特集
懐かしのテープやフロッピー、CD/DVD、そしてUSBメモリに至るまで。外部記録メディアの変遷
2025年2月14日 06:14
いつものように依頼は突然である。「古の外部記録メディアの変遷を追う記事をお願いしたいのですが……」。パピルスあたりから?それとも石板?
パンチカードやマークシートなどのPC以前
まぁパピルスはちょっと(?)行き過ぎというか、そもそもコンピュータの外部メディアでないから却下するにしても、どのあたりから始めるか?という話である。
あくまでコンピュータにつながる外部記録メディア、という意味では紙テープ(穿孔テープ」)とかパンチカード/マークシート、テープドライブあたりが最初であろうかと思うが、さすがにこれをリアルタイムで使ったことのあるユーザーはだいぶ少ないと思う。
かくいう筆者も紙テープは幸いにも(?)経験がない。まぁさすがに紙テープが使われていたのは1960年台から1970年台中頃ぐらいまで、パンチカードはさらにその前の1950~1960年台前半位までが主流だったから、PCの外部メディアとして使われなかったのも無理はない。
もう少し長生きしたのはテープドライブのほうである。テープドライブと言ってもこれも何種類かあり、筆者が最初に扱う羽目になったのは2400ftのオープンリールタイプのものだった。
もっともこれはメインフレームとかミニコンで利用されていたケースが多いかと思う。ではパーソナルワークステーションとかで使われていたのは?というと、DCシリーズのカセットテープカートリッジである。
DECやHPは、このDC100をベースに独自のDC150とかDC200といった、より容量の大きいカートリッジを開発している。一方DC300のほうは、その後さらに容量を増して、こちらも広く利用された。DC300の容量を増やしたDC300XLはQIC-11と称され、その後QIC-24/120/150/525/1350と段々容量を増やしながらさまざまな用途で利用された。
テープで言えばさらにDLT(Digital Linear Tape)とかもあってこちらはまだ一部大規模バックアップ用途向けに健在ではあるが、もうPCの範疇は完全にはみ出している気はする。
出典:2005 Christian Taube Chtaube, File:DLTtape-chtaube050402.jpg,CC BY 2.0
そんなわけでPC用の外部記録メディアとして、ここに挙げた紙テープやパンチカード/マークシート、テープドライブなどはまるっきり一般的ではなかったことだけは記しておきたい。
カセットテープ(1970年台~1980年台)
ではマイコンやPCが世の中に出た時に、記録メディアとして何が使われたか?というとまずはカセットテープであった。ちょうどAKIBA PC Hotlineに以下のような記事があったので御覧になった方もおられよう。
もっともこの記事には「一般的なラジカセなどでもデータの保存や読み込みは可能ですが、確実にセーブやロードを行なうには専用の機器が欠かせません」とか書いてあったが、筆者の記憶では専用の機器でも大して変わらなかった気はする。
仕組みそのものは簡単で、0と1をそれぞれ1,200Hzと2,400Hzの音として出力、あるいは入力する形だ。この程度のものであれば簡単なRC回路で実現できるから、高価なADC/DACを使う必要もない。要するに理屈はモデムと一緒で、ただ送受信する先が電話線か、それともカセットデッキのイヤフォン/マイク端子かというだけである。
使い方もある意味簡単で、たとえばBASICならLoadコマンド(これは方言が各種あり)を発行してから、プログラムが入ったカセットの再生を押すと、カセットからの音声がI/F(インターフェイス)経由でPCに取り込まれる。通常はEOF(End of File)もカセットに記録されているから、LoadコマンドはこのEOFを検出したら読み込みを終了するので、再生を止めて完了である。
逆に書き出しは、まずカセット側の録音をスタートしてから、BASICのSaveコマンドを発行すると書き出しが行なわれる。こちらも書き出しが終わるとSaveコマンドが完了するから、カセットの録音を終了して完了、というわけだ。
このカセットI/F、たとえばIMSAI-8080のオプションにもUCRI-1(Universal Casette Recorder Interface)がちゃんとラインナップされているほどに、マイコン初期から存在していた。
IMSAI-8080の場合、ほかにもFIF(Floppy I/F)とかHDIF(HDD I/F)も用意されていたが、お値段は以下のようになっている。
- | Kit | Assembled | |
---|---|---|---|
UCRI-1 | - | $69 | $99 |
FIF w FDC2-1 | $399 | $599 | - |
FDC2-1 | - | - | $1,295 |
HDIF | - | - | $3,900 |
DISK-50 | - | - | $12,500 |
IMSAI-8080の場合、部品だけが届いて自分で組み立てを行なうKit Priceと、完成品の形で購入できるAssembled Priceがあるのだが、カセットI/Fの場合は自分で組み立てるならたったの$69(+ご自宅にあるカセットデッキか何か)で済むのに対し、FD(Floppy Disk)だとFIF+FDC2-1の構成になるから、FIFを自分で組み立てたとしても$1,649、50MBのHDDの場合はI/Fと合計で$16,400で、ちょっとホビイストの手には余るお値段である。とにかくこの「リーズナブルな価格」というのがカセットI/Fの最大の魅力であった。
