「新しいiPad」のRetinaディスプレイで電子書籍はどう変わるか

新しいiPad。見た目は従来のiPad 2との違いはない。筆者は今回はホワイトモデルを購入



 第3世代のiPadこと「新しいiPad」が発売されてからしばらくが経過した。Retinaディスプレイの採用による高画質化があちこちで絶賛されているが、こと電子書籍端末としての用途においては、この高画質化はどのような恩恵をもたらすのだろうか。今回は「新しいiPad」が、電子書籍による読書体験をどう進化させるか、そして周辺事情に与えるであろう影響について見ていきたい。

●テキスト型の電子書籍では、細かな文字もつぶれずに表示可能に

 新しいiPadは従来の「iPad 2」と同じ9.7インチディスプレイを採用しつつも、解像度は2,048×1,536ドットへと大幅に向上している。これまでのiPadの1,024×768ドットを4枚(縦2×横2)分並べたものを、もとと同じサイズにぎゅっと押し込めているわけで、とてつもない密度だ。本体の厚みはやや増加して9.4mmになり、重量も約50gほど増えて652g(Wi-Fiモデル)となっているため、可搬性は低下しているわけだが、それを差し引いて余りあるのが高解像度化ということになる。

 Retinaディスプレイの表現力はすでにさまざまなレビューでも紹介されており、読者諸兄もご覧になったことがあるだろう。よく「一度観てしまうと元のiPadには戻れない」といった表現を目にするが、まさにその通りだと感じる。契約などの縛りがあって当面の間iPad 2や初代iPadを使い続けなくてはいけない人は、なるべく「新しいiPad」を目にしない方が、精神衛生上よさそうだ。

 こと電子書籍においてもこの違いは顕著だ。具体的な例として、インプレスR&Dの発行している「OnDeck weekly」の特別号(2012年3月22日号)に分かりやすいコンテンツが掲載されているので紹介したい。Retinaディスプレイの表現力をテストするために、明朝体でさまざまな文字サイズのデータを表示し、iPad 2と比較できるようにした特集なのだが、これを見ると新しいiPadで電子書籍がどれだけ読みやすくなるかが一目瞭然だ。長時間画面を見ていても新しいiPadの方があきらかに目が疲れにくいのは、こうしたクオリティが一因であることは間違いないだろう。なお、OnDeck weekly特別号はユーザー登録すると、こちらから無料でダウンロードできる。

「OnDeck weekly」の特別号を、新しいiPad(左)、iPad 2(右)でそれぞれ表示したところ。ビューアはiBooksを用いている。離れた距離から見た場合は、特に違いは分からない拡大表示したところ(サイズ調整を行なった以外は無補正。若干歪みがある点はご容赦いただきたい)。左が新しいiPad、右がiPad 2。細部が明らかに違う。iPad 2では明朝体が部分的に太ってしまっているのも、こうして比較するとよく分かる6段階の異なる文字サイズを表示したところ。モアレもあるので若干差し引いていただく必要はあるが、右側のiPad 2では上から4行目の時点で「薔薇」という漢字の「薇」のディティールがあやしくなってくるのに対し、左側の新しいiPadでは最小サイズでも文字の潰れは見られないことが分かる

●画像型電子書籍は、Retinaに最適化したデータの再生成が必要?

 さて、電子書籍には上記のOnDeckのようなテキスト型と、漫画のように図版をそのまま貼り込んだ画像型の2種類がある。テキスト型は今回の高解像度化の恩恵をすぐに受けられるわけだが、画像型の場合、元の解像度が低いと単純に引き伸ばして表示されるだけで、ほんとうの意味でRetinaの恩恵を被ることはできない。ハイビジョンテレビに買い替えながら映像ソースはアナログ放送のままだったり、XGAクラスのタブレットでワンセグを表示しているのと同じ理屈だ。

