トピック

2度の自主回収を乗り越えた純国産ゲーミングキーボード「ZENAIM」

~ZETA DIVISIONも認めるに至った自動車部品メーカー開発者の不屈の精神に迫る

 2023年5月、株式会社東海理化よりゲーミングキーボード「ZENAIM KEYBOARD」が発売された。ゲーミング向けの製品としては珍しいロープロファイルキーボード(キーストロークが浅く、構成パーツも薄い低背設計のキーボード)となっており、独自開発の磁気検知式スイッチで1.9mmと浅く、特徴的なキーストロークを採用しているのが特徴だ。

 筆者は発売当時に本製品をレビューしており、ゲーム用途のみならず文字入力においても優れたキータッチであること、シンプルながら高級感のあるデザインであることなどから、非常にクオリティの高い製品だと評価した。

 さらに発売時には対応していなかったラピッドトリガー機能(同社はMOTION HACKと呼んでいる)にも対応。ハードウェアだけでなくソフトウェアにも磨きをかけている。また開発ではプロeスポーツチームの「ZETA DIVISION」が監修し、製品は実際にチームのメンバーが使用している。ゲーミングキーボードの最高峰と呼ぶにふさわしい性能を有した製品だ。

 ZENAIM KEYBOARDは発表当時、ゲーミングキーボード界隈で大きく注目を集めた。その理由は2つあると見ている。

 1つは東海理化という企業だ。元々は自動車部品メーカーであり、キーボードの開発は今回が初めて。ゲーミングデバイスは異業種からの参入が時折見られるが、自動車部品メーカーというのはその中でも特異だ。

 2つ目は製品価格。高級ゲーミングキーボードは数万円するものが珍しくないが、直販価格で4万8,180円という極めて高価な値付けになっている。

 ゲーミングデバイスは、たとえ高価でもその価値があるなら受け入れられる土壌がある。では本製品にはほかにないどのような価値があるのか。異業種ならではの新たな視点で、ゲーミングキーボードに何をもたらそうとしているのか。昨今はラピッドトリガー機能が流行の中心にあるが、この現状における本製品のメリットとは何なのか。

 今回、「ZENAIM」ブランドのプロジェクトマネージャーを務める橋本侑季氏と、開発担当でZENAIM コンセプトデザイナーの千崎大輔氏に、それらの理由を余すことなく語っていただいた。その尋常ではない作り込みやこだわりに、筆者も納得せざるをえなかった。ぜひご覧いただきたい。

【表】ZENAIM KEYBOARDの主なスペック
キースイッチ無接点磁気検知方式
キー数93(日本語JIS配列)
押下圧50g
押下耐久性1億回以上
キーストローク1.9mm
アクチュエーションポイント0.1~1.8mm
リセットポイント0.05~1.75 mm
Nキーロールオーバー
アンチゴースト機能
バックライトRGB(1,680万色)
本体サイズ(幅×奥行き×高さ)380×139.2×24.5mm
インターフェイスUSB Type-C(有線)
重量723g
直販価格4万8,180円

2度の回収騒ぎを経て品質を向上

――製品開発の詳細に触れる前に、まず発売後に起きた製品の回収や販売休止について明確にしておきたいと思います。いったい何があったのでしょうか?

橋本氏(以下敬称略) 発売後に2度販売を休止しています。1回目はスペースキーの端を連打すると反対側が浮いてきて、キートップが外れてしまうという不具合です。設計上、クリアランスが設けられていなかったことが発覚し、スペースキーの左右にガイドを組み込む改修を行ないました。これを受けて販売休止し、購入した方には全品交換対応しております。

 この際、キーの押下時にカチャカチャと音が鳴っていたのを抑制するためにグリスを入れたり、スタビライザーの構造にも変更を加えています。

不具合が修正されたスペースキー

 2回目は、キーの色味違いの発生です。1回目の不具合が起こった際に、塗装の耐久性も高めようと修正を加えたのですが、作業工程を日をまたぐ形で分けざるを得なかったことで温度や湿度がばらつき、キー全体での色味の違いが出てしまいました。

 1キーごとに許容範囲を決めていたのですが、すべてのキーで一律チェックできておらず、このような問題が起き得るという認識もありませんでした。全キーの一律チェックと、温度や湿度の管理も工程に含め、塗装し直しました。これも全品交換対応しております。

 当時は店頭販売をしておらず、販売した全数を追えましたので、2度の交換対応ができました。昨年11月中旬頃に問題はすべて解消しています。

東海理化 ZENAIM プロジェクトマネージャーの橋本侑季氏

自動車部品メーカーながら、新規事業を開拓

――問題は解消済みと確認ができたところで、本機の開発について伺っていきます。そもそも御社は自動車部品メーカーであり、キーボードを開発する企業ではなかったはずですが、なぜ本製品を開発することになったのでしょうか?