それもあって家庭用PCは、当初からカセットドライブを搭載したものもいくつかある。1977年発売のPET-2001とか、1978年発売のMZ-80などはその代表例だろう。
出典:2022 OliverGalvin, File:Commodore 2001 Series-IMG 0448b.png,CC BY 2.0
たださすがにカセットドライブまで内蔵するとかさばると思ったのか、1977年のTRS-80や1979年のPC-8001などはカセットI/Fのみを標準装備し、そこに適当にカセットデッキなり何なりをつなぐという形を取っている。一応標準のカセットドライブも発売されていたが、そんなに売れなかった記憶がある。
大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」より引用
というよりもこの時期の家庭向けPCで、カセットI/Fを持っていなかった製品はかなりまれ(LKIT-8とかLKIT-16ですら存在した。TK-80はただのパラレルポートしか搭載していなかったが、TK-80BSでカセットI/Fが搭載された)だったと記憶している。
ちなみに転送速度はIMSAI-8080が300bps、PC-8001は600bpsが標準だった。その後速度はどんどん上がってゆき、MSXでは1,200bpsが標準だったと思う。
しかし、これを超えて高速化しようとすると転送エラーが段々洒落にならない状況になってきて、これを回避するためにメタルテープを使うとか、データレコーダを使うとかいう話になりそうだが、1980年台に入ると次第にFDD(Floppy Disk Drive)の値段が下がってきたことで、次第にFDDにユーザーがシフトし始めたかと思う。
ちょっと昔話をすると、ちょうど筆者は大学入学(1983年4月)のタイミングでPC-9801(初代)を購入したのだが、同級生も何人かやっぱりPC-9801を買っていた。
なのだが、
- 筆者 : 本体+SONYの200Lineモニター+互換メーカーのFDD(2ドライブ)
- 同級生 : 本体+400Lineモニター+漢字ROM+カセットI/F
で、要するに漢字ROM+モニターの差額とFDDが大体同程度の価格であった。
またMSXを購入した同級生も何人かいたが、FDDを購入した人はいなかった。まだ1983年は高嶺の花、といった感じだったと思う。ちなみにその1983年に発売されたPC-9801E/F1/F2であるが、
機種名 | 価格 |
---|---|
PC-9801E(FDDなし) | 21万5,000円 |
PC-9801F1(1 FDD) | 32万8,000円 |
PC-9801F2(2 FDD) | 39万8,000円 |
といった値段になっていた。1ドライブあたり7万円の計算である。それでもPC-8001の外付け5インチ FDDとしてNECから発売されていたPC-8031(1981年発売)が310,000(2ドライブ)だったことを考えるとずいぶん安くなったとは思うのだが。
ところが1985年に発売されたPC-9801VMは、
機種名 | 価格 |
---|---|
PC-9801VM0(FDDなし) | 29万5,000円 |
PC-9801VM0(2FDD) | 41万5,000円 |
で、2ドライブで12万円、ドライブあたり6万円に値下がり。1987年に発売されたPC-9801VXシリーズは、
機種名 | 価格 |
---|---|
PC-9801VX0(FDDなし) | 43万3,000円 |
PC-9801VX2(2FDD) | 35万3,000円 |
で2ドライブで8万円でしかない。これはNECの定価であり、NEC互換のFDDはさらに安価だった。実際筆者の記憶でも、1986年頃にはみんな何らかの形でFDDを手に入れて使っていたと思う。カセットI/Fは、このFDDの急速な値下がりに押される形でその存在意義を失うようになっていった。
FD(1980年台~1990年台)
カセットに変わる形で長く使われた(というか、まだ使われているらしい)のがFD(Floppy Disk)である。FDDの原型というかご先祖様はIBM 3330 DASD(Direct Access Storage Device)に内蔵されたIBM 23 FDである。
DASDは名前の通りディスクアレイで、何でFDDが必要なのか?というと、このDASDのICPL(Initial Control Program Loader、要するにブートのためのコード)をこの23 FDに格納しておき、ここから読み込んでシステムを起動する形にしたそうだ(もともとはIBM 370用のICPL用に開発が始まったらしい)。このIBM 23 FDは8インチサイズで、容量は80KBほどである。
この23 FDを開発したAlan Shugart氏はその後IBMを退職し、(間にMemorex勤務を挟んで)1973年にShugart Associatesを創業したが、ここで開発されて1977年に発売されたのがSA400という5.25インチのFDDである。
