん、これから、この10年間PCがたどった道をトレースするのだろう。大型TVは現代の囲炉裏であるという考え方は、そんなところから生まれるのだと思う。でも、そのトレースした先にあるのは、今のPCと同じ未来かもしれない。

 PCの業界は、個人が2台目のPCとして欲しくなるような商品企画にいそしんでほしいと思う。2台目のPCに必要な要素と不必要な要素を切り分けるのだ。2台目のPCには、本当に光学ドライブが必要か。わずか数十gとはいえ、軽くなるほうが重要ではないのか。同じ人物が使うからには、ソフトウェアは書物といっしょだ。これはかつてボーランドが示した考え方で、貸し借りも自由なら何台のPCで使ってもいい。ただし、同時に使えるのは1コピーのみである。

 マイクロソフトはOfficeアプリケーションを、個人が2台目のPCにインストールして使うことを許諾している。アドビだってそうだ。これは評価していい。ライセンス的に難しいことが多いのなら、SDメモリーカードなどをドングルのように使ったり、FeliCaで認証して、片方を使うときにはもう片方がロックされるような仕組みでもいい。自分だけのPCなのだから、外出時に家族が使えなくても問題はない。いっそのこと、数十GBのSSDを抜き差しできるようにして、それを差し替えるだけで環境が移行するようにしてもいい。将来的にネットワークが十分に高速になり、そのネットワークから切れている時間がゼロになることが保証されるのならば、2台目のPCはシンクライアントとして1台目のPCをリモートで使うようになってもいい。

 PCにはまだまだやれることがあるし、人々はそれを必要としている。必要なことが見えないだけだ。それも業界の責任だ。だから、日本最大のPCベンダーが、「PC事業を長期的に捉えると、増加していくよりも、縮小していくことになる。毎年、増えていくことは期待できない」なんてことは言わないでほしいし、そうならないようにがんばってほしいのだ。

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【2007年12月21日】【山田】もう1つのパラレルコンピューティング
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/1221/config189.htm
【2007年5月11日】【山田】巨人ヒューレット・パッカード鳴動してねずみ一匹のジレンマ
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(2008年2月1日)

[Reported by 山田祥平]


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