橋本 そもそものきっかけは、私自身がPCゲームを始めようと思ったことです。当時はPCゲームの経験がなく、いろいろデバイスを調べている中で、外資のメーカーしかないなと感じました。

 また製品のレビューやSNSの反応を見ると、不具合や耐久性の問題、サービスやソフトへの不満が散見されました。これだけeスポーツが流行っているのに、外資系企業の寡占状態になっているのが惜しく、日本のメーカーとしてできることはないのかなと思い、企画を立てました。

 企画書を上司に見せたところ、まずは市場調査から始めることになりました。既存の製品と同じようなものを作ってもインパクトはなく、新規参入する意味もないと思っており、やるからには何かユーザーに取って新しい価値を感じてもらう製品を出すべきだと考えました。

 たとえばキースイッチは、スイッチのメーカーがOEM供給しているものが多く、新製品でも似たようなものばかりになるという状況があります。我々がそれを解消する製品を作れるなら、市場参入する1つの意味があるなと考えておりました。そしてキースイッチに関して、当社が磁気センシングを用いたシフトレバー等の技術を持っていたのが鍵でした。

千崎 そのシフトレバーの技術は、有名な国産ハイブリッド車で採用されているものです。手元の小さなシフトレバーは磁石を使って動きを検知する仕組みで、本製品はこれを応用しています。

ZENAIM コンセプトデザイナーの千崎大輔氏

橋本 そこから試作をしていく中で、ロープロファイルで市場になかったものを作れる手応えがあり、プロeスポーツチームのZETA DIVISIONさんにお見せしたりしながらやっているうち、高い評価をいただけて、数々の試作を繰り返していく中で今のZENAIM KEYBOARDが出来上がりました。

――まずその企画を通せるのが普通ではないですよね。社内で何かあったのですか?

千崎 社長の二之夕(二之夕裕美氏。2020年6月に社長就任)の考え方もあり、創業の精神に立ち返り新たなことにチャレンジする機運が高まっています。新しいビジネスを切り開くため、また自動車部品についてお客様への提案力を上げるためでもあり、アイデアを奨励する文化はあります。

――なるほど。では社内ではほかにもさまざまな企画書が上がっている中で、これが採用されたと。

橋本 「覚悟はあるのか?」とは聞かれました。どんなに大変でもあきらめずにやり抜けるかといったニュアンスで上司は言っていたと自分の中では解釈しております。

――ZENAIMという名前の由来は何でしょう?

橋本 ZENは日本の禅ですね。シンプルで洗練されているという意味があります。AIMはゲーム用語で照準を合わせることですから、日本から世界に向けてやっていこうという意図もあります。またユーザーをワクワクさせること、購入する前から購入後も、製品のライフサイクルすべての中で、幸福なゲーム体験を提供することに照準を定めるという気持ちも込めて、この名前にしました。

ZETA DIVISIONの要求を満たす最高品質のスイッチが高価格の理由

異業種の東海理化による初のゲーミングキーボード、しかも高価格ということで、ZENAIM KEYBOARDは大きな注目を集めた。写真の通り、パッケージも含めて高級感がある

――ZENAIMの初めての製品となるZENAIM KEYBOARDは、5万円弱という価格が注目を浴びました。なぜこの価格になったのかを明らかにすることが今回の趣旨の1つだと思っていますが、まず本製品のコンセプトを教えてください。

千崎 eスポーツシーンにおいてユーザーのパフォーマンスを最大限に引き出す、突き抜けた機能性を有するデバイスを作るべきだと考えました。他社のスイッチを持ってきてキーボードの形にするという道も選択はできましたが、ZETA DIVISIONさんとのお話しの中で、求めるところは別にあるなと感じました。

 コンセプトとして言うなら「突き抜けた機能性」です。私もキーボードが大好きで、いろいろなデバイスを触ってきましたがZETA DIVISIONさんが求めるものは自分とは違うと感じました。レスポンスが速くないといけないが、同時に誤爆(誤入力)をしてはいけない。1つの操作ミスが勝敗に影響してしまうと知り、今あるスイッチとは別のものを作らねばならないと感じました。

――既存のスイッチでは要求を満たせないと思ったわけですか?