ちなみにFDDの値段は当時の価格で425ドル、FDは10枚で45ドルとなっていた。容量は未フォーマット時で125KB(Single Density:Double Densityで250KB)、転送速度は125Kbpsである。ヘッドは1つ(つまりFDの片面しか使わない)の構成であるが、当時のマイコン向けとしてこれは十分に高速かつ大容量だった。
「Apple][」はいち早くこれに対応した機種の1つで、このSA400のカスタム版であるApple Disk ][は1978年の発売当初には毎日4千台が売れていたなんて数字もある。
出典:2006 All About Apple museum, File:Disk II.jpg,CC BY 2.5
何でこんなに売れたのか?という答えの1つは、世界最初のマイコン向け表計算ソフトであるVisiCalcがApple ][の上で動作しており、特にビジネスユーザーがこれを使いたがったからである(厳密に言えばVisiCalcの出荷は1979年に入ってからなので、発売当初はほかのビジネス用ソフトの利用が目的だったと思うのだが)。
VisiCalcの動作には32KBのRAMとカセットないしFDDが必要で、さすがにビジネス用途だとカセットは現実的でないため、本体まで合わせると4,000ドルほどの出費になった。1979年当時だから今で言えば17,720ドル相当。250万円以上の出費に当たるわけだが、その価値があると判断されたわけだ。
Apple Disk ][はPre-orderが495ドル、店頭価格は595ドルというお値段で、当時の換算レートで言えば16万8,800円ほどになるから、それを考えればPC-8001とかPC-9801のFDDが結構な値段だったのもまぁ分からなくもない。
そんなわけで1980年初頭はまだ「高値の華」だったFDDであるが、そこから急速に大容量化と低価格化が進んでゆく。SA400は片面あたり125/250KBで、しかもヘッドが1個しかないのでFDを手でひっくり返して裏面に記録すると250/500KBという仕様であったが、間もなくヘッドが2つ搭載された両面対応のSA450が登場、手でひっくり返さなくても両面を使えるようになった。
なお、裏面記録が可能になるのは両面対応のFDであったが、実際にはノッチとか位置検出のホールの穴が空いているかいないかが片面対応との違いであった。なので片面対応のFDを購入し、カッターで注意深くノッチやホールの穴をあけてやることで、両面対応FDに変身できた、というか筆者も実際にやった。
さらに記録密度を2倍にしたSA410/SA460では記録容量が250/500KBおよび500KB/1MBに増加している。
この頃になると、FDDはShugart Associates以外の会社からも多く登場するようになり、また薄型化や大容量化も進んだ。たとえばPC-8001が登場した時にNECから標準オプションとして1979年に提供されたPC-8031は、5.25インチで容量が320KBだった。
そして1983年のPC-9801Fには容量が倍の640KB(2DD)になったFDDが搭載され、さらにその翌年登場したPC-9801Mではその倍、1.2MB(2HD)の容量になったFDDが搭載され、この2HDが長く使われた。
これは海外も同じで、1982年発売のIBM PCは容量160KB(2S)のフルハイトドライブが内蔵されたが、1983年発売のIBM PC/XTはフルハイトながら容量が360KB(2D)に増加。1984年発表のIBM-PC/ATではハーフハイトになるとともに、容量も1.2MB(2HD)に強化された。
ちなみに、これに先立ち1980年以前から1MBを超える容量が利用できたのは8インチのFDである。IBM 23 FD由来の8インチサイズで、当然寸法が大きければ記録面積も大きくなるわけで、同じ記録密度ならより大量のデータを記録できる。
実際5.25インチFDDが普及する前は8インチFDDが広く利用されていた。5.25インチFDDを開発したShugart Associatesですら8インチFDDを手掛けており、1981年のカタログにはSA801(400/800KB : Single Sided)とSA851(800/1,600KB : Double Sided)の2種類の8インチFDDが掲載されていた。
日本でも、たとえばPC-9801が登場した当初は「業務用は8インチ、ホビー向けは5.25インチ」的な発想があったのか、8インチFDDと組み合わせた写真がよく示されていた。
当初、PC-9801向けの業務用ソフト(代表例は管理工学研究所の「松」だろう)は8インチFDでの供給例が多かった。業務向けには320KBの5.25インチ 2Dでは容量的に足りない、という判断もあったのだろう。容量は5.25インチの2HDと同じ1.2MBだった。
ただ5.25インチはFDD/FDともに時間の経過で急速に価格が下がったのに対し、8インチはそこまで需要がなかったためか、FDD/FDともに価格は高止まりし、さらに大きさ的に本体に内蔵できなかったので、FDD内蔵型の機種が登場すると急速にマーケットが縮小した。
1979年には8インチ 2D FDD×1をやはりモニターの横に配したTRS-80 Model IIも発売されたが、やっぱりこれも売れなかった。そんなわけで、一部の特定顧客向けには長く使われた8インチFDDだが、メジャーマーケットからは1980年あたりを境に撤退というか敗退していった感がある
出典:2021 Piergiovanna Grossi, File:TRS-80 Model II foto1.jpg,CC BY 4.0
