山田祥平のRe:config.sys

このコラムがおもしろくないとしたら、それはアプリのせいだ……

 紙は偉大だ。画面では発見できなかった誤字脱字も、紙に印刷すればたやすく見つかる場合も少なくない。文書を把握しやすいと感じられもする。だが、文書の多くは、PCの画面で読まれ、印刷されることなくその役割を終える。誰もが持っている表示デバイスとしての紙が使われないのだ。そんな時代、このまま印刷前提で文書を作り続けていてもいいのだろうか。

印刷されない文書を印刷前提で作るのをやめてみよう

 ビジネスはもちろん、勉強の場でも趣味の場でも、文書作成は欠かせない。いろんな用途にワープロアプリが使われている。なかでも、Microsoft WordとGoogleドキュメント、そして一太郎は定番中の定番だ。

 先日、政府内で一太郎の使用を問題視されていることが話題になり、なかでも農水省は「ワード使用を原則化」したということで、これは事実上の一太郎禁止令ではないかとまでいわれる騒ぎがあった。一部の報道では法案の条文ミスを誘発したとまでいわれ、一太郎にとっては寝耳に水的な言われようで、ちょっと気の毒すぎる。

 一太郎は先日2021年版が出たばかりだ。使ってみたが、印刷を前提とした行の横幅を規定しての文書作成作法があいかわらずなところにちょっとガッカリもした。

 もちろん、これは、Microsoft WordやGoogleドキュメントにも同じことが言える。かろうじて、Microsoft Wordには「Webレイアウト」というモードがあって、編集画面から用紙サイズに依存する要素を最大限に取り除いたエディタライクな文書作成ができるようになっている。だが、WebアプリとしてのWord、そしてGoogleドキュメントは、どちらも、印刷レイアウトでの文書作成が前提となっている。

 印刷レイアウトで文書を作成するときに、何が邪魔かというと、紙に印刷するさいに必要な上下左右の余白やページの区切りだ。これらは編集には必要ない。また、どうしてもA4縦用紙1枚に収めなければならないといったシバリでもないかぎり、ページの区切りも必要ない。それどころか、行の折り返し位置も規定することはないのだ。

 Googleドキュメントの文書をスマホのアプリで参照すると、そこでは印刷レイアウトとは無縁の心地よい編集画面が現れる。ただ、ピンチ操作で拡大縮小すると、文字のサイズは大きくなったり小さくなったりはするのだが、それにあわせて行がリフローされるわけではない。

 一方、スマホ版のOfficeアプリやスマホ版のWordアプリには、モバイルビューという表示モードが用意されている。このモードでは、Googleドキュメントアプリと同様に、印刷レイアウトを無視した表示編集ができるし、さらにピンチ操作で拡大縮小をすれば、文字のサイズに合わせて各行がリフローされる。これは本当に使いやすい。小さなスマホの画面でA4用紙の印刷レイアウトで表示されても内容を精読するのは難しいからだ。

 この連載で「人は、いったいいつまで印刷を前提に文書を作るのか」と問いかけてから、すでに12年だ。干支がひとまわりしてしまいそうなのに、状況としてはあまり変わっていないのに驚くと同時に、ちょっとがっかりもする。当時はまだスマホやタブレットが一般的ではなかったが、今は、誰もがそうしたデバイスをPCと併用している。にもかかわらず、スマホとPCの間が分断されているように感じられてならない。

文書作成作法の新しい当たり前

 新しい当たり前とやらがこれからぼくらの暮らしを変えていくらしいので、個人的にも、少しなにかを変えてみようと、この1年、いろんなチャレンジをしてみた。物書きという職業なので、文章を書く仕事が多くを占めるが、そのための道具はシンプルなテキストエディタとしての秀丸エディタだった。今、この原稿についても秀丸エディタを使って書いている。

 まず、これを変えてみようと、一部の仕事についてはWordを使って書くことにした。最初はかなりストレスを感じたのだが、Webレイアウトモードを使うようになって印象はずいぶん変わった。Webレイアウトという名前で、Webページを作るためのものだと勘違いしてしまうのだが、実際には、画像やリンクなどを張り込めるシンプルなエディタとしてWordを使える。文字装飾などについてもリッチにできる。といっても文字を装飾するのは見出しや表題を設定するときくらいで、スタイルを適用するだけだ。

 今書いているこの原稿のなかにも数々のリンクは設定されているが、秀丸エディタには文字列にリンクを設定する機能がない。テキストエディタなのだから当たり前だ。だから、URLを直に書き込んでいる。また、図版についても必要な画像ファイルを用意するだけだ。それを編集部にメールで送ると、編集者がサイトの既定体裁に合致するように手を加え、今、ご覧になっているようなページとして表示されるわけだ。

 このコラムの原稿を書くのもWordに切り替えてみようとは思ったのだが、何せ2004年の5月に初回が掲載されてから17年間、ほぼ毎週、ずっと秀丸エディタを使ってテキストで書いてきたこともあり、まずは秀丸を開かないとエンジンがかからない的なメンタルな面もある。その当たり前を変えなければならないのだとは思うが、もうちょっと時間がかかりそうだ。

 いずれにしてもWebサイト用の原稿を書くのにワープロアプリを使うということに抵抗があったのだが、もはやそうもいっていられない。WordのWebレイアウト画面なら、エディタとそう違わない書き心地で、しかも、リンクや画像などのWebページならではの要素を書き込める。最終的なレイアウトなどは編集サイドにおまかせするにしても、そのための下ごしらえはしておいたほうがよさそうだ。

時代が変わればアプリも変わる、はず

 いずれにしても、テキスト原稿が仕上がってから、読者に読んでいただける最終形態になるまで、いったい何度印刷が行なわれるのかどうかは知らない。少なくともぼくの手元でのプロセスでは、原稿を書き始めてから書き終わるまでの間にプリントすることはない。世の中の多くの文書においても、書かれて完成したらメールで配布され、受け取った相手はそれを画面で読んでそれでおしまいということになるんじゃないだろうか。

 17年前と今を比べると、デバイスの多様化は著しい。ということは、書く側と読む側の環境が大きく異なる場合が多いということだ。紙でさえサイズが異なれば読みやすいレイアウトは異なる。電子的な表示デバイスの多様化はもっと考慮すべきだ。

 PCで書いた文書をスマホで読む。逆に、スマホで書いたメールをPCで読むといったことはよくある。だとすれば、表示デバイスのサイズや機能に依存しない文書作成作法が確立されてもいいはずだ。

 こうした時代の変化を支え、新しい文書作成作法を提案するデザインのワープロアプリがなかなか登場しないというのももどかしい。人が当たり前を変えるのは難しいが、その当たり前を、アッという間に変えるのがキラーアプリだ。そんな革新的なアプリの登場を期待したい。