画像型の電子書籍と同じようにページを1枚の画像で生成している「自炊」データについて、新しいiPadとiPad 2、それぞれの解像度に最適化したデータを表示したところ。文字から写真までやはりクオリティの差は歴然で、高解像度データを求める声は高まってくることだろう

 そのため、これまでのiPadなどの解像度を基準に画像型の電子書籍データを作成してきた事業者は、Retinaに最適化しようとすると、これまでの電子書籍データを全部作り直さなくてはならないことになる。もちろん、今すぐ作り直さなくては新しいiPadで既存の電子書籍が読めなくなるといった次元の話ではないのだが、それでも長い目で見れば、Retinaに合った解像度のデータにランニングチェンジで差し替えていくことになるのではないだろうか。

 そうなった場合、すでに大量の画像型のコンテンツを保有する事業者ほど、過去資産に対する作業の手戻りが大きくなる。もしマスターデータから再度スキャンし直すことになると、その作業量は莫大だ。さらに高解像度版への差し替えを終えたあとも、すでに購入済みのユーザに対する対応はどうするか、再ダウンロード時に高解像度版への差し替えを行なうのか、もしもダウンロード期限が切れている場合はどうするかといった問題も、事業者を悩ませることになりそうだ。

 ちなみにこうした画像型の電子書籍をメインに扱う電子書籍ストアとしては「eBookJapan」や「電子書店パピレス」、「電子貸本Renta!」などがあるが、本稿執筆時点ではデータそのものがRetinaに合わせた解像度であるとのアナウンスは、サイト上には見られない。もちろんビューアアプリそのものは新しいiPadでも動作するが、試しにeBookJapanのビューアアプリである「ebiReaderHD」でいくつかのデータを比較した限りでは、クオリティについては違いは感じなかった。

 むしろ一部のコンテンツでは、これまでグレーのベタで表示されていた箇所が新しいiPadでは細かな網点で表示されるようになり、なめらかさが失われたように感じるケースもあったほどだ。このあたりはコンテンツの特性などもあり、なかなか一筋縄ではいきそうにない。コストも踏まえてRetina対応はまったく行なわないという判断を下す事業者も出てくるかもしれない。

 一方、絶版漫画を取り扱う「Jコミ」では、データの高解像度化とアプリのバージョンアップをすでに告知済みであるなど、規模の小さい事業者の方が大手事業者に対して小回りのよさを発揮しつつある格好だ。大手事業者が過去資産の多さゆえに対応に苦慮している間に、小規模な事業者がRetinaへの対応をビジネスチャンスに活かすシーンは、ほかにも見られるかもしれない。

●B5~A4サイズの雑誌やムックの「自炊」も十分実用的に

 といったわけで、新しいiPadの高解像度を活かすためには電子書籍事業者側の対応も欠かせないわけだが、これとは別に影響がありそうなのが、ユーザ自身が紙の書籍を裁断してドキュメントスキャナで読み取る、いわゆる「自炊」だ。iPadがRetinaディスプレイを採用したことは、この自炊のトレンドに、主に2つの点で変化をもたらすと考えられる。

 1つは解像度だ。これまで自炊においては、200dpiと300dpiとで、それほど極端な画質の差は見られなかった。そのため、あまり画質に神経質でないユーザの中には、データ量をなるべく減らす目的で200dpiに統一している人も多かったと思われる。世に出回っている自炊のハウツー本や記事でも、300dpi、つまりScanSnapで言うところのスーパーファインモードを基本としながらも、文庫や新書の自炊は200dpiで十分とする記述も多い。

 しかし今回の新しいiPadの登場で、この数値は見直しが必要になりそうだ。というのも、200dpiと300dpiのデータを比較した場合、従来のiPadではその差はわずかしか分からないが、Retinaディスプレイだと歴然だからだ。

