山田祥平のRe:config.sys

アンビエントコンピュータの時代

 部屋には誰もいないのに、薄暗いなかで画面をボゥッと光らせて語りかけ続けるサイネージ。あまり気持ちがいいものではない。電気代に与えるインパクトなど、微々たるものだろうけど、このトレンドは常態化するのだろうか。でも、それがアンビエント(環境)時代の兆しなのかもしれない。

つきっぱなしのディスプレイ

 自宅では、Windows 10のInsider Previewを仕事の本番に常用している。ごくまれに緑の画面(GSOD)が出て昇天することもあるのだが、それはそれ。とりあえずがまんしながら、将来のWindowsを眺めつつ仕事に勤しんでいる。

 Windowsには、電源とスリープ設定で、「次の時間が経過後、ディスプレイの電源を切る(電源に接続時)」という項目が用意され、ここで設定した時間になるとディスプレイの電源が切れるようになっている。

 ところが最新のビルドではそれがうまく機能していないようで、朝起きて仕事部屋に行くと、ずっとディスプレイの電源が入りっぱなしになっていることが多い。いろいろと原因を探ってみたところ、どうやらChromeが悪さをしているようで、いったんChromeを終了させた状態だとうまく機能する。

 もしかしたら、Chromeアプリの問題かもしれない。たとえば、Chromeそのもののウィンドウを開いていたり、ChromeアプリのTweetDeckのウィンドウを開いていても、うまく機能するのに、Facebookを一度開くと機能しなかったりする。

 問題を特定することができなくてもどかしいのだが、今のところは、仕事PCのそばを離れるときには、いったんChromeを終了させるようにしている。きっとそのうち治ると信じている。有用な情報を表示し続けるならともかく、ただのログイン画面だ。役に立つとは言えない。これではアンビエントにもならない。

 昔はブラウン管のディスプレイを使っていた。当時は、ディスプレイの電源をPCから切る方法がなかったので、もっぱらブラックアウトのスクリーンセーバーを使っていた。ディスプレイ側には、無信号の状態が一定時間続くと電源をオフにして待機する機能があったので、それで今の省電力機能と同様のことができていた。

 PCの前に座ってマウスをちょっと動かすだけで、以前の状態がすぐに復元されるのはやっぱり便利だ。ノートPCであればスリープ機能を使って同じことができるし、最近のデスクトップPCもそれができるが、復帰時に要する時間がもどかしい。電気代がもったいないと思いつつも、PCはいつも稼働しっぱなしだ。

アンビエントという考え方

 仕事用PCのディスプレイ問題はトラブルの一種だが、傍らにおいてある各種のスマートデバイスも、常時、画面が点灯している。これは意外に便利だ。ポケットから取り出して眺めればすぐに時間がわかる。手動で画面をオンにする必要もない。腕時計を持たなくなり、街角に時計が少なくなった今、これはこれで助かる。

 一方、たとえばGoogleのPixel 3をワイヤレス充電スタンドに立てかけているが、立てかけると同時に充電を開始するとともに、画面が点灯したままになって各種の情報を表示し続ける。表示する情報の種類は設定で選択できるし、点灯を禁止したり、暗い場所で画面をオフにしたりもできる。これがいわゆるスタンドモードで、それとは別に、アンビエント表示モードとして、画面オフ時にもずっと時刻などの情報を表示するモードが用意されている。どちらもスマートフォンの存在感をちょっとだけでも変革する機能だと思う。

 一方、AmazonのEcho Showは、画面をオフにすることができない。電源スイッチもないので、いったん稼働をはじめたら、約10型の液晶画面はずっとアンビエントサイネージとして各種の情報を表示し続ける。せめて人感センサーくらい使って、人の気配がないときには消灯してくれてもよさそうなものだが、これはこれで、おそらくEcho Showのコンセプト、あるいはこだわりなのだろう。そこが、音声による会話だけに特化し、ディスプレイをもたないスマートスピーカーとの大きな違いだと思っている。

コンピュータのようなものになにを期待するか

 近未来の暮らしのなかで、コンピュータの存在は欠かせないものになる。今現在も、それに近い状況ではあるが、この先、その傾向はもっと強くなるだろう。PCが10年後も、今のPCの姿であり続けるかどうかを疑問視する声も聞こえてくるし、そもそもパーソナルという領域で、今のようなコンピュータが必要な時代がそう長く続くかどうかもわからない。

 コンピュータと言えば業務用機器で、言ってみれば軽トラックといった存在になり、一般的なコンシューマは、もっと存在感の異なる「コンピュータのようなもの」を使うようになっている可能性もある。

 GoogleがスマートフォンのPixel 3で使っているアンビエントというのは直訳すれば「環境」という意味になる。アンビエントコンピュータは、身の回りのあらゆるところにコンピュータがあり、それらが有機的にコミュニケーションしつつ、人間の暮らしを見守り、ことあるごとに助けの手を差しのべる存在だ。

 そこでは、ディスプレイとキーボード、マウスによってアプリを動かすというような概念は消え失せているだろう。MicrosoftのMR技術によるHoloLensなどは、そういう世界を想定しているのだろう。最終的には空間に映し出されるホログラムを裸眼で見れるような世界の到来が待ち遠しい。

 となると、各種のWebサービスも、20世紀までの出版や放送のメディアテクノロジの名残りを持ついまは、各サービスごとに特色が競われていて、あのWebサイトは使いやすいとか、美しい、かっこいいといった評価のもとで稼働しているが、それも、APIなどでのサービス利用がすすみ、単一のUX(ユーザー体験)で雑多なサービスを利用するのが当たり前になる可能性だってある。

 そうなるとたいへんなのは広告収入に頼っているサービスで、それまでのどこかでビジネスモデルを転換する必要が出てくる。RSSの浮き沈みなどを見ていると、なんとなくそのつらさも理解できる。

 かと言って有料サービスへの移行は、なかなか難しい。そもそも「購買」という概念そのものに変化が現われることだってありうるわけで、そのことは、購買を促す広告のアイデンティティーにも影響を与えるようになるだろう。

 日曜日の夕暮れ時、新宿・西口のヨドバシカメラのリアル店舗本店前にある高速バス乗り場をのぞいてみた。バスタ新宿ができたので、ここは臨時バスの乗り場として使われているが、バスを待つ乗客向けに大量のベンチが設置されている。そのベンチが、Pokemon GOに取り組む人々で満員御礼状態だ。なかには複数台のスマートフォンを器用に操るユーザーも見かける。おそらく、この界隈以外にも、各地に同様のスペースがあるに違いない。

 アンビエントコンピュータの時代だが、それはそれ、これはこれ。コンピュータ的なものに人が求めるリアリティは計り知れない。