山田祥平のRe:config.sys

Kindleで彩りのある読書体験

 文字、音声、写真、ムービー。コンテンツにはいろいろあるが、どれが優れているとは決められない。もちろん、この順にデータ量は多くなっていき、大は小を兼ねる。ムービーには静止画も、音声も、文字も含むことができる。これらのデータをやり取りするメディアはすべて残っていて、ほぼ廃れることなく現役なのだからおもしろい。

色をまとったカラーKindle

 Amazonが「Kindle Colorsoft」を発表した。現行機種のKindle Paperwhiteの7インチディスプレイをカラーE Inkにしたものと言ってもいい。サイズ等はPaperwhiteとまったく同じだ。ストレージ量が倍で明るさ自動調整機能やワイヤレス充電に対応したシグニチャーエディション、キッズカバーや2年間の限定保証、1年分の子ども向けサブスクリプションなどが含まれるキッズモデルなども用意される。

 ベーシックなモデルで比較すると、モノクロのKindle Paperwhiteが2万7,980円なのに対して、無印のKindle Colorsoftは3万9,980円だ。カラーを得るために4割高のコストを受け入れなければならない。

 カラー化されたと言っても、一般的なPCやタブレット、スマホなどのディスプレイ、あるいはTVのようなヴィヴィッドなカラーを期待してはならない。いわゆるE Inkでのカラー表示の域を出ない。色のスタイルとして「標準」、「鮮やか」が用意されていて、それなりに異なる色合いを表現できてはいるが、やはりくすんだ印象は否めない。このディスプレイでカラーの写真集や料理本を眺めたり、ビジュアル要素の多い雑誌を読もうという気にはならない。

 それでも、ライブラリのコンテンツ一覧は圧倒的に見やすく、本を探しやすい。読みたい本の表紙はビジュアルとして頭に残っているので、すぐに見つかる。LPがCDになってジャケットが小さくなって見つけにくくなったのと反対のことがここで起こっている。Kindleが書物を紙から解放したことで起こったことが、ここでフォローアップされている。
 また、コンテンツにラインマーカーのようにマークできるハイライト機能は、黄、ピンク、青、オレンジの4色が使える。くすんでいようがこれだけの情報量の増加を「彩り」がもたらしてくれるのかと感慨深い。

 モノクロのKindle Paperwhiteと並べて見ると微妙に「白色」が違うことにも気が付く。色温度が高く、25段階の設定ができる「色の暖かさ」を調整しても同じ色にはならない。また、Paperwhiteではユーザー補助のメニューで、メニュー表示やライブラリでの文字に使われるテキストサイズを「標準」と「拡大」のどちらかを指定することができたが、Colorsoftにはその機能がない。これはかなり困る。

 過去にできていたことができなくなってしまい不便を感じる愛用者はいないのかどうかはもっと議論してほしかったところだ。

 もっともAmazonによれば、近年は65%のユーザーが初めてKindleを購入するのだという。日本でのKindleビジネスのスタートは2012年からなので今年で13年間が経過したわけだが、Kindleはもはやコモディティとなり、壊れない限り買い替えないし、買い替える必要がないほど古い世代のものでも壊れていないということだ。そして、前世代とちょっとくらいUI/UXが変わっても、誰も気が付かないということでもある…。

デバイスとコンテンツの関係

 Amazonによれば、今、フルカラーのコンテンツが増えているのだそうだ。既存コンテンツはモノクロのものが多いが、成長率としては圧倒的にカラーなのだという。今後についてはコンテンツプロバイダ次第だということだ。

 古い話で恐縮だが、ノートPCは、その昔、モノクロ液晶を搭載していた。のちにカラー液晶を採用した製品が出てきたが、気が遠くなるような値段で、とても手が出なかった。それに、PCでの作業にカラーディスプレイは特に必要ないんじゃないかという、強がりにも似た考えも持った。

 なぜなら、当時のノートPCでできる作業は、文字だけの文書作成や、表計算程度だったから、カラーで表示できてもそんなにうれしくなかったのだ。テキストベースのOSでも、カラーがUXにいい影響を与えることができるという発想はなかった。

 それでもノートPCのカラー化は一気に進んだ。TFTカラー液晶を搭載したNECのPC-9801NCは1991年の発売で、1989年のノートPC、いわゆる98NOTE(PC-9801N)発売からわずか2年後だ。普通はカラーという時代がくるまでにそれほど時間はかからなかった。そしてWindowsのようなGUIの時代がやってきた。もはやカラーなしでのPC操作は考えられない。

 携帯電話の液晶にしても、主要機能としてカメラが付いたらアッという間だった。やっぱり誰もが写真はカラーで見たいと思ったからこそ、カラーディスプレイが必要とされたのだ。フィーチャーフォンの未来形としてiPhoneやAndroidスマホがカラーディスプレイを装備するのは必然だったとも言える。iPhoneの米国発売が2007年6月29日、AmazonがKindleの販売を始めたのが、同年11月というのは興味深い。

 ちなみにAmazonは「デバイスの通知に関するアンケート調査」を実施 1日の平均通知数は約40件、20代以下の約4割以上が「自由な時間に通知を受け取るとストレスレベルが上がる」と回答しているそうだ。

 だからこそ、読書に没入するためには、通知のこない通信デバイスが必要なのだ。そしてそれがKindleだ。

読書の世界の新しい当たり前

 カラーと言えばカラーTVはどうなんだろう。日本のカラー放送は1960年にスタートした。1964年の東京オリンピックで需要が一気に増え、1973年には白黒TVの普及率を上回り、1975年には90%を超えたそうだ。大体、経験的にもそんな感じだ。カラーTVが当たり前になるのに10年以上の歳月がかかっている。完全にカラー放送になったのは、1977年だったというから、びっくりするほど長い歳月だ。

 われわれの視神経がカラーを求めるようになり、コンテンツのカラー化も進んだはずだように感じるが、実際には、そうとは限らない。今、身の回りを眺めても、モノクロのページがほとんどの週刊誌はたくさんあるし、紙の新聞もほぼモノクロだ。小説やノンフィクションの書籍も表紙はカラーだが中身はモノクロだ。まだまだモノクロビューワとしてのKindleは現役が続くと思ってきたが、意外に早くカラー化を試みたようにも感じる。

 コミックの作家の方々が作品を作るために使う道具も変わってきているはずだ。デジタル制作が主流となっているはずだが、スクリーントーンやベタ塗り、グラデーションの手法は今、どんな感じなのだろうか。デジタル化はもう飽和しているんだろうか。デジタルを拒めば自分が困る以前に、人に迷惑をかけるくらいの時代なのに手書きにこだわる作家もいるだろう。

 デバイスがコンテンツを育てるのか、コンテンツがデバイスを育てるのか。音楽の世界で言えば、PVが音楽商品の宣伝に使われ、それがMVに発展し、YouTubeのようなプラットフォームで配信されるようになったことで、音楽の世界は映像と切り離しては考えられなくなった。同じようなことが、ほかの分野の作品でも起こるだろう。目の前で起こる一度限りのパフォーマンスが、レコードや放送といったメディアによって複製芸術として大衆化したように。

 カラーでないと楽しめない小説とか、それが何なのか想像もつかないが、Kindle Colorsoftの登場が指し示すぼんやりした未来の光景に興味津々だ。