 具体的に、200/300dpiでスキャンしたデータを並べたのが以下の写真だ。ページ自体のサイズなどさまざまな要因にも依存するが、今後自炊用途では300dpi以上がスタンダードになり、200dpiという選択肢はほぼなくなっていくのではないかと思われる。各社のドキュメントスキャナで解像度を「自動設定」にした場合、この200dpiでスキャンされるケースが多いので、手動で300dpiを選択してやった方がいいだろう。

ScanSnapで取り込んだ自炊データをiPad 2で表示したところ。左がファインモード(200dpi)、右がスーパーファインモード(300dpi)。いずれも各種補正はオフ、カラーモードはグレー、圧縮率は標準。多少のモスキートノイズの有無はあるものの、極端な違いは見られない新しいiPadで同じ自炊データを表示したところ。左がファインモード(200dpi)、右がスーパーファインモード(300dpi)。左の方はぼけ気味で、右の方は細部の文字が引き締まっていることが分かる。「198mm」のあたりが顕著だ。ちなみにスーパーファインモードがややシャープネスがかかったようなディティールになるのはScanSnapの特徴

iPad 2であればB5やA4の自炊データを表示すると細かい文字がつぶれてしまっていたが(右)、新しいiPad(左)ではしっかりと表示される。雑誌やムック本を自炊して読むのも十分に実用的だ。中央にあるボールペンの先端と比べると文字のサイズがよく分かる

 また高画質化の恩恵として、雑誌やムック本など、B5やA4サイズの自炊データを表示しても、細かい文字が問題なく読めるようになったことが挙げられる。iPadの画面の実サイズは149×198mmということで、A5正寸(148×210mm)とほぼ同じであることから、B5やA4サイズの本を表示するにはこれまで小さすぎるとされてきた。とはいえタブレットPCでは10型クラスが精一杯であることから、ズーム機能を併用しつつ、これら大判サイズを閲覧していたユーザも多かったはずだ。

 しかし今回の新しいiPadでは、元サイズがB5やA4の自炊データであっても、細かい文字がしっかりと読み取れてしまう。一部の漫画は、細かい書き文字やディティールの細かさを表現するために単行本がB5サイズで刊行されている例があるが、これらを自炊したデータも、Retinaディスプレイならしっかりと読み取れてしまう。タブレット端末での見づらさを理由にB5やA4サイズの単行本や雑誌類の自炊を見送っていたユーザにとっては朗報だろうし、同じ理由で漫画の見開き表示を苦にしないのも、漫画の愛読者にとっては福音となるだろう。

●電子書籍データの容量の肥大がハード選びやアプリ開発に及ぼす影響

 一方、自炊データをRetinaに最適化した場合のデメリットになるのが、高解像度化に伴うデータ量の肥大だろう。1ページ分の画像データを、新しいiPad向けにドットバイドットになるよう作成した場合、データ量は従来に比べて単純計算で4倍になる。つまりこれまでのiPadでデータの保存可能冊数が仮に「100冊」だった場合「25冊」にまで目減りしてしまうのだ。試しにZIP圧縮JPEGやPDFなどいくつかのデータを生成してみたところ、4倍までは行かずおよそ3~3.5倍に落ち着くことが多かったが、それでも「30冊」ほどということになる。

 もう少し具体的にみていこう。仮に単行本サイズのページをScanSnapのスーパーファインモードでスキャンすると、1ページがおよそ2,000×1,500ドットほどのサイズになり、本1冊分では100~120MBほどの容量になる(表紙やカバーがカラー、本文約200ページがグレースケールの場合)。

 従来であれば「ChainLP」などのツールを使って最適化することで、1冊あたりの容量を30~40MBにまで削減できていたわけだが、新しいiPadではスーパーファインモードで読み取ったページそのままがほぼドットバイドットで表示できてしまうので、最適化しても容量はほとんど変わらない。見開き表示を前提に画面半分のサイズ(1,536×1,024)にリサイズしても、せいぜい50MBといったところだろう。