千崎 「機能性が高いものがいい」とZETA DIVISIONの選手がおっしゃっていて、「機能性が高い」というのは、誤爆が少なく、反応が速いものだとお話しを伺う中で分かりました。しかしこの2つは相反するものです。キーボードのスイッチは縦にしか動かないので、誤爆を少なくするには深い位置で入力がオンになるべきで、反応を速くしたいなら浅い位置でオンにならなければいけないわけです。

 この矛盾を解消するものが「機能性が高い」ということになるのだと意識しました。ほかにも荷重の重い軽いや、キートップの形状やサイズなど、常識にとらわれないでいろいろ試した結果、直接的にプレイに影響するのはやはり誤爆解消と速さの両立でした。それ以外の部分はパフォーマンスを維持し続けるためのサブ要因と判断しました。

自社開発スイッチの立ち位置をプロの求める機能性に設定

――ZETA DIVISIONさんと協力することになった経緯というのは?

橋本 いろんなチームにお声がけして、その中でお互いの目指したい世界観がもっとも近く、共感できたチームがZETA DIVISIONさんでした。我々は日本から新しいものを作りたいんだという思いを伝えたところ、ぜひ一緒にいいものを作っていきたいとおっしゃっていただけました。

 しかし、ZETA DIVISIONさんは、当時は他社さんがスポンサーに付いておりましたので、すぐに一緒に開発を進めていくことはできませんでした。

――ZETA DIVISIONさんはすでにスポンサーさんが付いていたにも関わらず、ゲームデバイス未経験の御社と組んだわけで、かなり強気というか思い切った話ですね。

橋本 既存スポンサーの契約周りが整理されてから話を進めていて、それまでに我々のほうが企画を進めて、開発が始まってからは密接にやり取りしています。ZETA DIVISIONさんはコミュニティをすごく大事にされています。製品開発に初めから携わったものを世に出すことで、ファンの方に喜んでいただけて、ひいてはeスポーツファンの市場が盛り上がるのならばうれしいことだ、ともおっしゃっていただいています。

――そしてZETA DIVISIONから機能性の話が出て、それを満たすためには、やはり自分達で一から作らねばならないという結論に達したわけですか?

橋本 ZETA DIVISIONさんからは、現状の製品だと端押しをするとオンするときとしないときがあり、FPSでは一瞬の操作ミスが命取りになるのに、そういう製品が現状ではないんだとおっしゃっていました。既存のスイッチを採用すると、どうしてもそのスイッチに依存してしまう結果になるので、やはり自社でスイッチを一から作ろうということになりました。

 ただ、スイッチを一から作ったことによって、コストはかなり上がりました。大量に生産してOEM供給でコストを抑えている他社に比べ、取り数(金型から一度に取れる製品数)を少なくして精度を高めています。またセンサーは国内メーカーの精度が抜群に良いものを選ぶなど、部品1つ1つで最高級の物を選んでいます。それが現状、コストが高くなり、製品売価も高くなっている理由です。今後は生産数を増やしてコストを下げられるとは思っています。

他社製品とは一線を画した高性能スイッチの開発

ZENAIM KEYBOARDには東海理化による自動車部品設計の技術が生かされている

――自動車部品のスイッチのノウハウは、キーボードにも生かせるものなのですか?

千崎 はい。プロジェクトのメンバーは比較的若手なのですが、車載スイッチを30年以上設計してきたベテランエンジニアがつきっきりで指導して、まるで師弟関係のような形でやっていました。縦にストロークするスイッチは、傾くと横に当たってしまう部分がどうしても出てくるのですが、パーツ同士の当たり方なども詳細に計算し、最小限のスペースに組み込んでいきました。

 ZETA DIVISIONさんの選手の手元を見させていただいても、常にキーの中心を押しているわけではありませんでした。画面を見ているので手元は見ず、キーの角や側面を頼りに操作されています。自動車においても、お客様がスイッチのどこを押すかは我々では決められないので、どこを押されてもまっすぐストロークする設計は常に求められます。そのノウハウをベテランの知見とともに織り込んでいます。

――なるほど、それは自動車業界ならではですね。

千崎 スイッチの実力を他社製品と比較したデータを用意しました。

ZENAIMのスイッチと他社製スイッチの性能を比較

 本製品と、磁気センサーを使ったCherry MX互換タイプのスイッチを採用した2社のものを比較し、それぞれ30個のサンプリングで統計解析をしました。ストロークに関しては、本製品では1.9mmとしており、検証結果では平均1.912mmと、公称値に近い値になっています。一方、ほかの2社は約4mmのストロークですが、底打ちするまでのストロークの個体差を見ると、本製品ではばらつきを半分くらいに抑えられています。

――これほど精度が高い理由はどこにあるのでしょうか?