こう言っては何だが、8インチ 2Dのほうが5.25インチ 2HDより頑丈、つまり記録が揮発しにくかったように思う。無理に記憶密度を上げなくても記録面積が大きいために容量を確保できたのがその要因であり、そのあたりも業務用で長く使われた一因かもしれない。
この5.25インチを完全ではないにせよ置き換えたのは、3.5インチFDDである。3.5インチFDDはSONYが1980年に開発し、1981年に同社の英文ワープロであるSeries 35 Model 10に初搭載された。
このSeries 35はあまり売れ行きが芳しくなかったが、ここで採用された3.5インチFDDは、1982年のソニーSMC-70や1983年のHP-150(HP 45611A)などに採用されたが、やはりメジャーという意味では1984年にMacintoshに採用されたことだろう。
当初は400KB、すぐ後に800KBを追加した(1.4MBへの移行は1989年とちょっと遅い)。ただMacintosh以外の機種にも3.5インチは急速に広まった。
理由の1つは5.25インチよりもFDDが小型に収まるということで、実際たとえば1985年に発売されたPC-9801Uは、従来のPC-9801シリーズから大幅に小型化された。
AKIBA PC Hotline! ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・マイコンたちより引用
IBM-PCシリーズはもう生産が終了しており、IBMから次に出て来たのは1987年のPS/2シリーズになるが、こちらはもう3.5インチに切り替わっている。これに先立ち、互換機メーカーはいち早く3.5インチへの移行を果たしている。
こうして1980年台中旬は、5.25インチと3.5インチの両方が入り乱れる感じとなり、実際この当時パッケージソフトは5.25インチFD版と3.5インチFD版が用意された(中には両方のメディアを梱包したものもあった)。
1985年にソニーが2HDバージョンの3.5インチFDDを開発したことで、容量的にも5.25インチと差がなくなったのだが、ここでちょっと混乱が生じた。5.25インチの場合、PC-9801とIBM-PC、どちらも2DDは640KB、2HDは1.2MBの容量だったのに対し、3.5インチではPC-9801は5.25インチと同じく2DDは640KB、2HDが1.2MBだった。そして、IBM-PCは2DDが720KB、2HDは1.44MBになったため、メディアの互換性がなくなってしまった。これもあって、1.2MB/1.44MB両対応のFDDとかも登場したりした。
機械的強度という意味ではプラスチック製でシャッターが付いている3.5インチFDのほうが若干5.25インチFDよりも強く、かつFDDのほうも3.5インチのほうが小さいということで、1990年に入るともう5.25インチはマイナーな扱いになり、3.5インチのほうが主流になっていたかと思う。
90年台に入ると、後述するCD-ROMが配布メディアとしては一般的になってきたが、CD-ROMは容量こそはるかに大きいものの、書き込みができないのでFDを完全に置き換えるのは無理であった。それもあってCD-ROMとFDは1990年台は共存していた。
ただし90年台に一般的なユーザーが扱うデータ量が増えて1枚のFDでは収まらなくなってくるようになると、FDの有用性が急速に薄れることになる。
CD(1990年台~2020年台)
FDDとUSBの間を埋めるような形で登場したのがCD-ROMである。ベースになったのはCD(Compact Disc)で、これはソニーとPhilipsによる共同開発の音楽用メディアとして1982年に登場したが、そもそもCDが音声データをPCM(Pulse Code Modulation)を用いてデータの形で記録できるから、当然音楽以外のデータの記録も可能である。
世界最初のCD-ROMドライブであるPhilipsのCM100(単体だとただのCDプレーヤーだが、別売のCM153というI/Fカードを組み合わせるとCD-ROMドライブになる)は1985年に発売されたが、当時の価格は1,495ドルでちょっと普通のユーザーに手が出る代物ではなかった。
1990年に発売されたWindows 3.0は、単体ではマルチメディア機能(音楽や動画の再生)がなかった。これを補うべく、1991年にWindows 3.0 MME(MultiMedia Extensions)がリリースされたのだが、このWindows 3.0 MMEでCD-ROMの取り扱い機能も追加された。
このWindows 3.0 MMEに併せてCreative Labsが発表したのがSound Blaster Multimedia Kitである。こちらの記事でも触れられているが、Sound Blaster(記事ではPro 2ベースとされているが、それ以前にProベースもあったような気がする)とCD-ROM、接続ケーブルをセットにしてお安い価格で提供するというものだ。
この時のCD-ROMは確か等倍速か2倍速くらいで、Sound Blasterカードに直接接続するというものだったが、とにかくこれでDOSとWindowsでCD-ROMを扱えるようになった。
これを受けて、そのほかのメーカー(Multimedia Kitはソニーとパナソニックというかミツミのドライブのどちらかが同梱されていたように思う)は、価格を下げるとともに速度を向上させるなどの形で次々に製品投入を行なった。