 こうなると端末側、つまりiPad側の容量が1つのポイントになってくる。iPadは多くのAndroidタブレットと違って外部メモリカードに対応しないため、こうした自炊データをたくさん持ち歩きたければ、容量が16GBよりは32GB、32GBよりは64GBを選択しないと、これまでのiPadに比べてあっという間に容量を消費してしまうことになる。「容量が少なくてもクラウドに保存しておけば問題ない」という人もいるかもしれないが、データ量が3~3.5倍になっていればダウンロード時間もそれに比して長くなるわけで、甘く見るのは危険だろう。

 また今後はビューアアプリの側も、こうした大容量の自炊データをさばける設計が必要になってくる。初代のiPad登場時、100MBクラスのPDFデータのページめくりに耐えられずにハングアップしたり、動作が極端に遅くなるアプリは少なくなかった。その後アプリ開発側の工夫によってこうした症状はおおむね払拭されたが、今回のRetina化によって自炊データ1つあたりのファイルサイズが肥大化していくと、いずれまたこの問題が再燃する可能性は高い。

 先に述べた「200ページで100~120MB」というのも1つの目安でしかなく、カラーの雑誌やページ数の多い書籍だと、自炊データのファイルサイズが200~300MBクラスになってもなんら不思議ではない。ビューアアプリ開発者にとっては、悩ましい問題だろう。自炊データと同じく画像型の電子書籍も、同様の問題をはらんでいるといっていい。

●電子ペーパー端末やほかの液晶タブレットとの関係性に変化も
価格comの「タブレット端末・PDA」の売上ランキングは、新しいiPadの発売以降、新しいiPadとiPad 2にほぼ独占されている。かろうじてベスト10圏内にいるのは低価格が売りのレノボの「IdeaPad Tablet A1」くらいであり、これにしても画面サイズが7型と差別化要因があることが少なからず影響していると思われる

 最後に余談だが、今回のRetinaディスプレイは電子ペーパーとの力関係にも影響を及ぼすのではないかと筆者は考えている。従来のiPadであれば、「Kindle」や「Sony Reader」などのE Ink電子ペーパーと比較すると、文字の見やすさや目へのやさしさといった点で遅れを取っていたが、ことRetinaディスプレイであれば、E Inkと比較しても遜色がないレベルになっている。

 もちろん、一カ月単位で充電が不要なバッテリの持ちの良さや、屋外でも見やすい反射型であるといったE Inkのメリットがゆらぐわけではないし、E Inkも白黒反転を最小限に抑える技術が導入されたり、タッチに対する反応が高速化したりと、ここ最近の進化は著しい。しかしこれまで文字の見やすさや紙に近い質感を求めてE Inkを支持していたユーザが、今回のRetina採用を機に、iPadに転向することはあってもおかしくない。

 そして、RetinaディスプレイとE Ink陣営のデッドヒートが繰り広げられれば繰り広げられるほど、その他の液晶タブレットは窮地に陥っていくだろう。もしも近い将来、噂の7型クラスのiPadが登場すれば、それが間違いなくRetinaディスプレイであると考えられ、そうなると1,024×600ドットの液晶ディスプレイを採用した7型の「Kindle Fire」などは、現行機種がそのまま存続していれば、かなりの打撃を受けることは必至だ。

 といった具合に、単なるハードウェアのスペックアップというだけではなく、デバイスのトレンドから電子書籍データの作り込みに至るまで、あちこちに影響を与えることは間違いないだろう。この先、ダウンロード済みデータの高解像度版への差し替えでユーザサイドに混乱をもたらすようなことがあると、そうした心配のない(ユーザ側にデータが保持されない)クラウド型のストアが見直される可能性も考えられる。

 ともあれ、ユーザにとってはメリットが多い一方で、電子書籍に携わる事業者にとっては頭の痛い問題というのが、新しいiPadのRetinaディスプレイを取り巻く現状といったところではないだろうか。

(2012年 4月 5日)

[Reported by 山口 真弘]