千崎 1つは絶対的なストロークの短さで、ストロークが長いと傾きも大きくなってばらつきやすくなります。ただ、さきほど申し上げたようなベテランの設計ノウハウを入れ、極力まっすぐストロークするようにしたこと、また取り数を少なくして1個1個の精度を高めていることも要因です。他社だと取り数が多い分、各部品をミックスすると組み合わせのパターンがものすごい数になります。設計と製造の両面で差を生んでいると思います。

橋本 生産の際、構成する部品の精度のばらつきをどこまで許容するかを設定しますが、大量に生産する上で、許容値を厳しくすると歩留まりが悪くなります。ゆえに、コストを優先し、大量に生産することを優先すると、許容範囲を広げなくてはいけなくなり、結果として出来上がった部品の精度にばらつきが生じてしまい、機能にまで影響します。

 我々は取り数を少なくし、厳選することで、NG品がそもそも少なく、幅を狭められる分だけ精度が高くなっています。

千崎 次はフォースカーブと呼ばれる、荷重が立ち上がって戻る往復の値をすべて重ねたデータです。各30個のサンプリングなので30本の線が載っています。大きく2本の線が見えますが、上は押したとき、下は戻るときの値です。

ZENAIMのスイッチと他社製スイッチのフォースカーブを比較

 他社の製品が上と下で幅があるのに対し、本製品はほぼ同じ値になっています。他社の製品も悪く言うつもりはなく、これらはすべて公称値の中には入っていますが、パフォーマンスに差が出るのではないかと思っています。本製品がここまでの実力を持ったのは結果論ではあるのですが、こうでなければいけないだろうとは思っていました。

 キーの押し込み時と、離す際の戻り時で荷重が違うと、フィーリングが変わります。ただ他社のどのスイッチもこのようなデータになるので、ユーザーさんはこれで慣れていて、本製品のキースイッチを触ったときに違和感が出るのではと思います。

 ただプレイ上は、この差がないほうがオフが速くなるのは間違いありません。また、行きと帰りが同じ荷重のほうが疲れにくく、快適にプレイできるのではないかとも思っています。

ZETA DIVISIONが求めた「機能性」

――かなり具体的なデータが出てきましたが、その辺りも踏まえて、このスイッチが完成にいたる経緯を教えていただけますか?

千崎 こちらは開発当初、ZETA DIVISIONさんとのディスカッションで見えた「機能性が高いとはどういうことか」を定義した図です。

機能性の定義を分類する

 機能性というのは、誤爆しない、反応速度が速い、疲れにくい、スペースが広く使えるなどいろいろ定義がありますが、直接的に関係するところと、パフォーマンスを維持し続けるために必要なことで分けています。

 市場にあるスイッチや他社のキーボードを見ると、大きく分けて、ストロークの深いものと浅いもの、アクチュエーションポイントが浅いものと深いものがあります。アクチュエーションポイントが可変のものはすでにあるということは念頭に置きつつ、ストロークは普通4mm、浅くても2.7mmというのが市場に出回っている製品でした。アクチュエーションポイントに関しても、大体2mm、スピードタイプで1mmでした。

 このとき、ストロークが極めて浅く、底付近でオン/オフするものなら、オフもとても速いのではと考えました。4mmのストロークのスイッチでアクチュエーションポイントを0.5mmにすると、底まで打ってしまうと3.5mm戻らないとオフにならないので、遅いわけです。であればストロークを浅くするべきです。ラピッドトリガーの存在は認識していましたが、まずは物理的に速いスイッチを作ろうと考えました。

市場にないキーのタイプを試す必要がある

――本製品のストロークの浅さはここから来ているわけですね。

千崎 すでに市場にある製品には、ストロークが浅く、アクチュエーションポイントが深いスイッチはなかったので、ここにプロの求める機能性があるのではないかと思いました。

 ではどこまで浅くするべきなのか、試作機で試していきました。合わせてタクタイル感があるものがいいのか、リニアがいいのか、また荷重も変えて試しています。ZETA DIVISIONさんと試す中では、「あと10g軽くできませんか」といった要望も出て、現地でバネを交換したりもしました。

 また、スペーサーも0.1mm単位で調整したものをいくつも用意して、誤爆のリスクが最も少ないストローク量がどこなのかを徹底的に詰めていきました。その結果が、1.9mmというこだわり抜いたストローク値につながっています。

さまざまな種類を試した1次試作機

――ここまでは市販のスイッチで試していて、ここから磁気検知式のスイッチで検証していくというわけですか。

千崎 そうです。アクチュエーションポイントはカスタムできたほうがうれしいという話もあり、ちゃんと磁石を使って動いて、アクチュエーションポイントを可変にできるものを用意しようということで、磁気検知式スイッチの試作機ができました。