なによりWindows MMEやSound Blaster Multimedia Kitなどが呼び水になり、さまざまなソフトがCD-ROMでの提供を始め、これによりマーケットが広がってユーザーが増えるという好循環が形成され、市場が一気に拡大したことも価格下落の要因に挙げられるだろう。ちなみにこの時に登場したソフトの代表例がMicrosoftのEncarta(MicrosoftによるCD-ROMベース百科事典)である。
CD-ROMは別の理由からも普及が必至となった。それはソフトの肥大化に伴うインストールメディアの増大である。MS-DOSのインストールにはFDが3枚、Windows 3.1で6枚、Windows for Workgroupは8枚で済んだが、Windows 95は15枚で、正直FDからのインストールはかなり苦痛だった。
なお、OS/2 2.0は20枚を超えており、もちろんこれをすべて使ったわけではないが、インストールにはかなり時間がかかった。これがCD-ROMを使うと1枚で済み、しかもはるかに高速であった。
このあたりから、OSやアプリケーションのインストールにはCD-ROMを使う、という流れが明確に生まれ、これはDVD-ROMが本格的に普及する2000年頃まで続いた。2000年以降も、1枚のCD-ROMで収まる容量のソフトウェアやデータの配布には引き続きCD-ROMが使われている。
その一方で立ち上がりが遅れたのはCD-RやCD-RWである。要するに1回書き込みが可能なCD-ROM(CD-R)や、複数回の書き込みが可能なCD-ROM(CD-RW)であるが、規格こそ1988年に出たものの、なかなか普及しなかった。
当初はCD-ROMのマスタリング用、つまり大量生産するCD-ROMの原板を作るために使われていたが、書き込み速度は1倍(つまり1枚のCD-ROMの容量をフルに使おうとすると書き込みに1時間かかる)な上、ちょっと転送が滞ったりするとそれで書き込みに失敗した。
なので登場当時は、ソニーの1倍速CD-Rドライブの、それもSCSI接続の物を利用し、書き込み中は一切ほかの作業をさせないといった、非常に使い勝手が悪いというか気を使う必要のある代物だった。
このあたりがだいぶ解消されたのは、バッファーアンダーラン対策が施されたドライブが出現してからだ。2000年3月に、最初のBURN-Proof対応ドライブが秋葉原に並んだらしい。この後、さまざまなメーカーがこうしたBurn-Proof対応ドライブをリリースし、当初はちょっと高め(12倍速書き込みで5万円前後)だった価格も、競合製品が多数出ることで比較的穏当な価格に収まった。
ただCD-Rは一度書き込むとそれ以上書き込みができないので、バックアップ用途とかには良いのだが、FDの代わりに受け渡しに使うというにはちょっと不便なケースもあった。
そこで書き換え可能なメディアであるCD-RWが1997年あたりから発売され、CD-Rドライブは大体がこのCD-RWに対応した。なのだが、こちらもあんまり普及することはなかった。
「書き換え可能」というと、まるで記録の一部分だけを書き換えできるように思えるが、実際は全部を真っさらに消去して、改めて書き込めるというだけである。なのでメディア代の節約になるかもしれないが、実際には全消去→全部書き直しということになるので、CD-Rよりも書き込み時間が延びることになった。
またCD-Rは最大で52倍速が、CD-RWは最大32倍速で書き込み時間は2分半、さらに全消去とかファイナライズまで含めると10分弱の書き込み時間がかかった。これは、手軽に書き込んで渡すといった用途にはあまり適したものとは言えなかった。
メディア代も問題だった。CD-RもFDのごとく価格が暴落してゆき、ピーク時には100円ショップで購入できた(ただし100円ショップで売っていたCD-Rメディアは、割と早く経年劣化で読めなくなった)が、CD-RWはそこまで値段が下がらなかった。
それもあって、広く使われたとは言いにくい状況のまま終わることになった。結局CD-RもCD-RWも、DVD-RやDVD-RWが登場するようになると、次第に使われなくなっていったのは当然ではある。
DVD(1990年台~)
さて、1990年台末にはCD-ROMの後継規格というとちょっと語弊があるのだが、より大容量なメディアとしてDVD-ROMがまず登場した。DVDそのものは1996年に標準化が完了してすぐに市場に流通を始めたが、DVD-ROMは最初の標準化が完了したのが1997年12月とやや時間を喰っており、これが影響した感じだ。
ちなみにCD-ROMが元々音楽再生用メディアとして開発されたのに対し、DVD-ROMの元となるDVDは映像再生用メディアとなったこともあり、著作権保護機能やリージョンコードなども盛り込まれたのだが、この辺はDVD-ROMにはあまり関係ないので割愛する。
DVD-ROMはちょっと容量が複雑で、
記録層 | 容量 |
---|---|
片面1層 | 4.70GB |
片面2層 | 8.54GB |
両面1層 | 9.40GB |
両面2層 | 17.08GB |
という大容量を誇る。片面1層でもCD-ROM 6~7枚分に相当するわけだが、実はこのDVD-ROMが出た頃は、「CD-ROMでは容量が足りない」という事態に陥るケースがしばしば出てきた。
