山田祥平のRe:config.sys

カメラの掟

 コンパクトカメラの立場が危うくなっている。昨今スマートフォンの機能訴求がどんどんカメラ機能にフォーカスするようになり、そこから出てくる絵もきらびやかで、カメラ専用機の必要性が薄れているからかもしれない。コンパクトカメラは、このまま消えていってしまうのだろうか。

この数年のコンパクトカメラはなにをやっていたのだろう

 バルセロナで開催されるMWCの取材に備えて久しぶりにコンパクトカメラを買った。最後に買ったのはソニーのサイバーショットDSC-HX90Vだったから、ほぼ3年ぶりだ。

 新しいカメラはニコンのCOOLPIX A1000だ。

 といっても、この間、あまりカメラの基本機能は進化していない。撮像素子は1/2.3型だし、画素数も2,000万画素弱でほぼ同等だ。ここ2年間は、APS-C一眼レフのD5600を取材などに使っていたのだが、ちょっとした説明会や小規模な発表会に行くにはいささか大仰なので、もう少し軽くてコンパクトなカメラがほしかった。求めたのはやはり機動力と扱いやすい操作性だ。

 どうしても譲れないのはEVFだ。背面液晶だけでは明るいところでのフレーミングが至難の業だ。やはりファインダーを覗くというのはカメラの原点ではないかと思う。

 ズームレンズの焦点距離も35mm換算800mm前後で3年前とあまり変わらないのだが、ISO感度が6400まで使えるようになった。サイバーショットは3200までだったので1段分上がったことになる。

 まあ、これはうれしい。ノイズだらけの絵だとしても、写っていることのほうが重要だ。とくに、薄暗い部屋での人物は、どんなにこちらががんばっても被写体ブレがあるので、少しでも速いシャッター速度がきれたほうが有利だ。

 ここまで書いてみて思ったのは、3年間、本当にほとんど変わっていないのだなということだ。サイバーショットの前は4年前のCOOLPIX S9700だったが、これもそんなに大きく変わったわけではない。

 重量を比べてみると、COOLPIX S9700が232g、DSC-HX90Vが245g、そして今回購入したCOOLPIX A1000は330gなので、カメラとしての基本機能があまり変わらないわりには重くなっている。

 出てくる絵もそんなにインパクトがあるわけじゃない。いったいこの3~4年間、コンパクトカメラはなにをやっていたんだろうとも思う。

 購入の大きな動機となったのは、最近のニコンのカメラに採用されているスマートフォン連携機能「SnapBridge」を搭載している点だ。早い話がスマートフォンとBluetoothで常時接続して、撮影した写真を片っ端からスマートフォンに送ることができる。スマートフォン側で新しい写真を検出したら、それをAmazon Prime PhotoやGoogle Photo、NIKON IMAGE SPACEなどのアプリに送ってくれるというものだ。

 これらのアプリはクラウドサービスに直結しているので、結果として、撮った写真はすべてWebに集約される。だから、撮影から戻ってもカメラ本体をさわる必要がない。

 他社カメラにも同等の機能をもつものはあるが、今のところは、SnapBridgeがもっとも使いやすい。これで、ニコンのフルサイズ一眼レフ、APS-C一眼レフ、コンパクトカメラの3台がスマートフォンにつながった。

 難点があるとすれば、複数台のカメラを併用する場合、スマートフォンも同じ台数を用意しなければならない点だ。スマートフォン側のアプリが複数台のカメラと同時に通信してくれればいいのだが、やはりそれは負荷がかかりすぎるのだろうか。

スマホのカメラをカメラと呼ぶな?

 一方、スマートフォン側はどうか。発表されたばかりのGALAXY S10シリーズは、トリプルカメラを搭載し、超広角、広角、望遠の焦点距離域をカバーするという(Samsung、最新フラッグシップスマホ「Galaxy S10」シリーズ3機種を発表参照)。

 つまり、フロントカメラとしてレンズとセンサーを3台分実装し、スペック表を見ると、望遠カメラの画角は45度だという。いわゆる35mm換算の焦点距離は記載されていない。

 エンドユーザーにとっては意識することなく3台のカメラがシームレスに切り替わり、デジタルズームと組み合わさって最終的な絵が出てくるわけで、もう35mm換算などといった前時代の尺度は必要ないという判断なのだろうか。よい悪いは別にして、カメラの業界側が「フルサイズ」を声高に叫んでいるのとは対照的だ。

 カメラにはカメラの領分というものがあって、それを守るのはカメラメーカーを縛る掟といってもいいかもしれない。

 その1つは、今なおカメラは光学機器であると認識されている点だ。すなわちセンサーに届ける光を、できるだけいいものにしなければならないという宿命を背負っている。

 そして、届いた光を受け取ったセンサーは、その絵をイメージングプロセッサで処理して好ましいものにするわけだが、そこでもやりすぎはタブーだ。とくに、一眼レフなどは、光学ファインダーがあるので、補正前と補正後の絵があまりにも違っていると違和感を感じるだろう。

 だがスマートフォンは違う。とにかく光がセンサーに届けば、あとはソフトウェアでなんとかするという思想がそこにあるように見える。Google Pixelのカメラなどは、その典型で、内蔵AIプロセッサによる処理によって、1つのカメラで感心する絵を作る。言葉は悪いがねつ造だ。でも、それが歓迎される時代だ。

 ここまできたのだから、コンパクトデジカメにも、スマートフォン並みの極端な画像処理をほどこすモードを積極的に実装してもよいのではないかと思う。シーンモードなどはスマホカメラ的な機能を取り入れているようだが、もっと極端でもいいのではないだろうか。

 仮に同じ機能を実装したとすれば、専用機である分、コンパクトカメラのほうが圧倒的に有利だ。数々のハンディを背負ったスマートフォンはとてもかなわないだろう。そのくらいしか、今後の勝機は考えられないのだ。

インスタ映えの先にあるもの

 今のコンパクトカメラで撮った写真をPhotoshopで読み込み、ちょっとトーンカーブをいじり、レベル調整を施して、アンシャープマスクをかける。場合によってはちょっと彩度を調整する。それだけで写真は見違えるように好ましいものになる。レタッチ耐性が高いのだ。しかも決して破綻しない。

 だが、スマートフォンは最初からそのレタッチ後の絵をたたき出す。そのことがエンドユーザーに、このスマートフォンは簡単に綺麗な写真が撮れると感じさせる。どちらの方法論が正しいというわけではなく、考え方が根本的に違うのだから仕方がない。

 フルサイズ一眼、いや、APS-Cカメラやフォーサーズカメラでも、その大きなセンサーと大きなレンズの組み合わせは、コンパクトカメラではとても手が届かない絵を残す。これは光学系の力わざだ。その力わざに対してスマートフォンはソフトウェアで対抗する。背に腹は代えられないというよりも、それがポリシーだ。汎用機としての真骨頂でもある。

 ところがコンパクトカメラは、一眼カメラにもスマートフォンにもいろんなことが届かない。このままでは、機動性の高い軽くて扱いやすい撮影道具がこの世からなくなってしまいかねないと危惧したりもする。

 それでいいというのも一興だ。個人的にももしかしたら今回のカメラが、最後に買うコンパクトカメラになるかもしれない。一眼レフと併用しながら何十年もいろんなコンパクトカメラを使ってきた身としては、それではちょっと寂しい。