2次試作機で磁気検知式スイッチを採用

千崎 その結果、底打ちでのオン/オフではなく、やはり少し手前のほうが気持ちいいという話になりました。加えてアクチュエーションポイントは選べたほうがいいということにもなりました。これは高精度でセンシングができる磁気検知式なら対応できますし、自社で持っている技術も使えるので、製品に磁気検知式を採用することになりました。磁器検知の技術は当社が持っていたとは言え、あるから使うのではなく、本当に必要なのかを慎重に判断しました。

――磁気検知式スイッチを実際に使ってみたZETA DIVISIONさんからも好印象だったと。

千崎 そうですね。さらに当初最優先には捉えていなかった耐久性についても再考しました。接点を持っているメカニカルスイッチではチャタリング(スイッチが短くオン/オフする動作不良)が起きますが、磁気検知式は接点がないためチャタリングは起きません。耐久性は1億回としていて、実際に試験をしても1億回後のフィーリングがほとんど変わらないことを確認しています。

 プロの大会を見ていると、ここで製品に何かあったら……と気が気でないです(笑)。スイッチとしてはほぼ壊れないようなものを作るべきだと思っています。

製品に採用されている磁気検知式スイッチ。中央に磁石が見える

――いくら磁気検知式と言っても、そこまで高い信頼性が得られるものなのですか?

千崎 普通のメカニカルスイッチだと、縦のスプリングと横に板のバネがあります。磁気検知式では横のバネが不要で、スプリングだけになります。スプリングの耐久性は、適切に使えばただ伸び縮みするだけなので問題ありません。問題があるとすれば、プラスチック同士がこすれて摩耗してしまうことです。

 プラスチックには、同じ材料同士が擦れると軋んだり滑りが悪くなるという特性があるので、滑りのいい相性のものを選定しています。POM(ポリアセタール)という材料をスライドする部分に使い、さらにグリスを入れました。キーボードを自作されている方はルブ(潤滑剤)を使われていますが、本製品では自動車向けに使っている高性能のグリスを採用しています。ごくわずかの使用量ですが、結果としてキログラム当たりの単価は通常のグリスの約18倍の高級品になっています。

――自動車は長く使いますし、グリスも劣化しない高品質のものを選ばなければいけないと思いますが、それがキーボードにも都合がよかったと。

千崎 これは結果的にそうなっただけです。グリスの質や量によっては、その粘性でキー荷重の行きと帰りで差が開いてしまうので、そうならないよう考慮しています。

温度で磁力が変化することへのソフトウェア対応

千崎 あと磁気検知式スイッチはソフトウェアも重要になります。無接点のスイッチは、センサーを使って得た値をソフトウェアで処理して、0.05mm単位でアクチュエーションポイントを設定できるようになっています。これは苦労話になるのですが、磁石の特性をうまくコントロールするために、ソフトウェアでデジタル処理もかけていて、これが大変なんです。

――磁石には今何mm押されたというデータを吐き出せる仕組みはないですからね。

千崎 そうなんです、受け取る側でやらなければいけないのです。センサーは磁力の変化を非常に正確にとらえていて、磁力の変化量で何mmのところにあるかを認識します。ここでキーがまっすぐ降りる話につながるのですが、ガタがあってキーが斜めになると、磁石がセンサーに対して角度がついて、近付く方向に行きます。キーがグラグラするだけでコンマ数mmに相当するくらいの磁力変動が起きてしまいます。

 センサーが読み取る性能を最大限に引き出そうとすると、極限までガタがなく、まっすぐに降りるようにしなくてはなりません。1.9mmを究極にまっすぐスムーズに降りる。そして壊れないというのが、スイッチに求めたものです。それをデータとして受け取ってPC側に出すのが、ファームウェアと言われる、本体内のマイコンに組み込まれたソフトウェアの仕事です。

試作機を引っ張り出してもらい、ZENAIM KEYBOARDの説明を受けた

――このファームウェアが難題ですか?

千崎 磁石を扱う以上、どうしてもデジタル処理をしなくてはならないのですが、そのアルゴリズムを作るのに苦労しています。本製品が求める精度を考えたときに、気温や室温などの周辺温度の影響が非常に厄介でして。

――磁力と温度の関係ですか。

千崎 そうです。しかもそれが直線的な変化ではないのです。磁石が近づくとセンサーが受け取る磁力は強くなりますが、温度の影響でそれがより強く出るため、温度の違いで押し始めと終わりでの磁力の差が大きくなります。この補正が非常に難しく、今もデータを取り続けて、もっと精度を上げられるように今後もアップデートをしていくつもりです。

――温度でどのくらい変わるのでしょうか?