主にゲームであるが、Cyan Worldsが大ヒット作となったMystの続編として1997年にリリースしたRivenは実にCD-ROMが5枚組であった。要するにインタラクティブ性を出すために動画を多用したのだが、当時の事だからGPUでリアルタイムに3Dレンダリングして表示なんぞ能力的に不可能である。
なのであらかじめ作成した動画をCD-ROMから読み出して再生するわけだが、その動画サイズが大きすぎてCD-ROM1枚に収まらなかったのだ。結果、ゲーム中に煩雑にCD-ROMの入れ替えが発生した。
筆者がプレイしたゲームで言えば、Rivenほどの頻度ではないが、1993年にTrilobyteが開発したThe 7th GuestもやっぱりCD-ROMの入れ替えが発生して面倒だった記憶がある。多分この頃の、インタラクティブ系のゲームは多かれ少なかれ同種の状況だったと思う。こうしたことから、特にマルチメディア系ゲームの現場では「より大容量のメディアを」という声は2000年以前から起きていた。
こうした事情があったことと、DVD-ROMドライブはCD-ROMドライブからそれほど大きな価格差がなかったこともあって、比較的スムーズにCD-ROM→DVD-ROMへの移行が進んだ記憶がある。
1999年10月のAkiba PC Hotlineでは、リコーのMP9060(4倍速DVD-ROM)が3万5,800円~3万7,800円と、ややお高めではあるものの、これはむしろ当初から価格が下落する事を嫌い、多機能にすることで値段をそこそこ高値に維持したいというメーカーの意向だったと思われる。実際2003年になると、16倍速のDVD-ROMのバルクが6,000円代で発売されるまでに価格は下落した。
2000年台も中頃になると、ゲームだけでなく一般的なアプリケーションとかOSも次第にインストールメディアがCD-ROMからDVD-ROMに切り替わった。
2001年のWindows XPはまだインストールメディアがCD-ROMだったが、2006年のWindows VistaではDVD-ROMになっており、もうこの時点でCD-ROMドライブしかないと詰む状況であり、また後方互換性があったから(DVD-ROMドライブでCD-ROMを利用できた)、CD-ROMをDVD-ROMに置き換えても特に支障は発生しなかったと記憶している。
これに続き、DVD-Rから始まる一連の書き込み可能なシリーズが出たが、こちらは正直自滅に近かった。何が問題って規格が乱立し過ぎたことで、8種類(実質6種類)の規格が存在した。
メディア | 仕様 | 記録層 |
---|---|---|
DVD-R | 1回書き込み可能なDVD-ROM CD-RのDVD版 | 片面1層 |
DVD+R | 1回書き込み可能なDVD-ROM ファイナライズ処理が要らない | 片面1層 |
DVD-RW | 複数回書き換え可能なDVD-ROM CD-RWのDVD版 | 片面1層 |
DVD+RW | 複数回書き換え可能なDVD-ROM ファイナライズ処理が要らない | 片面1層 |
DVD-R DL | 1回書き込み可能なDVD-ROM CD-RのDVD版 | 片面2層 |
DVD-R DL | 1回書き込み可能なDVD-ROM ファイナライズ処理が要らない | 片面2層 |
DVD-RW DL | 複数回書き換え可能なDVD-ROM CD-RWのDVD版 ※存在せず | 片面2層 |
DVD+RW DL | 複数回書き換え可能なDVD-ROM ファイナライズ処理が要らない ※存在せず | 片面2層 |
ちなみにこのうちDVD-RW DL/DVD+RW DLは標準化の途中でBD-R/BD-REが出てしまったことで、仮に製品化しても需要が見込めないという判断で、製品化が断念されている。
DVD-R/RW/R DLのほうは比較的DVD-ROMドライブとの親和性が高く、ちゃんと書き込んだものが読み出せるのだが、DVD+R/RW/R DLの方は微妙に規格が違う(DVD-R/RW/R DLはDVD Forumが仕様を策定したが、DVD+R/RW/R DLはDVD Allianceが仕様を策定していた)、うまく読み出しできない場合もあった。ちなみにDVD-R DLでも、一部通常のDVD-ROMドライブで読み出せない、なんてケースも。
もっともたとえば2004年7月3日付の新製品に出て来たプレクスターのPX-708A2のように、「8倍速DVD±R/4倍速DVD±RW」対応(DVD-R/RWとDVD+R/RWの両方に対応)なんてドライブもあったから、ほかの人と交換を考えるならともかく自分で使う分にはどちらでもあまり困らない、という感じになっていたかと思う。
ただこういう具合に規格が乱立して勝負がつかない状況だと、市場サイズは大きくなりにくい。個人的な視点で言えば、PC向けのDVD±R/RW/R DLより、HDDレコーダのバックアップ用のほうがマーケットが大きかったのではないかと思うが、こちらはHDDレコーダの種類でバックアップ用メディアがほぼ一択になるので、あれこれ選ぶ余地がなかった。
そして市場が拡大する前に、BD-R/REが登場することになってしまい、正直現状ではどの程度使われているのか良く分からない。ただDVDベースのHDDレコーダがこの世からなくならない限りバックアップ用のDVD±R/RWメディアは必要なわけで、現在でも普通に購入可能である。
BD(2000年台~)
さて、このDVDに続いて今度はBlu-Ray Disk(BD)が登場することになる。これもDVDと同じく映像向けであり、720p映像を想定したDVDに対して1080p以上の映像を想定し、容量・転送速度ともにずっとDVDより大きくなっている。