千崎 使用するセンサーと磁石の特性、極性によっても変わります。本製品で使っているのは、極性ではなく磁気の強さを純粋に見るものですが、ネオジム磁石は温度が下がると磁力が強くなる特性があります。10℃くらい違うと、コンマ数mmはずれる可能性があります。

――最初は部屋が寒くて、暖房を入れて温度が上がっていくことで、キーボードの温度も上がってしまいますね。

千崎 そうなると、誤動作することもあり得ます。ゲームだけではなく、PCを起動しただけでPCが勝手に動くということも考えられるので、それは避けねばなりません。

 この温度変化に対して高い精度を得るには、サンプルしたデータでプログラムするだけでは足りないと判断して、本体内に温度センサーを複数入れています。その値を読み取って、本体内の温度を想定し、その温度に対して補正処理するというロジックを組んでいます。

外からは見えないが、複数の温度センサーが内蔵されているという

――温度センサーまで入れているとは驚きです。他社のキーボードよりも温度変化に強く、高精度な製品にできるわけですか?

千崎 そうですね。現在の仕様の使用温度範囲は10~30℃に限定はしていて、不具合なく動作するように設計しています。開発ではもっと広い温度範囲を見たりもしているので、正確さや温度範囲をさらに追い求めたいとは思っています。

 ただこれは0.05mm単位で変化するデータを常にモニターして、大量のデータを全キーで処理するようなものになるので、かなり地道な作業になります。

――今のところはやれる範囲でやった製品ながら、まだ進化できる余地はあると。

千崎 あります。ハードウェア的にキーがグラつくようなものだったら、マージンを利かせてソフトウェアを甘くするしかないですが、そうならないハードウェアができましたので、ここからはソフトウェアで進化していきます。

防滑性を求めた独特なキーキャップ形状

――本製品はキーキャップも特徴的な形状ですね。

千崎 さまざまな形状を試作してZETA DIVISIONさんに試していただいた結果、最初は完全なフラットに落ち着きました。eスポーツでは手を忙しく動かすので、フラットなほうが動かしやすいそうです。フラットなキートップは珍しいですが、量産の一歩手前まではフラットでした。

試作時に多数のキー形状が検討された

 開発終盤、ソフトウェアも実装して長期使用していただいたとき、「手汗で滑る」というフィードバックをいただきました。対策として塗装に使う塗料をグリップするものに変えていて、実際の製品でも使っています。

グリップを高めるため、表面の塗装も変更

 しかしそれでも滑る、ピンと弾いてしまうという現象があるということで、今度は形状を変えることにしました。量産手前の土壇場でしたので、考え得るものを一気に作って、持っていって選んでいただく、ということをやりました。その結果、湾曲させないで側面の端だけ上げる形に決まりました。

 ちなみに文字部分がフラットなほうが、LEDライティングの文字部分がムラなく美しく見せられるという効果もあります。

3次試作機はキートップがフラット。デザインはほぼ完成している

――横だけが高く、縦はフラットですね。

千崎 極力フラットなままで、最初に良いと言っていただいたデザイン性を損なわず、機能性をさらに高める形状になったと思います。

キートップの横側だけをわずかに高くしている

橋本 なおキートップの塗装に関しては、今後は塗装を止めて2色成形に変えていく予定です。現状は傷や摩耗に強い高品質の塗装を使用してはいますが、界面活性剤には比較的弱く、日常の使用環境によっては、想定よりも摩耗が進んでしまう可能性があることが、多くのユーザー様と向き合う中で分かってきました。防滑の面では塗装のほうが優れているので、一長一短あり悩ましいところです。

千崎 実は自動車向け部品では、2色成形より塗装のほうがグレードが高いとされています。しかしキーボードに関しては逆に取られるんです。製品の使われ方の違いというのが大きいと思いますが、業界によってこうも違うというのはおもしろいですね。

量産試作機は土壇場でキートップの形状を変更している

ラピッドトリガー隆盛の今もスイッチは優位

――今流行のラピッドトリガーに関しての質問です。浅いストロークは認識が速く、戻り量も少ないので、入力のオン/オフどちらも速くなるのがメリットです。しかしラピッドトリガーがあると、ストロークの長さは反応速度に影響しなくなると思います。その上で、本製品にはどういうメリットがあるとお考えですか?

千崎 開発者としての仮説ですが、1.9mmのストロークはラピッドトリガー、本製品ではMOTION HACKと呼んでいますが、これがあったとしてもなおメリットはあると考えています。0.1mmや0.05mmでオン/オフするラピッドトリガーも、実際に0.05mm単位で厳密なオン/オフ操作を繰り返せる人はまずおらず、多少はオーバーストロークします。ストロークが短ければ、底打ちも速く、戻るのも、再びキーを押すのも速いはずです。

 また先ほどお見せしたフォースカーブで、キーの押し込み時と、離す際の戻り時が一定になっていることも意味があります。たとえわずかでも戻りが速いはずです。機能的にも0.05mm単位で設定できますので、相対的に速くなります。先ほどの温度補正のロジックも、キーキャップの形状も含め、左手に神経を使わなくても速く操作できるというところで、メリットはあると思っています。

 ラピッドトリガー機能は開発当初から意識していましたが、最初はラピッドトリガーなしでも十分速いと判断していました。入れたらもっと速いのは分かっていたとは言え、このスイッチだけでも十分に優位性があると考え、当初リリース時にはラピッドトリガーの実装は行なわない方向で進めておりました。製品としての良さは我々が決めることではないので、ぜひみなさんに試していただければと思います。

橋本 フルストロークからの戻りは、このスイッチだから速いと言えると思っています。ほかのメーカーさんが同じように行きと帰りの荷重がほぼ同じスイッチを作られたら、ようやく同じ土俵で戦えると思います。

ロープロファイルのスイッチに絶対の自信があるようだ

――絶対的な性能の高さには自信があるということですね。もちろんキータッチなどには好みもあるとは思いますが。

千崎 ロープロファイルであるがゆえに好みが分かれることはありますが、ただのロープロファイルのスイッチではないというところが、この製品の最大の特徴だと思っています。差がミリ秒なのか、マイクロ秒なのかは分かりませんが、既存の他社製スイッチと差があるのは事実です。

――ほかにソフトウェアのほうがアップデートの予定はありますか?

橋本 キーのリマップは8つのファンクションキーのみの対応でしたが、3月のアップデートで全キーが対応しました。その後は後で入力されたキーを優先する機能の実装を考えています。まだ仕様を決めている段階ですが、なるべく早く出したいと思います。

ZETA DIVISIONとの開発の思い出

――本製品の開発にZETA DIVISIONさんが関わられているのも注目点の1つですが、プロのeスポーツプレイヤーの方は、やはり普通の方とは感覚が違いましたか?

千崎 開発陣にはゲーマーもいますが、やはりプロは違います。たとえば試作機をお渡しした際、5gの荷重の違いをぴたりと言い当てられたことがあります。

橋本 プロの方は指先の感覚がとても鋭いですね。スイッチのガタつきも、指先が敏感なので、プレイのやりにくさに直結してくるのだと思います。ただし、プロの方がすべてを見通せるわけではありません。プロの方の多くはキーボードを斜めに置かれて、スペースキーはほぼ中央を押されています。そのため最初の不良(スペースキーが端押しで外れる)は発見できませんでした。

 我々も初めて取り組む製品で、すべての問題を拾いきれなかったので、一般ユーザーさんから教えていただいたことで分かった部分もあります。プロのほうで問題にならないことが、一般ユーザーさんからは不満だというご意見をいただくこともあります。

 製品として重要な部分はプロの方から教えていただいたところが多いですが、一般ユーザーの方々は机のサイズや生活環境などもまちまちで、使いにくい、こう直してほしいというお声もいただいています。これらも次の製品に反映したいと思っています。

――ZETA DIVISIONさんとの話で言うと、「車載製品よりもリスクが高い」という言葉が資料にありました。これはおもしろい視点ですね。

「車載製品よりもリスクが高いプロダクト」と表現

千崎 これは自分達に対する戒めみたいなものです。ある試作機は金型ではなく樹脂を削って作ったものだったのですが、ZETA DIVISIONさんに試していただいたとき、端押しで引っかかってわずかに押せなくなるトラブルがありました。そのときに「キーを押しきれなくなっただけで死んでしまうんですよ」と言われました。

 弊社では自動車用のシートベルトやシフトレバーなど安全性にシビアな製品を扱っていて、それらの重要性をリスクで表現します。エンジンをかけられないことがあるとか、発火するとか、ユーザーが不快感を覚えるとか、そういう程度の違いを定義しており、設計はもちろん工場まで引き継がれます。それに当てはめて考えると、キーボードは人の命に直結するようなものではなく、リスクの少ないものとみなされます。

 ただ、ゲームの世界ではキーボードは即死につながるデバイスです。しかも、ゲームは相手が倒しに来ます。車だと運転時の不注意や不慮の事故の危険はありますが、対向車がわざと衝突してこようとすることはありません。ゲームに真剣に取り組んでいる方からすれば、車の部品よりもリスクが高い製品とも言えるんですよ……ということを資料に入れました。