BDそのものは2006年頃からタイトルが出始めており、当初のBD-ROMドライブはこうしたBDの再生に向けたものとなった。このBDのデータ記録版がBD-ROMということになるのだが、DVDと異なりBD-ROMで提供されているアプリケーションとかはあまり聞いたことがない。
XBox One/Series XとかPS4などはBD-ROMドライブを搭載しているが、ゲームそのものをBD-ROMで配布するからというよりは、BDで提供されている映像コンテンツの再生向けと理解している。理由は簡単で、DVDで足りないような容量のコンテンツは、すでにネットワーク配信になってしまったからだ。
2003年にサービスが始まったSteamはその先鞭を付けたものの1つ、とも言えるかもしれない。実際筆者も昔はベンチマークをするために、大量のゲームDVDやらCDやらを所有しており、これを毎回インストールしてベンチマークを走らせていたのだが、SteamになってからはSteamをインストールして、あとはベンチマークに使いたいゲームをダウンロードするだけで済むようになった。
こうなると、「メディアを大量に生産、パッケージングして流通に流す」コストが削減できる分、ゲームメーカーにはありがたい。その代わりCDN(Contents Deliver Network)業者に、ダウンロード量に見合った料金を支払うことになるのだが、売れ行きが悪い=ダウンロード量が少なければそのぶん支払いも減るから、在庫を抱えるリスクを大幅に減らせることになる。
昨今ではほとんどのソフトウェアがダウンロードで入手できるようになっており、もうDVD-Rですら使うケースはレアになってきており、BD-ROMを使うのは本当にDVDなりBDで保有する映像コンテンツの再生の時だけ、という感じになってきた。
そんなわけでCD-ROMからスタートした光学メディアドライブそのものが、最近ではほとんど使われなくなってきた。とはいえ、BD-R/RLに関してはバックアップメディアとしてそれなりに有用である。
BDは仕様上ディスクの多重化(複数枚を重ねる)が可能であり、すでに2層構造のBD DL(Dual Layer)は広く使われている。名前としては3層構造BD TL(Triple Layer)や4層構造のBD QL(Quad Later)もあるが、現実問題として3層以上は見かけたことがなく、一層(SL:Single Layer)と2層しか流通していない気がする(試作品では6層の発表もあったらしい)。
で、BDにも1回書き込み可能なBD-R(Blu-Ray Disk Recordable)と、追記/書き換えが可能なBD-RE(Blu-Ray Disk REwritable)があり、容量はどちらもSLで25GB、DLで50GBとなっている。このBD-R/REであるが、Amazonでの価格を見ると、BD-R SLが50枚セットで2,500円未満、BD-R DLが50枚で8,000円弱といったところだった。
それぞれ2,500円/8,000円として、容量単価は2円/GBと3.2円/GBということになる。BD-R DLのほうがちょっとお高めであるが、その代わり枚数がBD-R SLの半分で減る(あと書き込みの手間も半分になる)事を考えると、BD-R DLをバックアップ用に使うのは可能性として十分アリだとは思う。
これ、実はHDDをバックアップに使うよりも考え方としてはお得である。例としてSeagate IronWolf Proの価格(昨年調べ)を例に挙げてみる。
容量(TB) | 価格 | 容量単価(GBあたり) |
---|---|---|
2 | 1万9,982円 | 9.99円 |
6 | 3万1,282円 | 5.21円 |
8 | 4万1,093円 | 5.14円 |
10 | 5万554円 | 5.06円 |
12 | 5万8,891円 | 4.91円 |
14 | 5万3,479円 | 3.82円 |
16 | 6万8,980円 | 4.31円 |
18 | 7万4,855円 | 4.16円 |
20 | 8万2,480円 | 4.12円 |
22 | 8万6,764円 | 3.94円 |
24 | 9万4,981円 | 3.96円 |
これを見ると、値段のこなれて来た8TBあたりを使ってバックアップするよりもBD-RなりBD-R DLを使ってバックアップを取るほうが単価ははるかに安い(24TB品だと結構いい勝負になってくるが……)。
どの位の頻度でその書き込んだデータを読み出すか次第ではあるが、「普段は使わないけど、なくしたくはない」といった重要データのセカンダリバックアップ用といった用途では、BD-Rは価格的に結構優秀なソリューションであることが分かる。
ちなみにこれをDVD-Rでやった場合、たとえばこちらの50枚セットが原稿執筆時に961円だったので、まぁ1,000円と考えると1枚あたり20円だが、容量4.7GBだから容量単価は4.26/GBとなり、もうBD-Rに比べると旨味がだいぶ少ない。
もちろんBD-R SLで1TBあたり40枚、DLでも20枚が必要になるから、昨今の大容量HDDのバックアップ用としてはいろいろ不便なのも事実ではあるが、HDDを丸ごとバックアップというのではなく、特定のファイルだけをバックアップしたいといった用途には適切なメディアとして生き残りそうだ。
USBメモリ(2000年台~)