 ですからこれは、変なものを渡してしまったということに対する戒めです。この後、まっすぐ押せることのコミットメントを上げました。この言葉は面白いととらえられると思いますが、品質保証の部署などでは緊張感が生まれて、真剣に受け止めてくれました。

――プロにとってはゲームは仕事ですし、ゲームの中の1キル1デスで人生が変わることもあるわけですから、考え方としては正しいと思います。

千崎 それにしてもZETA DIVISIONの選手の方は、オーラがあるんですよ。試作機を持っていったときも、手が震えてしまいました。真剣さがにじみ出ていて、プロとして本気で向き合っていただいているなと感じました。

――結果的にはそのプロのお眼鏡にかなう製品ができたということですね。

千崎 本当にありがたいことです。使ってみたいですと言っていただけて、早く使いたい、こうしてほしいという声をどんどんいただいて。開発チームとして一体だったなと思っています。

純国産の物づくりをフラットに評価してほしい

――今後の製品展開の予定はいかがですか?

橋本 US配列を出すことは発表済みです。その後は、今よりコンパクトなキーボードは出したいと思っています。どのくらいのサイズになるのかは検討中ですが、個人的には60%や75%サイズはやりたいですね。あとはマウスもやりたいとは思っています。マウスのスイッチもほとんどがOEM供給なので、オリジナルのスイッチで違う価値を付加できないかと思っています。ほかにも考えているものはありますが、いずれもまだ検討や検証の段階で、決まったものはありません。

――ZETA DIVISIONさんとのコラボ製品なんかは企画されていますか? この試作機のデザインが、このまま売ってほしいくらいに格好いいです。

千崎 ZETA DIVISIONさんからロゴデータをいただいて、レーザーで描いてみていいですかと聞いてやってみたんです。これは真鍮製で、アルミのものも作りましたが、真鍮のほうが格好いいですよね(笑)。

橋本 SNSに載せたら、これを売ってくれという声が多かったです。

真鍮製の2次試作機が格好いい

――最後に、記事をご覧になっている方々に向けて一言お願いします。

橋本 2回の不具合を出してしまい、失望したという方もたくさんいらっしゃると思います。問題については真摯に受け止め、製品の回収を経て今にいたるまで、必死の想いで原因究明し、改善と再発防止に全力を尽くしてきました。もう一度フラットな目線で評価していただけないかと思っています。

 今後も製品リリースを控えていますので、それらも含めて製品を触っていただきたいです。ZENAIMは触れていただくと、日本の物づくりのクオリティの高さや、私達開発陣の熱意を感じていただけると信じています。その上でZENAIMのことを好きになっていただけたらうれしいです。今後とも応援をよろしくお願いします。

千崎 ZENAIMではWell gaming、本当に幸せなゲーム体験を、というメッセージを掲げています。開発陣一同、それに値する製品を作っていきたいと思っています。また開発者の私の立場として、物づくりは楽しいですよとお伝えしたいです。

 私は自作キーボードも好きで、皆さんがいいもの、好きなものを作ろうとして、いろんな方とコミュニティを作ってやっていくというのがとても日本らしいと思います。願わくば日本の物づくりを一緒にやってくれる仲間が増えてほしいです。本製品を手にした方が、良し悪しや批評をもっと話せる国になっていくとうれしいです。ZENAIMはそういう風になれる製品を心がけていきます。

――ありがとうございました。

ZENAIM KEYBOARDの試作機を持つ千崎氏と、製品版を持つ橋本氏

発売時からさらにクオリティアップした現在を再評価

 筆者は本製品の発売当時、つまり回収以前の製品をレビューしている。そして今回改めて、現在の製品を触らせていただいた。

 以前からスイッチの完成度の高さは感じていたが、ガタつき具合に着目してみると、確かにほかの製品とは比較にならない安定感がある。軽荷重を好む筆者が、本機では荷重の重さが気にならないほど入力が快適に感じたのは、これが理由だったのかと気付いた。

 前回使用した際に特に気になった打鍵音も改善されている。まったく不満がないレベルとは言わないまでも、ほかの製品と比べてうるさく感じるようなことはない。キーボードでに関しても、ホームポジションに置いていて快適だ。文字入力デバイスとしての完成度はさらに高まっており、ゲーミングキーボードと呼ばせるのが逆に惜しいと感じるくらいだ。

 とにかく全体としての完成度は、回収騒ぎを経て確実に上がっている。独特なキータッチはぜひ多くの人に体験してもらいたい。「これを日本のメーカーが一から作った」と思えば、尊敬の念が湧いてこようものだ。最近はヨドバシカメラの一部店舗に置かれており、設置店舗も順次増えていくそうだ。