現状PC用の外部記録メディアとして一番広く使われているのはUSBメモリまたはUSB Flash Drive(以後は前者で統一)であろう。
これはUSB I/Fの仕ように、Mass Storage Class(MSC)が定義された1998年10月に利用可能になった。実はこれ以前は、USBの先にフラッシュメモリやらHDDやらを付けても、そもそもStorage Deviceとして認識されない。Microsoftで言えば、Windows 2000以降のOS環境で初めて利用可能になった格好だ。
ただ1998年と言えば、もう16MB位のメディアカードが利用可能だった時期であり(AKIBA PC Hotlineの1998年12月26日号 に、Diamond Rio用の16MBカードが掲載されている)、技術的にはすでにこの時点でUSBメモリを開発することは可能だったと思う。
しかし、現実問題としてUSBメモリが最初に市場に出て来たのは2000年の後半あたり。本当に広く製品投入されるようになったのは2002年以降だったように記憶している。主な理由は次の通りだ。
- 当初はUSBのStorage Class Controllerの単価が安くならなかった
フラッシュメモリをそのままUSBにつなぐわけにはいかないので、USBのI/FとStorage Classをサポートし、かつフラッシュメモリと接続できるコントローラが必要になるが、これのお値段が当初はなかなか高価だった。こちらは量産に伴い劇的に価格が下落したら、それにはちょっと時間が必要だった。 - USB 2.0の登場が待たれていた
USB 1.1だと最高でも12Mbps、つまり1.5MB/sで、ちょっと遅かった。コントローラの話とも絡むが、どうせコントローラを出すなら480MbpsのUSB 2.0のタイミングで、という機運がこの当時コントローラメーカーにあったようで、結果としてUSB 2.0の標準化とこれをサポートしたホストが出てくるまで製品が遅れることになった。
USB 2.0の対応はIntelで言えばICH4が登場する2002年5月だし、AMDだと自社チップセットで対応したのはAMD-8111の登場する2003年4月、ATI由来のIXP 200も2002年8月までUSB 2.0対応を果たせなかった。
では2000年末~2002年までの間は?というと、NECのUSB 2.0ホストコントローラを搭載したカードが2001年3月にすでに出荷されている。拡張カードだけでなく、これを搭載したマザーボードなども登場し、こうしたものに接続する形でUSB 2.0が利用できた。もちろんスピードに目を瞑れば、USB 1.1ポートに接続しての利用も可能だったが……。
当初は4MB~64MB位までのラインナップだったように記憶しているUSBメモリだが、次第に大容量の製品が登場していった。2006年にWindows Vistaが登場した時、USBメモリを利用したWindows Ready Boostが利用できるという話で、ベンチマークのためにショップに4GBのUSBメモリ(Windows Vistaでは最大でも4GBまでしか利用できない)を購入しに行ったら、すでに主流は8GBとか16GBになっていて、4GB品は結構少なかった記憶がある。
もう一つ、筆者の記憶で言えばこの2000年後半から、たとえば企業の発表会とか展示会での資料配布が、それまでは紙ベースあるいはCD-Rなどでの配布だったのが、USBメモリに切り替わり始めた時期だったと思う。
容量は256MB~1GB位で決して大容量とは言えないのだが、そういう小容量の配布向けUSBメモリというものが市場に出回り始め、大量にバラ巻くのにはCD-Rとかよりも安くなってきた時代である。
結果、手元に山のように小容量のUSBメモリが集まることになり、結局フリーマーケットとかで無料配布したりする形で片づけることになった。
この後も順調にUSBメモリの容量は増え、またUSB 3.0の登場やこれに対応したUSBメモリの出現で、かなり転送速度なども改善されることになった。もう昨今ではOSのインストールもUSBメモリから行なうのが一般的になっている。
普通に使っている分には何回も書き換えができるし、寸法も小さい。こうなるとPCの外部記録メディアの主流の座を掴んだのは当然である。
昨今はより高速なI/FであるUSB 3.2 Gen 2やUSB4なども出て来ており、これに対応して内部に従来のUSB向けフラッシュメモリの代わりにNVMe M.2 SSDを内蔵したものまで登場、外部接続SSD的に使える製品まで登場している。今のところこれを置き換える「次の外部記録メディア」は見えていない。
まとめ
とりあえず知っている範囲での変遷を紹介した。まぁ今はUSBメモリ一択であって、そのUSBメモリですらネットワーク経由でのコピーが一般的になった昨今ではあまり使われなくなってきた。実際ネットワーク経由での移動のほうが楽である。
大昔、まだ雑誌の時代は原稿の入稿にFDを使っていた(原稿を収めたFDを編集部に持参したり、たまには取りに来てもらうこともあった)。それがメールベースに切り替わり、今でも小さな原稿はメールを使うことが多いが、重めの原稿だとクラウドサービスを使って編集部に送る形になっている。外部記録メディアはバックアップ用など限られた用途向けになりつつある昨今、もうすぐ「外部記録メディア」という概念すらなくなるのかもしれない。
※ここで掲載し切れなかった記録メディアは「番外編」で紹介しています。